見定める
「あ、お客さんがお見えでしたか……」
カルロはいつもとは雰囲気の違う部屋に多少気後れしつつ、呟いた。客人の一人が彼を凝視して意外そうにしている様を確認して、彼は困惑した。漠然とした既視感から思考を巡らすと、始めにフェデリコが浮かぶ。しかし、柔和な表情や立ち振る舞いから、彼がフェデリコでないことは、カルロにも理解できた。
軽く会釈をして立ち去ろうとすると、客人の方からカルロに向かってきた。カルロは不思議に思いながらも避ける理由もないので立ち止まる。長身だがやや幼いいでたちの客人は、笑顔でカルロに手を差し出した。その時、カルロが「あっ」と声を上げる。
「以前はどうも。僕はエンリコと言います。父の付き添いできました」
「カルロ、カルロ・ジョアン。いやぁ、この前似た顔の人が来ていたんだよ」
カルロは頭を掻く。街中ですれ違っただけではあったが、ひとまず心に引っ掛かるものが取れた安堵感から、一気に表情を緩める。エンリコも顔を綻ばせ、儚げに見える垂れた眉をつり上げた。二人は握手を交わすと、博士と元首の方を見る。互いに言葉遣いこそ普段より悪いが、気の置けない仲特有の朗らかな雰囲気を放っている。遠目に成り行きを窺う若い二人も、思わず顔が綻ぶ仲の良さだ。
「カルロ君、この前来た人と言うのは、たぶん僕の弟なんだ。迷惑をかけなかったかい?」
涼しく儚げな笑みでエンリコは言う。えくぼが出来た肌はうっすらと差す窓の光に照らされており、雲に隠れた陽光がまたよく似合う。カルロはエンリコのうしろで談笑する元首の視線も何となく気にしつつ、眉だけを寄せて微笑んだ。それを当然と思ったのか、エンリコはくつくつと笑う。
「そうだね、父の前では言いにくいかもしれない。問題ないよ、こっちも謝罪を兼ねてきたつもりだ」
「そうなんだ。それにしても、フェデリコとはずいぶん違うね」
カルロは表情を緩めた。エンリコは何かを描く様に指先を動かし、口角は持ち上げたまま目を瞑る。首を少し傾げる様はどことなく聖女の像にも似ている。
「ふふふっ。僕はね、君が思う程は聖人じゃないよ。カルロ君、君は博士の船を作っているそうだね?」
カルロはエンリコの指先に視線を送る。言葉が途切れると、エンリコは指の動きを止める。カルロが視線を戻すと、エンリコは困ったように微笑んでいた。
「うん。まぁ……正確にはアルセナーレが、船を作っているんだけどな」
エンリコは指を動かしながら、造船の段階を詳細に聞き込んでいる。カルロが船の方針が決まり、着工直前であることを伝えると、指の運びも速くなった。エンリコはカルロの訝しむ視線を受けて、指先の動きを止める。
「僕の指の運びが気になる?」
カルロは黙って頷く。家の中だというのに、風が吹いた。エンリコは目を細める。それまでの穏やかな表情から一転して、どこか見定めるような鋭さがあった。
「ふぅん……。いいんじゃないかな、思ったより」
そう言うと、エンリコは談笑する老紳士たちの方に向き直った。鋭い視線を背中に受けたピアッツァが、談笑の合間に一息ついた。
「ふぅ。いやぁ、突然邪魔をしてすまなかったね。そろそろ会議が始まるようだ」
博士はピアッツァを見上げ、普段よりも語気を強めた。
「そうか。じゃあ、くれぐれも宜しく」
「あぁ、厳正に」
ピアッツァは立ち上がると、背伸びをしてエンリコを一瞥した。エンリコはカルロが初めに見た柔和な笑みを返し、カルロに再び指を運んでいた手を差し出す。カルロは訝しみつつも、握手に応じた。
「今日はありがとう。楽しい時間だった」
「こちらこそ。今度は、もっとうまく隠してくれよ」
エンリコは、カルロの返答に満足そうに頷く。ピアッツァが階段に足をかけるのとほぼ同時に、二人は手を離した。エンリコは握手をしたその手を振る。カルロも訝しむような表情で手を振り返した。彼らは高級な革靴の靴音を鳴らしながら、噛みしめるように階段を下っていった。
「そう警戒しなくてもいいよ。彼は君に興味を持ったようだ」
靴音が遠ざかると、博士は唐突に口を開く。カルロがふり返る。日はかなり西に下り、うっすらと茜色を示し始めている。視界に黄昏時の空が映ると、カルロは目を細める。輝くほどに陰が伸び、大理石の床に張り付く。
「興味を持ったって、何にですか?」
博士は背もたれにもたれ掛かりながら、茜色の街並みを見下ろす。白い棟の並びが黄色く映り、日中より一層激しいゴンドラの往来がアメンボの様に蠢く。博士は大きく息を吐き、リラックスした表情で呟いた。
「コッペンから来た男、と言う言葉を簡単に信用できるほど、ドージェは人を信頼していない、という事だよ。少なくとも、君の出自は違いないことが分かったわけだ。あとは、私の席を相続するに値する人間かどうか、それだけだよ」
博士は瞼を下した。何かを聞き返そうとしたカルロの耳には、大きないびきが届いた。




