動く破城槌
船員らの助けを借りて、カルロの予定していた作業は直ぐに終わってしまった。
まず、彼らは引き上げた角材を帆柱伝いに取り付け、突き出た船首とほぼ同じ位置まで突き出す。角材を頑丈な縄で縛り、しっかりと固定する。屈強で揺れに慣れた船員たちにとっては、この角材の上を渡ることは特に困難ではないらしく、固定した後には器用に渡り歩きながら、さらに頑丈になるように釘を打ち込んだ。
その結果、突き出た突撃船首と同様に、ガレー船の上に、突き出た渡り橋が完成する。帆船ではないため、高さは劣るものの、十分に法陣をとらえることが出来る。二つの槌を持つガレーは、帆船の間に挟まれることによって、その異質さを際立たせている。
カルロは浮かぶ絶壁を見上げた。迫り来るような圧迫感と、圧倒的な物量を感じさせる巨大な土塊は、分厚く、一つの大陸のようにも見える。敵の砲撃と同時に変形するこの無敵の城壁は、今はジロードの市民生活を脅かすにとどまらず、ウネッザの航路妨害にも役立っている。
彼が改めて港をに目を向けると、その被害は甚大であり、今も敵戦艦の攻撃により、様々な家屋が無作為に破壊されている。煉瓦造りの家々は、簡単に鉄の砲弾で粉砕され、殆どランダムに攻撃が浴びせられる。カルロはそれを確かめると、自身の作戦に一定の自信を抱いた。
「……皆さん、聞いてください」
カルロは壁に向かって言った。船員たちは立ち上がり、各々の楽な姿勢を取る。鳴りやまない砲撃と、誰一人として姿を見せない港町に、彼らの視界を遮るものは壁以外になかった。
「この船で、あの壁を貫きます。そのために、この動く橋は、動く破城槌として、その役割を担うことになるでしょう。ジロード船が一斉射撃を加え、穴の開いた部分が再生する前に、この槌を叩きこむ。俺達がウネッザに戻るためには、それしかないと思います」
カルロは険しい表情で振り返る。船員たちはざわめく。天に祈りを捧げる者、腕を組んで静かに壁に寄りかかる者、頷くだけの者、それぞれがそれぞれの意思に従って言った。
「……まぁ、死ぬときは死ぬ時だしな。遺言も遺してるし、なるようになるさ」
一人が言った。カルロは静かに頷く。傾いた日が壁の向こうに消えて行き、東の空が黒ずんでいく。
「ジロードは、必ず協力してくれます。そのために、彼らは動いているんですから」
カルロの言葉を遮るものはいなかった。さざ波が、言葉の切れ目を連れていく。輝いた水面は一番星を映し出す。弱々しい星が次々に現れると、教会の鐘が鳴り響いた。
「神の休む大地」と呼ばれたジロードに、反復する鐘の音は幾重にも重なり、巨大な壁に反響する。船上の男達は、教会の合奏に耳を傾けながら、その砲撃の音が完全に消えるのをじっと待った。
カルロは久しぶりの点検作業も終え、上陸する。
その時には、既に空には夜の帳が下ろされていた。一層暗くなった港町には、痛ましい砲撃の跡と、明かりの灯っていない家々が連なる。
城壁から港までをまっすぐに貫く街路には、フェデリコが土産を買った市場が続く。しかし、店先にそれらの名残はなく、道端にゴミが落ちているだけであった。豚もそこに通ることはなく、閑散とした道が続く。静まり返った大通りは、虹のような町並みを闇の中に溶け込ませて沈黙する。
彼方に見える連なる丘は、城壁のさらに奥にあり、聳える土の壁よりも巨大であった。その道を通る使節団は見えず、夜の中にその輪郭だけを映す。カルロは、それを見ることはなく、真っ直ぐに中心街へ向かった。
噴水がある町の中心まで、兵士以外の者は既にいない。教会の窓からは、はちきれんばかりの人がうずくまる姿を見ることが出来る。噴水は止まり、銀行は鍵をかけられている。なおも堂々とコの字に両翼を広げるメディス宮の前には、いつもの倍の兵士が構え、誰一人として笑う事がない。彼らは微動だにせず、置物のようでもあり、鎧に阻まれ、個性的な瞳を見ることも難しい。
カルロはメディス宮の前で立ち止まる。彼は顔を上げ、背のわりに幼い顔の男が腕を組んでいるさまを見た。その男は険しい表情で、カルロを見下ろす。カルロは小さく微笑んで見せた。
「……できたのか?」
男は険しい表情のまま、静かに頷く。二人の間を隔てる段差も手伝って、カルロにはその男が普段よりもいくらか屈強に映った。
「図書館があってよかった。なかったら永遠に無理だった」
カルロは安堵の表情を浮かべつつ、首を垂れた。フェデリコは眉を顰める。
「……悪かったよ」
「この借りはきっちり、返してもらうからな」
「あぁ、そのつもりだ」
フェデリコは腕を組み、満足げに頷く。彼はそのまま踵を返し、さっさと中へと戻っていった。カルロもそれに続く。すっかりカルロを見慣れた兵士達は、誰一人槍を構えることもなく、ただ、腕を胸に当てて挨拶をした。静まり返ったジロードに、鎧の擦れる音は良く響く。しかし、その雄姿を見る者はだれ一人おらず、ただ、夜は更けていくばかりであった。




