餞の言葉2
作業は既に組み立てに入っていた。カルロは採寸作業を終えて、切断作業の手伝いに入る。彼は切断した木材の鑢がけを行い、切り口の整形を任された。適度な手触りになるまでひたすら角の立つ切り口を削る。周囲の作業の手は随分と早く、カルロが10分かけるものを3分で終えてしまう者さえいた。カルロも必死に手を動かすが、途中で腕がしびれてしまう。怠くなった腕を揉み、体制を整えてまた削る。その作業を繰り返した。
中途に別の造船作業も手伝い、時折材料費や進捗の報告をまとめる作業にも追われながら、着実に船の部品が完成していく。完成した木材から竜骨と肋骨がまず組み立てられる。とはいえさほど大きな船でもないので、その数は少なく、慣れた手つきの工員たちがいとも容易く組み立てを行う。これが出来上がると、いよいよゴンドラの形が出来上がったことが分かる。
竜骨と肋骨を重ねて骨格が完成すると、次には木材を張り付けて成型する。フェデナンドは組み立て作業の指示に忙しく声を張り、それに応じて木材が幾重にも重ねられ、固定されていった。
「カルロ、ちょっと急ぎすぎじゃないか?初めてなんだからあんまり焦らなくていいんだぞ?」
カルロが鑢を持つ手を真っ赤にしているのを見て、メルクは心配そうに言った。カルロは短く「大丈夫です」と言って続けようとする。メルクは眉をひそめ、鑢を持つカルロの手を持ち上げた。カルロが睨み付けると、メルクは小さく息を吐いた。
「いいか、仕事っていうものはな。ほどほどがいいんだよ。お前はまだ慣れていないんだ。手ぇ真っ赤だろ?わかるか?」
「でも……!」
メルクはカルロの言葉を遮る。彼はそっと持ち上げた手を下し、手を差し出した。
「頼ってくれ。先輩なんだよ」
カルロはメルクを見る。くしゃりとした笑顔、木材の切断作業で何度も振るわれた手には、木材のカスが付いていた。カルロはもう一度自分の手のひらを見る。真っ赤で豆だらけの手が、微かに痙攣していた。
「……お願いします」
「まかせろ……っと」
カルロは丁寧に頭を下げ、鑢を手渡した。すっかり熱のこもった鑢を受け取ったメルクは、苦笑しながら腕をまくりなおす。屈強な男の腕が現れた。カルロは自分が情けなくなり、壁際で膝を抱えた。
(こんなに手、動かしたの初めてだ……)
ひたすらかけた鑢の目は粗く、突起などを容赦なくふるい落としてくれた。おかげで木材はすっかり元気を取り戻し、組み立て作業に勤しむ人々に引き継がれていく。
彼はふと自分の服の裾を見る。動きやすく、気に入っていたズボンが無数の木くずをまぶされ、すっかり汚れている。服の裾も同様で、さらにひっかけた鑢で擦り切れている。
(コッペンにいる頃にもいろいろ作ったんだけどなぁ……)
彼は抱えた膝を見て、自嘲的な笑みを零す。メルクの仕事ぶりはやはりカルロのそれより数段はやく、また正確だった。カルロは拗ねるように視線を待機船に送る。小さなゴンドラから巨大なガレー船、見たこともなかったガレー帆船など、実に個性的な船が並ぶ。そのすべてが完成されていて、輝く水面に悠然と浮かぶ勇姿に、カルロは益々あこがれの念を抱いた。カルロは自嘲的に微笑む。目を瞑り、膝に顔を埋める。
(博士……なんか、俺、駄目かも……)
カルロの目には、博士は、地道にたゆまぬ努力を続ける、優しい教育者に映った。その博士が衰弱し、危篤状態に入りかけている今、彼は導かれるべきものを見失ったような喪失感を造船に向けていた。ところが、実際には次々に手渡される仕事に右往左往するばかりで、急かされ、窮屈で苦しい。また、目の前でこれほどまでに力の差を見せつけられるのも初めてだった。それをいとも容易く、さもできて当然の様に、涼しい顔でこなす男達を前に、彼の心はすっかり萎えてしまっていた。顔を埋めていると、意味もなくため息が零れる。彼はそのまま微睡みに落ちかけ、教会の鐘が夕刻を告げる。
「ああー、お疲れー」
そんな雑多な声が一斉に響く。
「カルロ、起きろー。仕事、終わったぞ!」
メルクは嬉しそうにカルロを呼ぶ。彼はカルロが壁に寄りかかり蹲る姿を認めると、カルロを起こそうと、そっと手を近づけた。カルロの手は反射的にそれを払う。メルクは呆気にとられる。カルロは顔を上げる。涙を必死にこらえるように、顔をくしゃくしゃに歪ませている。彼はメルクの姿を認めると、はっとして視線を逸らす。
「ごめんなさい……」
「いや、いいけどさ……。ゆっくり、休めよ?」
メルクは頭を掻き、きまりが悪そうに目を逸らす。カルロは益々惨めになり、再び顔を埋めた。
「ごめん、なさい……」




