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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第四章 ウネッザの商人たち
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再び、カペレッタ教会へ

 イネスは余すところなく磨かれた書斎を眺め、うっとりとしながら書籍を開く。さらに白紙の書籍を開くと、転写用の読書台にセットした。


 読書台に乗せられた二つ折り本を見ながら、白紙の書籍の上にペンを滑らせる。騒々しいウネッザも、祈りの日に騒ぐのは若く血気盛んな男ばかりであり、堅牢な壁に囲まれたカペレッタ教会は静まり返っていた。


 イネスは黙々と模写をしながら、ぶつぶつと聖典を暗唱する。鉄製のペン立てはインクを拭き取られ、新品のような輝きを残している。微かな声による暗唱の区切りに合わせて、読書台の二つ折り本のページがひとりでに捲られる。

 礼拝堂よりも一層濃い香草の匂いが漂う静寂の中に、頁をめくる音とペンを擦る音が響く。白紙の頁に綴られる三韻句法の詩文は、三韻毎に神と精霊への賛美が綴られる。イネスは穏やかな表情でペンを走らせ、時折鼻から息を吐いて目を細めた。


 書斎の扉がノックされる。イネスは満足げに持ち上げていた口角を下ろし、「何か」と聞き返した。

 重厚なドア越しに、女性の「お客様です」という声が聞こえる。イネスは読書台から巨大な本と自身の模写した本を片付けながら、「通しなさい」と答えた。


 部屋に大きなため息が響く。読書台は借主を奪われた喪失感から、すっかり日陰に隠れてしまった。



(滅茶苦茶緊張する……)


 カルロが扉をノックすると、穏やかな中年の返事が聞こえた。彼が一拍おいて扉を開くと、静かに丸椅子に座るイネスが、両手を膝の上で合わせていた。


「失礼します」


「どうぞ、そちらにお掛けなさい」


 カルロは礼をして部屋に入ると、用意された丸椅子に腰かけた。イネスは努めて穏やかな表情を残しながら、カルロの瞳を見つめる。カルロが口を開こうとすると、イネスはそれを遮るようにより大きな声で答えた。


「お受けしよう」


 一瞬の静寂。カルロは口を開けて硬直したまま「……は?」と聞き返した。イネスは胸元に手を当てて目を閉じ、微笑んだまま俯いた。


「迷える子羊を導くのが私達神の従者の仕事……。アントニー・ベルモンテ氏への出資、謹んでお受けしよう」


 書斎は書棚で埋め尽くされていたが、光を差し込むための窓はしっかりと二つ残されていた。窓から射す光の筋の行きつく先には丸椅子があり、二人の椅子を温めながら照らしていた。


「本当にいいんですか?まだ、何も……」


「困窮は人の心を貧しくする。思いやりを与える余地を狭めてしまうものだ。カペラ神は鼻と美の女神、即ち美しく清い心を導く事が私たちの使命。なので、ほんの気持ちだが……」


 イネスは胸元に置いた手をそっと上着の中に入れ、皮製の財布を取り出す。財布の中には大小さまざまな貨幣が入っており、イネスはその中から一枚の眩い銀貨を取り出した。


「カペルの……銀貨……」


 カルロは差し出された銀貨を両掌で受け取る。イネスは財布をしまい、静かに胸元に手を当てた。


「まずは決済の前に必要な支払いを終えなくてはならないだろう?……それは私からのほんの気持ち。あとは、組合結成の際に、後日手形などを振りだす必要があるから、アントニー氏への言伝、お願いしてよろしいかな?」


 埃がキラキラと輝きながら二人の間を舞っている。カルロは渡された銀貨とイネスを何度も見比べる。イネスは微笑みながら、頷いた。

 香草の甘い香りがカルロの鼻をくすぐる。読書台が部屋の隅から二人を見つめていた。


「あの、失礼ですが、イネス神父……。なぜ、アントニー氏について、それほどお詳しいのですか?」


「私たち神父は迷える子羊たちの告白を聞くことも仕事の一つ。先刻いらしたアントニー氏から、その旨の話は伺っている。流石に細かく帳簿の中身までは知らないが、貧しい方への施し程度には意義のあるものと考えている」


 イネスは微笑んだまま答えた。カルロは両手で受けた銀貨を、アントニーに渡された集金用の財布に入れる。そして、しっかりと財布の紐を結わえた。


「……有難う御座います。アントニー氏には、本日中にお伝えしておきます」


「若い人、君のような素直な人が増えてくれれば、社会もきっとよくなるのだろうね」


 カルロは答えに窮して苦笑する。イネスは膝の上でそろえた手を組みかえながら、静かに頷いた。


「では、用事は済んだかな?私は作業に戻るので、何か確認したいことがあればまた来てほしい」


 イネスは静かに微笑むと、部屋の隅に置かれた読書台を自分の椅子の前に置く。巨大な二つ折り本を開き、模写用の本を開く。カルロは戸惑いながらも立ち上がり、頭を下げて扉に手をかける。


「あ、そうだ。「くれぐれも」、組合の資金集めは慎重にしたまえ」


 カルロは振り返り、読書台と向かい合ったイネスを見る。イネスは一切カルロの方を向かずに、静かに模写を始めていた。


「えぇ、はい……ありがとうございました」


 カルロはそう言って部屋を後にする。彼は部屋を出てすぐに立ち止まった。


(妙……だよな……)


 カルロは革袋の中身を確認する。銀の含有量が多いカペルの銀貨は、ちょうど支払期日が直近に迫った、アントニーの小口取引を支払う為に必要な分の価値だった。

 カルロは礼拝堂を見下ろす。階段を下りてすぐの場所から、厳かな石造のアーチが途切れると同時に、カペルの名を冠するに相応しい、洗練された教会の床が覗かれた。

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