船内の様子2
その後、波も大人しい数日が続き、海上での生活にもある程度慣れ始めたカルロは、船首から海を眺める時間が徐々に増えていった。
マニュアル通りの点検などは体が覚え、朝の体操の後に出港すると、今までのような時間を要さずに行われた。数日の間には特にこれと言った異常もなく、彼は船内では備品の整理などをしながら暇をつぶす余裕があった。
航海も二週目に入ると、海は徐々に激しさを増していく。一週目は殆ど連日出港が出来たのに対し、豪雨や暴風雨が原因で、出航を見送らざるを得ない日が二日ほど続く。その後、風向が次々に変わり、帆を下ろしての航行が五日間続き、それが原因で、五日間のうち三日目以降は海上で夜を明かすことになった。
幸い、予備の食料はウネッザを出港する時点で用意してあったため、補給のために何日か寄港できない日が続いても問題なく腹を満たすことが出来る。カルロも、保存の利く干し肉と黒パンを齧りながら点検に出ることが続く。その間、船体の故障はなかったものの、櫂が劣化したために取り換えるといった作業が、カルロに与えられた。
三週目のある日であった。その日は朝から順風であり、波も少ない、穏やかな日であった。カルロは朝の体操を終えると、出航前の点検をしたのち、船に乗り込む。食料の補給をし、重量の調整も済むと、船は早速帆を上げて出港した。
カルロは日が真上に来る前に内部からの点検を終え、マニュアルに添えられた船上での主要な病気の一覧を目で追いかけていた。カルロがそうしていると、船を追いかけるように暗雲が空を覆い始めた。
カルロは自分の頭上が薄暗くなって初めてそれに気づき、空を見上げた。
彼は飛び上がり、船長に空の様子を伝えた船員がカルロの肩を叩き、駆け下りていく。カルロもそれを追いかけ、上甲板に人がいないことを確認し、下甲板に降りていく。船長は船尾楼で舵を取り控えていたが、それ以外の船員は多くが下甲板にいた。船首楼から様子を窺う船員が叫ぶと、ざあ、っと激しい雨の音がし始めた。雨は海上に大きな波紋を作り、黒々とした海は波打ち始める。既に水面から引き揚げられた櫂はしまい込まれ、両舷がしっかりと閉められると、船内は闇に包まれた。
闇の中では巨大な雨の打ち付ける音がよく響く。船をガタガタと揺らす音と共に、畳んだ帆を回収した船員たちが中に避難をする足音が頭上を駆け抜ける。
櫂を出す窓が閉められてもなお、蝶番が荒れ狂う。しっかりと固定されてなお風が吹くたびに震える窓は、深淵の中蹲るカルロに恐怖を与えた。
暫く暴風の中漂う船が漂っていると、前方の窓の蝶番が悲鳴を上げる。ガタガタと鳴る音は徐々に激しさを増し、遂に鍵が外れて吹き飛んだ。
「窓が外れました!」
席に着いていた船員が叫ぶ。カルロは突然射しこんだ光を見て立ち上がり、船倉の工具箱と材木を取る。通り過ぎる際に開いた窓から流れ込む風と共に、雨が侵入する。船員は手でそれを防ぐが、そのほとんどは彼の顔に当たり続けた。
カルロが道具を持ち戻ると、船員が落ちた窓を拾い上げて風除けに利用する姿を見ることが出来た。
「お待たせしました!」
カルロは急いで工具を取り出し、応急措置を施す。既に船員の腕は水浸しになり、床にも滴り落ちる雨水が侵入していた。カルロは急ぎ木材で窓を塞ぐと、次に蝶番を取り付ける。念のために麻紐を括り付けることで鍵を補強し、他の窓も同様に作業をこなした。
どれほど長い時間が経ったかは定かでないが、風雨が弱まり始める。船首楼から監視の船員が叫んだ。
「空が晴れてきました!」
カルロは安堵の息を吐き、項垂れる。船員たちもハイタッチなどをして互いを労いあい、船内は小さな笑い声で包まれた。
カルロは、船員と共に水浸しになった船内の清掃を行い、船長の指示を待つ。結果的には窓の破損が三つ、雨漏りの補修を1か所修復するだけで事は終了し、カルロも何とか体面を保つことが出来た。
「あぁ、凄い嵐だったな……」
「一度の航海でこれだけの嵐に会えるなら、ちょっとした幸運ってもんだ。まぁ、俺達はそのおかげでよく水浸しになってるんだがな」
最後尾の船員がカルロを労うついでに話しかける。カルロは疲れた笑みで返す。
「もうこりごりです」
「ははは、何だよ度胸がないなぁ!」
船員は豪快に笑う。彼らは過ぎ去った嵐に対して大声で冗談を言いながら大きな口を開けて笑う。カルロはそれを見ると、ひとまず安堵のため息を吐いた。
「うわ、何だこれ、びしゃびしゃじゃん!」
フェデリコが甲板を踏んだ足を持ち上げる。カルロは何とか生き残ることのできた事実に感謝するとともに、嵐は二度と御免だと、強く心に刻み付けた。
「波、おさまりました!」
「麻ひもを解いてください、オール出せますよ」
カルロが叫ぶと、太鼓がそれに従い合図を出す。船員たちは一斉に麻ひもを取り、カルロに手渡していくと、長いオールを外に突き出す。船長からの合図に太鼓の音が響くと、船員たちは何事もなかったかのように船を漕ぎ始めた。
その日は、結局殆ど船を進めることなく、最寄りの寄港地で過ごすことになった。




