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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第三章 ダンドロ一族の親子喧嘩
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悔いのない選択を1

 ムラーノ教区には恋慕の悪魔が住んでいて、人に紛れて生活をしていると言われる。ウネッザの人々は、その悪魔の名をグレモリーとか、ゴモリーとか、ゴーリーなどと呼んだ。そして、幾千か幾万かの年月を超えたであろうその悪魔は、時折失踪しては再び別の名や姿で現れるのだという。嘘が苦手な悪魔だと言われ、とても器量もいいと噂されている。


 ムラーノ教会の地下にあるワインセラーのさらに奥には、黴臭さの充満する巨大な空洞が存在し、幾つかの法陣と共に血糊のようなものがべったりと塗りつけられている。

 神父は一本の蝋燭の火を灯す。蝋燭は礼拝堂の裏の隠し部屋の中を照らしだす。鮮明になる赤黒い法陣は余りにも不気味に浮き上がり、蝋燭の火を囲むカルロ達は息をのんだ。

 一方で、ムラーノ教区の悪魔こと、グレモリーは、平気な顔で神父に礼を言う。神父は彼女の前で静かに祈りの言葉を述べると、替えの蝋燭一本を置いて礼拝堂へと戻っていった。


 カルロは血糊の法陣を気にしながら、フェデリコの方を見る。彼はカタリーナの手をしっかりと握り、真剣な眼差しで蝋燭の炎を見つめていた。


「なぁ、グレモリー……この法陣ってさ……」


「私が召喚されたところだよ。少年の心臓……かわいそうだけど、それを使って、ずっと昔の神父が私を召喚したんだよ」


 彼女は血糊をなぞりながら、切なそうに目を伏せた。カルロはその指先を眺める。蝋燭の炎が揺らいで血糊が見え隠れする。カルロが埃の燃えるような臭いに顔を顰めると、何を勘違いしたのか、フェデリコがカタリーナの腕を強く握りなおす。


 グレモリーは、普段の村娘の衣装とは異なる、動きやすそうなホットパンツを履き、悪魔の正装だというローブに、スリットを入れてアレンジを加えたものを身につけていた。


「これから、どうするんだ?」


「二人はどうしたい?」


 グレモリーは血糊をなぞりながら切り返した。唐突に話題を振られたフェデリコとカタリーナは呆然とする。

 グレモリーは、そっと指を持ち上げ、こびりついた埃を吹き飛ばす。すると、突然、法陣の中心に空気が薄くなるほどの巨大な火柱が立ち上る。埃は一気に燃え上がり、跡形もなく消え、蝋燭はドロドロに溶けて失われた。代わりに一同の表情と、ワインセラーの裏側がより鮮明に確認できるようになる。くすんだワインセラーの裏側は、燃え上がる炎の熱を受けてオレンジ色を反射する。そこには、まだら模様のような染みがあった。


「炎の中に入れば、二人を望む場所へ逃がすこともできるよ。でも、代償として……二人の体を守る為の脂―例えば、カルロ君の肉片とか、人間の脂―が必要になる。それに、逃れた後のことは、何も保証できない。あるいは、私の力を使って、朝になったらその木材を炎の中にくべて船を造り、それで脱出することもできる。逃避行なら、そう言う魔法もあるよ」


 フェデリコはカルロを見る。カルロは黙って炎の先を見ていた。グレモリーは膝を抱えて諦観の混ざった笑みを浮かべている。


「ほかの方法はないのか……?それだと、カルロが……」


「この町にいる限り、君はお父さんから逃げられないと思うんだ」


 グレモリーは膝を抱いたままフェデリコを見た。火柱が激しく天井を焦がす。カルロは、向かってくる煙に思わずむせ返った。フェデリコが頭を抱え、「ああああああああ……」と奇声を上げる。苦しそうに喉を震わせた彼は、炎から目を逸らすように首を垂れている。


「どうするの?私にできる事は、あんまりなくて、例えば、二人を結び付ける魔法なんてのもあるけど、今は何の意味もないでしょ?だから、どちらか選んで」


「決められない、そんなこと、決められない!」


 フェデリコは駄々をこねるように叫んだ。グレモリーは慈しむような微笑を湛えながら、眉を顰める。


「ごめんなさい。私にできる事はもっとあると思ったんだけど……。君の特殊な事情を考えると、どうしても父親から離れる事しかできないと思うんだ」


 ガタン、突然の音に一同が驚く。礼拝堂の入り口から、精悍な兵士の声が聞こえる。カルロはフェデリコの方を見た。その剣幕に、フェデリコは益々身を縮こませた。


 フェデリコの嗚咽が響く。グレモリーは静かに目を細める。次第に火柱の力が弱まり、どろどろの蝋燭の上で燃え広がるのみになった。


「私、フェデリコさんといられた時間が好きでした」


 カタリーナが呟く。一同の視線が彼女の下に集まった。収まり始めた炎が彼女の穏やかな表情を赤く照らしだす。


「あなたといる時間は、外にいられて、楽しくお話もできて、知らないことをたくさん、知ることが出来ました。短い時間の中で、一緒に埠頭を眺めたり、鍋を持ってもらいながら、色々世間話をしたり……。今まで、そんなことできなかったから、凄く、凄く、楽しかったです」


「カタリーナさん……?」


 フェデリコは顔を上げた。目を真っ赤にし、鼻水を啜る。服の裾は水の中に浸したかのように濡れており、炎の明かりが届いていないかのような暗い色をしていた。


「泣き虫さん。カルロさん、グレモリーさんも。ごめんなさい、お騒がせしちゃいました。私が出て行けば、万事解決なのでしょう?」


 カタリーナは立ち上がり、スカートについた埃を払う。飛散した埃が炎の中でじゅう、と言う音を立てて灰になる。兵士達が神父と言い争う声が聞こえる。その中には、ドージェである、ピアッツァ・ダンドロの声もあった。フェデリコは首を振る。懇願するように、カタリーナを見上げていた。


「短い間でしたが、ありがとうございました。素敵な、素敵な夢でした」


 カタリーナはフェデリコに微笑んだ。彼女はワインセラーを引こうと手をかける。


「あぁ、もう!意気地なし!」


 グレモリーが立ち上がると、ワインセラーがガタガタと揺れ、ひとりでに道を開けた。グレモリーは駆けだし、カタリーナが踏み出す前に礼拝堂の方へと消えて行った。ワインセラーは、他の誰をも通さないために、直ぐにその道を塞いだ。燃え盛る炎は静かに揺らぎ、焦げた臭いをあげながら、埃を舞い上げた。フェデリコは、嗚咽を漏らしながら、炎の中に溶けてなくなった蝋燭の姿を見つめていた。

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