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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第三章 ダンドロ一族の親子喧嘩
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海婚祭2

「ほんっとに、ごめんね……」


エンリコは何度も頭を下げる。カルロは苦笑して返した。


カルロの部屋は光もあまり入らず、仄暗い中にひっそりと佇む短い蝋燭が、机上に取り残されている。椅子も一つしかないため、カルロはベッドの隅に腰掛けている。


「フェデリコは本当に博士が好きだったんだね」


カルロは足を伸ばし、くたびれた服の汚れを払う。殺風景な部屋にはこびり付いた汗と木くずのにおいが充満し、エンリコは少々ぎこちなく笑って答えた。


「無気力な奴だったから、本気で打ち込めることが出来たのが嬉しかったのかもね」


「そっか……」


 カルロは伸ばした足先を見る。靴は舗装された道を歩くことも少なく、彼が村にいた頃より擦り切れが遅い。当然万事新品とは言えないが、殆ど来た時から劣化していない。エンリコも机に肘をつきカルロの奥にある壁面ばかりを見つめる。暫くの沈黙の後、エンリコは姿勢を戻す。


「……そういえば、あとひと月で海婚祭だね」


「海婚祭?」


 カルロは不意に話を振られて間抜けな表情で聞き返した。エンリコは黙って頷く。


「そう。建国祭みたいなものだよ。昔、葦しかなかったこの土地に、人々がやってきただろう?それから、最後の侵略も耐え抜いて、ウネッザが生まれた。人々は神に感謝し、海と結婚したんだ」


 カルロは眉を顰めて首を傾げる。エンリコは柔和に笑った。彼は一息つくと、自身の胸ポケットから真鍮の入れ物を取り出す。そこから蜜蝋の蝋燭を取り出すと、カルロの机上にあった獣脂のそれと取り換えた。そして指先で芯の先端を摩る。暫くすると、ほんのりと煙が立ち、彼が手を離すと、ゆっくりと燃え始めた。


「蜜蝋の蝋燭なんて持ち歩いてるんだ……。やっぱり違うな」


 カルロがポツリと呟く。先ほど点火した際についた蝋のカスをシルクのハンカチで拭いながら、

エンリコは苦笑した。


「いやぁ、個人的にはオリーブ油がいいんだけどね……。獣脂だとやっぱり臭いし、一応金持ちらしい贅沢はしてもいいかなって」


 カルロは酷く納得して声を漏らす。燃え始めた蜜蝋の蝋燭は優しく周囲を照らす。炎の位置が揺らぐのを、エンリコは指を近づけて調整する。炎は指の反対方向になびき、やっと定位置を見つけたらしく安定した。エンリコは満足そうな溜息と共に眉を持ち上げる。


「話の続きをしようかな。海婚祭は巡礼者は勿論、近場の偉い人も集まってきてね、町が随分と賑やかになるんだ」


「へぇ!今より賑やかになるなんて、想像できねぇ!」


 カルロが前のめりになる。エンリコは手をぶらぶらと二、三回振りながら続ける。


「ははは、こんなもんじゃないさ。それでね、フェデリコもそれまでに元気になってもらわないと困るんだよね」


「なんで?何か演技でもやるとか?」


「演技じゃないけど、父が主役だからね、色々あるんだよ」


 エンリコは言葉を濁し、燭台の位置を少しずらす。中央から三分の一の位置を燭台の中心部になるように、入念に指と目視で整える。希望の位置を見つけると、再び満足げに溜息を吐いた。

 その様子を意味のあるものと期待していたカルロは、何か続きがあるのかと黙って見つめる。視線に気づいたエンリコは、「ごめん、ごめん」と続けた。


「まぁ、なんていうのかな。それまでに挨拶回りとかしておかないといけないし、僕は商館の管理もしているから、あれにも手伝ってもらわないといけなくってね。使用人がやるっていうのも、お得意様に失礼でしょ?」


「そういうもんか……」


 カルロは呟くように言った。エンリコは頷く。蝋燭の火が少しでもぶれると、彼は指先を近づけて整える。それが済むと、今度は小さな炎を物憂げな眼で見つめる。


「博士にあんなことがあったのは、大変だけど……僕らはまだ生きていかなきゃいけない。これからの為にも早く立ち直ってほしくて、気が済むなら、って連れてきたんだけど……」


 彼はそのまま深い息を吐く。揺らぐ炎を指先で整えつつ、目を細めて口を結ぶ。彼なりに思い詰めているらしく、先程と比べると表情も暗い。カルロは少しためらったが、意を決して言った。


「じゃあ、あいつ泊めてみるか?」


「悪化したりしない?」


 エンリコは驚いて振り返る。何か汚いものを見るような目で見つめられたカルロは、少し体を引く。


「多分なんだが、博士に捕らわれている限りは駄目だと思うんだよ。俺は、あのタイプはもう一つ刺激がいると思う」


「もう一つ、刺激?」


 エンリコは眉を持ち上げる。眉間に酔った皺が普段よりも威圧感の表情を作るのか、顔立ちこそ幼げだが歴戦の商人の風格がある。カルロは権力者特有の威圧感のようなものは感じつつも、あくまで冷静に対応した。


「多分、この展望台には新しい博士がやってくる。そうすれば、きっと立ち直ると思うんだ」


 カルロの言葉を、エンリコは顎を摩りながら聞く。提案を吟味するように長く唸ると、普段の穏やかさとはまるで別人のような鋭い目でカルロを指す。


「新しい博士、ね。確かにこの施設をそのまま使わないのはあまりにもったいない。そうなると、モイラ夫人には立ち退き願うかもしれないんだけど」


「それなら大丈夫。モイラ婆さんが誰かを招待していたみたいだし」


 エンリコは目線を上に向けて記憶を探る。彼はそのまま首を捻る。


「博士に弟子なんて聞かないけどな……。フェデリコは勝手に弟子って言ってるだけだし」


(あれ勝手に言っていただけなんだ……)


 博士が一応は弟子とみなしていたことを思い出しつつ、カルロは苦笑した。


「まぁ、ショック療法と言うやつは時々相当効くこともあるし、任せてみてもいいかもしれないね。一先ず、父にも相談してみるよ」


 エンリコは相変わらず難しい顔をしながら答える。彼は蝋燭を見て、窓の向こうを一瞥し、「こんな時間か……」と呟くと、立ち上がった。


「そろそろ失礼するよ。その蜜蝋は突然お邪魔したお礼だと思ってくれればいい。本当にありがとうね」


「いや、力になれたならよかった。また連絡してくれ」


 カルロが手を振ると、エンリコも表情を緩めてそれを返した。彼はカルロに対しても丁寧に礼をして、手を腰に回し、背中をピンと伸ばして立ち去る。長身な彼の後姿は、カルロにはますます紳士的に映った。エンリコが扉を閉ざすと、カルロは蜜蝋の火を直ぐに消し、目を輝かせてそれを眺める。


「み、蜜蝋の蝋燭、初めて自分の部屋で使った……!」 


 カルロは感動のあまりそれをずっと見つめる。彼にとっては、夜が更けるほどに、その輝きが増すように思えた。

師走はリアルが忙しいので更新が遅れます。ご了承ください。

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