運命の人は何処へ2
「なぁ、どうしよう緊張してきた……!」
フェデリコは終始カルロにしがみつき、件の宿の前にやって来た。
「大丈夫だって、ちゃんとアポ取ってるんだから。ほら」
カルロを背中を押され、扉の前で躊躇う。つけ離されたことを恨めしく思っているのか、フェデリコはガチガチになりながらも恨めしそうに振り返ってカルロを睨む。カルロが冷めた目をしながら手で促すと、フェデリコは二、三度深呼吸をして扉に手をかけた。
「こ、こんにちは!」
フェデリコは大きな声で叫び、直角に頭を下げた。声が裏返り、緊張が隠しきれていないらしい。ちらり様子を窺うと、そこに立っていたのはニヤニヤとしながら腕を組む主人だった。
「騙したなカルロこの野郎!」
「騙してねーけどこの野郎」
「野郎とは何だ、この……ウンコ野郎!」
「語彙力が同レベル……」
冷静に成り行きを見届けていた主人がぽつりと呟く。
二人は心底不服そうに顔を見合わせる。カルロが気を取り直して主人へ尋ねた。
「それで、件の人物は……」
主人は給湯室を指差し、ウィンクする。
「こう言ったものは出会いが大事……。本人には伝えていないから、こっそり、見ておいで……」
(垣間見か……)
カルロは不安になってフェデリコの方を向く。案の定、彼は半ば過呼吸気味になっていた。主人はその様子も楽しんでいるらしく(側から見たら実際に面白いが)、ニヤニヤしながら黙っている。
カルロは一旦間を置いた後、小さくため息をついてフェデリコの背中を押した。フェデリコは勢いでバランスを崩す。バランスを立て直した彼は、カルロを恨めしそうに睨みながら、給湯室の方へと消えて行った。
「いやぁ、若いっていいねー」
「あんまり面白がらないでください……」
主人はカラカラと笑った。
給湯室はカウンターのすぐ右隣にある細い廊下の向こうにある。夕刻以降は閉ざされた扉の向こうは貯水槽のような仕組みがあるウネッザ独特の井戸に直結している。
地価の高いウネッザでは廊下の長さは高級住宅の基本とも呼べ、中庭をぐるりと一周する長さがダンドロ一族のそれと同等のこの宿は相当な金持ちということになる。フェデリコでさえも入れば心を踊らせるような宿だが、今の彼にはそんな余裕はなかった。
彼は壁に寄り添って給湯室を覗く。その先に見覚えのある後ろ姿が認められた。再び心臓の鼓動が速くなり、緊張が抑えられなくなる。
視線に気づいた女性が振り返る。肌理の細やかな肌と高い鼻がフェデリコを捉える。澄んだ瞳に捉えられた彼は思考が回らなくなり、火照る頬を手で押さえる。いじらしく首を傾げた女性に対し、顔を真っ赤にして頭を下げた。そのまま壁に頭をぶつけたのはいうまでも無い。その様子に、女性は顔を綻ばせ、ミトンを纏った手でスカートの裾を持ち上げて挨拶した。
「こんにちは」
「こ、こ、こんにちは……」
フェデリコは目をそらして答える。宿のものらしいブリキの鍋が火にかけられ、沸騰した湯がくつくつと煮えている。女性はそれを確かめ、慌てて火を消した。彼女は振り返り、誤魔化すように笑った。
「ごめんなさい、ちょっとお湯を沸かしていたの。何か御用でしたか?」
フェデリコはふわりと揺れる髪を眺め、半ば放心しつつ首を横に振る。女性がそれを確かめ、鍋の取っ手を掴む。それと同時に、彼は我に帰った。
「あ、待った、待った!えーと、その……」
女性は鍋を再び火を消したかまどの上に乗せ、首をかしげる。フェデリコはますます緊張して、口をパクパクさせた。
「あー、うー、えーと……いい天気ですね!」
「うふふ、そうですか?今日はお出かけしようかしら?」
彼女が嬉しそうに微笑むのを見て、フェデリコの頭はショートし、機能は完全に停止した。静止する彼を尻目に、彼女はのんきに鼻歌を歌い鍋を持って出て行った。
「……あぁ、何やってんだろう、僕は」
晴れて再起動した彼は自責の念にかられ、火照った頭を抱えた。
カルロと主人は廊下の向こうでこっそり耳をそば立てる。主人は単なる好奇心であったが、カルロにとってはフェデリコが突然癇癪でも起こさないかが気になって仕方がないという理由があった。
「……おいおい、あいつまともに話せてないんじゃないか……?」
「はっはー、青いね。私ならこの間にあと三人は落とせる」
主人がからからと笑う。カルロは呆れ顔をそのままに、主人の方を見た。
やがて女性のものらしい優しい足音が近づいてくる。二人はあわててロビーの受付で立ち話をしている風を装った。お題は「今日の天気」である。女性が鍋を持ってやってくる。二人の姿を認めた女性は、軽く会釈をして、階段をのぼっていった。
二人は安堵の溜息を吐く。そして、顔を見合わせると、奥の給湯室から迫る力のない足音に意識を戻した。足音の主人は大層疲れた表情で、意気消沈しきっており、普段の彼ならば考えられないような暗く深い溜息を吐いた。
「……駄目だったか?」
「……かわいかった」
(子供の感想か何かですか?)
カルロは無言の呆れ顔で返す。フェデリコはカルロの表情を見ても、深いため息を吐くだけだった。二人の間を割っているように、主人が二人の肩に手を回す。
「まぁまぁ、初心者なんてそんなものですって!それに天気の話に持っていったのは悪くない!なんてことはない話から、相手の好みを聞き出すってのは大事なことだ!あぁ、でも、もうちょっと肩の力は抜きましょう?坊ちゃん」
(いよいよ馴れ馴れしいなこの人)
カルロの気持ちを知ってか知らずか、主人はテンポよく受付に戻り、宿泊者名簿を捲る。暫くして、二、三度机を叩いたかと思うと、それを持ち上げ、二人に見せた。
「彼女の名前はカタリーナ、職業は遍歴修道女、つまるところ観光者だね」
フェデリコはその名を繰り返す。主人が頷くと、飛びつく様に受付に近寄った。彼は前かがみで主人を見つめ、興奮気味に目を輝かせる。
「また!来ても!いいですか!」
主人が苦笑いで返す。彼は銀貨を一枚握らせて、主人に詰め寄った。主人はカルロに視線を移す。カルロは遠い目をして、それを見つめるだけだった。
「また、お越しください。今度はお父様にもよろしくお伝えください」
「ぁりがとうごじゃいます!」
フェデリコは聖女の手に縋るように、ごつごつとした主人の手を握る。カルロは少し離れたところで、主人に向けて静かに頭を下げた。




