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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第六章 大国の狭間で
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揺らぐ青雲3

 ダンドロ邸の開かずの間が開かれる。そこは、最上階の北にある、最も重厚な鉄扉二つで守られた、外の光の入らない会議室である。そこには暖炉と机、椅子と微量の保存食があるだけで、他の物は一切見られない。また、見られたとしても、完全なる闇に包まれたその場所では、視認できない。


「少し居心地は悪いと思うが、ここで話をしよう」


 ピアッツァの冷たい言葉が響く。ピアッツァの持ち寄ったカンテラによって、カルロはやっと内装を確認することが出来た。


「……なんだ、ここ……」


 カルロは床に血糊で描かれた法陣に既視感を覚え、身震いする。カルロは勿論、エンリコですら解読できない文字の羅列のようなものが描かれたそれの中には、砕かれた骸骨が置かれていた。


「外の世界からの悪魔の召喚は、どの国も躍起になって行う事だ。際限なく、そのための贄を使うだろう。牛や羊も試したようだけど、応じなかったみたいだね」


 チコは骨を踏み砕き、椅子を引く。カルロの攻めるような視線に対して、チコは再度骨を踏み砕いた。


「もしも、君が彼への追悼の意を示したいのならば、その骨を砕いてやるべきだ。死は心地よく、生よりも勝るものぞ」


 チコはカルロに首で指図する。カルロは舌打ちをして、指示を無視して席に着いた。チコは首を傾けながらカルロを見届ける。


「父上、何故、ここなのですか?重要な話であれば会議室で……」


 エンリコはピアッツァが着席するのを待ち、振り返る。ピアッツァはその対応に満足したのか、チコの前に腰かけた。暗い室内を照らすカンテラの炎は重厚な鉄の扉の音と共に、隔絶される。エンリコは冷たい下座に腰かけた。


「十人委員会にも見せるべきではない事実がある、それだけの事だ」


「それほどの一大事が起こっているというのですか?」


「そうですね、僕達の見逃したものが、この世界を歪めてしまうかもしれません」


 深淵から声が響く。カルロは背後に気配を感じ、振り返った。

 整えられた白髪、深淵に爛々と輝く深紅の瞳が暗闇では異様に目立つ。血糊の法陣の中には、どろどろの死骸たちを仕えたビフロンスが、膝を抱えて座り込んでいた。

 ビフロンスは唖然とするカルロに小さく微笑みかけると、骸骨の破片を拾い上げ、静かに立ち上がる。彼は空間を歪ませ、銀の杯を取り出す。解読不能な言葉の羅列とともに、骸骨を銀の杯に入れると、静かに祈りを捧げた。


「カルロ様、お気持ちはとても嬉しいのですが、彼の思いも汲んであげてください。彼は永遠の中で生きるよりは、チコ様の仰る通り心地よい死を選ぶはずです。……貴方もいつか死ぬのですから。生は、死があってこそなのですから……」


 チコはビフロンスに手を挙げる。ビフロンスは恭しく頭を下げ、エンリコの隣、扉の目前に座った。

 エンリコは驚きを隠せずに彼を見て席を譲ろうとするが、ビフロンスはそれを制止する。


「悪魔が関与しているってことは……」


 カルロが呟く。ビフロンスは頷いた。


「えぇ。メフィストです。アーカテニアには、間違いなくあの悪魔がおります」


「……悪魔、と来たか。整理が追い付かないな、くそ……」


 エンリコは頭を抱え、自嘲気味に笑う。チコは埃にむせ返りながら、ピアッツァに目配せする。ピアッツァは空席に視線を逸らした。


「フェデリコは巻き込みたくないのだ……どうかチコ先生、ご理解ください」


「そうかい、君がそうしたいならばそうするがいいよ」


 チコは肘をついて視線を逸らす。血糊の法陣の中にあった死骸たちはゆっくりと動きながら、各人の背後に着く。死臭が部屋に充満し、カルロは口を覆った。


「あの、何が起こるんですか?」


 ピアッツァは手でビフロンスを制止して、咳払いをする。その低くよく響く声で答えた。


「率直に言おう。ウネッザは間もなく包囲される」


「包囲って、またですか!?」


 カルロが悲鳴のような声を上げる。


「補足するとね、所謂ジロードの包囲戦法とは違う。ウネッザだけでなく、ジロードを含めた交易路を完全に包囲する。オマーンの交易路を断ち、恐らく西へ抜けるルートもアーカテニア直々に包囲するだろう」


「物価の急上昇の報せを受けてすぐ、秘密裏に十人委員会は動いている。このままでは私達だけではなく、海商国家全体が崩壊し、アーカテニアが海の支配者となる」


「では、父上。異教徒との連絡はついているのですか?」


 エンリコは冷静に訊ねる。ピアッツァはやや躊躇いがちに頷いた。


「ジロードには、伝えているのですか……?」


 ピアッツァは、首を横に振った。カルロが前のめりになる。チコはカルロの頭を小突き、手をそのままに椅子に押さえつけた。


「……今回は、やれ教会が、やれ異教徒が、やれウネッザだ、やれジロードだ、などと言っていられないのだ……。アーカテニアの野望は、いや、いつかは我々も歴史から消えるだろうが、その直前まで、足掻かなければならない。そのための、苦肉の策だ」


 エンリコは目を瞑る。


「父上、外交に誠実さなど不要です」


「……そう言うな。私は、まだジロードとの協力もあきらめてはいない。今後を考えると異教徒には金しか渡せないが、ジロードにはそうではないだろう」


「……僕が口出しをすることではないことはわかっていますが、世の中はそれほど甘くないことは、貴方もよくわかっているはずです」


 エンリコの言葉はいつになく冷たい。その言葉は、暗にジロードを完全に切って異教徒との交流を深めるべきだ、という強い意志が込められていた。チコは笑いをこらえるように肩を震わせる。一同の視線がチコに集まった。


「いやぁ、ダンドロ一族は本当に個性豊かで可愛いなぁ、と思ってね」


「一体何がおかしいのですか?チコ先生の感情は常軌を逸している」


 エンリコは眉を持ち上げる。チコはさらにおかしそうに笑った。冷たい鉄の扉に響きそうなほど大きな声は、部屋中を反響する。


「確かにね。ウネッザはもとより禁輸を破ってでも売り渡る、商魂の逞しい国だ。教会の対立があるから、これをうまく利用すれば交易によって生き残ることはできるかもしれない。ジロードを切る覚悟も結構。優秀な子だ。しかし、優秀なことは必ずしも最善の解を見出さない」


 チコは身振り手振りを交えてエンリコに話し続ける。エンリコはこめかみを抑え、チコの言葉の端々を吟味する。そして、意を決してチコを見る。


「チコ先生、どうか教えていただけませんか。最善の策か否かは、僕が考えたいのです」


 チコは意外そうに口を開くと、満足げな笑みを浮かべた。


「本当によくできた子だ。コボルトの生まれ変わりなんじゃないか?まぁ、それは置いておいて。端的に言えば、このまま包囲されると、ウネッザは持たない、という事だ。そもそも、アーカテニアは西の出口を抑えている。そして、東の出口も抑え込もうとしている。西は工夫するまでもなく、交易の妨害は容易いだろう。東西からの収入を圧迫されたウネッザは、異教徒の抵抗が長引けば長引くほど、窮地に追いやられる。仮に東が開放されても、アーカテニアにはまだ軍隊が残っているのだから、ウネッザまで侵攻するのも時間の問題だろう。で、あれば、ジロードは盾として役に立ってもらわなければならない。東に金を流し、ジロードという盾とウネッザという鉾を以て、アーカテニアに制圧を『諦めさせる』。これが、最高のシナリオだ。そして、そうでなければどのみちウネッザに未来はないだろうね。満身創痍で西をねじ開けても、後に待っているのは禁輸の刑だ。その時まで、ウネッザに金貨は残っているだろうか?私の見立てでは、異教徒は勿論、ジロードと共闘しなければ国力も違いすぎるだろうし、手遅れになるだろう。質問は?」


 エンリコは眉間を押す。苦しそうに唸り声を上げながら、遂に肩を落とした。


「……ジロードと共闘など、この状況ではできようもないのに。そうするしかないのか……」


「無理、かもしれないね。でもそうなったら、仲良く海の藻屑になるさ。それは歴史が決めたこと。あ、神の仰せの通りに、なんてね」


 チコはおどけてみせた。無論、笑っているのはチコだけであった。


「……外交の事は、僕達悪魔には干渉できません。しかし、こちらの事情はこちらの責任として解決する義務があります。できる限りの協力はさせてください」


 ビフロンスは最後に付け加える。その後、カルロを置いて閉鎖された会議室で行われたのは、ジロードと、東方を納得させるための詭弁の口論であった。

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