懸念
カルロは小さく欠伸をし、いつも通り道具の支度をしていた。この町に来て久しく、彼も随分と潮風に慣らされ、仕事も手早くこなせるようになっていた。そしてその分、何となく刺激に欠ける退屈さも感じるようになっていた。かつて工員達と自分の力の差に悩んだ時とは違い、倦怠期とでも呼ぶべき気のゆるみを感じていた。
低い曇天と大粒の雨のために、工場から覗く海原はやや波が激しく、船出には向かない北風が吹く。カルロにとっては、完成した船を陸に挙げる作業が待っているという程度の、特に感慨のない代物であった。
「カルロー、引き揚げるから引っ張ってくれー」
「はい!」
フェデナンドが叫ぶと、カルロは殆ど反射的に返事をして彼のもとへ向かう。工場の隅に座っていたカウレスがカルロの様子を傍から見て小さくため息を吐き、重い腰を上げる。ぞろぞろと若手たちが集まる。若手のうち二名は船体に縄を括り付け、三名ずつが左右の縄を持つ。中央はフェデナンド一人で引くらしい。二名は一通り結び目の点検をすると、飛び降りて船体の横についた。
船の周りが縄を持つ若者たちの声で賑やかになると、フェデナンドは野太くよく響く掛け声を上げる。
「せーの!」
「おい!おい!おい!」
船を傷付けないように慎重に、然し力強く引き上げられる。縄を結んだ二名はそれぞれバランスを調整する。安全のために引き上げられた船は、やや小ぶりのガレー船であり、よく見れば先端に花の女神カペラが象られていた。
暫くして海上に引き揚げられた船は、縄を解かれ、いざという時に流されないように石などで船底を固定される。小ぶりの石を運ぶ男達が、カペラの重りを見て思い出したように切り出した。
「そういえば、ドージェの息子が恋にご執心って噂になってますねぇ」
それを聞いた別の工員が船底に石を並べながら答える。
「いいご身分だなぁ。ま、俺達には関係ないがな」
船はほとんど引き上げられたようで、各々の持ち場でカン、カン、と金属のこすれる音が響き始める。工具を持つ男たちは石を並べる若者達を退かしながら各々の持ち場で船の整備を始めている。
(あいつ、うまくやってるかなぁ……)
カルロは解いた縄を片付けながら、遠くで聞こえる噂話にフェデリコのことを思い出した。
「おい、カルロ。お前あの兄弟と仲良くなかったか?」
カルロは縄を片付けながら、近づいてくるカウレスに驚く。彼が噂に興味を示すとは思わなかったためだ。
カウレスが催促するようにカルロに鋭い視線を送る。他の工員はカウレスの人柄からどうせ仕事の話だろうと考えているのか、気にとめる様子もなかった。
荒海を望む停泊場はがらんとして、打ち付ける波の音が殊の外響く。カウレスの剣幕に異様なものを感じ、カルロは一先ず当たり障りのないことを答えることにした。
「えっと、はい。それなりに仲良く……仲良く?させて頂いてます。あ、でも恋云々とかは俺にはちょっと……」
カウレスは鋭い目つきのままカルロの肩に手をかける。カルロとの身長差のため、必然的に見下ろす形になる。それが益々威圧感を増幅させていた。
「だったらやめさせてやってくれないか?嫌な予感がする」
「えっと……あの……?」
「投票権を無駄にしたくはない、と言うだけのことだ。言うことを聞くかはお前が考えてくれればいい……」
カウレスは何事もなかったかのように持ち場へ戻っていく。メルクが戻ってきたカウレスを小突いて笑う。カウレスは冷めた目つきで工具を選別し始めていた。
(投票権……?)
取り残されたカルロは縄を持ったまま呆然と立ち尽くす。カウレスの言葉の意味を理解しかねていると、フェデナンドがカルロの髪を引っ張った。
「話は済んだか?ほら、仕事仕事!」
「いっででででで!すいませんすいません!」
カルロはフェデナンドに引っ張られながら、工具室に縄を片付ける。
(たかが恋、気にすることない、気にすることないよな……?)
カルロは一抹の不安を抱えたまま、急ぎ普段の業務に戻った。
 




