ウネッザの商人たち2
アルドゥス印字商店の名義で僕のもとに手紙が届いたのは、祈りの日から3日後の午後のことだった。
午前中には荷受けの監視をしているフェデリコも、午後にはあちこちに使い走りをさせて出払っていたので、僕のもとには使用人が届けてくれた。
商談を終えた僕は、即刻使用人から手渡されたそれを手に、壁一面に円形の額縁から笑みを零す母の肖像画が飾られた階段をのぼり、自室に戻る。常に真新しいインクの匂いが机上から漂う部屋の扉を閉ざし、席に着く。
手紙の送り主を見て警戒しながら、封を切る。千切れた蝋が膝の上に溢れる。手紙を開くと、思わず吹き出してしまった。
友人が蒔いた種があまりに自分の畑とは違うところに蒔かれてしまっていたことに気づいた僕は、久しぶりに書棚からウネッザの住民票を探し出す。アルドゥス・マーシャスの名は、既に40年以上前からそこに刻まれていた。
荷受けと出荷の作業を終え、取引先との交渉も終えた後で、僕はペンを取り出す。
夕刻の潮風は夏場も厳しく、締め切った窓はガタガタと揺れていた。書棚には整然と並べられた大小様々な書籍が並び、珍しく主人をなくした二段目の棚が口を開いている。僕は取り出した住民票を確認しながら、封筒に住所・氏名を書き写す。二、三度確認した上で、今度は羊皮紙を一枚取り出し、ペンにインクを浸した。
その手紙には、カルロ・ジョアンなる人物の人となりを余すことなく書き出し、これまで自分がどれ程世話になったのか、信用における人物なのかを克明に記した。
文末には、カルロ・ジョアンに関する注意事項も合わせて記載する。善良な人間ではあるがはっきりとした出自が不明であること、また、商売に関しては全くの素人であることを書き、彼の提案する取引に参加するならば十分な調査の上で行うべきであることも記した。
僕は、それを使用人の一人に渡すと、同時に紅茶を依頼する。使用人は迅速に行動を起こし、暫くすると紅茶とスナックを持って帰ってきた。僕はそれを受け取ると、すぐに手紙を届けるように言伝する。彼は急いて部屋を後にした。
紅茶には、多少は落ち着いたクマが薄っすらと映っていた。今日の菓子はミルククッキーであり、砂糖をふんだんに使った贅沢な一品だった。
紅茶を啜ると、温かい湯気が喉を通り抜ける。微かに香る芳醇な香りと共に、口の中にほのかな苦味が広がった。喉元を通り過ぎる暖かな感触と繋がった鼻へ抜ける独特の風味は、他の飲み物にはない飲みやすさと美味しさがある。僕はその一部をソーサーに注ぎ、熱が冷めるのを暫くを待った。
(あれほど自由に生きる人間が、どうして僕よりも目下なものだろうか……)
ソーサーに注がれた顔はクマこそ多少落ち着いていたが、華奢でつまらない顔をしていた。快活な印象は微塵も感じられず、唇の皮も薄く弱々しく、男らしさがない。眼鏡の縁は薄い顔にはあまりに肥大で、顔の上半分を切り取ったようにくっきり映っている。甘い菓子を齧ると、「男らしさがない」を通り越して「女のような」線の細さがある。フェデリコもそうだが、僕ほどの弱々しさはない。仮にも外地に出たことがあるものとして、余りにも貧弱に映った。
気づくとため息を吐く。積み上げられた決算書類も片が付くと、半期分の清算で出た利益は前期よりも3%の微増、要するに順調な売上だった。しかし、書類と愛想笑いに追いかけられる日々は、やはり相当に窮屈なものだと考えるようになった。
運河の隙間を海鳥が飛び去っていく。翼をはためかせ、運河には足跡のように羽を落としていった。
僕は十分に冷まされた紅茶を一気に飲む。日中の緊張感がほぐれると同時に、吸い込んだもののぬるさに目が覚める。ぼんやりとした夕陽の色は、一層明るく、光の入らない机上は、一層暗くなる。
再び小さくため息を吐くと、バタバタと騒々しい音がする。僕は呆れてため息を吐いた。
「兄さん、ただいま帰りました!今日はすごかったですよ、仕事終わりにカタリーナと絵の工房を見に行って……薬屋で売っているようなものを混ぜて絵をかいていました!」
フェデリコは大層嬉しそうに話す。彼はコインの落ちる音よりいくばくか低い声で、子供のように歯を見せて笑った。僕はペン先を拭いながら、少しだけ低い声で返す。
「ははは、それは良かった。……もう少し静かにのぼってくるようにね」
間延びした返事を聞いたとき、安堵の溜息と共に、自然と笑みが零れた。




