ウネッザの商人たち3
カルロの下にアントニー名義の手紙が届いたのは、次の祈りの日の前日であった。カルロの部屋に残されたその書簡の先頭には、細々とした文字で「心優しいカルロ・ジョアン様へ」と記されていた。カルロは四つ折りにされた手紙を直ぐに開くと、思わず「あっ」と声を上げ、笑みを零す。
(紙代も安いわけじゃないのに、わざわざこんなことをしてくれるなんて……)
カルロは再び丁寧に手紙を折ると、それを大切に机に仕舞う。そして、藁を敷いた上にシーツをかけた、簡素なベッドに仰向けに飛び込んだ。
腕を頭のクッションにして、多少負荷ががかかる程度の衝撃を受ける。そして、暫くその姿勢のまま投げ出した足を、今度はばたつかせて喜びに悶えた。
彼はベッドの上でまっすぐになるようにゴロゴロと体を転がす。そして、満足げに鼻息を立てて、そのまま眠り込んだ。
カルロは祈りの日に、ひと月分にもなる貯蓄を切り崩し、アントニーの家へと向かった。
ノックと同時に聞こえた弾むような返事に、カルロは思わずにんまりする。
そして、扉を開いたアントニーの十歳は若返ってみえる眩い笑顔を確かめると、カルロは思わずハイタッチする。
アントニーは扉を大きく開けて、カルロを中に誘った。カルロは言われるがままに中に入る。乱雑に積み上げられた得意先帳簿には、今度は丸が書かれたものが散見された。
「カルロ君、金は貸してくれなかった人が、出資はしてくれるみたいだ!本当にありがとう!」
アントニーは座ったばかりのカルロの手を両手で強引に握ると、何度も手を上下に振って頭を下げる。カルロは首を横に振った。
「そんな、アントニーさんの人柄が呼んだ結果ですよ。俺は何もしていません」
「とんでもない!君のお陰だ、アルドゥス氏との契約の締結、そして、エンリコ・ダンドロ氏との契約の締結という後ろ盾があったからこそ、話がトントン拍子に進んだんだ!全部君のお陰だよ!」
「結局契約者の名前は公開したんですね」
アントニーはカルロの手を尚も上下に振りながら、自嘲気味に笑う。
「イネス神父は秘匿することを望んでおられたし、その他高貴な方々もそのように望まれたが、許諾を得た人についてはしっかり商売道具として使わせてもらったよ!何せ……」
「匿名組合は個人同士の契約からなっていますからね」
カルロは答える。日の傾いて以降、エンリコから借りた書籍を熟読していたため、基本については抑えることが出来たのである。アントニーは一瞬驚きの表情を浮かべたが、みるみる歓喜の表情に戻り、再びカルロの手を上下に振った。
「そう、そう!匿名組合契約の責任は私と契約者との個人間にしか生じないし、営業によって生じた責任は私にしか向けられない!だからこそ、契約者は浮いた資産の運用ができ、出した資産以上の責任も負わない。しかし、金がない私が契約に反して金を奪わないと信用してもらうためには、やはり大きな力がいることは事実」
「それで、出版業者として名高いアルドゥスさんや、名士エンリコ・ダンドロさんと契約を交わしていることを、本人の許可の上で行ったわけですね?」
アントニーは何度もうなずく。
薄暗い部屋には明かりはないが、目の慣れた二人にはしっかりと部屋の状況が確認できた。そして、カルロの慣れた目が捉えたのは、小さな航海図だった。
「それは?」
アントニーはカルロの視線の先を追い、歓喜冷めやまぬ表情で答えた。
「あぁ、今回の航海の計画だよ。カルロ君は流石にこっちは分からないだろうから、私がイネス様と共に考えてみたんだ。皆さん、快諾してくれたよ。何せルート自体は、前回と違う上に比較的安全なものだからね」
カルロはイネスの名が出た途端身震いする。アントニーはそれに首を傾げた。
(あの人は、どうなんだ……?)
「大丈夫だよ、イネス様は!信用に足る人物だ。何せ一度ならず二度までも、私に出資してくれたんだからね。そう、失敗した時には被害も被ったはずなのに、とても立派な人物だよ」
カルロの表情を見て、アントニーは笑みを浮かべながら何度もカルロの肩を叩く。カルロはその抽象的な危機感を言葉にできず、アントニーに合わせて苦笑いを返した。
「……それでね、本題に入るのだけど、今度の船は、君のいる工場、要は君に作ってもらいたいと思って」
「俺に、ですか?」
カルロはアントニーの顔を見る。アントニーは優しい笑みを浮かべる。
「私からすれば、君は不思議な人だった。正直、何か借金取りの使い走りなんじゃないか、と本気で思ったんだ。だがね、アルドゥス氏から聞いた話によると、君の言葉はどうも本当らしい。彼の伝手からエンリコ・ダンドロ氏やチコ・ブラーエなる天文博士の言葉もそれなりに信憑性がある。それに、フェデリコ・ダンドロ氏の恋愛騒動にも一枚かんでいたというじゃないか。考えてみれば、あの話は君に全然、全く利益をもたらさない。私は確信したよ、君は信頼できる。そんな「君に」船を造ってほしいんだ」
アントニーはカルロの方に置いていた手を離し、その手をそっとカルロの前に差し出す。
カルロは暫くアントニーの顔を見つめ、はらりと涙を零す。彼自身自制のできない喜びに、心臓が高鳴り、取り留めもなく滴を零した。
その滴は帳簿塗れの床の合間に数滴落ちた。カルロは服の裾で涙を拭うと、できる限り力強く、アントニーの差し出した手を握った。
「任せて、ください!俺だって、アルセナーレの一員ですから!」
今度は、カルロが握った手を、強く振った。その度に、部屋に煌めき浮かぶ細かな埃が舞う。カルロは、なるべく高くそれを吹き飛ばすように強く、三度握った手を振る。その一振りに、誇りを見出しながら。




