責任は僕が
「おい、カルロ!ちょっと待てって!」
フェデリコは彼を強引に引っ張り、廊下を突き進むカルロの手を払った。カルロは振り返り、フェデリコと向き合う。静けさに満たされた廊下に、二人の影が取り残されたように伸びる。窓の向こうには、美しいはずのジロードの街並みが広がる。
「僕だってやる事があるんだ。わかるだろう?今から会議に戻れば、とりあえず体裁は保てる。そこで僕がお前の無礼を謝っておくから……」
「いいよ、そんなの。それよりも、俺に確実な情報をくれ。こんなこと、お前ぐらいにしか頼めないんだよ」
カルロは落ち着いた様子で答える。彼の揺るがない瞳に一瞬動きを止めたフェデリコは、唸り声を上げながら、頭を掻きむしる。
「なんだよ、一体!」
「中央の法陣を内側から削るにはどれくらい砲撃を当てればいいか、計算してほしい」
「おま、専門外じゃないか!そういうのは専門家に……!」
「この中に、お前より優秀な学者がいるかよ。頼む、この通りだ」
カルロは深く頭を下げる。フェデリコは硬直する。窓の向こうに砲撃が響き、砕け散った桟橋は海上に浮かぶ。飛び散った港の岸壁が、色彩豊かな家々をあなぼこにする。
「いいか、僕の専門は天文学であって物理学じゃない。全然ジャンルが違うのは分かるな?博士から教わっている基礎知識しか分からない。計算ミスだってあるかもしれない」
「あぁ、頼む」
カルロは殆ど間を置かずに答えた。差し込み始めた日の為に、二人の表情が照らし出される。静かに向き合う二人の間を、光の筋が突き抜けた。
フェデリコは肩を落とし、大きなため息を吐く。
「……どうなっても知らないからな!」
蟹股で自室に向かう彼を、カルロは追いかけた。
「ありがとう、助かる。責任は俺が取る。お前に迷惑はかけない」
「責任は代表者の僕が取る。今更迷惑もくそもあるか。仲良く首吊るすのは御免だからな?頼むぞ?」
フェデリコはずんずんと進む。荒い鼻息で過呼吸気味の彼は、客室に入り、強く扉を閉めた。カルロが扉の前に立つと、フェデリコは顔を出す。
「お前は邪魔だから別の準備でもしていろ!」
彼はそういって強く扉を閉ざした。大きな音が廊下中に響き渡る。カルロは静かに頭を下げた。
「ほんと、ありがとう」
彼は踵を返し、早足でメディス宮を後にする。彼はそのまま中枢街を抜け、造船所手前の安全な位置に停泊している、ウネッザのガレー船を目指した。
ジロードの軍用帆船の中に紛れたガレー船は、一際ずんぐりとしており、背が低く感じられる。ジロードもガレー船を作らないわけではないものの、基本的には船高が高く砲撃甲板があるガレアッツァや軍用帆船が中心である。
大量積載が可能であり、船員が少なくて済む帆船は、安定性を重視するウネッザよりも勝負師の多いとされるジロードの文化も示しているようである。長期航海を行うアーカテニアの船が帆船中心なのも、このような事情が影響している。
カルロは一人ガレー船に乗り込むと、火砲の向きを確認した後、船倉まで降りる。船倉から、長く幅広の角材を引き、壁を利用して少しずつ角度をつけていく。殆ど直角になったところで梯子を上り、中甲板から引き揚げる。
「おぉ、何やってるんだ?」
頭上からの声にカルロは顔を上げる。とぼけた顔をしたメルクだった。
「え、メルクさん。どうしてここに?」
メルクは黄色い歯を見せて笑う。
「お前が別の用事で大変そうだったからなぁ。船のメンテナンスをしていたんだよ」
「あ、そうだったんですね。すいません、ご迷惑をおかけして……」
「そういう時はありがとう、だな、っと」
メルクはある程度の梯子を下りると、中甲板に飛び降りる。手を払い、巨大な幅広の角材を見て、不思議そうにカルロを見た。カルロは苦笑いで返す。
「いや、ははは……」
「動く橋なんて何に使うんだ?まぁ、いいか。引き揚げるぞー」
メルクは大声でカウレスを呼んだ。暫くすると、カウレスが顔を覗かせる。飛び出す角材を見て、カウレスは呆れ顔でカルロを見た。カルロが謝罪の体勢に入ろうとすると、カウレスはため息を吐く。
「人呼んできます。そのまま待機してください。まったく、何に使うんだか……」
カウレスは捨て台詞のように言葉を吐き、顔をひっこめる。カルロはそのまま暫く上を向いていた。カウレスのいた位置には、切り取られた空が見える。その中を、千切れた雲が気持ちよさそうに浮かぶ。聳える巨壁を気にする様子もなく、切り取られた空の向こう側は澄んだ色をしていた。
暫くして、カルロはメルクに頭を下げる。
「すいません、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「おん?まぁ、新人に多くを求めちゃいけないからな。まぁ、もうちょっと勝手な行動は控えてほしいんだが……」
カルロは押し黙る。メルクは腕を組み、豪快に笑った。
「お前は気持ちいいなぁ、馬鹿みたいで!そういう奴がやる行動っていうのは、何かしら理由があるもんだ。他意のない理由がな」
「すいません……」
カルロは頭を下げる。メルクはカルロの首に手をかける。カルロは思わず声を上げ、メルクは楽しそうにカルロの体を揺すった。
「そういう時はありがとうございます、だ!まだまだ世間知らずかぁ?人のこと言えないんじゃないのか?」
「イッ、イダダダダ!」
カルロはバタバタと足を動かし、メルクの腕を軽く叩く。メルクはじゃれつく猫でもあやす時のように、満面の笑みを浮かべていた。
そして、カウレスが再び顔を出す。
「連れてきまし……何やってんだ?」
メルクは手を離し、カウレスに感謝の意を示して手を挙げる。カウレスは彼をじっとりとした目で見つめ、鼻から息を吐いた。
ぞろぞろと集まった船員が、カルロを見ては陽気に挨拶をする。カルロも何度も挨拶を返し、上甲板へ登った。
屈強な船員たち数名は、一斉に声を上げ、軽々と角材を上へ押し上げる。それぞれの甲板から押し出された角材は、上甲板まで上がるのに、さしたる時間もかからなかった。




