船内の様子1
カルロは始め、甲板で櫂を漕ぐ様子を常に監視することを余儀なくされた。ガレー船は帆船と異なり、主な動力が人力によるので、その様子は彼の目には異様に映った。
三人の男が長い木の腰掛に座り、左右に伸びる長い櫂を、タイミングを合わせて漕ぎ進める。騒々しい太鼓の音と、息の合った櫂を漕ぐ様は芸術的と言えるもので、左舷と右舷の櫂が殆ど狂いなく円を作る。定期的に漕ぐ人間が入れ替わり、速度を落とさずに進むことが出来た。
また、上甲板の船楼に移ると、左舷と右舷双方に漕ぎ手が櫂を持ち、合計で三段の漕ぎ手が櫂を動かす。それらの漕ぎ手は非常に上手に櫂を漕ぐタイミングをずらしながら漕ぎ、更なる動力として働いた。
上甲板に戻ると、帆船よりやや背の低い帆柱が立つ。ガレー船と言えども順風の際には帆を張り移動する方がはるかに効率がよく、多くの人員を要するガレー船であっても、その余力を残すことが出来る帆は重要な役割を持つ。
一方で、帆船と異なり、幅の広いガレー船には多数の人員を要するために食糧の備蓄は少なく、また、睡眠をとることのできるスペースがない。その点、長期航海に向かないというデメリットがあるものの、帆船以上の瞬間的な機動力や、人員の多さが戦力に直結するため、結果的には軍用船としての役割を持つ。
砲口は必然的に少なく、場合によってはないものの、カルロの乗船するガレーには巨大な重火砲を船首楼に備え、また、船首は長く尖り、突撃をすることによって敵船を転覆及び沈没させることが出来る。帆船に取り付けられたマスト柱が一角獣であるならば、頑丈な突き出た船首は、さながら近年エストーラの皇帝陛下の特徴として紹介される下唇のようである。帆船よりも横幅が広く底が浅いため、比較的であるが揺れは少なく、安定した乗り心地も特徴である。
(実際に乗ってみるとなんかすごいなぁ……)
カルロは甲板から伸びる櫂を眺めながら、改めて自分の仕事に関心を抱いた。船倉には食料や武器が積み込まれているが、これには船の転覆を防ぐ働きもあるため、カルロは異常のないことを確認すると、さっさと上甲板へ上がった。
カルロは船首楼に向かう。船首楼は前方の安全確認のための船員が二人おり、火砲が前方に向いて備えられている。
(そうか、左舷と右舷が使えないから……)
船首に集中した火砲は三つあるが、それらは固定されて敵船を前方に捉えなければほとんど役に立ちそうにない。
カルロは前回の鉄の船を思い出す。左舷と右舷に完璧な砲門を複数持ち、巨大な白い帆を掲げるそれは、巨大かつ強力で、余りにも威圧的であり、多くのガレー船を水底に沈めてしまった。
彼は前方にずらりと並ぶ火砲から海に目を凝らす。その視野は余りにも狭く、どの様な帆船よりも揺るぎなく青を取り換えていく。
(ガレー船の時代は、もうすぐ終わるのかな……)
余りにも安定した航行をするこの船は、どの様な帆船よりも両翼を一杯に広げて動く。カルロは静かに目を凝らしたが、水平線の向こうには何も見えなかった。彼は踵を返し、船尾へと向かった。
船尾には舵が取り付けられており、操舵手、この場合には船長が自在にその方向を変える。船尾に置かれる舵は真っすぐに海に射しこまれ、その左右対称の流線形をした羽を自在に動かしていた。
カルロは屈み込み、舵の動きをじっと観察する。船長が舵を左に取ると、船体は右折する。反対に、船長が舵を右に取ると、船体は左折した。
カルロが感心しながら舵取りを見ているさまを見て、船長は不思議そうに首を傾げる。カルロにとっての新鮮さは、彼らにとっては日常的でつまらないものであったらしい。
カルロが舵を観察していると、先程とは風向きが変わった。船長は微妙な風向きを確実に把握しながら、出来る限り船が前進するように舵をとる。
カルロの船内での一日は、概ねこのような作業の連続であった。
「あぁー、疲れたぁー!」
初日の航海は問題なく進んだ。途中順風を掴んだために、彼らの航海は相当に順調に進み、櫂を漕ぐ船員たちも余裕綽々として寄港地に上陸した。カルロは彼らが上陸した後に再び船の点検を行い、上陸後も外部の点検を行った。
カルロが点検を終え、船長に報告すると、船員たちも伸びをして港で自由に食事を摂る。荒波に攫われることもない航海は大層快適であったらしく、彼らは鼻歌交じりに酒場へ消えて行った。
一方、カルロにはもう一つの重要な仕事が残っていた。カルロは船の前で待機し、カウレスとメルクを見つけると頭を下げた。
「おーう、カルロ!大丈夫だったか?」
メルクは楽しそうに手を振る。カルロも顔を上げ、肩の高さに挙げた右手を振った。
「何とか問題なく航行できました……」
カルロは疲れた表情をみせる。メルクは楽しそうに笑う。
「急に波や風が強くなると穴から進水したりするから気を付けるんだぞ?」
メルクは指先で風のジェスチャーを作る。カルロは笑顔で返した。
「はい。今日は順風で波も少なくてよかったですね」
「本当にな。あ、そうだ、外装と内装の点検はしたか?」
「はい、大丈夫です。問題ありませんでした」
「舵とか結構壊れたりするから、気を付けてくれよ」
カウレスが補足する。彼は右手をポケットに入れ、チップを数えるように手を動かしている。
「はい。有難う御座います……」
カルロが不思議そうに手の動きを見るのに気付き、カウレスは恥ずかしそうにポケットから手を出す。その手は、綺麗な球形をした小石を掴んでいた。カルロはそのどこか子供のような趣味に、思わず顔を綻ばせた。
「じゃあ、今日は解散でいいな」
「お疲れ様でした!」
空は薄闇が張り付けられ、三人は警備のために船に残った船員に挨拶をした後、埠頭を歩く。船は彼らの背中に優しい影を落としながら、ゆっくりと遠ざかっていった。




