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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第二章 博士の葬列
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餞の言葉1

 そんな日々が二週間ほど続き、いよいよくたびれたカルロが通勤に嫌気がさし始める頃の事だった。

 朝の体操をやる気力もなく、重い腰を上げて髪を整えていたカルロは、朝食のアナウンスがないことに違和感を覚えた。


 窓の外を覗けば、既に6時を過ぎていることが分かる。最近のカルロは博士のお陰もあってか、太陽の昇り具合で時間を測る方法を会得し始めていた。もっとも、それが出来るのはまだ直感でしかなく、目が覚めて、ある程度意識がはっきりし始めてから、窓の外を数分間眺めることでしかできない。そのため、実用性はあまりなく、暗算も苦手な彼からすれば、「だいたい何時くらいか」がわかる程度だった。


 着替えて起き上がり、いつもの展望台に挨拶に行く。階段を上ったカルロは、酷く小ざっぱりとした様に驚いた。いつもならば、朝食の準備で机が置かれていたり、また博士が観測をする姿勢のままで眠っていたり、あるいはそのやり残しがあったり、モイラがくつろいでいたり、何らかの生活の痕跡があった。そうでなくても博士かモイラのいずれかがやってきて、朝の挨拶を交わしたり、神父たちがのぼってきたりした。しかし、今日は何もない。カルロが不思議に思い、何度かモイラを呼ぶ。しかし返事もなく、ただ声が広い部屋に反響するばかりだった。


「おっかしいなぁー……」


 カルロはそう言って頭を掻く。小さく欠伸をして、窓の外を一瞥する。随分と慣れた彼には、特段代り映えのしない風景に見えた。仕方なく、階段を下りて、博士らの寝室があるフロアまで向かった。


 聖マッキオ教会は礼拝堂となっている本堂のほか、人が入れる建物として鐘塔と宿舎を持つ。いずれも本堂と地続きになっており、鐘塔は鐘を鳴らすための施設だけを持っている。土地のないウネッザに合わせるため、宿舎は細長く4階あり、博士の展望台が最上階である4階にある。その下が生活区間になっており、カルロはその端、階段に一番近い一室に居候させてもらっている。修道士や神父たちもここで暮らしており、2階には当番制で巡回役が回りつつ、巡礼者等の宿代わりとなっている。本堂は言うまでもない美しさであるが、宿舎もそれなりに金をかけて作られており、信仰はともかく福祉には熱心なウネッザの寄付金の多さがうかがえる。


 カルロは階下に戻り、しんと静まり返った廊下に再び首を傾げた。教会の鐘が鳴るにはまだ暫く時間があったので、博士の寝室のドアを叩く。返事がなく、すすり泣くような声が聞こえた。カルロは思わず扉を開け放った。


「モイラ婆さん、何があったの?」


 カルロを認めたモイラの目は赤い。今まさに涙が引っ込んだ、と言った様子だった。カルロは思わず視界を動かす。塗油をする神父を認め、にじり寄った。


「これは、一体?」


 カルロの剣幕に動揺した神父が、両手を胸の前に出してカルロを静止する。床についた博士が苦しそうに体を持ち上げた。


「カルロ君か。いやぁ、寝不足は良くない、という事だ。僕も年だね……」


「博士!?一体何があったんですか!?」


 カルロは今度は博士に迫る。必死な形相で確認をするカルロに対し、博士は困ったように笑う。


「まぁ、落ち着きなさい。もとよりもう若くはないからね、少し吐血して倒れただけだよ……。これでは観測も続けられない」


 カルロの瞳孔が小さくなる。博士は青い顔でゆっくりと横になる。言葉にならない声がカルロの口から零れる。彼はショックのあまり、そのまま首を横に振り続けた。博士はそれを一瞥すると、小さく鼻を鳴らした。


「カルロ君。いいかな、よく聞くんだ。僕に限らず、人間はいつか必ず死ぬ。それは避けられないことだ。然し、問おうか。人の営みは、果たして無駄だっただろうか?君の心の整理がついたら、教えて欲しい」


「でも、まだです!まだ教えて欲しいことが沢山、待ってください!博士!」


「大丈夫。君には、君のやるべきことが残っているはずだ」


 博士は荒い息遣いで、小刻みに震える声を張り上げた。カルロははっとして背筋を伸ばす。暫く嫌な沈黙が部屋を支配した。カルロは拳を握り、顔を伏せる。モイラも目を赤くして、カルロを心配そうに見る。彼女の手が博士の手を握る力を強めた。博士は、一人冷静にその手を握り返す。神父は動揺しながらも、塗油を済ませた手で祈りを捧げる。


 年季の入った聖典を持つ手が十字を切る。香草の残り香が古い書籍の臭いと交る。本棚はしっかりと整理され、年代順に出版された本が並ぶ。その中には、博士自身の書籍もあった。


 カルロは唇をかみしめ、踵を返す。足早に部屋を出ていき、階段を駆け下りていった。神父が恭しく礼をして、それを追いかけるように部屋を立ち去った。


「ほら、言っただろう?大丈夫だって……」


 博士は目を閉じる。モイラの手を強く握り、アルセナーレの方に視線を送った。


「本当ですね、貴方……」


 モイラは頬を伝う涙に構わず、笑顔で返した。博士は、ゆっくりと目を伏せる。


「4時に……起こしておくれ」

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