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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
最終章 限りない願いをもって
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そして、叡智は蘇る3

 巨人が歩くたびに広がる振動は徐々に近づき、大きくなっていた。中央広場ではジローラモが一人槍を構えている。防具もなく、護衛もない中であっても、彼は君主たるべき佇まいで、巨人の足元を観察する。振動で持ち上がるものは人間だけにとどまらず、崩れた煉瓦は勿論、ひびの入っていた壁がそのまま剥がれ落ちるものもあった。

 フェデリコは何度もふらつきながら、カルロを運ぶ。彼は汗まみれになりながら、歩くたびに悲鳴のような声を上げた。その声はネフィリムには届かず、彼は意気揚々と町を粉砕する。


 フェデリコはやっとの思いでネフィリムの目の前までその足を進めると、カルロに押しつぶされて地面にへたり込んだ。カルロはフェデリコに短く礼を言うと、巨人の真下から叫び声を上げた。


「おい!ファウスト!聞こえているか!」


 ネフィリムは彼方へと目を凝らす。彼が自身の真下から声が聞こえているのに気が付くまでに、数秒かかった。彼はカルロを真下に見つけると、歓喜の声を上げる。


「おお、海賊の小僧か!私は再会できたことを嬉しく思う!それで、何故そんなところにいるのだ?」


 ネフィリムは屈み込む。その音圧で体中に負荷がかかったカルロは、肺を押しつぶされそうになりながら、含み笑いで返した。


「これくらいしか俺には出来なくてな」


「そうか……。ああ、おいたわしや、カルロ・ジョアン。すぐに楽にしてあげよう」


 ネフィリムはカルロに巨石のような指を近づける。カルロは大きな声で叫んだ。


「その前に、お前の理想国家について、一つ聞きたいことがあるんだ!」


「……なんだね?関心を持っていただけたのであれば、嬉しいが」


 カルロの目の前で指が止まる。巨人の指にははっきりとひだを作る指紋があり、所々に水中生物に齧られた跡や、藤壺のついた跡がみられる。カルロは先ほどの体操でそれを振り落としていたことに気付き、奇妙な親近感を覚えた。


「……なぁ、お前の理想国家では、俺達みたいな人間は、どういう立ち位置になるんだ?」


「奇妙な質問だね……。皆様は自由に土地を持ち、自由に財産を持ち、自由な思想を持ち、自由な研究をすることが出来る。私のように異端の研究をしながら、信仰も続けることが出来る。それこそが、私の言う真に自由な理想国家の形だよ」


 カルロは音圧で吹き飛ばされそうになる体を、倒れ込んだフェデリコから転がってずらす。指は正確にカルロだけを追いかけている。


「なぁ、それって、具体的にはどうすれば実現するんだ?俺は、お前の理想国家にも、結構興味があるんだ」


 ネフィリムは満面の笑みを浮かべる。腐りかけた歯肉が見え、穴の開いた歯が数本姿を見せる。長く動かされることのなかったそのなかでは、魚がびちゃびちゃと跳ねていた。


「興味を持ってくれて有難う。自由になる第一段階は、まずは偏見を捨てる事だ。人間は互いに認め合い、尊重しあう。それによって、まずは理想国家の土台が作られる。そして、偏見を捨てた人間たちは互いの文化を認め合う。それはつまり、神の作りたもうた大地を、互いに称賛するためだ。そして、知識を共有し、文明を統合する。つまり、互いの優れた文明をかけ合わせる作業に入るのだ。そうすれば、各々が各々の分野で、真に研鑽を積むことが出来るようになるだろう。そのための行政区分は、出来る限り小さく区切った方がよい。しかし、余り争いが起こらぬように、定期的に調査をしなければならない。つまりは徹底的な細分化、平等化だね。この大地の真理を研鑽によって解き明かす、相互の強みを受け入れる理想国家!素晴らしいだろう?」


 ネフィリムは興奮しながら続けた。カルロはなんとか半身を起こし、相槌を打つ。彼は視線の端に青白い腕が生え始めているのを確認したが、無視を決め込んだ。


「互いを認め合う社会、か。すごくいい社会だよな」


 ネフィリムは指を放し、手を合わせて天に祈る。涙が彼の膝に落ちると、カルロの髪を巻き上げるほどの風圧となる。水は散会し、壊れた市場に零れ落ちた。


「でも安心しろよ、お前がいなくたって、その理想は叶うと思うぞ」


 ネフィリムは視線をおろし、カルロを見た。驚きの余り瞬いた目は、それ一つで人間の体をいくつも呑み込みそうなほど大きい。

 町の外れから紫色の光の柱が昇る。ネフィリムがそれに気づき、思いきり膝で地響きを立てようとする。しかし、彼の膝は地面から中々持ち上がらない。

 数千本の青白い腕が、彼の膝を包み込んでいた。彼は急ぎ、それを引き千切る。腕は簡単に千切られるが、何度も補充されながら、紫の光が空を覆いつくすまで彼を拘束した。


「……何という事だ。不気味な雲が祝福を遮る……。これが君の意思だというのか?カルロ・ジョアン」


 彼は腕をおろし、瞳を震わせながら空を仰ぐ。紫の光は徐々にジロード全体を包み込み、中央広場や、港や、海や、山にまで浸透する。カルロは静かに微笑んだ。


「簡単にはいかないが、何とかしたいという気持ちが、お前の言う研鑽なんじゃないのか……?」


「少し違う。しかし、嗚呼、確かに。それは実に、永遠の研鑽に似ている……。君は、争いさえも、迫害さえも、研鑽の道というのか。醜いものさえ尊いものであったとは、本当に、世界は面白いな……」


 ネフィリムは嗚咽を漏らす。空を包む光は彼の周囲にも降り注ぎ、彼は静かに両手を伸ばした。町一つほどもある巨大な腕が開かれると、光はその肉体を包み込んで溶かし、溶けた肉体は蒸気となって空に昇っていく。ネフィリムの肉体が消えると、蒸気となったものは巨大な雨雲となる。急激に高くなった湿度が町を包み込み、紫の光が消えるのとほとんど同時に、大粒の雨が降り注いだ。

 カルロは空を見上げた。街路に落ちる大粒の雨が、血の跡や、泥を洗い流していく。それらはすべて、カルロを通り過ぎ、広がりながら海へと流れていった。


「本当だ。俺も知らない事ばかりだ」


 彼の声は、曇天の彼方へと消えて行った。

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