造船所へ
アルセナーレの職人は口をぽかんと開け、胸を弾ませるカルロと、その背後にいる老婆を見比べた。巡礼船にとっては逆風だが、海の流れ自体は穏やかで、小型の帆船が嬉しそうに風を受けて航行する。
「……え、船、を作るんですか?借りたいわけではなく!?」
「えぇ。主人はそのように」
モイラは微笑んだ。お気に入りらしい籠を提げ、口を上品に隠して笑う。
厳つい工員の一人は部屋の隅で信じられないという表情を見せる。
川を挟んだ向かいの潟にいる帆作り職人は面白そうに拍手をしている。水流に隔たれた向かい側は、実に賑やかだった。
「ひとまず中へどうぞ!お前は待ってろ!いいな?」
カルロは誇らしげに頷く。但し、彼も内心では、かなり緊張していた。
モイラが入所すると、やや強めに扉が閉ざされる。暫くすると、帆作り職人の一人が「よかったなー!」と大きな声で言った。カルロは手を振って反応する。
「早かったな!いくら積んだ!」
「積んだ?」
壮年の職人が尋ねる。カルロは意味を解しかねて、首を傾げた。職人は楽しそうにくつくつと笑っている。職人たちは「何でもないよ」と言って腹を抱えながら中へ入っていく。その後姿を不思議そうに見送ったカルロは、建物の隙間に流れる強い潮風に思わず体を震わせた。
寒いわけではないが、先日の疲れからか潮風に当たると体が反応するようだった。彼は今朝の博士の依頼を思い出す。
(葬儀用に教会へ向かう船を造ってほしい、か……)
彼はやや複雑な心境でそれを受けた。
博士は自分の老い先が短いことを悟っているらしく、自分に相応しい船を作ってほしいと頼み込んできたのだ。初めは戸惑ったカルロだったが、この機会を逃すわけにはいかず、初仕事が葬祭用の船舶であることに承諾したのだった。とはいえ、職人たちの呆気にとられた顔は何となく気持ちがよく、誇らしくもあった。再び潮風に吹かれ、蝋燭のカスを纏ったパピルス紙がふわりと舞う。彼は反射的に体を摩る。遠くに商船団が出港していくのが見える。警備のガレー船も一緒だ。
(いつかは、ああいう船を造るんだろうか。そうだったらいいな……)
海面が揺れる。地上との境が曖昧な浜辺とは違って、はっきりと区切られた港の底にはうっすらと地面が伺えさえする。杭を打たれた場所をなぞると、深い海面を辿ることが出来た。その一部は当然アルセナーレに向かっている。
カルロが暫くぼうっと海面を眺めていると、件の厳つい職人が外へ出てきた。屈み込んでいたカルロが飛び上がる。姿勢を正して彼の言葉を待つ。職人は眉間にしわを寄せつつ言った。
「船の知識はあるのか?」
カルロは首を横に振る。
「でも、やる気では負けませんよ」
職人は頭を掻き、小さく溜息を吐く。
「入れ」
「……はい!」
カルロは威勢よく答える。駆け足で、アルセナーレに入った。
入り口直ぐには、先日の板が張り付けられて、外観上は立派に船になりつつある船が出迎える。彼は鼻から息を吸う。改めて確認する停泊した予備の船舶は、その多くがガレー船であり、軍船であることが伺える。削れた木材のいい匂いが微かに残る工場を通りながら、町の中とは違った忙しさの中にいる工員の何人かに挨拶を交わす。髭を携えた長身の男たちは軽く頭を下げると、客人に慣れていないのか通り過ぎたカルロを見て頭を掻く。
奥へ行くほど小規模な船を製造しているのか、製造中の船舶を見るたびに、絵画の中に入り込んで遠近法を確かめるような錯覚に陥る。
「今見てきたのは最後の工程、塗装とその手前の艤装の工程だな。組み立てもこの部屋でやっているが、小規模船だからってのが大きいな。もう少し大きい船になると、この部屋では作らない。それらが作られているのは別の棟だ。……まぁ、暫くは縁がないだろうよ」
「すごいですね!あれをいっぺんに作るんですか?」
カルロが目を輝かせて男を見る。カルロ自身は決して小柄ではないものの、長身の工員からは見下ろす形になる。工員は思わず目を逸らした。
「アルセナーレでは、工程ごとに部屋を分けているんだが、組み立てと松脂の塗装に関してはこの部屋だな。他には木材の搬入加工をするところもあるし、竜骨の組み立てをするところもある。向かいの工場は帆の加工だっただろう?この区画の連中はアルセナーレの外まで全部造船関係の仕事をしている。
ここの船は日常的に使うようなものとこの辺りを警備するためのガレー船が主だな。内装が必要な外遊用の船なんかは一年かけて完成ってところか。ここの何十倍かの大工がいるな、うん」
カルロは目の輝きを保ったまま益々迫ってくる。先ほどよりもやや上機嫌な工員も、目のやり場に困りながらも、まんざらでもなさそうに頬を持ち上げたりしている。カルロは船室を覗ける穴を見つけては、その中を覗こうとちょっと身を乗り出し、中で作業をする工員と目が合うと会釈を返した。
「あぁ、砲口だな。一応警備用のものにはついている。因みにせいぜいが一方に二つくらいだな」
案内をしながら、カルロがのぞき込む穴をちらりと見る。彼はここまで目を輝かせて来るとは思ってもいなかったのか、声のトーンは低いが多弁だった。
「あ、そうだ!俺の名前はカルロ・ジョアンです。宜しくお願いします」
カルロが思い出したように頭を下げる。眼前に並ぶ船団の威容に思わず興奮したためか、紅潮した満面の笑みを浮かべている。
「……フェデナンド。フェデナンド・コルネールだ」
案内をしていた長身の厳つい工員が答える。彼も自己紹介をしていなかったことに今気付いたのか、頭を掻きながら視線を逸らす。二人は一通り造船の過程を確認すると、最後に非常に小規模な移動用のゴンドラの塗装作業をしている工員に挨拶をして、奥の扉の中に入った。