エンリコ・ダンドロという男5
静謐を取り戻した会議室の生けられた花が騒めきに応じて崩れ、花瓶の縁を擦れていた。あからさまな動揺に喘ぐ支部の人々は、食い入るように父の唇に注目する。
カーテンレースが揺れ、テーブルクロスはくしゃりと鷲掴みにされる。ペアリスの支部長が、歯ぎしりをし、苦しそうに表情をゆがめた。
父は深く息を吸い込み、悍ましい低い声で沈殿する空気を揺らし始めた。
「御存じの通り、アーカテニアはカペルのさらに西、ウネッザからは真西にある、肥沃で巨大な領土を持つ、新興の王国です。アーカテニアを治めるはエストーラの皇帝と血を分ける弟君、サー・フェリペ、彼はアーカテニア統一と同時に、長らく中断していた新航路開拓に乗り出しました。
大洋を沿うように大回りし、直接東方の商人達と契りを交わす。先日、この尊大ともいえる挑戦を達成させたのです。そこで、さしあたっては皆さまのご意見を頂きながら、我がダンドロ商会の舵取りを決めよう、というのが本会議最大の論点となります」
過呼吸気味のペアリス支部長が手を挙げる。ダンドロ一族に次ぐ最高権力者の彼に、全ての視線が集まった。彼は深呼吸をして呼吸を整えると、腹につっかえたような、息苦しそうな声を上げた。
「アーカテニアの船は、どれくらいの期間で東方に到達するのでしょうか?私達はウネッザを介した交易を続けることが出来ると思われますか?」
誰もが息を呑んだ。仮にウネッザ経由の航路よりも遥かに速く到達できるのならば、中間コストの少ない彼らに後れを取る事は確実と言える。注目しない方が難しいといわざるを得ない。
「詳細は追って情報が入ることと思いますが、片道約3~5か月程度と推察されます。我々の航路は片道1~3か月程度であり、安全性やコストの面を考えると、現状では、新航路は商業利用の難しい航路であるといえます」
「今後新航路の安全性・コストの改善がなされれば、十分に利用されうる、という解釈でよろしいでしょうか?」
カペルの支部長が訊ねると、父は頷く。
僕はメモを取りながら、絶句し青ざめる各地の代表者たちを見回す。余裕綽々と妻への土産物を考えていた男達は、鞭打ち巡業者の背中ほども強張った表情で騒めく。耳が痛くなるほどの雑多な意見交換を切り裂く様に手を挙げたのは、新進気鋭のプロアニア・ハンズ支部長であった。彼は恐怖におののく人々の苦渋の表情をものともせずに、沈着冷静に話し始めた。
「大変なことになっていますね。私見で申し訳ないのですが、内陸交易の充実こそが我が商会の次なる課題と理解します。我々ハンズ支部としても、北方商人への香辛料取引に影響が生じそうです。
しかし、カペル向けの商材は胡椒や白檀だけではなく、刺繍製品の輸出などもございます。暫くはこれまで通りの商売を行えるでしょう。ウネッザが仮に行うのであれば、新たな船舶の開発への投資でしょう。
そして、カペルのやるべきことはアーカテニアへの脈づくり、というのも、陸続きの地ですから、緻密な網のある我が商会の強みは活かせないことはありませんから、必ず、そちらの手綱を掴む努力をするべきです。
そして、我々ハンズには毛皮が御座います。貂、灰色狼、一角獣の皮に、コボルト奴隷もございます。アーカテニアの垂涎の逸品もございましょう。調達も安定しておりますので、今後は北方中心の舵取りも視野に入れるべきでしょう」
一気に騒めきが蘇る。ハンザ支部長の言葉は、内地の者達に幾ばくかの勇気を与えたらしく、先程の悲観的な色のあるざわめきと比較すると、建設的かつ冷静なざわめきに変わっていた。
早めに流通網を完成させることは僕や父の長年の取り組みであったが、結果的には商会そのものの維持に貢献したといえるだろう。
しかし、問題はそこではないことは、寧ろ貢献者である僕達が一番理解していた。
「ウネッザはどうなさるのですか?」
一人が僕に意見を求める。僕は努めて笑顔を作り、頷いた。
「お答えします。恐らく、暫くは現状維持を続けることになると思います。向こう数年間は、その影響は少ないと考えられるためです。ですが、ゆくゆくは異教徒との交易の中で、特に宝飾品に力を入れることになるでしょう。ウネッザは加工業が盛んであることからも、こうした加工商品の輸出こそが鍵を握ることとなります。香辛料から主力商品の変更を行うためには、皆様のご協力も不可欠です。どうか、宜しくお願い致します」
僕は立ち上がり、深く頭を下げた。やはり疎らな拍手が飛ぶ。僕は疎らな拍手だけを強く意識しながら、作り笑いをした。そして、彼らの拍手が止むと同時に、議場には新たな沈黙が生まれる。
「皆様、何かご意見、ご質問等ございますか?ないようでしたら、一旦まとめに移り、休憩の具体的な経営計画について議論を纏めたいと思います」
手を挙げる者はなかった。そして、彼らの僕に対する視線が、明らかに冷ややかなものに変わったことを、肌で感じた。
僕は苦しい笑みを浮かべたまま、午後の会議の司会も続けた。およそ内容がない、ぼんやりとした経営計画会議は、前半の会議よりもいくらかスムーズに進められた。




