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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第四章 ウネッザの商人たち
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ウネッザの商人たち1

「やはり、イネスが絡んでいたか……」


 教会を出て開口一番にでたのは、そんな言葉であった。

カペレッタの主要広場は銀行もあり、約束手形を忍ばせた男たちが何度も往復する。中でもレースの取引をするものは、あちこちからかき集めた約束手形を引っ提げて意気揚々と道を往復する。

誰の目に見ても明らかなものといえば、銀行に行き来するものの腰の曲がり具合であって、すっかり丸くなったものは貧者であり、ピンと胸を張った者は一般人であり、ふんぞり返っている者が富者である。

いずれも似たような服装を着る壮年の男達であると、服装を見るよりもずっと明確に区分けが出来る。


 一方で、スキップしながら銀行まで赴くものも又、存在する。そういった類は緊急の収入に喜ぶ者達であって、例えば財政危機に陥っていたが何とか首の皮一枚が繋がった者が、希望を持つことが出来た時にする仕草である。

私は小切手を現金にすっかり代えて、教会に一枚銅貨を落としてやった後、私の店に戻ることにした。


 私の店とは無論、アルドゥス印字商店、悪名高き情報屋、功名ありし出版業者である。

本は売るが、概ねが出版後各地の書籍商人にばらまくことを収入源としている。そんな私の店にやってきた若いのが持ち掛けてきた商談が、匿名組合であった。


 さて、この匿名組合をするにあたって、私が検討しなければいけない事項は二つあった。第一が、稼げるか否か。第二が安全か否かである。

イネスの介入があるという事は、既に第一の問題は解決したとみてよい。あの男は神には従順でないが金には実に従順であり、稼ぎありきと踏んだ時にだけ、その重い腰を上げるのだ。

然し、第二の問題については少々疑問があった。理由は、やはりイネスの存在である。この男は金に従順と言ったが、神には従順でないとも言った。即ち、神の言葉など見向きもせずに、蛮行を働くこともあるというものである。

 今回特に第二の問題を懸念しなければいけない理由は、アントニーと言う無名の商人、この男が営業主となるためである。このアントニーなる人物は、事業に失敗し、商人としての判断能力が低下している可能性がある。しかも、イネスから受け取ってであろうカペル銀貨の存在は、特に金汚いイネスへ対する判断能力の低下が現れるであろうことは、容易に予測できる。


 私は件の若い男、カルロ・ジョアンなる人物の事を知るため、店舗の受付で待機する。

古いインクの匂いと古本の独特の香りに、新鮮な八つ折本のにおいが混ざる店舗には、整理をしなくてはならない見本の書籍群が棚の上で散乱していた。


 暫くすると、来店を知らせるベルの音が鳴る。若く美しい金髪の女が、若者らしからぬ卑しい笑みを浮かべてやってきた。

魔術のかけられた扉の鍵がひとりでに閉まると、金髪の女、サファイアのごとく輝く青い瞳に、カペルの女が好む首元が見えないほどのレースに、青いスカートを穿いている。


「アルドゥス君、君も年を取ったね」


「チコ先生、貴方は随分と若いのを捕まえましたね」


「そうだろう、そうだろう!いやぁ、女の子ってのもなかなかいいもんだ!」


 チコは楽しそうに一回転する。その際、ふわりとスカートが舞う姿は大層可憐だったが、一方で、中身のことを考えると苦い味の唾が出る。

私が苦笑で返すと、チコはつまらなさそうに顔を顰め、用意された客席に着いた。


「君は相変わらずだね。ハシビロコウみたいで可愛いよ」


 チコはウキウキしながらリストを手渡す。私は仏頂面でそれを受け取り、手を一回叩く。

顔をのぞかせた小僧にリストを押し付けると、彼はそそくさと奥に走り去っていった。チコは頬杖を突きながら左右に揺れる。


「可愛いなどと御冗談を。よく可愛がっていただきましたからね」


 チコは、机上の残された俗語の書籍の類を目で追いかける。かつてはこの男に随分と騙されてお遣いされたものだ。書籍の山に囲まれるに至ったのも、この男に頼まれた買い出しのせいで積みあがった知識の成果であって、この男は、良くも悪くも、また忌々しくも、私の人生に影響を与えている。


 そんな男が、突然女の姿になって町に戻ってきたなどと聞けば、驚くのも当然のこと。私は同姓同名の奇妙な女であると信じたが、ここで完全に証明されてしまったことに心底絶望した。

しかし、今の私は積み上げられた書籍と、いくらでもばらまける機構をその手中に収めている。いま愛らしく頬杖をつく小娘の姿をした悪霊に対しても、私は難なく質問をぶつけることが出来る。


「……先日はご利用いただきありがとうございました」


 私が呟くと、チコは顔を上げる。呆けた表情をしながら、思索を巡らせている。


「ん?あー、そうね。カルロ君に頼んだ奴だね」


 静寂な部屋に甲高い女の声が響く。私はそれに不快感を覚えながら、目の前にある目障りな本などを片付けた。馬鹿げた騎士たちの誇りを示す絵画などが描かれたものだが、分量だけは十分にあるので、積み上げればそれなりに見栄えのする書籍の束が出来上がった。


「カルロ・ジョアンと言いましたか。随分と快活そうな男でしたが」


 私は探りを入れる。チコは頬杖をつきなおし、より姿勢を崩すと、私が積み上げた本を見上げる。


「ん、んー。あれで意外とセンチメンタルなところもあるよ、彼。犬?うーん、リス?サル?みたいで可愛いよ」


「えぇ、まぁ、犬のような人間だとは思いました。ところで、あの男に入れ知恵をしたのは貴方ですか?」


 私は眼光を光らせる。ドアのベルが二度鳴り、やがて何者かが立ち去っていく。

私は右手を窓に向け、魔法によってカーテンを閉めると、そのまま机上で手を組んだ。

チコは、何かを察したのか目を細める。大量の書籍を運んできた小僧がバランスを崩しながら、受付の角に書籍を置く。小僧が奥に戻ると、新品のインクの匂いがほんのりと漂う。


「ははぁん、やるねぇ、あの子。私は入れ知恵してないけど、狐か、コアリクイにでも化かされているんじゃないかな?」


「御冗談はよして頂きたい。重要なことです」


 私は眉を顰めた。蝋燭に火をつけると、今度は蝋燭の臭いがインクの匂いに混ざる。チコは点けられた炎を見つめながら、ニヤリと笑った。


「君は疑っているかもしれないが、カルロ君は良くも悪くも善良な子だ。君が思っているよりも、ずっといい取引だと思うけどね?」


 私は立ち上がり、腰を摩りながら三分割して書籍を束ねる。新しいインクの匂いと心地よい皮の表紙に、黒い縁で囲われたタイトルが大きく残される。束ねられたそれらはしっかりと布で包み、小切手と取り換えられた。


「そうですか。では、周りを見回してみることにしますよ」


「それがいいよ。特に、ルートには気を付けてね」


「言わずもがな」


 チコは両手で包んだ書籍を持ち上げる。私は鍵を解くと、笑顔で手を振るチコに恭しく頭を下げた。


 カーテンを開け、チコが立ち去ったことを確認した私は、ため息を吐いて腰を摩る。そして、陳列された俗語の説話集を整える。乱雑な山になった本の数々は、私を試すべく縦に、斜めにずれていた。

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