ジロードの「君主」
「なぁ、これでいいか?」
カルロはやや恥じらいながら上衣の端をつまむ。フェデリコは親指を立て、大きく頷いた。
「よし、オーケイ!出来合いにしてはいい感じだな」
カルロは腑に落ちないまま頷き、姿勢を正す。
彼が仕立てられた服装は、高級官僚の使用人に相応しいものである。茶色の革製の靴は比較的安価なもので、そこがやや厚く、長時間の立ち仕事にも耐える。黒いズボンは膝下直ぐまでの長さがあり、その下にタイツを履く。タイツは流行の色彩の強いものではなく、目立たない白色であり、主人の後ろに従い歩く際にそのファッションを邪魔しない。
ワイシャツは袖に密かなフリルがあり、これもまた主人より目立たないように作られている。ボタン沿いにもフリルがあるが、その多くは上衣で隠されて確認することが出来ない。上衣は黒色であり、汚れを隠すのに役に立つ。
髪も揃えられ、もとよりあまり長くはないもみあげを後ろに隠して耳を出し、前髪も七三分けにされた。視界は良好で清潔感もあるため、前髪についてはカルロも決して不服というわけではない。
警備兵もカルロの着替え後の姿には多少関心があったようで、二人の背後であれこれと評価を下している。貴族社会にある程度交流のある警備員らしく、その服飾がどのような趣旨の物であり、カルロの体型や風貌とのマッチングなど、評論家宜しく語り合っている。カルロはフェデリコが警備としてつけただけあり、彼ら警備員はそれなりに流行に敏感なのかもしれないなどと思いつつ、受けたことのない視線に恥地雷を感じ身を縮こませる。彼らの評価によればカルロの服装は好評らしいことも、かえって彼の顔を赤くさせる原因であった。
フェデリコは自分のファッションセンスに確信を持ち、ふんぞり返ってメディス邸の前まで進む。また、玄関の前で自然と姿勢を正す様から、彼の育ちの良さも窺えた。
「あ、そうだカルロ。いいか、お前は今回僕の使用人役だからな?変にでしゃばるなよ?」
「へいへい、ご主人様」
カルロはてきとうにあしらう。フェデリコは不服そうに眉を顰めた。
「……はい、ご主人様」
カルロは大きな溜息と共に、言葉を吐き出した。
(うわぁ、なんか動きにくい気がする……)
カルロは腕を前で組み、フェデリコの後に従う。フェデリコの顔を見た兵士が一旦彼を止め、要件を聞き出す。彼は真摯に答えてメディスからの手紙も見せると、兵士は姿勢を正し、槍を真上に立てて詫びる。そして、直ぐにその扉を開き、フェデリコ・ダンドロ一行を内部に案内した。
宮殿内部は息を呑むほどの美しさであった。ダンドロ邸は商会の会館らしく豪華さの中に実用性を散りばめたつくりをしていたものの、メディス宮は君主の館らしく美しさと軍事的設備の融合が見受けられる。
ウネッザの元首官邸にある議場のように赤絨毯が敷き詰められ、大理石の輝きが至る所に乱反射する。鈍色の黒い大理石を所々に嵌めた床には、うっすらと天井の天使の絵が映る。
中庭はダンドロ邸のそれよりもはるかに規模が大きく、アーチ状の支柱を並べる回廊は古代の神殿を歩くような錯覚を覚える。中庭も煉瓦造りで統一され、花壇に植えられた季節の花を額縁のように使い、格子模様の床を作る。
時折カルロが通り過ぎる際に天井の大穴を発見する。この大穴は十字の梁で吹き抜けを作り、真下は黒の大理石に擬態した鉄の床が隠されていた。それが反逆者の侵入を阻止するためのものであることをカルロが知るのは、ジロードを去った後であった。
壁にはジロードの国旗が掲げられ、階段の壁際や窓枠の上などにニッチが彫りこまれ、神々がその中で自在なポーズをとる。中でもオリエタスは守護神らしく逞しい肉体と、王子のような若く端正な風貌から頻繁に彫り込まれている。
フェデリコは官邸の奥にある謁見の間に案内された。その重厚な杉の扉はニスで茶色に光り、ノッカーで叩けば子気味好い音が余韻を残して響き渡る。フェデリコは深呼吸をして、前を向く。
「入り給え」
「し、失礼いたします!」
フェデリコが大きな声で答える。扉を開けると、全方位を豪華絢爛に彩る大小さまざまな調度品の並ぶ中心に、主ジローラモ・ディ・メディスがいた。
「よく来たね、フェデリコ君。君とは会いたかったんだよ!」
「此方こそ、またお会いできて光栄です、義父上。僕がこうして安全に航海できたこと、こうして貴方とお会いできた事を、先程神に御礼を申し上げた所なのです」
(あ、それで教会を見て回ったのか)
ジローラモは大層機嫌よく笑い、玉座を下りると、フェデリコと握手を交わす。近衛兵達が思わずざわつくほどの機嫌のよさに、カルロも真顔を保つことが難しい。彼は目を閉ざし、自身を殺して静かにフェデリコのコートを手に掛ける。それ以上の手段は彼には思いつかなかった。
「義父上、私などに構っていては時間がもったいないですよ。どうかカタリーナ様の土産話をさせて下さい!」
「娘は元気か?元気なのだな!それだけで私は幸せだ!さぁ、食事でもしながら語り合うとしよう」
二人は早速食堂に向かい、それから暫く、カルロはフェデリコののろけ話を立ったまま聞かされることになった。カルロはフェデリコの指示に合わせて飲食の世話をし、二人の男が一人の女の自慢話を出し合うという非常に奇妙な現場をその目で見続ける。豪奢で大きなガラスの向こうにはジロードの街並みが一望できるというのに、カルロはそれを見ることもできなかった。
(何、これ?拷問……?)
フェデリコの眩しい笑みに負けないジローラモの笑みはカルロが目を伏せていてもその輝きが伝わる程である。弾むような言葉の羅列に、カルロは吹きだしそうになるのを抑え、上を向く。口を結び、堪えすぎた笑いの余り震える体を必死に抑えつけた。
楽しい会食も終盤を迎えた頃、フェデリコは暖まった舌を水で流して冷ました。後ろに着くカルロには、その一滴でフェデリコの雰囲気が変わるのが察せられた。
「……しかし、残念です。父の決定も苦肉の策だったようですが、異教徒との共闘は些か骨が折れる。ジロードと共に道を海を渡り続けるために、義父上にもご協力いただきたかったのです……」
「そうだね、私も君のことは素晴らしい人物だと思っているが、やはりこのような事態であろうとも、あれに手を貸す気にはなれないのだよ……。アーカテニアの事は私達も懸念しているのだが、彼らが利益を得るにはまだ時間がかかるだろう。教皇庁とのやり取りもしているが、曖昧な返事ばかりで中々始末が付かない。私達は私達のやり方で、対処に当たりたいと思うよ」
ジローラモは沈んだ声で言った。フェデリコは少し悲しそうに眉を下げ、目を閉じる。
「……仕方がありませんね。僕も、ウネッザの代表者として、ジロードの益々の繁栄をお祈り申し上げます。神の祝福が在らんことを……」
フェデリコは静かに祈りを捧げる。デザートが運ばれると、二人は普段通りの談笑に戻る。
カルロは歯痒さをを感じ、口元だけに漏れた抗議の念をフェデリコの背中に送った。




