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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第二章 博士の葬列
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華の旅路4

 教会の扉を開けてもらい、やっと帰ってきたカルロは肩の力が抜けて寝室で横になる。ところが、ムラート教区まではやはりかなりの時間を要するため、更け切った夜は過ぎ、すぐに朝がやってくる。定刻には目を覚ましたカルロだったが、休日であることに気が付くと再び寝に入った。昼間に再び目を覚ましたカルロは、恒例の運動をした後で、再びガラス張りの部屋に向かう。


「昨日はお騒がせしま……あれ?」


 部屋はがらんとしていた。もともと博士一人が入るにはやや広すぎるきらいのある部屋だったが、博士がいないと燦々と照る陽光も一気に寂しいものに変わる。天体観測用の器具も片付けられているらしく、少なくとも教会のどこかにいるという様子もない。

 彼が諦めて自室に戻ろうとすると、階段を駆け上る音が聞こえて、何となる視線を向ける。足音はかなり早く、モイラのものでないことは直ぐに分かった。階段を上る音はどんどん近づいてくると、下品にどたどたと音を立てのがはっきりと伝わるようになり、修道士たちのものでもないと理解できる。勿論、足のない博士のものでもない。やがてよく響く若い声が階下から響く。


「先生!せんせーい!彗星の件、計算してみ……」


 その人物が階段から顔をのぞかせると、カルロと目が合った。その途端、先程までの威勢が嘘のように怪訝そうな表情に変わる。そこからは彼が階段をゆっくりと登るようになる。カルロも中心に向かって歩み寄った。


 何となく不憫に見える中途半端な丈のトーガを羽織り、余裕のあるゆったりとしたズボンを穿き、白く綺麗なシャツを着ている。髪は長くはないが、短髪でもない。背はカルロより高いが、仕草や顔は何となく幼い。一応うっすらと髭を伸ばそうとしているらしく、カルロと同年代であろうとわかる。カルロはその風貌に既視感を覚え、首を傾げた。


「あ、博士なら不在だよ」


「……お前、誰だよ?」


 見覚えのある男は警戒心をむき出しにしてノートを握る。相当削ったのか、やや頁ごとに厚みの違う羊皮紙を束ねたものではあるが、少なくともカルロより出身はいいらしい。


「カルロ。カルロ・ジョアン。教会で居候させてもらっている船大工だ。宜しく」


「大工さん?ふぅん……」


 男は素っ気ない返事を返す。その失礼極まりない態度がカルロの琴線に触れた。カルロは拳を軽く握り、努めて冷静に振る舞う。


「君は?」


 カルロが尋ねると、彼は鬱陶しそうにカルロを見ながら答えた。


「それより博士は?」


「おい。流石に失礼じゃないか?」


 カルロが怒りを帯びた低い声で言う。男は体をカルロに向け、ゆっくりと博士用のエレベーターの手前まで進む。彼はカルロを馬鹿にするような笑みを浮かべ、わざとらしく靴音を高く立てる。博士のエレベーターはちょうど太陽の光を直接受け、なお明るい。男はニヤニヤとしながら陽ざしに目を細めた。


「君こそ何様のつもりだい?大工だか何だか知らないが、僕を差し置いて博士の部屋に入り込むなんて、とても考えられない非礼だ。仮にも僕は博士の一番弟子だからね」


 カルロは男のしたり顔を殴りたくなるのを抑える。男はエレベーターの真上に立ち、ほくそ笑む。暫くすると、階下からガタガタと音が鳴り、男をゆっくりと持ち上げた。地面が上がってくるのに驚いた男は、盛り上がる地面から急いで飛び降りる。滑車がぎりぎりと回る音がして、カルロの半身をすっぽり埋める程度地面が持ち上がると、そこでエレベーターは停止する。暫くすると、博士が車輪を思いきり漕ぎ、緩やかな傾斜を昇ってきた。カルロは急いで彼の車を支える。博士が登り切ると、エレベーターがゆっくり下降していく。数分かけて、浮き上がった地面は完全に床と一体化した。


「すまないね、カルロ君」


「博士!お帰りなさい!彗星の件で……」


 男が駆け寄ると、博士は咳払いをする。男は博士の険しい視線に物怖じしたのか、後ずさりして途端にしおらしくなった。


「フェデリコ、君は他人を軽視しすぎるきらいがある。私を慕ってくれるのは大変嬉しいが、それが先行して他のものを疎かにするのはいけないよ」


「ごめんなさい、博士」


 フェデリコと呼ばれた男は博士に向けて頭を下げる。博士は見向きもせず、もう一度咳払いをした。フェデリコは頭を上げ、きまりが悪そうにカルロから視線を外した。


「カルロ君、どうか赦してくれ」


 カルロは鼻で息を吐く。言葉を出すとつい噴出してしまいそうなほど、フェデリコはしおらしくなっていたからだ。暫くして、カルロは短く「いいよ」と呟く。フェデリコは安どの表情を浮かべ、再び博士に詰め寄った。博士は彼からノートを受け取ると、ぱらぱらと頁をめくり、「彗星の軌道」についての計算を添削し始めた。


「概ね正しいだろう、僕と似た計算結果だ」


「有難うございます!」


 フェデリコはノートを受け取り、深く頭を下げる。博士はずれに関して予測されるアドバイスをいくつかしたが、カルロには何を言っているのかよくわからなかった。

 太陽もいよいよ眩しさを増し、殆ど中央に上る頃から、日が傾き始めるころまで、二人だけで専門用語を飛び交わす。フェデリコが天球の回転について言及すると、博士は引力が云々と言い、フェデリコがエーテルが云々と言えば、博士は惑星の軌道と太陽の関係、月と大地の関係について詳細に答える。それを聞き、フェデリコが嬉々としてメモを取る。カルロはその間、簿記の練習と簡単な文章の読解、単語の暗記などを続けていた。傍から見ていたカルロからすると、二人の姿は仲睦まじい孫と祖父のように映る。


「あぁ、話し過ぎてしまったね。そろそろ暗くなっていけない。早く帰りなさい」


「おっと、そうですね。では博士、またお願いします!」


 そう言うとフェデリコは頭を下げた。博士は彼を階段まで見送る。カルロはフェデリコが忙しなく階下へと消えて行く様を見送った後、窓の外を見た。


 雲と雲の切れ間からオレンジ色が沈んでいく。水平線の向こう側から、ウネッザ本島へ向けて海がオレンジに染まる。傾くごとに空の端が薄暗くなり、西日に近い水平線は一層輝く。その中に、港へと戻ってくる船の軍団は、ぽつりとちっぽけな点のようだ。カルロは、その美しさについ息を呑んだ。

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