そして、叡智は蘇る2
カルロを背負ったフェデリコは一心不乱に城門を目指す。巨人はゆっくりと歩み寄り、市場の跡を破壊し、中心街へと近寄った。
フェデリコは思わず足を止める。城門の方角から何者かが近寄ってくるのだ。その影は小さく、子供のようであったが、身振りは貴族然としている。カルロは異変に気付き顔を上げる。そして、思わず半開きの目を見開いた。
「……ビフロンス?なんでここに……?」
「間に合わずに申し訳ありません。我々の不手際でこのような事態を招いてしまって……」
背後で海水を持ち上げる轟音が響く。二人がふり返ると、巨人が転んだ拍子に海水が巨大な波を作ったためであった。
「ごめんなさい、本当に、想定外の事態でした。相当長い間、彼の存在を放置してしまったせいで、彼が巨人……恐らくホムンクルスだと思いますが、あれを完成させてしまったようです」
「謝罪は後で聞く。あれは倒せるのか?」
カルロが訊ねると、ビフロンスは俯きがちになり、上目遣いで答えた。
「僕一人では、足止めがやっとです……」
巨人は青白い線のような腕を払い、ゆっくりと姿勢を直す。身を起こすだけで巻き上がった波が、滝のように滴り落ちる。
「……そうか。それで、倒せるのか?」
カルロは繰り返すように訊ねる。ビフロンスは少し頭を捻り、暫くして頷いた。
「生物学的に殺すことはできます。一応は、人工の生物ですから。ですが、全能ではありませんが全知ではありますので、その、とても厄介なのです。巨大ホムンクルスでは長いので、仮にネフィリムと呼称しますが、ネフィリムはホムンクルスなので、全ての事象に対する答えを知っています。ですから、殆どの事は簡単に対処されてしまうのです」
「ちょっと何を言っているのか分からないぞ。あんな規模のホムンクルスは作れるのか!?」
フェデリコが声を荒げる。ビフロンスは再び申し訳なさそうにしながら、上目遣いで答えた。
「……はい、理論上は可能です。ホムンクルスはフラスコの中でしか生きられないとも言われています。実際、純度の高い人間のそれだけで再現しようとしたものですので、通常は小さく、繊細なもののはずです。しかし、あれは恐らく、色々な血が混ざっているのではないかと思います。巨人という形を成したのは、たまたまです」
「何とかならないのか!?あんなの歩き出したらパニックになるぞ。いや、なってるぞ!」
フェデリコは懇願するようにビフロンスに縋りつく。巨人は完全に姿勢を直し、再び足を持ち上げた。
「心臓や脳を貫けばいいのか?いや、でも大きすぎるよな……。何度も転ばせれば、頭打って倒せるとか……」
カルロはぶつぶつと一人思索に耽る。引き戻されたネフィリムは怒号を上げ、港だった場所を踏みつけた。
「駄目だ、倒せる気がしない……」
カルロはがっくりと首を垂れる。フェデリコは青ざめた顔をフロンスの足に押し付ける。巨人の足が下ろされ、地響きが町全体を包み込む。振動となって伝わったそれは、彼らを地面から飛びあげた。ビフロンスは一際高く飛び上がり、尻餅をつく。彼は立ち上がる代わりに青白い腕を地面から呼び出し、彼の肉体を持ち上げさせた。
「……なぁ、ビフロンス。あれは何故、ファウストの意思で言葉を発しているんだと思う?」
カルロはふと、思いついたように訊ねた。カルロの言葉を受け、巨大な振動に飛び上がる体を青白い腕に保たせていたビフロンスは、視線を空中に泳がせた。暫く思索を巡らせ、彼は歓声を上げた。
カルロとフェデリコは思わず前のめりになる。
「そうか、彼も死霊魔術を使っていました!要は、あれは生きていない失敗作だったんですね!」
「な、なんだ失敗作?」
フェデリコが聞き返す。ビフロンスは明るい顔で頷いた。
「そうです、死体なら、僕に扱えないものはありませんよね!」
ビフロンスは空間を歪ませて銀の道具を引っ張り出すと、自らの指を針で傷付け、滴った血で銀の道具を汚した。
「憑依魔術は、基本的には死体にしか憑依できません。ですから、憑依する側は憑依される側、つまり死体を用意しなければならない。彼は人工生物ホムンクルスの再現に、失敗してしまったのではないでしょうか。だからこそ、憑依することが出来た。そして、もう一つの条件として……」
「もしかして、憑依する側も死んでないといけないのか?」
カルロが訊ねる。
ビフロンスの利用した道具は鈍く輝き始め、紫色のオーロラのようなものを吐き出す。
「非常に表現しづらいのですが、少し違います。気分の高揚といいますか……。前に述べたとおり、死霊魔術とは、総じて命へ対する強い執着が必要ですから、それが高まるきっかけが、何らかの形で必要なのです」
「まさか、俺が本気にさせたのか?」
カルロは浮上する腕を思い出す。その時、海面を盛り上げた腕は不要となった船を握りつぶし、その身を起こしていたのである。
ネフィリムの足が地面を揺らす。ビフロンスが準備を進めていたものが倒れ、その灯りを失った。
「……あの、足止めは出来ませんか?完成まで少々時間がかかりますので……」
「分かった。何とかしてみる。フェデリコ、悪いが俺を巨人の前に連れて行ってくれ」
カルロはフェデリコの肩を借り、崩れた身を起こした。
「もうやけくそだよ……。どうなっても知らないからな……」
フェデリコは殆ど消え入るような声で言い、カルロをおぶり直した。彼は自分よりも小柄だが筋肉のあるカルロを背負い、呻き声を上げて一歩を踏み出した。




