華の旅路1
(気になる……!)
カルロは仕事が終わっても終始昨晩の出来事を気にかけていた。博士が一体どういう人物なのか、それを知る手掛かりになると考えていたのだ。
カルロはその思索に反して、備品のチェックを行っていた。サラサラと文字を書けるようになったカルロを見て、フェデナンドは大層安堵したらしく、適当に諸事を回すようになっていた。
造船所は木くずの匂いで芳ばしく、少々煙たい。馴れないカルロは仕事が開けると咳払いをして、肩を軽く揉む。
帆作り職人たちに手を振って別れを告げると、カルロはゴンドラに乗って船頭に教会へ向かうよう依頼する。船が陸を離れると、潮風がもろに顔に当たる。カルロは目を細めながら腕を組み、どうにかして知る方法はないか、と考え込んでいた。船頭が何事かと櫂を漕ぐ手を緩めつつ、カルロのつむじを見下ろす。随分と揺れにも慣れたカルロは、微動だにせず潮風に吹かれていた。
「ユウキタクマ博士の昔の事を知っている人を、知りませんかね?」
船頭は櫂を動かしながら唸る。船が大運河の手前に差し掛かる。市場から流れてくる鼻をくすぐるにおいも、今日のカルロには気にならなかった。
「おぉ、そうだそうだ!どっかの娘さんがよく知っているようだったなぁ。どこだったかな?えーっと……」
船頭は船を陸に寄せる。聖マッキオ教会は目と鼻の先となっているが、上陸するには些か遠い位置で船は制止した。船頭はわざとらしく唸る。カルロは仕方なく少ない銀貨を一枚差し出して見せた。船頭は運賃込みのそれを受け取ると、わざとらしく感嘆の声を上げる。
「そうそう!ムラーノ教区の居酒屋の娘だよ!少々値は張るが、ちょいと行ってみるかい?」
船頭はいいかもを見つけたと言わんばかりにいじわるな笑みを浮かべる。カルロは渋々重ねて貨幣を支払った。故郷から持ってきた貨幣は随分と掠め取られたが、ウネッザの貨幣であるドージェ銅貨はまだ生活できるだけのものが残されいた。
船頭は嬉しそうにコインを手の上で弄ぶと、「毎度!」と言って櫂を動かす。通行中の船舶がちょっと迷惑な位置まで櫂を漕ぎ、かなり急ぎながら櫂を動かした。カルロは自身の財布の中身を見て、小さくため息を吐いた。
ウネッザと言う町は幾つかの島があり、聖マッキオ教会のある本島の他に、リオート橋でつながれた聖ジョージ教区などの、他3つの弧状橋でつながれた島々と、幾つかの孤島が連なってできている。その中でも本島から海で隔たれた北のはずれにあるのが、ムラーノ島・ムラーノ教区である。ムラーノ教区に至るまでの海域も、潮の干満により時折顔を出す潟であり、大型船が通れない道に杭を打ってある。
ゴンドラでは些か心許ない結構な距離を揺られ、夕刻になる頃に、カルロはその全容を見ることになった。本島と遜色ない美しい町並みであったが、白を基調とした街並みとは異なり、屋根から下まで煉瓦造りの平屋で構成されていた。
「ムラーノ教区と言えばガラス細工の名産地だ。火事の延焼を防ぐ必要もあって、元々少ない木造建築はより少ない。石工もこの教区ではさらに重宝されるわけだ」
カルロはその様を眺め、息を吐いた。陸地に近づいていくと、細い運河に入る。船頭は慣れた手つきで運河の深く深く、さらに入り組んだ道へと入っていく。夜も程よく更けたところで、件の居酒屋の付近まで辿り着いた。
カルロは船頭に帰りの依頼も済ませると、船頭は快諾する。カルロは契約の保護を防ぐために勘合させる木製の印章を受け取ると、駆け足で小さな広場に降り立った。賑やかな声が漏れる居酒屋は直ぐに見つけることが出来た。肉の焼けるいい匂いを辿りながら、カルロはその建物の前に辿り着く。
背の低い建物群の中では比較的背が高く、目立って見えるその居酒屋は、宿も併せて運営しているらしい。蝋燭も大いに使い、他の建物から漏れる灯りよりもさらに明るい光が漏れる。木窓から覗いてみると、日に焼けた職人たちがけたたましい笑い声をあげ、エールを仰いでいる。カルロはその中に混ざりたくなり、体を揺する。
気持ちを抑えながらさらに店内を見回すと、件の町娘と思われる後姿があった。彼女は皿洗いをしているらしく、テンポよく皿を濯いでは積み上げる。その倍の速度で引っ張り出される木製のスープ皿の勢いは、この酒場が盛況していることの証だった。平皿があまり出ない代わりに、固く円形のパンに料理を乗せて給仕するものが多い。それは、この酒場が庶民の憩いの場であることも表していた。カルロは思わず笑みを零す。
彼は鼻から息を吐き、すぐさま酒場の扉に手をかける。扉が開かれると、騒々しい店内に籠った酒と料理の匂いに思わず唾液がたまる。
「いらっしゃい!そこ、空いてるよ!」
威勢の良い主人が顎で示すのは、壁際の小さな丸テーブルだった。カルロはそこに腰かけ、実ににぎやかな酒場の雰囲気に心を躍らせる。
「いらっしゃいませ!ご注文は?」
カルロは振り返る。彼は暫く、そのまま見惚れてしまった。




