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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第三章 ダンドロ一族の親子喧嘩
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リオート橋にて1

 カルロは帰路も半ば興奮しながら、のんびりと波に揺られるゴンドラに従って動く。波打つ海に櫂が差し込まれるたびに、アメンボが跳ねるように水面が揺れる。カルロはその様を見て、海婚祭で太陽を受けて燦然と輝く黄金の船を思った。独特の形をしたガレー船が、櫂を漕いで前進する姿を思うと、カルロは益々興奮した。船頭も何事かを察しているらしく、誇らしげに櫂を漕ぐ。


 今日も大運河には巨大な船舶が当たり前のように往来している。アルセナーレは聖マッキオ広場から真っすぐに陸地沿いに漕げば辿り着くため、意外にもカルロは大運河を船で往来する機会があまり多くない。


(今日はちょっと回ってみるかな……?)


「すいません!ちょっと大運河入ってくれませんか?あの、橋のところまで!」


 カルロはひときわ目立つ弧状橋を指さす。気だるげな眼をした船頭は、のっそりとした動作でカルロの指の先をみると、間延びした声で言った。


「リオート橋までねぇ……。ちょっと待ってねぇ」


 船頭は櫂を軸にするようにゆっくりと方向転換する。今にも眠ってしまいそうな半分閉じたような瞳で、波打つ運河を左右交互に漕ぐ。観光にもってこいの非常にまったりとした動作に、カルロは慣れ親しんだ波にも多少の感動を覚えた。


 白い建築物群がひしめき合う、整然とした大運河の水流に乗り、巨大な船が建物の前に寄る。建物は運河に面して入り口があり、海側の玄関口は狭いが各家屋それぞれにしっかりと杭を打って運河に突き出している。


 やがて寄港した帆船から木箱や袋詰めの胡椒が積み下ろされる。微かに香辛料の香りがカルロの船まで届くほど、大量の香辛料が積み下ろされていく。しかし、カルロが注目するのは勿論巨大な帆船である。


 三角の帆と四角の帆を一杯に開き、ぷかぷかと浮かぶそれは、ゴンドラの荘厳な黒よりもずっと明るい、ごく普通の茶色の船である。荷卸し作業の最中にゆっくりと四角帆が下ろされる。船長が風を気に掛けながら、帆を畳む船員たちを見上げている。えいさ、ほいさ、と声が響き、ゆっくりと帆が下ろされる。カルロは歓声を上げてそれ眺める。船頭は物珍しそうに帆を下ろす様を見つめるカルロの様子を、物珍しそうに見る。カルロがアルセナーレから出てきたのだから、無感動なのが当然に思えるのは、致し方ない事であろう。


「お客さん、そろそろ前も見てくださいな。リオート橋ですよ」


 カルロは船頭の声に気付いて前方を向く。石製の巨大な弧状の橋が目前に広がる。橋は川の端から端までを繋ぎ、水面のおよそ半分を埋めるように建てられている。くりぬかれた中央は、悠々と帆船が通れる高さを持ち、横幅もまた比較的規模の大きいガレー船が通ることが出来る広さを持つ。


「おぉ……!高いですねぇ!」


 カルロの感嘆に、船頭は観光客に見せるような少し優しい声色で橋の隅々を説明し始めた。


「こいつはアーチ状の橋の中でも、比較的水害の少ない橋でね。とはいえ賑わいもすごいから木製だと崩れるんだよね」


 アーチ状の窓から覗かれる橋の上には、街並みに負けない賑わいが広がっている。茣蓙を引いて貨幣を構う両替商が列をなし、取引途中の商人達が通りすがりに金貨を銀貨に取り換える。ウネッザ製のドージェ金貨は質もいいが、ことこの町では銀貨が重宝される。やはりある意味で金貨は「勝手に集まってくる」ため、日々の給料を支払うための銀貨の両替がとにかく多く、慢性的に不足する。月末の銀行の賑わいは途轍もないが、同様に両替商も儲かって仕方がない。笑いが止まらない、とはこのことであろう。


 船はリオート橋を潜る。真下からは人の往来に石が振動するのが伝わってくる。両替商の掛け声と、近くの広場にいるらしい大道芸人への拍手喝采とが合わさって、橋の真下はかなりの賑わいだった。船は暫く進み、広場にとまった。


「さて、この辺りでいいかな?」


「有難うございました」


 カルロはチップを手渡し、船を降りた。船頭はカルロを優しく見送ると、次の客のもとへと移動していった。


 夕刻だというのに大層にぎわうこの広場は、リオート広場と呼ばれている。この広場にはよく大道芸人がいるが、それは観光客が相当集まり、教会が近くにないためにやりやすいという事情があるらしい。実際、白を基調とした建物の多いウネッザだが、リオート広場は一味違っていた。

 カルロは思わず歓声を上げてそれらを見上げた。

 まず目に飛び込んでくるのは目がチカチカするほど明るい黄色の建物であり、大道芸人は多くの巡礼者と群衆の前でジャグリングをしている。歓声が時折上がると、黄色の壁が輝かしく見え、同時に大道芸人が賢者のような錯覚を覚える。

 次に目を引くのが赤一色の建造物である。この前には多くの露店が並び、どうやらこの家主は手数料で稼いでいるようである。このような建物がずらりと立ち並ぶさまは、煉瓦造りを基調とする本土の、しかもその中でも腐りかけの木材で積み木をしたような建物が並ぶ寒村出身のカルロを、驚かせないはずもなかった。


 カルロは興奮しながら広場のあちこちを見て回る。食べ歩き用の高価なサンドイッチをつい購入し、齧り付く。

 普段も味気のない食事は昼食くらいというカルロにとって、肉や野菜は特別珍しいわけではなかったが、やわらかい小麦のパンが歯で容易に噛み切れることが、とても心地が良かった。これに気をよくしたカルロは、リオート橋の方に初めて目を向ける。


(橋の上から見る景色も格別だろうなぁ!)


 広場を出て、茣蓙の連なる道を通り過ぎようとすると、見馴れた中途半端な丈のトーガを着た男が橋の向こうをぼんやりと見つめている姿に気が付いた。彼はぼんやりと橋の向こうの夕陽を―ちょうど日没を眺めるには最適な場所だった―を見つめて小さくため息を吐いた。


「はぁ……」


 カルロは多少迷ったが、彼のもとに近づく。彼は気づく様子もなく、虚ろな瞳で沈む夕日を見つめていた。


「おい、フェデリコだよな?」


 カルロが隣から顔を覗かせると、フェデリコは先ほどの船頭よりも一層気だるげに彼を一瞥する。


「……はぁ」


 カルロを見ても普段の威勢は見られず、虚ろに水面をオレンジに照らす様を見つめる。カルロは危機感を覚え、いつもよりも語気を強めた。


「どうした?何か、嫌なことでもあったか……?何なら相談に……」


「俺、恋しちゃった……」


「……は?」


 水平線に夕日が沈みかかる頃、市場の終了を告げる鐘の音が響く。甲高い声で町を包み込むそれは、教会から遠くにあるこの場所では、何度もこだまするように響いていた。

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