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造船物語 アルセナーレにようこそ!  作者: 民間人。
第六章 大国の狭間で
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男装の少女3

 聖マッキオ教会の主宰神である神代の巡礼者、聖マッキオのカンテラには彼の遺骨とされるものが納められている。

 礼拝堂は今まさに片付けの最中であり、机上に残された聖典を机の下の棚に戻す神父たちは聖マッキオの遺骨に向かうたびに簡易の礼をし、床、教壇は勿論、柱まで丁寧に掃除されていた。

 くまなく掃除された礼拝堂のステンドグラスは外部からの光を受けて床に色を落とし、その荘厳さを演出する。


 カルロは教会の床の端に安置された、脚と夜空を描いた棺の前で祈りを捧げる。ナターシャはその不気味に思える絵に狼狽えつつも、カルロと同様に手を合わせた。カルロは素早く切り替え、マッキオ教会への心ばかりの寄付を済ませると、ナターシャが逃げないように手を握りながら、教会を出た。


 マッキオ広場は普段のウネッザとは比べ物にならない程閑散としており、祈りの日の礼拝を終えた人間たちを捕まえていた屋台もホクホク顔で店じまいをする。

 久しぶりの直射日光に、ナターシャは目を細める。快晴のウネッザは湿度も高く、カルロは軽く汗ばみながら額を拭い、ナターシャの手を引く。ナターシャはやや遅れてカルロの引く手に従い、街路に入っていった。


 細い街路を抜けて市場に出ると、カルロは立ち止まり、周囲を見回した。

 そこには、普段のウネッザと比べて閑散とした街並みが広がる。人の往来は疎らであり、市場の店舗はいずれも店を閉めている。幾つかの屋台が食堂代わりとなって住民の憩いの場の役を担っていた。

 夫妻で穏やかな昼下がりを楽しむ一行や、家族連れが静かに食事を楽しむ。その代わり、夜の食堂特有の酒と汗くさい男同士の賑わいは少ない。但し、親子ほど年の離れた男が酒を酌み交わし、木の皿がぶつかる音で腹を抱えて笑う姿もあった。

 どこかカーニヴァルを思わせる牧歌的な町の賑わいの中を、カルロはナターシャの手を引きながら歩く。そして、彼は老婆と若い女の後姿を認めると、そのもとに近寄った。


「お、いたいた!チコ先生!モイラ婆さん!」


 機嫌よく酒を飲んでいたチコは思わず吐き出し、むせ返った。モイラは片手でチコの背中を摩りながら素早く布巾を手に取り、飛び散った酒を拭う。店主は迷惑そうに眉を顰めながら、料理に噴出物が飛ばないように手で防ぐ。チコは手で口を覆い、涙目になりながらカルロを見た。


「ゲェッ!?カルロ君、何故ここに!?」


「ゲェッ!?とは何ですか」


 口だけでなく鼻からも噴出物を漏らすチコの姿を見て、カルロはやや引き攣った笑いを浮かべ、モイラの右に座った。ナターシャは少し遅れて席に着く。カルロは机に肘をつく。


「おっちゃん、俺は水と焼き魚でいいや」


「はいよ。お嬢さんは?」


「煮豚と蒸し芋、あぁ、あとオレンジジュースで」


 カルロが答えると、ナターシャはカルロの関節を外そうとするように強く腕を引く。カルロはその勢いで椅子に手をついた。


「ちょっと、お金ないって!」


 カルロはにやつきながらチコを指さす。チコは鼻をかんだハンカチを仕舞い、手を濯ぐ。彼女は天を仰ぎその手を合わせ、大きなため息を吐いた。


「あー、はいはい。賠償金ってことだろう?全く、誰に似たのやら」


「多分大恩あるチコ先生じゃないですかね」


 ナターシャは少し考えた後、やはり申し訳なさそうにカルロの手を引く。チコは再び大きなため息を吐き、酒を仰ぐ。


「いいよ、好きにしたまえ。ナターシャ君、君はこの食卓で店長に最高の笑顔を見せるか、私に賠償金を払わせるか選びたまえ」


「そういって賠償金を選ばせて、釣銭を渡すって算段ですね」


 カルロが二ヤつきながら言うと、チコは再び酒を吐きかける。彼はすんでのところで飲み込み、荒い呼吸をしながら、カルロを睨んだ。


「こら、カルロ。あまり先生をからかってはいけませんよ」


「そうだそうだ!老人虐待だ―!」


「何が老人だ。そんなぴちぴちした肌の老人がいてたまるか」


 カルロとチコは楽しそうに口論を始める。モイラはくすくすと笑いながら、膝の上に手を合わせる。ナターシャは、黙ってその姿を見つめていた。


 風が吹く。家々の間を縫って吹き抜ける風は心地よく肌を撫で、日陰になった屋台には穏やかな笑いが響き渡る。酌み交わす酒とぶつかる木製コップの小気味好い音、間断なく、小さな歩調で流れる時間に、蒸し風呂の暑さが漂う。


「……あ……れ……」


 ナターシャは細い声を震わせる。吹き抜ける風にかき消されそうな声は、カルロとチコの問答を中断させる。震えた声は震える唇から、震える唇は耐え難い嗚咽を漏らす。頬を伝う涙は震える瞳から溢れ、風と風の隙間を伝い、彼女の服の上に零れ落ちる。

 カルロは穏やかな微笑を浮かべた。


「お前は、ちゃんといい奴だから。掃除もできるし、楽しく笑いあうことだってできる。強がることも大事だが、無理に強がるな。お前は努力すれば、ちゃんといい奴らしく幸せになれる」


 頬を伝う涙と震える唇は慟哭となる。風の間を抜ける声は周囲の穏やかな笑みを一瞬かき消し、その上に優しい笑い声が上乗せされる。ナターシャの前には、煮豚、蒸し芋、オレンジジュース、小さなパンが添えられた。

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