黒犬の輪舞9
その後も主戦場は海上であったが、その間もジロードは、半月に渡り、包囲の外側にある陸地から、アーカテニアの軍船を監視し続けた。抜け道である陸路から狭い包囲を抜け出し、敵船舶の姿を確認できたのは幸運でありった。一方で、森の中に侵入する必要もあったために、行方不明となった偵察兵もあった。しかし、幸いアーカテニア側はそれを把握することなく、海上の軍船を虱潰しに破壊することに躍起になっていた。
偵察兵の報告によると、彼らの主戦力はジロードと同様に火砲を大量に携えた帆船であり、白兵戦には向かない事が判明した。しかし、その一方で、火砲の連射性能は高く、補給船はいずれも中規模ガレー船に守られた帆船であり、補給を簡単に妨害することは難しい事、そもそもジロードの大型船を陸伝いに出帆させることは難しく、警備も厳重であることから、近づくことは難しいと考えられた。
しかし、アーカテニアはその主戦場を異教徒への攻撃に定めていることは明らかであり、ジロード包囲は少数船舶による監視程度の戦力しか持ちえないようであった。
ジロードでは陸上に砲台を設置し、奇襲をかける戦略が練られていた。造船所で作られる帆船のために保管されていた火砲の一部は実際に茂みの中に隠され、一部兵士がそこで駐屯することとなったが、アーカテニア軍は陸に上がる意思は全くなく、結局火砲の射程圏内に入らないままで監視が続くことになった。
そして、四週目の祈りの日に、教皇庁からの返答が来た。これによれば、アーカテニアとの仲介役として特使を派遣する旨が記載され、これについてウネッザの外務官、ジロードの重鎮らが会議を始める。その中には、フェデリコも参加していたが、カルロは参加せず、陸路を伝って駐屯地へ赴いていた。
カルロは深い森の中を兵士達に守られながら進み、狼の群れなどが現れないことを祈りながら、薄暗い森を進む。兵士達は地図とコンパスを頼りに慎重に進み、巨大な穴を確認すると、安堵の溜息を吐いた。
「つきましたよ。どうぞ、こちらへ」
兵士達は器用に滑りながら、穴の中へ消えて行った。カルロは、まずその中を確認する。中には巨大な空間が作られ、火器と槍、弓などを持った警備兵たちが小屋の前に立つ。彼らはリラックスした雰囲気でカルロを連れてきた兵士と話をする。連れてきた兵士達が顔を覗かせるカルロを指さす。カルロは笑顔で返し、慎重に窪みの中に入っていった。
この窪みは底に槍を突き刺した罠を作っており、小屋の周囲は柵で囲まれいている。傾斜の終わりには倒木で作られた橋が渡されており、カルロはかなり緊張しながら槍の突き出した道を進んだ。兵士達は特に気にする訳でもなく、この巨大な塹壕に守られた小屋で談笑する。
「……いやぁ、厳戒体制ですね……」
カルロは渡り終えると、冷汗を拭い、苦笑いした。
「ここも最前線ですからね。ウネッザではなかなか出来ない体験でしょう?」
兵士は陽気に答える。かなり制約された時間にしか光の当たらないジロード以上に日の射さない塹壕であったが、カルロの目には快活な兵士達のお陰でいくらか明るく映った。
「えぇ、したくもなかったですが……」
駐屯地は森の只中にあり、およそ人間が来るような場所ではない。それだけに、アーカテニア軍もあまり重要視していない。その点、格好の隠れ家であり、塹壕を掘り、その中に簡易の住居を敷いていた。同時に、彼らが近づくメリットもなく、流れ弾の侵入する港よりは、いくらか安全だった。
「あの、早速仕事に取り掛かってもよろしいでしょうか……?」
カルロが訊ねると、兵士達は陽気な笑顔で答えた。
「あ、お願いしまーす」
カルロは日誌とペンを受け取り、這うように穴を昇った。カルロは昇り切ると、日誌の中身を確認する。それは白紙であったため、彼は複雑な心境に至った。
(当たり前だけど、あんまり信頼されてなさそうだ……)
カルロは日誌を閉じ、海を臨むことが出来る茂みに屈み込む。海岸沿いに短い木が並び、その中に火砲を隠した兵士が、カルロと同様の姿勢で監視を続けていた。
カルロは声を上げずに会釈で挨拶をし、日誌を開く。インクを浸し、敵船舶を確認した。
カルロの今回の仕事は、整備士として、敵船舶の構造を把握することにある。ジロードの造船工も同様の仕事のために兵士に同行してきたが、彼らは主にその形質や軍事的特徴を纏めることに重点を置いており、全体像としては帆船、という特徴を纏めている。カルロに任された仕事は、いわばセカンドオピニオンとしての、その構造の把握であった。
(……普通の帆船に見える。流石はジロードのプロだな、殆ど完璧に模写してある)
カルロは先に確認していた帆船の情報とその外形を照らし合わせる。船高は高く、砲口が多い。帆はかなり高く横に広く、四角帆と三角帆の両方を利用して、周辺海域の変わりやすい風向に対応しているらしかった。
カルロはそれらの特徴を箇条書きでまとめ、簡易な船の図を描く。それを自ら確認すると、ジロードの造船工が如何に優れた絵描きであるかがよくわかり、自嘲を込めた笑みが零した。
(他には、特徴は……)
多くの特徴はジロードの大型船との違いがない。帆船特有の一角獣の角もあり、一方でウネッザのガレー船が持つ船首角は存在しない。船首像は美しい女性の像であり、おそらくカペラの物であろうと推察される。巨大な船体のために、大砲による穴を開けても沈没にまで至ることは無く、代わりに、波の高さによってはかなり大きな揺れが認められ、船酔いのリスクはウネッザ船の比ではない。
カルロは自分の分かる範囲で正確な情報を箇条書きで殴り書きする。
「あ、そうだ。カルロさん、でしたよね?これ使いますか?」
「え、あ、有難う御座います」
兵士の勧めに従い、カルロは筒状の物を受け取る。カルロはその形をまじまじと見つめ、兵士に視線を送った。兵士は首を傾げる。
「望遠鏡です。使ったことないですか?」
「あぁ、これが望遠鏡ですか!」
(前に博士に頼まれたっけな……)
カルロは望遠鏡を覗き込む。彼は拡大した世界に驚き、歓声を上げかけてとどまった。カルロは兵士に礼を言い、レンズを船に向けた。望遠鏡を頼りに、船尾から船首にかけての上甲板の様子も、新たに書き記した。そして、船尾楼からゆっくりと望遠レンズを中間に向けた、その時であった。
(あ、あれ……銀の道具)
カルロの背筋が凍りつく。かつてジロード船にあった、銀の杯の先端が目に入った。カルロは、冷静に日誌を捲る。そして、その道具群の詳細を書き、さらに細かく、ウネッザでのその活躍を記した。




