餞の言葉4
君は初学者であるから、あまり専門的な事を言っても仕方があるまい。これより教授するのは、学問へ対する心構えだ。きっと君の助けになると、信じているよ。
まずは君に問おう。「学問とは何か?」。
知識を得る事?結構。思索を巡らす事?大いに結構。学問とは即ち、「問い」を「学ぶ」事だ。カルロ君、僕達学者が常に研究している事は、どれも不完全故に学問なんだ。
神の御言葉は完全であるというならば、それは真理でしかない。我々が解き明かした後に残るものは、単なる事実に過ぎない。然し、学問はそこで終わることは無い。何故ならば新たなる「問い」が残るからだ。そうして連綿と積み重ねられ、解き明かされたものが、「学問」の成果であり、課題だ。即ち、学問とは答えを出すことではなく、出された答えから、一つの発見から、複数の問いを生み、またその回答が、更なる問いを生むことにこそ本質がある。
例えば、何故星は動くのか、日中星はどこへ行っているのか。あの星は?じゃあこの星は?疑問が生まれては消えて行く。僕の学者生活もまた、そうした瑞々しい喜びに満ちていた。
この世界は確かめなくてはわからないことに満ちている。それ故に、有り難いことに学者には席があるんだ。学者がいても何も解決しない、然しずっと存在するのは、疑問が尽きないからこそなんだ。
翻ってみよう。ウネッザにやってきた君は、初めに何をした?船を造りたくて仕方なくて、アルセナーレに飛び込んだ。毎日が勉強、毎日が発見、瑞々しい喜びに満ちていた。
いつの間にか慣れたところに、新たな仕事が転がり込んでくる。老いぼれの為に至急ゴンドラを造る、という仕事だ。そこでアルセナーレは本領を発揮した。ライン生産による計画的な造船こそがその強みなのだから、流れ作業をする君は一つの歯車として、動きを止めないように何度も、何度も、同じことを繰り返す。初めは楽しかった。ここでも瑞々しい発見の連続だった。次第に慣れてくると、発見が減っていく。発見が減っていくと、自らの感動を歯車としての貢献度に託そうとする。いつの間にか、その感動もくすんでしまう。
そんな時、ふと、周りを見ると、慣れた手つきで作業をこなす人々が、自分の何倍かのスピードで、自分と同じか、あるいはそれ以上の出来のものを生み出していく。それは新たな発見だったが、望んだものではなかった。
省みてみよう。君は初めに、何を思って船を造りたかっただろう?どうしてこんなにも、いろんな発見が楽しかっただろう?そして君は考える。誰かと比べた時、何故、比べたのかを。それは思い出す行為ではなく、新たな発見のための旅路だ。君は、答えに辿り着くはずだ。そのために必要な物は、「問い」を「学ぶ」事と、問いを学ぶ時間を作ること。
さて、最後に問おう。君はどうしたい?
「命は消えゆくものだ。無駄に使える時間はあまりにも少ない」
博士は噛み締めるように言った。オレンジの焔が揺れる。
「無駄に使える時間は……」
ドアをノックする音がする。博士は短く「いるよ」とだけ答えた。モイラが二人ぶんの食事を持ってやって来る。その後ろからもう一人分の食事を持った修道女が現れ、食事を机に置いた。モイラは自分用の食事を机に置くと、博士にパン粥を手渡す。博士は受け取ったパン粥を膝の上に置く。
「改めて、自分が今から出来ること、これから出来るようになること、これからも出来ないことを整理してみなさい。大丈夫だ、君にはアルセナーレのどの人よりも、瑞々しい経験が待っている」
博士は言葉を区切り、手を合わせてパン粥を口に運ぶ。
カルロは立ったままで、絵の中にあるオレンジ色の光を見た。ぼやけた光が外に漏れ、ガス灯の下だけを照らす。奥へ行くほど明かりは薄くなり、新たなガス灯の明かりと重なる。それがずっと絵の奥にある街路まで続く。見窄らしい人々もまた、身を寄せ合い、何故かバケツと共にある。
(あっ……。街路にゴミがない)
カルロはつい前のめりになった。バケツの中に微かにゴミが見える。肥料になる糞だけを集めたバケツもある。一つ一つのバケツの中には、実に色とりどりのゴミが入っていた。
「よほとその絵が気に入ったんだね。僕の遺品になるだろうから、持って行くといい」
凝視するカルロに対して博士が微笑む。モイラが博士の傍に座り、彼の食事の世話をする。博士が咳き込めば背中をさすり、口周りを拭う。嫌がるそぶりも見せていない。
「博士、有難うございます」
カルロは頭を下げる。博士は静かに頷いた。カルロは食事と対峙し、景気良く手を合わせた。
「いただきます!」
彼の食事はすぐに空になった。




