華の旅路3
人間はね、極限状態になると、どんな悪事を犯してでも生き残ろうとする。例えば、村一つが滅びそうな飢饉のときには、誰かのものをこっそり盗んでみたり、餓死した人の蔵から物を捕ったり……。教会で懺悔をする機会があれば、是非とも一度耳をそばだててごらん。きっと、いろんな罪の告白を聞くことが出来るから。
君の村も貧しかったんだ。だったらわかると思うけど、食べるものもなくなってくると、頭が食事の事しか考えられなくなってしまう。モイラちゃんの村はそうだったんだよ。そうして、彼女の村はどんどん飢えていったんだ。村長もどうにかしようと足掻いたんだけど、うまくいかなかったみたい。そうして病死者と餓死者が積み上げられるうちに、その村では、「食べたくないもの」を食べざるを得ないところまで追いつめられてしまった。それを救ったのが、ユウキ君だったんだよ。より正確に言えば、もう一人いたんだけどね。
彼女のお父さんは病気で死んでしまったみたいだね。飢えの恐怖から何とか立ち直り始めた村の中で、彼女は父親の「形」を守り続けた。結果的には守り切れたんだ。ちゃんと、墓までね。
これもユウキ君が絡んでいたみたい。詳しいことは聞いていないんだけど、色々あって、初めてモイラちゃんの中で気持ちの整理がついたんだって。きっと、餓死の恐怖から解放されたのも手伝ったんだろうね。村が良い方に向かって、やっと父親の死を認めることが出来たのかもしれない。
でも一つ問題があった。彼女は一人になってしまった。それを知ったユウキ君が、彼女を首都に連れて行って、一緒に暮らせるようになったらしい。だから、彼女にとってはずっとヒーローだったんだろうね。
「と、いうか。本人に直接聞けばいいんじゃないかな?」
グレモリーは唐突に思いついたように言った。ずっと黙って聞いていたカルロは、真剣な表情から途端に間抜けな表情になってしまう。
「……そうなんだけどね。博士の方が恥ずかしそうだったから」
カルロの返答に、グレモリーは快活に笑う。カルロは意味が分からず、グレモリーの答えを待つ。グレモリーは目の端に溜まった涙を拭う。
「ごめんごめん。男の子って、そういう所シャイなんだよね。わかるよ。でも、聞いてみるといいと思う。君になら、きっと答えてくれるから」
「そういうものなのかな?」
グレモリーは嬉しそうに何度もうなずいた。
「そういうものだよ!今日はもう遅いから、これでおしまい。何なら泊まっていく?」
「外で待たせているから、もう帰るよ。」
外は夜の帳に隠されて、足元を見るのも覚束ない暗闇になっていた。
外で明かりをつけて呑気に欠伸しながら待機していた船頭は、カルロが戻ってきて安堵の表情を見せる。そのまま朝まで待たされたらたまったものではない、と言ったところだろう。彼が手を挙げると、カルロも頭を下げる。
「いい話は聞けたかな?」
「おかげさまで!」
船頭はカルロをエスコートしてゴンドラに乗せ、波の動きや安全を確認した後で、明かりを提げながら器用に櫂を動かした。いつもより数段慎重に、緩やかに進むゴンドラは、田舎者のカルロでさえ何となく優雅な気分にさせた。
じっと本島を見ていたカルロは、夜だというのに遠くに航行する帆船を見つける。ゆらゆらと波に揺られながら、本土とジグザグに航行しているらしい。
「夜間にも航行するんですね」
「普通はしないが、夕刻に着く予定がずれたんだろうな。ここまで来たら漂っている方が危険だからなぁ。それにほら、星を見れば方角が分かるだろう?」
カルロは空を見上げる。彼は月に次いで輝く星を見つけた。カルロはあっと声を上げ、目を輝かせて振り返る。
「星……そっか。あの動かない星が必ず北にあるからですね!」
船頭はウィンクをして返した。
「そう、流石はユウキ博士の所に居候しているだけあるな。まぁ、今日はあっちからだと逆風だからな、ジグザグに動いているように見えるかもしれないが、あれでちょっとずつ前進しているんだよ。三角帆っていうのはそういう強みがある」
カルロは感嘆の溜息を吐き、再び帆船の光に目を凝らす。三角帆は風に揺れてなびき、それに倣って船が波を受け揺らぐ。舵を取る様までは確認できなかったが、左右に船体を動かしながら、ゆっくりと本島に近づいている。そして、カルロは何かを思いついて振り返った。
「あの、杭が見えないんじゃないですか?」
船頭は楽しそうに笑う。
「そこはもう、ウネッザ人だからな」
船頭の櫂捌きは夕刻と何ら変わりなく、殆ど夜の海に隠れた杭を辿って航行する。潮の干満の影響で、若干水位が下がっているらしく、殆ど判別できないほどに溶け込んだ杭は若干高く突き出て見える。
やがて本島がゆっくりと彼の視界に広がり始める。はるか遠くにあった帆船も、ゴンドラが大運河に差し掛かる頃には、運河の向かいにその灯りが近づいていた。そうなると、やはりカルロの中の羨望は増大した。
「すげぇ、やっぱり、ああいう船作りたいなぁ……!」
巨大な船体が波をかき分け進み、一本の木から作られた帆柱に三角帆が靡く。その圧倒的な存在感は、やはり目を見張る程のものであった。船頭は陸に明かりを向け、慎重に船を寄せる。
「ほら、こっちもすごいだろう?小回りが利くからゴンドラの方が速い時もある。今後も俺の腕を信用してもらえたら、また使ってくれよ。まぁ、ムラートまでは日中の定期船で行った方が速いから、覚えておくといいぞ」
船頭は船の揺れが落ち着くと、カルロの足元に明かりを向ける。カルロは運河に落ちないように慎重に船を降りた。
「はい、有難うございました」
カルロは船から陸に上がると、船頭に頭を下げる。船頭は手を挙げて返す。船頭はゴンドラをゆっくりと離し、大運河の向こうへとゆっくりと消えて行った。




