最終話
◆◇◆
深い鈍色の空を隠す天蓋となるように浮かぶ時計盤、は精緻を極め決して崩れることのない時を刻み続ける。
長針が階段を一段上がるかのように、ガコンと気だるげな音を経てまた一つ時を刻む。
「レイ・ドールが……」
空に浮かぶ決して人智及ぶことのできない時計盤から、自らの足で立つ大地へと視線を下ろした誰かが一言そう呟いた。
運搬する者達の愛機であり、農耕作業の仕事道具であり、戦場を駆け巡る兵器であり、海を行く者たちの船である、この世に溢れた幾多ものレイ・ドール達がその駆動をやめ、静謐な時を創り出す。
世界が静寂に包まれ、ただ時計の音だけが、より重たく、何かの訪れを予感させる胎動のように狂いない時を音と共に刻み続ける。
◆◇◆
「お疲れ」
リンダラッドは画面の向こうに映り微動だにせず、光を失い応えることのない蒼白のオリジンに向かって呟いてみせた。
指先一つ満足に動かすことができず、悔しさから歯を軋ませながらも、遠のく意識を引き留めることのできなかったジールの姿がありありと浮かぶ。そこに労いの言葉を送るリンダラッドにリビアは目を丸くしてみせた。
「あれ!? お、お嬢様? さっきまでどこにいたんですか?」
「ちょっとジールのところに。僕もこれでもオリジンのライダーだからね。この空間内で多少の融通はきくみたい。と言うか体がないぶんだけ他の人たちよりも身軽に移動できるみたい」
にこりと笑ったリンダラッドは何事もないかのように崩れることのない無垢な笑みを浮かべその場で宙に浮きあがり体を回転させてみた。
重力と切り離されたリンダラッドの動きを前にリビアは安堵の息をこぼす。
「ジール……勝てたけど、動けなくなっちゃったね」
「そそ、そうよ! あんたがやられちゃったら誰がお嬢様を護るのよっ!!」
声が届かないことなど百も承知だがリビアの叱咤にも、悲鳴にも近い声があがる。
この状況下でリンダラッドを助けるビジョンなどたった一つしか思い浮かばない。それは『ジールが全てをなぎ倒しハッピーエンド!!』などという安直なものだ。
そして今、映像の向こうで動かなくなったジールの姿が一縷の希望の糸を音を立てて引き千切る。
「なんとかなるでしょ」
「なんとかって……このままじゃお嬢様が犠牲になってしまうんですよ!」
触れることすら出来ないリンダラッドの余裕の笑みに対してリビアは泣きつくような声をこぼす。
目と鼻の先にいるにもかかわらず触れることのできない存在。
オリジンを駆使する五人のライダー。そのうちの一人の願いだけを叶えることができる。その代償に他の四人のライダーの命とオリジン、そしてリンダラッドの命を贄に捧げることによって。
「さすが高潔のライダーですね。あの赤銅のオリジンに勝っちゃうなんて。げふぅ」
焦燥感に駆られるリビアとはまるで逆に暢気な声をこぼして、どこからともなく取り出した新しい酒をシャーロは喉を鳴らして飲む。
「あんた!」
「はい?」
座り込んで見物人の体が堂に入ったシャーロの胸倉をリビアは掴むと、か細い腕からは想像もできない膂力で立ち上がらせる。
「あ~あ……せっかくのお酒がもったいないですね」
平面世界に音を立てて転がる酒瓶の注ぎ口から琥珀の酒がこぼれていく。シャーロは嘆声な顔立ちに似合わない真摯を欠いた笑みが浮かべたまま悲しんでみせる。
その悲しみも声だけであり、その表情はどこまでも緊張感のない弛緩しきっただらしのないものだ。
「あんたが他のオリジンをやっつけてお嬢様を救いなさいよ! それか私にそのオリジンを寄越しなさいよ! 私がお嬢様を救うわ!!」
シャーロを睨みリビアの眼は剣呑としたものであり、鬼気迫るものがある。
「はい。どうぞ」
「えっ?」
決して手放さず抱えてきた聖書をシャーロは無造作に開く。栞のごとく挟まれた万緑のオリジンが輝くレイ・カードを何の躊躇いもなくリビアに差し出す。
思いもよらないシャーロの行動にリビアだけでなく輪蔵やテアの目まで驚愕に満ち丸くなる。
「ですけどあなた方にレロンは使えませんよ」
「そ、そんなのやってみなくちゃわからないでしょ!!」
差し出されたレイ・カードを奪うように手に取ったリビアはそれを天に翳す。
「これでも私だってライダーなんだから! 言うことを聞けええええぇ!!!」
翳したレイ・カードは睨みつけたリビアは額に血管を浮かべ腹の奥底からオリジンの名を呼びつける。
この場でオリジンを呼び出すことが出来なければそれは紛れもなくリンダラッドの死を意味している。焦燥と不安だけが胸中に渦巻く。
「……」
呼び声に対してうんともすんとも応える様子はなく、ただ静寂だけが声を。
「なんで動かないのよ! 動きなさいよ!! 私の全てを代償にしたって構わないから!」
リビアは持ったカードを必死に振るうが万緑のオリジンはその呼びかけに応えることはなくただ沈黙を貫いている。
「それ! それ! 動きなさいって!! なんで動かないのよ──」
「ほらね」
「あっ──」
喚き立て掲げたカードを振るうリビアの横にわかりきっていたかのようシャーロは寄り添うと、そっと手を重ねるようにレイ・カードを握る。
「この世の中は白と黒。それに三大色と呼ばれる青、赤、黄の五色で全ての色が表現できます」
レイ・カードを握ったままシャーロは柔和な笑みを浮かべ訥々と語る。
「他の色は全てそれら五色が混じり合ったもの。そしてその五色に属さない色にしてオリジンに選ばれたレイ。欲や望み、信条がないこそ使えるレロンの、万緑の力。
何があろうと世はすべてこともなしこそがレロンであり、私です。余裕を失ってるあなた方では彼を扱うことはできませんよ。レロン」
笑みを浮かべたシャーロから万緑の輝きがレイ・カードへと伝わる。その優しき輝きは周囲から焦燥を奪う。
放たれる万緑の輝きから現れたのは二対四本の腕それぞれに錫杖を握り、鈴の音を響かす万緑のオリジン、レロンが顕現する。
間近で初めて見上げることになったその姿にリビアだけでなく輪蔵までもがただ見惚れる。
高潔なる意思を持つ蒼白のオリジンとも、尽きることのない憤怒に満たされた赤銅のオリジンとも、無際限の強欲を持つ黄金のオリジンとも、得体の知れない殺意を持つ紫黒のオリジンとも違う。
明鏡止水の境地を体現しているかのように揺らぎ一つない水面のように限りなく透明で触れることのできない万緑を宿している。
「レロン」
囁くよう呼びかけたシャーロに応えるように二対四本の腕に握りこまれた錫杖が揺れるとともに鮮やかな鈴の音が響き渡る。他のオリジンのように意思を放つのではなく、吸い込む。
周りの焦燥、怒り、不安を吸い込み、ただ安らぎを与える。
「落ち着きましたか?」
「…………な、なにしたのよ?」
体に異変はないが、頭のなかで渦巻き、絡まり団子状になっていた感情と思考が紐解かれるかのように主張が小さくなっていく。纏わりつく霧を払われたかのようだ。同時に何かを奪われた違和感が纏わりつく。
「それがシャーロ殿のオリジンでござるか」
柔和な緑青色の輝きを放つオリジンは敵愾心など微塵も見受けられない。
形こそ違えど与えられる印象は輪蔵の知るところの人々を救済に導く『仏』と呼ばれる存在と重なる。
操縦席で酒瓶を握ったシャーロが頷いてみせると鮮やかなマカライトグリーンの髪が揺れる。
「レロンの力で焦りや怒りを取り除いてあげただけです。ほら。さっきよりも落ち着いて考えられるんじゃないですか?」
「……………………そうね。でも解決策が思いつくわけじゃないわ」
「それはもちろん。それでもまだ全てが終わったわけではないですよ」
すっと万緑の双眸が動いた先に立っていたのは、黒のマントを纏い歪んだ笑みを浮かべた二人だ。
「……ヒュウ殿」
「手伝いにいったところで足手纏いにしかなりませんし、足掻くならこの戦いを見た後でも良いんじゃないですか?
興味ありませんか? ヒュウさんの『強欲』とラゼロさんの『絶望』。どっちが強いのか?」
欲しいものには猛獣の如く食らいつく直情径行のヒュウ=ロイマン。そして得体の知れない不気味な空気を纏っている紫黒のオリジンを駆るラゼロ。
「僕は凄く興味があるなあ。
黒のオリジンの力はまだ見たことがないし」
「お嬢様………………」
「それに何とかなるって。
そこの暢気なライダーの言葉を借りるなら……世はすべてこともなしってね」
幼さのまだ残る顔でリンダラッドは白い歯を見せるように口端を持ち上げて満面の笑顔を浮かべてみせた。
諦観の色など微塵もない。碧眼の瞳に宿るはどこまでも尽きることのない好奇心だけだ。
◆◇◆
──『絶望』……
その字を冠された少年が見てきた世界は淀み荒んだものだった。
欲望に隷属した者達が往来する世界は、物語のように小鳥が歌い緑輝き、笑みが交わり合う美しい世界では決してなかった。
尽きることのない争いの連鎖。人の屍を土台とし勝ち抜いたものが、穢れた欲望を土壌とし凄惨たる歴史を紡ぎ、再び争いが訪れるその日まで勝利を詠い、その濁った声で快哉にあげる。
争いの連鎖に際限はない。
一つの争いが二つの火種を生むかのように終わることのない争いの世界に男は辟易とした感情以外のものを抱かなかった。
人の世に尽きぬ欲望によって争いが蔓延るのであればそれは『絶望』と共に人の世に終止符を打つ。
◆◇◆
「フフフ……ハハハ──」
「な、なんだよ!? いきなり笑いだしやがって」
呵々大笑と声を響かすラゼロの暗清色に満たされた瞳が、中膨らみしたバレル型の筒を雑に繋ぎ合わせたレイ式銃を構えたヒュウを見た。
「ハハハ……我ながら驚いたもんだ。ここまで計画通りに謀が進むと抑えきれない笑いの一つもこぼれてしまうもんだな」
空へと映し出された、微動だにすることのない赤銅と蒼白の二体のオリジンを見るなりラゼロは口の両端を持ち上げ笑みを浮かべる。
宵闇の帳に鮮やかに浮かぶ三日月のようにその笑みを前にヒュウは構えたレイ式銃を照準を正す。
銃口が歪な笑みを浮かべたラゼロの額へと向けられた。
「蒼白のオリジンが居ない今、俺の計画に壁はない」
生きている者の生気溢れる喜びの笑みとは違う。人々の本能が忌避することすら厭わない深淵の笑み。
「その顔、気に喰わねえな」
握るレイ式銃へと意図せずに強欲のレイが流れ込んでいく。
「お前が気に入るか気に入らないかなど俺には関係のないことだ。残った二体、万緑と貴様の黄金を俺が手にして輪転機構発動の準備が整う。
俺がこの世界を、この人の時を終わらせる。絶望と共にな」
「そいつは俺様を倒すってことか……ヒヒヒッ! 笑わせるんじゃねえよ! あんなジール如きを不安がる奴が俺様を倒せるかよッ! 叩き壊して俺様の望む世界を作ってやる!
ゴォルドキングゥッ!!」
カードを構え獅子吼をあげるヒュウに応え、天をも穿つ朱金の柱が噴出すると同時に巨大な銃が柱から突き出る。
金無垢の神々しいまでの輝きを放つ巨大な銃口が向けられた先に立つは、黒のマントに身を包んだ紫黒のライダーただ一人だ。
あらゆるものを奪い、暴風の如く猛り狂う朱金の輝きが光弾を練り上げる。
「闘いに卑怯もへったくれもねえ先手必勝だぁっ!」
ヒュウが力強く指で弾き宙へと舞ったレイ式銃弾を、ゴールドキングの巨大な牙でもって噛み砕きヒュウから無尽蔵にレイを吸い上げる。白の空間を染め上げる朱金の光弾が閃光となって駆け抜ける。
「吹き飛ばせ、ゴォォルドキングゥ────────ッッ!!!」
「強欲の黄金か……俺の絶望ではすべてが無力なことを教えてやる」
轟音とともに迫る黄金の光を前にラゼロは懐から枠縁が黒いレイ・カードを再び取り出し構える。
構えられたカードの枠縁から溢れ出る漆黒の闇が生を持ち個をとして動く触手のようにラゼロの全身に纏わりつく。
──世界に絶望を与え、この時を終わらせるぞ。ガーベラ──
黄金の閃光が轟音とともに、ラゼロのカードから生み出された煙のごときそのか細い闇を全て喰らい呑み込む。
◆◇◆
天空において何者にも邪魔されることなく時を刻み続けている時計盤を二つの輝きが侵していく。
一方は見るものの視界を奪うほどに眩い朱金の輝き。そしてもう一方はあらゆる輝きを塗り潰し呑み込む純黒の闇。
その二つが巨大な時計盤を奪い合うかのように二つに割り拮抗する。そして気が付けばそれは時計盤の輝きを映すかのようにレイ・カード、レイ・ドールも漆黒と黄金の輝きによって二分されている。
人々はいまだ何が起きている理解することもできぬまま、ただ時計盤を二つに割る強大な輝きを見つめることしかできないでいた。
「紫黒と黄金。地を作りし六つの輝きのうちの二つ……『木』とは木々を表していたのではなく『輝』を表していたのか」
ただひたすら地平線の果てまで続く草原が一望できる小高い丘の上にこじんまりと立った教会。誰が訪れるかもわからないその扉を開きエドガーは、豊かに蓄えられた自慢の顎鬚を撫でながらため息のように言葉をこぼす。
「お父様……」
平原から丘を駆け上げる風がステラの彼女の前髪を覆うベールを揺らし、下からこぼれる浅紫の髪を揺らす。
二つの輝きによって割られた巨大な時計盤。
一つは深く、端からじわりと染め上げるように侵す、覗き込んでも底が見えない深淵の如き漆黒。
一つは荒々しく猛る、天空を覆う曇天の帳すらも吹き飛ばさんばかりの朱金の輝き。
創世神話のなかに描かれた輝きを前にエドガーは言葉を継ぐことが出来ず、天をも覆う輝きを見つめることしかできない。
「あの黄金……ヒュウさん……」
見間違うことなどない。
神をも恐れず、己だけを信じ、背徳と破壊の道を脇目も振らずに駆け抜ける男の姿がステラにははっきりと見えた。
時計盤でなにが起きてるか。そしてこの世界に何が起きようとしてるかなど知る由もないステラにとってできることは、あの黄金のレイ・ドールを操る傍若無人男の顔を彷彿とさせる黄金の輝きを見つめることだけだ。
◆◇◆
「吹き飛びやがれぇぇぇぇぇぇっっ!!」
幾何学模様を全身に刻んだヒュウの獅子吼に呼応するゴールドキングの掌から百にも及ぶ黄金の武具が生み出される。
尽きることのない無彩限の連撃。空間をどれだけ傷つけようとラゼロが操るガーベラの体を捉えることはできない。
紫黒の機体に纏わりついた闇の衣が飛来する武具を触れる先から呑み込んでいく。柳が風を受けるように流麗としたその闇は決して乱れることなく揺れ佇んでいる。
ガーベラは一歩として動くことなく、ゴールドキングの攻撃を例外なくその闇で包み、呑み込む。
「無駄だ」
ガーベラが手を翳すと同時に闇は広がり巨大な純黒の壁となる。
奥に立つガーベラの姿がまるで見えないなかでゴールドキングが幾百もの武具を構えたまま動きを止める。
「わかるだろ。俺にお前の攻撃が届かないことくらい」
姿こそ巨大な闇に隠れて見えないが、その奥でラゼロの病的に色白な顔の笑みがはっきりと感じ取れる。
「ヒヒヒッ!」
広がる常闇を前にヒュウはにやついた笑み浮かべ黄金に輝く双眸を見開く。
「絶望とか大層なことぬかして自分を守るだけがてめえの力なら、全てを守るあの騎士もどきのほうがよっぽど強いぜ!」
「護る……俺の力がか……ククク……ハハハハッ!」
呵々大笑と呼ぶに相応しいラゼロの笑い声が闇の奥底から聞こえると同時にガーベラの手が闇の帳を貫き裂き、その姿が現れる。
共鳴回路を全身に刻み、純黒の回路が顔を覆ったラゼロの目元に浮かぶ隈がより深く暗澹としたものへと変質していく。
「教えてやる。絶望の本当の力を!
ガーベラ、闇を集めろ」
際限なく広がる極大の闇がガーベラの掌へと収斂していき、黒煙のような闇が次第に形を成していく。
「あれは、あのときの鎌……でござるな」
集いし闇から創り出されたもは、相対する者の肉を骨諸共に切り落とす鋭利な大鎌。
「それがお前の本気ってわけか? 一度負けた武器を握るなんて芸のねえ野郎だ」
「同じものと……思うな」
他の色を一切含むことのない純黒の巨大鎌をガーベラは一振りしてみせた。
風とは別の闇が空間を駆け抜ける。
「ヒュウ殿っ!」
「っとぉ!?」
振り下ろされた漆黒の鎌から放たれ、空間を疾駆し迫る闇の波動をヒュウは反射的にかわす。
駆け抜けた波動は漆黒の線となり凹凸のない平面空間に刻まれる。射線上に転がるゴールドキングの生み出した幾百の武具を呑み込む……否、呑み込むと表すは正確なところではない。触れた部分のみがただ欠片も残さず消滅している。
「ほー……掃除にはずいぶんと便利な力だな。そいじゃこいつも綺麗にしてくれよ」
ゴールドキングはおもむろに持っていた幾多の武具を地面に転がす。
「全ての感情を絶つことこそが俺のレイであり絶望だ。そして絶望の本当の力を貴様に見せてやる。感情によって生まれるレイの全てを消し去る俺の絶望を」
大鎌の一振りに応じて立体感がまるでない純白の世界を穢すように闇が大きく舞う。
「何らさっきと変わりねえじゃねえか。闇を吹き飛ばせっ! ゴールドキングゥ」
ヒュウの声に応じると同時にゴールドキングが容赦なくレイを吸い上げ、尽きることのない武具を生み出し、それを縦横無尽に投げつける。
ヒュウの全身に刻み込まれたグリスフが枝分かれを起こすかのように更に細分化していく。
吸い出されるレイが更に増すことにオリジンが適応するかのように黄金にして一対二本の腕を背から生やす。
「でりゃあぁぁぁぁっっっっっ!!!」
姿の変化に伴いヒュウが叫び放たれる絶え間ない光弾。大地を抉り、大気を穿ち、衝撃を纏いて駆け抜ける。
「ガーベラ、決して未来訪れることのないこの無駄な茶番を終わらせる」
如何なる連撃もラゼロの目前に聳え立つ闇が消滅させる。なんら感情も起伏もない言葉が血の気の無い唇を動かして紡がれる。
「黄金を侵せ、俺の絶望よ」
──ズッ……
「嘘……」
「ほんまかいな……」
「ヒュウ殿!?」
闇から突然這い出たガーベラは、三日月を想起させる湾曲した漆黒の刃が音もなくヒュウの体をそしてゴールドキングを中央から刺し貫く。
およそ輪蔵達がその状況を理解するまでに一拍の遅れがあり、理解したと同時に歯の根が合わなくなる。目の前に映る現実を脳が受け入れることができないリビア達を前に、禍々しい漆黒の大鎌がヒュウをそしてゴールドキングを刺し貫き背面から突き出てくる。
黄金の輝きが瞬く間に黒へと侵され、その輝きを失う。
力はない。ただゆっくりと、力も籠めずその刃はヒュウの体の肉の更に奥へと喰い込んでいく。
「て、てめえ──」
派手に体に突き刺さった刃を手で挟み込むようにしてヒュウが睨む。
次第に漆黒へと侵されていく黄金の共鳴回路を刻んだヒュウは燃え盛るような強欲の象徴である黄金のレイを眼に宿す。
「闇ニ喰ワレロ」
巨大な大鎌が引き抜かれたとき、怒りに染まったヒュウが容赦なく縦に真っ二つとなり、黄金を迸らせた体は漆黒に染まった操縦席へと倒れると共に闇へと沈む。
◆◇◆
「黒が……」
その異変に誰もが気が付く。
レイ・カードを割った二つの輝き。
時間にしてどれだけ経っただろうか。誰一人として正確な時間を測ることを忘れその輝きに見惚れていた。
黄金と漆黒。
決して相容れず拮抗しあう二つの輝き。
そして今、黄金が漆黒へと呑まれ消えていく。
空を見上げている者達のなかで何が起きたかこの事態を正確に把握できる者など誰一人としていない。
ただ天空で純黒に染まる時計盤を見上げ、この先に起きることを杞憂するかのように人々はただ不安を浮かべ立ち尽くすことしかできない。
「勝ったのは紫黒のライダーですか。
世界は手堅い選択ばかりでなかなか大穴は来ないもんですね」
シャーロはその手に持った酒を再び喉を鳴らして飲む。全ての終わりを告げるかのような言葉とおくびをこぼす。
分かりきっていた未来が訪れたかのような驚きのないシャーロの言葉に輪蔵はただ静かに居を正し、腰に携えた日本刀を鞘から抜き出す。
「拙者はその大穴に賭けた身。ヒュウ殿がやられた今、それに賭けた者として、拙者が奴を止めるでござるよ」
紫黒のレイに浸食されかつての目が眩むほどの黄金の輝きは既に微塵もない。そしてその操縦席では二つに割られ動けなくなったヒュウの亡骸が倒れている。
動かぬ屍と化したヒュウに一瞥くれると輪蔵は歯噛みし、持っていた刀を構える。
「嘘やろ。ヒュウが死んでまうなんて……」
テアはいまだ、漆黒に染まる操縦席で二つに分かれ倒れたまま微動だにしないヒュウの亡骸を前に信じることができない顔だ。
どれだけ追い込み、どれだけの窮地に立たされようとも決して死ぬことのなかった男だ。
「レイ・ドールもない生身の人間がオリジン相手に勝てると思ってるんですか?」
日本刀を構えた輪蔵を呼び止めるようなシャーロの声を遮るようにリビアも輪蔵のすぐ後ろに立つ。
リビアの白魚のような指を絡ませるように持っているのは、オリジンどころかレイ・ドールですら相手にならない短刀が握られている。
「あ、あいつが死んだ今、お嬢様を救えるのは正真正銘私しかいないんだから」
震え上ずる声には隠し切ることのできない恐怖が混じっている。
いかに普段気丈に振舞っているリビアでも、目の前にいる紫黒のオリジン相手に手に握った短刀一つで挑むことを考えると震えが止まらない。
「どっちにしろあいつが残ったら世界が終わってしまうんなら、戦わないわけにはいかんな。
何の足しにもならんかもしれないけどウチも手伝うわ」
漆黒の大鎌を振るいマントを揺らすガーベラを三人は睨みつける。
「さて残るは……万緑のライダー。お前だけだな」
大鎌を支えきれないかのように肩にのせたガーベラが光の宿ることのない双眸で、酒を飲んでいるシャーロを睨む。
冷たく感情の起伏がまるでない黒々とした瞳にシャーロの緑青色の鮮やかな髪が映る。
「お、お嬢様は私がきっと!!」
「ウチも手伝うで」
「拙者がヒュウ殿の仇を討つでござる。
菊虎輪蔵、推して参るでござるよ!」
短刀を握った手にリビアは力を入れる。
相手に対して自分がどれだけ無力かなど三人には語る言葉を持たない。
ただ恐怖に凍りつきそうな血液と体を怒りと決意をもってして突き動かす。
オリジンを操るライダーには遠く及ばないが、輪蔵達の体からレイが漲り溢れる。
「残念だがお前らのレイ程度で俺の前に立つ資格はない。闇ヨ」
大きくガーベラが鎌を振るうと吐き出された闇が波のようにうねりを高くし輪蔵達を一瞬で呑み込む。
逃げる暇、声をあげる時間すら与えず無情に呑み込む闇が純白の世界を覆い穢し、平面世界は漆黒の闇に染め上げられた。その空間にまるで飾られた像の如く動きを止め、声すらも発せずに立ち尽くしたのは漆黒に染まるリビア、テア、輪蔵の三人だ。
「あらら」
まるで人形のように動かなくなった三人を見ながらシャーロは再び酒を飲む。
「これって……なるほどね」
おもむろにリンダラッドは動くことのない三人を見比べ、一拍置いた後にぽんと手を叩く。
その顔には相変わらず緊張感のない笑みを浮かべるとともに大きくぐりっとした碧眼で猛る闇を纏うガーベラを見た。
漆黒の闇を衣の如く纏いマントを翻し大鎌を担いだその姿は正しく物語の舞台へと登壇する死神そのものだ。
「ゴールドキングの弾や武器をあまりに簡単に消すから、その力の正体がなんなのかずうっと考えてたんだよね。ジールのガリエンとも違って受け止めてるようにも見えなかったし。でも、この三人を見てやっとわかったよ。
闇の正体って、レイを消すんじゃないの?」
「……白妙のライダー。御明察だ」
ガーベラに跨ったラゼロは、ぴんと人差し指をたてたリンダラッドへ一つ拍手を送る。
全身にグリスフを刻み黒のレイが脈動するなかで病的なほど白い顔だけが闇に浮かんでいるかのように見える。
「強欲、悦楽、憤怒、高潔、好事。人が生きるために持ちえるエネルギーであるレイを奪い去り、生きる力を失わせ死を与えることこそが俺の、紫黒の力だ」
燻す煙のようにラゼロの握った手から紫黒のレイが闇となって溢れる。
あらゆるレイがその闇の前に輝きを奪われていく。
「欲望や信念、あらゆる主張が争いの種となるこの世界から全てを奪い去る。ただ、何も考えず、思考無き世界こそ俺の望む世界だ」
凹凸のない平面空間が溢れるガーベラから溢れ出る闇に浸食されていく。
「輪転機構。勝者である俺の闇でこの世界を覆えっ!」
◆◇◆
「ひゃぁぁぁぁーーーーーっっっ!!!」
「うわぁぁぁ────く、来るなあぁぁーーー────!!」
天空に鎮座した巨大な時計盤がその身を完全に漆黒へと染めると同時に見下ろされた大地からは人々の阿鼻叫喚がこだまし始めた。
その手に握りしめられたレイ・カードから溢れ出る闇が無差別に広がり、喰らい、世界を黒へと染めていく。
「カードを手放して建物に隠れろっ!」
「だだ、駄目だ! 隙間から闇が────」
人々に抗う術などない。ただレイ・カードからあふれてくる闇が人の世を終焉へと誘う。
漆黒に染まった時計盤は、刻一刻と黒へと染まっていく世界を前に無情な時の流れを告げるかのようにガコンと狂いの無いリズムを秒針が刻む。
人々の声が消え、沈黙に蠢くは闇だけの世界にその音だけが響く。
◆◇◆
欲望の澱から生まれたような男だった。
生まれてこの方一度として説教には耳も貸さずに生きてきた。隣町で囁かれる噂話すら聞き逃すことのない地獄耳が受け入れるは罠と思しき甘言ばかり。
思い立てば思慮浅く、直情径行とばかりにろくに考えもせずに走り出す。
「ここは……どこだ?」
紫黒に染まった空間のなかでヒュウはゆっくりと瞼を開いた。異様な倦怠感に包まれた瞼が妙に重たいなかで鳶色の双眸をゆっくりと動かす。
さっきまでいた凹凸がまるでない純白の世界とは真逆の漆黒の世界。そこは上下すら満足にわからない。
「おーい、誰かいんだろぉ! 返事くらいしろよっ!」
ヒュウの胴間声とも間違えそうなほど怒り混じりで呼びかけるが、闇はただその声を吸い込むだけで、何ら反応を示すことはない。
「俺様は確かさっきまで……」
上下左右もわからない空間のなかでヒュウはおもむろに胡坐をかいて腕を組むと一つ唸り声をあげる。
富、美女、酒のことしか浮かんでこない頭で必死に記憶を探る。
およそ一分ほど唸ったのちにヒュウはぽんと掌を叩いてみせる。
「そうだっ!! あの野郎にぶった切られたんだっ!」
自身が、ガーベラの振るう大鎌で縦に二つへと体を斬り裂かれた。その映像だけがはっきりと浮かんだヒュウは眉根を寄せて剣幕を浮かべた。
「あの野郎! よくも俺様の体を斬りやがったなっ……とは言ったけど何ともねえな」
怒りを横に置いて冷静に自分の体を見れば二つに分けられているはずの体が微塵の傷一つない。
「なんでだ?」
「レイを奪われ漆黒に侵されたみたいだけどずいぶんと元気だな」
状況が理解できず首を傾げるヒュウの前に現れたのは金色の双眸を闇に輝かせたヒュウだ。
自分と瞳以外は髪の毛一本と違わないまるで鏡に写ったもう一人の自分を前にヒュウは眉根を寄せて睨みつける。それは決して歓待するような表情ではない。
「ゴールドキングっ!」
「そのダサい呼び名はやめろ。俺様にはガムディットって言う立派な名前があるんだ」
「別に呼び名なんてどうだって良いんだよ。てめえの情けない能力のせいで俺様があの根暗野郎に真っ二つにされたのにどの面下げて現れやがった!」
「どの面って、てめえと一緒の顔だよ」
まるで双子のように瓜二つの顔を近づけてガムディットは白い歯を見せて笑う。
その態度がヒュウを天井知らずに苛立たせる。
自分が真っ二つに斬られたことに対する怒りはいかに叫んだところで収まることを知らない。
「だいたい、負けたのは俺様の世界をも手に入れることの出来るスペシャルな力を使いこなせなかったてめえのちんけな欲望のせいだろう。俺に文句を吐くのはお門違いってもんだ」
「なあにがスペシャルな力だ。てめえの作る弾も武器も全部あいつの闇に呑まれて消えちまったぞ。おまけに俺様の体は真っ二つだ。この落とし前どうやってつけてくれるんだ」
白い歯を牙のように剥き出し、今にも噛みつきそうなヒュウの怒りをガムディットは緊張感のない笑みで受け流す。
「どうやって落とし前つけるかって……そんなの一つしかないだろ」
「ああ?」
ガムディットは含みのある笑みと同時に人差し指をぴんと立ててヒュウへと見せつける。黄金に輝く双眸が一層濃いものへとなる。
「あいつを倒すことでな」
「倒せるのかよ?」
「倒せるかどうかはお前の欲望次第よ。肉体が死んだお前に俺様が出来る最後の賭けだ。負けたときは肉体どころか精神までも、お前の全てが闇に呑まれるぞ」
「さっさとやれよ」
「失敗したら完全な無しかないぞ」
脅すようなガムディットの言葉に逡巡を見せず笑う。
「俺様に負けなんてねえっ!」
言葉を遮るかのようなヒュウの言葉には理論どころか屁理屈すらない。ただ賭けに負けることなんて微塵も考えてない。ただ自信だけが満ち溢れた鳶色の瞳でガムディットを見た。
「上等だ」
あまりに何も考えてない男だ。しかし、ガムディットはその男をライダーとして選んだ。その強欲に惹かれて。
ピンと立てた人差し指をそのままヒュウの体に突き立てる。
──ズッ……──
ヒュウの体に痛みもなくその指は溶けていく。
──欲望を見せろ──
その声と共にヒュウの視界を朱金の輝きが包む。
◆◇◆
静謐に包まれる世界を精緻の極みである狂いの無い時を刻む音だけが天空から降り注ぐ。
「さてと……」
時を刻む音を耳に口を開いたラゼロは病的なほど深い隈が刻まれた目元を歪めて笑う。
「俺の闇が世界を覆ったとき、この人の世にピリオドを打とう。それまでの余暇か」
ラゼロはおもむろに深呼吸を一つすると足元でまるで抗う気のないリンダラッドに一瞥くれる。
肉体をオリジンに奪われ精神体のみで佇んでいる純白の髪を持つ子供。少年とも少女とも見分けがつかないほど中性的で整った顔立ちは闇を前に崩れることなくただ緊張感のない笑みを浮かべている。
「白妙のレイとは好事。お前の好奇心を満たす結果になったみたいだな」
「別に。僕はどんな結果になっても受け入れられるし、どんな結果になっても驚くことはないよ」
「たとえ世界が無に還ろうともか」
「もちろん。君が勝てばそうなることは一目瞭然だし別に驚くようなことではないでしょ」
ラゼロが駆るガーベラの漆黒の大鎌がヒュウの体を二つに切り裂いた段階で見えた結末だ。
「リビア達は可哀そうだけど、幾ら束になってもオリジン以外にオリジンは止められないしね」
「確かに」
リンダラッドのあっけらかんとした言葉に頷いたシャーロは緑青色の前髪を持ち上げる。
「そうだ。俺の絶望があらゆる欲望を制して勝っ──おっとぉ」
ラゼロの勝鬨を遮るように、空気を穿ち、轟音を上げてリンダラッドの目の前に巨大な剣が降り、深々と突き刺さる。
朱金の大剣。その側面に反射し映るは、純白の前髪を豪風でかきあげられ、宝石のような碧眼の瞳にリンダラッドはぽかんと口を開く。
「まだ動けたのか……黄金のオリジン」
ガーベラが黒いマントを翻し向き直った先には、漆黒に染まったままのゴールドキングが音を立てて動いている。
「久しぶりだなガーベラ。そんで初めましてだな。紫黒のライダー」
その言葉は二つに切り裂かれたヒュウからではなく、ゴールドキングの巨大な口から吐き出される。
大鎌で刺し貫かれ、向こう側の風景が見える刺突の痕を残しながら、漆黒に染まった牙の生えそろった口が動き流暢に喋る。
「お前を操るライダーが死んだ今、レイの残滓でもって俺に歯向かうのか」
まるで錆びついた歯車がゆっくりと噛み合うようにゴールドキングの体が動き始めた。
「俺様が何のオリジンか知ってるな?」
問うまでもない。欲しいものはいかなる手段をもってしても手に入れる『強欲』のレイによって動くオリジンだ。
ライダーが死んだ今も自らの意思を持ってしてなおも動く。それはあまりに常識を度外視した光景だ。
「とは言っても俺様だけで敵わないことなんてわかってんだよ。
ヒュウッ!
てめえの欲望で絶望を超えてみせろっ!!!」
「な────────っ!?」
目の前の光景にラゼロは一瞬、その倦怠に満ちた瞳が見開かれる。
漆黒に染まりながらも動く強欲のオリジンは、操縦席で二つに切り裂かれ微動だにすることのない屍となったヒュウの体をその巨大な手で摘まむとそれを上空へと放り投げる。
重力から逃げ切ることも抗う力も持たないヒュウの体をゴールドキングはその巨大な口を開き喰らう。
上下の牙が合わさると同時にヒュウの体が原型を留めることのない肉塊となる。
漆黒に侵されたゴールドキングに僅かだが黄金の輝きが戻る。
「勝利のためならばライダーすらも喰うか。
この強欲の獣に引導を渡してやるぞ。ガーベラ」
闇の黒衣を纏う大鎌を振るうガーベラの瞳に紫黒の輝きが漲る。
「酒だ! 女だ!! 金だ!!!」
積み上げられた財宝の上に成り立つ王座でヒュウは美女に囲まれながら酒を煽り飲む。
この世の天国を体現したかのような光景に酒をこぼしながら周囲の美女を抱き寄せる。
金銀財宝の山に寝そべった美女の体に握った酒をかけ舐めまわす。欲望の限りを尽くしたその光景を前にヒュウは笑いが止まらない。
「ヒュウさまぁ~」
「こっちの料理も美味しいですわ。はい、あ~ん」
「ウヒヒヒヒッ!! 最高じゃねえかっ!」
美女に取り囲まれたヒュウは品のない笑い声が響き渡る。
両脇に抱き寄せた美女の肌にこぼれた酒を舐め取りながら理性などとうに瓦解し欲望だけが突き動かす。
理屈などわからない。ただ自らが望んだものが何でも出てくる空間だ。
「俺様が欲しかったのはこいつよっ!! これが欲しかったわけよっ!」
幾ら飲んでも源泉があるかのように尽きることなく沸く美酒。どれだけ食べても飽きることなく幸福感を与え続ける料理。そして忠実であり献身的である美女が望めば望むだけ出てくる。
ヒュウを不快にさせるものなどここには微塵も存在しない桃源郷であり理想郷。
「いやー、最高だぜ!」
どれだけ悠久の時がその世界で過ぎただろうか。時の概念などない世界でヒュウは欲望のままに貪る。
無尽蔵に溢れる体力に身を任せ、寝ることもなくひたすら自らが望むもの何でも現れるこの世界を味わう。
「さてと……美味い酒も料理も、俺様の言うことを聞く美女もいる。いくら動いても疲れないし……文句はねえな」
これ以上に何を望むべくもない──はずだ。言葉通り文句もない。にもかかわらず次第に心が飢えていくのを感じる。
満たされることのない欲望が再び疼く。
「ヒュウさまぁ~、もっと遊びましょ」
「こっちで一緒に美味しいゴハン食べよぅ」
甘く耳をくすぐるような嬌声に、香しい料理の数々が鼻孔をくすぐる。
「ここも悪くはなかったけどよ、ここは俺様の望んだもの『しか』手に入らないんだよ」
ヒュウの体から朱金の輝きが漏れる。
金塊の玉座から立ち上がりされこうべ微笑むマントを靡かせる。
「行っちゃダメぇ」
「この世界でずっと遊んでましょ。外に出ればきっと都合の悪い現実ばかりですよ」
しなを作る美女達の手に漆黒の闇がこぼれる。
確かにここはヒュウにとってこれ以上ないパラダイスだ。だがそれでも満たされることのない昂る欲望だけがヒュウを突き動かす。
「ヒヒヒヒ! 俺様の想像通りの世界なんてやっぱり面白くねえんだよ! 俺様の理想以上の世界じゃねえとな」
「キャッ!?」
白い歯を見せて莞爾と笑うヒュウは、美女達がこぼす闇を暴風の如く黄金の輝きで吹き飛ばす。尽きることなき無彩限の欲望の輝き。
「外には八つ裂きにしてでも殺したい奴がいやがる!!」
ここにはいない、ヒュウの体を二つにした歪な笑みを浮かべるラゼロや、高潔で一挙手一投足、何から何まで気に喰わないジールもいる。
「そいつらをぶっ殺してやる。俺様のこの力で」
黄金に輝くヒュウの体はいまや太陽の如き輝きを放ち満足に直視することすら出来ない。
「全てを倒して、何もかもを手に入れる。
そうだよな、ゴールドキングゥッ!!!」
「そうとも。決して満たされることのない欲望を満たす未来を作り出せば良いんだよ」
飽くなき欲求に応えるかのように金色の双眸を携えたガムディットがヒュウの前に現れる。
気が付けば垂涎ものの料理に酒、そして美女達が消え再び周囲に闇が広がる。さっきまでの桃源郷のような光景はまるで幻のように霧散し消える。
「俺様が望む以上に旨い酒と料理! それに見たことも想像もできないほどの絶世の美女っ!! まだ見たことのないお宝!」
尽きることない欲望がヒュウの口を突いて出る。そこに思考など介在しない。
およそ本能のように言葉を吐き出すヒュウが放つ黄金の輝きはその光を増していく。
「俺様の欲望に満足なんてねえんだっ!」
予想できない刺激に溢れ、今以上の悦楽が、刺激が尽きることのない世界。それこそが無限の欲望を持つヒュウ=ロイマンの求める世界だ。
『そんでもって、その未来を無くそうとしてる奴がいるならそいつを叩き潰すまでだ!』
二人の声が重なり朱金の輝きが闇を薙ぎ払い、猛る黄金の風が空間を支配する。
──ゴールドキングゥッッッ!!!!
◆◇◆
人の持つ知覚速度を大きく上回る機動力を見せる二体のオリジン。
黄金の大剣を振るうゴールドキングと漆黒の大鎌を振るうガーベラ。二つの刃が交わるとき衝撃が空間を駆ける。
「その残りカスみたいなレイでよく動くな。抵抗しなければ俺がその首を痛みなく飛ばしてやる」
「余計なお世話だ!」
原動力であるレイを生み出すライダーを失い、直視することを許されないほどに眩い黄金も刃を交えるごとに漆黒へと侵食され、黄金はその双眸に宿す僅かな輝きのみとなっているなかでガムディットは大剣を振りかざす。
「だが動きが鈍っているぞ。そら」
「とぉっ!?」
漆黒の大鎌が弧を描くようにしてゴールドキングの首を狙う。
──キンッ
紙一重のところで大鎌と首の間に大剣割って入り護れたが二体の動きの差は歴然としたものだ。
ゴールドキングが一度剣を振るう際にガーベラは三度その大鎌を振るうことが出来る。
黄金のはずの体は漆黒の大鎌に刻まれていく。
「これは勝負になりそうにないですね」
「ライダーのいないオリジンじゃ勝ち目がないことくらいわかってると思うんだけどね」
ゴールドキングの負け戦は最初からわかりきっていたことだ。そしてその予想通りの展開がリンダラッドとシャーロの前で繰り広げられている。
「わざわざヒュウさんの体を食べてまで動いたのに結果は変わりませんね」
「勝てないことはわかってるのにわざわざ食べたのはゴールドキングなりの悪あがきだったのかな?」
傍から見ていても可能性のない戦いだ。それをゴールドキング自身がわからないはずはない。
「それ以外に何か考えられますか」
「ん~……」
小骨がひっかかったような違和感にリンダラッドは腕を組んで唸る。
乾いた音と共に大剣は漆黒に染められて腕と共に宙へと大きく舞う。
「くっ!」
斬り離され宙を舞う自分の右腕に気を取られた刹那、大鎌の刃がその首元に突きつけられる。
抗う術がないかのようにゆっくりとガムディットは後ずさることしかできない。
「悪あがきも終わりだな」
「確かにな。俺様にはこの状況を打開する手がねえな」
首元に突きつけられ今にも閃き、自身の首を斬り落とそうとする大鎌をガムディットはその闇に沈みそうな双眸でじっと見つめた。
「珍しく諦めが良いな。さしもの強欲もまな板の鯉ともなれば諦めるものだな。
強欲。闇に呑まれ無へと還れ」
漆黒の刃が線となり首へと迫るなかでガムディットは巨大な口が歪な笑みを浮かべる。
「聞き間違えるな。俺様に『は』だ」
──おおりゃあああぁぁぁッッ──────────ッッ!!!!!!
「なっ!!!??」
振り下ろされた刃はガムディットの首を跳ね、世界を賭けた戦いが閉幕する未来まで見ていたラゼロの瞳に映ったのはまるで予想できない映像だった。
確かに斬り落としたはずの右腕が今、ガーベラの振り下ろした漆黒の刃を握るようにして受け止めている。
「その腕は──!!」
あまりに突然のことに何が起きたのか咄嗟に理解できるものなどいない。
黒き大鎌の刃を受け止めた逞しい朱金の腕。ガムディットの巨大な口を開き、その奥から伸びている。
「未来を望む欲望のねえお前に俺様が負けるかよっ!!!!」
威勢のいい胴間声が伸びた腕の更にその奥から響く。それは決して聞き間違えることのない男の声だ。
ガムディットの全身に刻まれた共鳴回路に朱金の輝きが疾駆すると同時に、全身を覆う漆黒の闇が瞬く間に黄金へと塗り替えられる。
──WWWWWWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOORRRRRRR────────!!!!!!!!
強欲の輝きを取り戻し咆哮をあげるガムディットの操縦席に吐き出されるレイが凝縮され、形を成していく。
「あれって……!」
黄金のレイが形作るその姿にリンダラッドは思わず声が出た。
見間違うはずなどない。
ざんばらに切られた明るい橙色の前髪に、全てを手に入れなければ納得がいかない獣のような欲望を秘めた黄金の双眸。
他人に厳しく自分にはこれ以上ないほど厳しく、欲望に誰よりも正直で、自分を決して偽ることのない最低男。
「ヒュウ!!」
「よぉ」
赫灼と放たれる黄金の輝きがラゼロの闇を払いのけ、その中央で輝きを放つゴールドキングの操縦席でヒュウはぎらついた瞳と共に笑ってみせる。
◆◇◆
漆黒の闇に溢れ静謐に包まれた世界に響くは紫黒に染まる時計盤の針が狂いなき時を刻む音のみだ。
──WWWWWWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOORRRRRRR────────!!!!!!!!
時を刻む音を遮り天に響いたその咆哮と共に天空を貫く黄金の輝きが漆黒の時計盤を塗り替える。
闇に染まり色を失う世界に駆け巡る強欲の黄金が、再び世界に色を与える。
都合の良い未来だけを望む『強欲』の欲望。その黄金の輝きは留まることを知らずに世界に満ちた闇を払拭していく。
「……………………あれ?」
「何が起きたんだ?」
闇に呑まれ動くことのなかった人々の瞳に輝きが戻ると同時に世界が胎動を始める。
死んだ世界が甦り、意識を取り戻した人々の目に映ったものは……朱金に輝く巨大な時計盤だ。
漆黒のレイに意識を潰されていた彼らが目を覚ました先に広がる光景は
「闇が…………消えてく」
太陽すらも凌駕するほどの光輝を放つ時計盤。そして黄金のレイが溢れるレイ・カードが世界に蔓延る闇夜を打ち払う。
「俺たちは助かったのか?」
いまだこの世界に起きていることが理解できる者などいない。ただ再び意識が戻った人々は黄金の輝きによって満たされた世界をその瞳に映す。
黄金の映り込んだ人々の瞳は、まるで強欲のライダーのように朱金の輝きを宿す。
「──お、お嬢様っ!?」
闇が払われ目を覚ましたリビアは真っ先に、自らの身を呈しても護らなければならないリンダラッドの存在を探す。
「ハハハハハッ!」
「お、お嬢様……」
普段から緩く緊張感のない笑みを浮かべているリンダラッドが目尻に涙を浮かべ声をあげて莞爾と笑っている。
付き合いの長いリビアでもリンダラッドが声を上げて笑う姿を見たのは初めてだ。
「リンダラッド殿?」
「な、なんや! なんかあったんか……ってヒュウ、なんであんさんが生きてるんや?」
目の前の光景は、闇から目を覚ました三人には不可解なことだらけだ。
確かに縦に二つに切り裂かれたヒュウが朱金の輝きを纏いゴールドキングの操縦席に何事もなかったかのように鎮座している。
「強欲のレイで自分の体を生むなんて……ハハッ! 本当に君は信じられないよ!」
少年とも少女ともつかない中性的な顔が堪え切れないように破顔する。その姿は年齢相応の幼さだけが全面に出ている。
笑い過ぎて呼吸が苦しい。それでも心の底から満たされていく笑みがこぼれる。
「ヒュウ、あんさん二つに斬られたはずやろ!?」
テアの言葉に全員が、ガーベラの大鎌によってヒュウの体が二つに斬り分けられた映像を思い出す。
あれは決して幻覚などではない……はずだが、目の前でヒュウは相変わらずの歪な笑みを浮かべて意気軒昂そのものだ。
「二つに斬られたくらいで俺様が死ぬかよ!」
「そこは大人しく死んでいてほしいでござるな。とはいえヒュウ殿のなら十分に考えられる話でござるな」
「もともと人間離れして意地汚い奴だったけど、正真正銘人間をやめたんだ」
目の前の現実にもはや呆れ声しかこぼせない三人だが、全員の頭のなかにいるヒュウ=ロイマンならばやりかねないと思えてしまう。
根拠のない自信に満ち溢れゴールドキングの操縦席に鎮座した男は紛うことなき強欲のライダーであるヒュウだ。
「その黄金の輝きは……目障りだな」
あまりに直視できないほどに眩いばかりの朱金の輝きを前にラゼロを深い隈の目元を歪める。
未来を奪い全てを無に帰す紫黒の闇が振り上げた大鎌とともに吹き上がる。
「ヒヒヒっ。そら未来を望まねえ根暗野郎にこの光はちと眩しいよな」
「その輝き、そして肉片の欠片も残らないよう次は木っ端微塵にしてやる。減らず口も叩けないようにな。ガーベラ。
奴ごと人の未来を呑み込んでやれ」
苛立ちを隠すことのできないラゼロの声に応じるように、ラゼロは闇によって成形したかのような漆黒の大鎌を振り翳す。
「さあてと、ゴールドキング」
呼びかけるヒュウは掌を広げる。
黄金のレイが集まり、空気に熱が生まれ、欲望の黄金がたった一発の弾丸を作り出す。
それはリンダラッド達が幾度となく見た、レイ式弾丸そのものだ。
「一発で決めるぜっ!!」
──キンッ──
親指で弾き宙を舞った黄金の弾丸が無軌道な回転を描きゴールドキングの黄金の牙へと引き寄せられるように落ちていく。
「ヒュウッ!!」
リンダラッドの叫ぶような声も、ゴールドキングの弾丸を噛み砕いた音に遮られる。
派手な破砕音とともに黄金のレイが、レイ式銃へと姿を変えた右腕に全て注がれる。
「俺様の未来だ! 誰にも奪わせねえ!!
ゴールドキングゥゥゥゥッ!!!」
無尽蔵に溢れる黄金のレイはいまやヒュウの体そのものであり、直視を許さないほどの輝きのなかでヒュウは人差し指を立て、大鎌を振り下ろすガーベラに、操縦席で唸るラゼロに立てた人差し指を突きつける。
「全てを無へと呑み込むぞ。ガーベラァァッ!」
人々の感情を奪い、全てのレイを消し去る闇の波動が広がり巨大な壁となってヒュウへと迫る。
抜ける隙間もなければ避ける場所もない。ただ迫りくる壁を前にヒュウは人差し指を突き出したまま歪な笑みを浮かべる。
「ヒヒヒヒヒヒ」
何もかも、望んだものは如何なる手段を用いても手に入れる。例えそれが自らの命を天秤に預けることになろうとも躊躇などない。
金貨に頭蓋を叩き割られた髑髏が背中のマントで嘲笑を浮かべている。
──命知らずのヒュウ=ロイマン
「俺様の明るい未来の前にはこんな闇なんぞ障害になるかぁ! 消し去っちまえぇぇぇッッッ──────────!!!!」
迫りくる漆黒の壁に向かい轟音とともに黄金の光弾が放たれる。
いかなる者の未来をも奪う紫黒の闇を、それと相反する理想以上の未来を望む強欲の象徴である黄金の弾丸が穿つ。
咄嗟に構えたガーベラの大鎌の刃を砕き、黄金の弾丸はただ直線に駆け抜ける。何者にもその強欲を制止することなどできない。
「ば、馬鹿なァァァァッ──────!!!??」
ラゼロの声、そしてガーベラすらも強欲の輝きは呑み込み、地平の彼方へと朱金の残滓を僅かに散らせその姿を消す。
「……勝ったの?」
「ヒュウ殿が?」
「いよっしゃぁぁぁぁぁ!!!! 俺様の勝ちだぁ!!!」
ヒュウの勝鬨が訝し気に闘いの顛末を気に掛ける声を全て遮る。
朱金のレイをいまだ体から迸らせている欲望の権化は打ち払った闇を前に小躍りしてみせる。
「最強は誰だ? 俺様だ!! 俺様、ヒュウ=ロイマン様よ!!! ヒヒヒヒッ!!」
欲望に塗れた俗人の極みとも思えるような品性皆無の笑い声が凹凸のない平面空間に響き渡る。
「本当にヒュウ殿が世界を手に入れるでござるか?」
「じゃないの。仮に嫌と言っても、あの紫黒のオリジンを倒したゴールドキングを僕らが止めることは出来ないしね」
「確かに」
リンダラッドの言葉にシャーロが小さく頷く。もはや誰にもヒュウの暴走する欲望を止めることはできない。
「俺様の勝ちだぁぁぁ!!」
黄金に蹴散らされ空間に溶けて消え行く闇の刃の欠片を前にヒュウは言葉とともに盛大に唾を飛ばして叫ぶ。
一度は体を真っ二つにしてくれた相手をこれ以上ないほどに完璧に叩き潰した。
「どうよ! これが俺様の本当の力……ってなんか体が光ってねえか?」
終わることのない勝利の余韻が尽きることなく口を突いて飛び出るなかで、ヒュウは不意に自分の体の異変に気が付く。
纏っていた黄金のレイに自身の体が溶けていくような光景。
「あ、あんた、体がちょっとずつ消えてない?」
始まりは指先の眼を凝らさなければわからないほどの爪の先だった。その変化に最初に気が付いたのはリビアだった。そこから目を凝らすまでもなくヒュウの体が次第に失われていくのがわかる。
小さな黄金の欠片がヒュウを離れ宙へと溶けて消えていく。それに伴いヒュウの体がゆっくりと失われていく。
「わあ、綺麗……」
リンダラッドは幻想的な光景にぽつりと声を漏らした。霧散していく朱金の粒はまるで空に還る黄金の雪の如く淡く儚く、そして激しい輝きを秘めていた。
「わあ、綺麗、じゃなくてよぉ!? どういうことだよ!!」
理解不能な光景を前にヒュウは叫ぶことしかできない。次第に失われていく体を前に叫ぶこと以外できない。
「ヒュ、ヒュウ殿?」
──ったく、やかましいな
朱金の輝きとなり既に半身が失われているなかでゴールドキングがその巨大な口を開くと流暢な喋りが怒鳴るヒュウの耳朶を打つ。
「て、てめえ、なんで俺様の体が消えてんだよ!」
──そりゃあ一度は壊れたお前の体を強欲のレイでもって生み出したんだ。てめえが慢心したら維持できずに消えるに決まってるだろ。
「俺様がいつ慢心したって言うんだよ──!?」
──ガーベラに勝った瞬間、強欲の意思が途切れちまってたぜ
雪のように溶けて消えていくヒュウの体は既に四肢はなく、胴も消えようとしているなかでヒュウはガムディットの言葉に眉根を寄せる。
「喜んだのほんの一瞬だぜ!?」
──そら一瞬でも強欲の意識が切れたら、お前の体を維持できるわけねえだろ。お前の強欲のレイで維持してたんだからよ。そもそも人の体をレイで作り出すこと自体俺様のスペシャルな力が無きゃできねえんだからな。感謝こそされど怒られるのはお門違いってもんだ。
ガムディットの言葉にヒュウは増々眉間に皺が出来る。浮かべたヒュウの剣幕を見れば、誰もが納得いっていないことが一目瞭然だ。
文字通り命を賭けてまで倒した。そしてこれから世界が手に入る。その瞬間が黄金の輝きと共に途絶えようとしている。
「ふざけんなっ!!」
「ふざけてなんかいないさ。まあ、お前の強欲が高まるときまでは俺のなかで大人しくしてんだな」
既に首から上しか残ってないヒュウは、朱金の輝きに包まれようとしてる双眸でリンダラッドを睨む。
「てめえら、俺様が帰ってくるまで願いを叶──」
言葉途中で全てが朱金の粒となり天へと昇り霧散する。
ヒュウだったものは髪の毛一本として残さず操縦席から姿を消す。
「消えちゃった……」
目の前で起きたことをリンダラッドは端的に言葉にした。
これ以上ないほどに的確な表現に輪蔵やリビアも頷くことしかできない。
口を開けば、文句と不満ばかりの強欲男が忽然と姿を消した後に残るは静寂の空間だ。
「これってどうなるんですか?」
最初に口を開いたのはシャーロだった。
「この闘いの勝者の願いを叶え、新たな世界を構築するのが輪転機構なんだけど……勝者って誰になるのかな?」
リンダラッドは問いかけるように目の前で鎮座しているガムディットを見上げた。
この場に残されたのは白妙のライダーと万緑のライダーの二人のみであり、まるで予想していなかった状況に途方に暮れる。
「あいつが戻ってこられれば勝者として輪転機構を使うんだろうけど、今は居ねえしな」
「ってことはお嬢様が勝者……ですか?」
リビアがワインレッドの瞳を輝かせ触れることの出来ないリンダラッドの碧眼の瞳を見つめる。
どことなく全員の頭にその考えがあったかのようにリビアの言葉を誰一人として否定しないまま沈黙が包む。
「でもよくよく考えたらシャーロも勝者として願い事を叶えてもらう資格あるんやろ?」
テアの言葉に全員の視線が今度は、万緑のオリジンであるレロンの操縦席で酒を飲み続けるシャーロへと集中する。整った顔立ちは緩い笑みを浮かべたまま持っていた酒を飲む。
「確かにそうですね。まさかこんな漁夫の利のような形でお鉢が回ってくるなんて想像してませんでしたね。ねえ」
「ほんとうにね」
まるで予想できなかった状況にリンダラッドは呆れるように笑う。
幾ら推測したところで結局のところその時が訪れるまでどうなるかなどわからない。故に強欲は求め続けて戦ったんだろう。自分の都合の良い未来を手に入れるために。
「どのような世界を望むかなど突然言われても、ただ何も望まないから万緑のオリジンを操れるし、私に願いなんてないですね。まああえて言うなら誰がどのような願いをもって輪転機構を使うか見届けることが願いですかね」
「なんや。それならうちの願いでも代わりに叶えてくれてもええんやで」
「ちょ、ちょっと、それなら私の願いを叶えてよ!!!」
「なんや、横から突然出てきて!」
リビアとテアが額を擦り合わせて睨み合うなかでレロンの錫杖が一つ振られると、爽やかな鈴の音が清涼な風の如く響き、二人の不毛な怒りを奪う。
「落ち着いてくださいよ。私は確かに叶えたい願い事なんてないけど、彼女はどうなんですかね?」
「お嬢様……?」
ラゼロの言葉に二人がふと、無限の歯車が噛み合い空間の中央に聳え立つ塔と向き合い、輪転機構の一部と化した自身の体を見つめた。
霞がかるほどの距離であっても、眠りについたかのように動かない自身の体がはっきりと見える。
ただ静かにその時を待ち続けているリンダラッドの姿は深窓の姫君とも紛うほどに中性的でありながら悲壮美を漂わせている。
「お、お嬢様、その光……」
「それはヒュウ殿の……」
背を向けたリンダラッドの体から僅かに、じわっと滲むように零れた黄金のレイ。ほんの欠片程度のレイだがそれは紛れもなくヒュウの持つ強欲のレイと同様に朱金の輝きを放つ。
「白妙のレイは透明で本来目に見えないもの……なんだけどね」
目を凝らさなければ見えないほど僅かな朱金の輝きがリンダラッドの小さな掌に収斂していく。その黄金の輝きは小石程度のものとして固まる。
「どうやら僕もあの頭悪い彼の影響を受けたみたいだね。他人にまで、おまけにオリジンのライダーにまで影響を与えるなんて本当に凄いや」
白い歯を見せて浮かべたリンダラッドの笑みはあまりにあどけなく、美しかった。
薄桜色の花弁を思わす唇に色の薄い肌と乱れなく整った純白の髪。少年とも少女とも呼べない中性的な顔立ちが今、この笑顔だけはそれらを超越し、ただ言葉を失わせる。
「……お嬢様」
触れられるならばリビアは今すぐにリンダラッドをその両腕で抱きしめたい衝動に駆られるほどの美の結集がその笑みから感じ取れた。
人の手では到底造り出すことのできない神に選ばれたかのような美しき存在のためにその一生を捧げた。そしてそれは決して間違いではなかったことをリビアに確信させるほどの笑み。ただ唯一気に喰わないことがあるとすれば、その笑みを浮かべさせたのが名を出すのも憚られるほど醜悪な『あの男』だということだ。
「僕もシャーロと一緒で望むことなんてないし、世界の行く先を見届けるだけだと思ったけどちょっとだけ欲望が湧いちゃった。欲しい世界ができたよ」
おもむろにリンダラッドは空間に鎮座した巨大な塔へと向き直ると、その掌に集めた朱金の欲望を翳す。
本来ならば自分のものでないその黄金の輝きの欠片にリンダラッドは薄桜色の唇を動かす。
「輪転機構、僕の望む世界は──────」
太陽からの戴きの如く照らす時計盤の歯車が止まると同時に、その朱金の輝きが世界を照らす。
曇天の空を穿ち吹き上がる黄金の輝きが瞬く間に世界を包む。
リンダラッドの望んだ世界を造り出すために。
◆◇◆
「ん? んんっ!!?? んんん?!?!?!!」
長い眠りから覚めたように男は目を覚まし体を起こすと辺りを一瞥する。険のある鳶色の瞳にざんばらに切られた橙色の髪。生傷の絶えない腕に、それを覆うかのような黒のマント。そこには金貨で頭蓋を割られた髑髏が笑みを浮かべている。まともな見識のある人ならばまず近づくことを躊躇う風貌をした男だ。
人を見下すような歪な笑みを浮かべた髑髏を揺らしてヒュウ=ロイマンは周囲に広がるは丘陵の続く草原を眺めた。なぜ自分がここにいるのかまるで記憶にない。
空を見上げれば戦いの舞台となっていた時計盤の姿は微塵として見当たらず、雲一つない快晴だけが広がっている・
「あっ、ヒュウ」
「ヒュウ殿!」
「あんた生きてたの!?」
何が起きているかいまだ理解できないヒュウが声のする方向を見ると見慣れた顔が走るでもなく悠長に歩いて向かってくる。
一番最初にヒュウの下へと辿り着いたリンダラッドが見上げる。
「ふふふ」
「何笑ってやがんだ。そんなことよりも時計盤はどうした? 勝者の、俺様の願いを叶えるはずだろ」
緩い笑みを浮かべたリンダラッドにヒュウは屈みこむようにして目の高さを合わせると険のある目つきで睨む。
「なに言ってんのよ! お嬢様がばらばらになったあんたの体を戻したんじゃない!
それよりもお嬢様から離れなさいよ!!」
「ああ?」
後から歩いてきたリビアが追いつくと、ヒュウとリンダラッドの間に割って入る。
まるで言っていることが理解できないヒュウは不可解に眉根を寄せる。
記憶を辿れど、今の状況に繋がる要因が一つも見当がつかない。
「もしかしてお前が願いを叶えたのか?」
「ふふふ。そうだよ。僕が輪転機構で願いを頼んだよ」
「……」
リビアの陰で表情筋が弛緩したかのような緩い笑みを浮かべたリンダラッドの言葉を飲み込むかのようにヒュウは一度だけ、雲一つない青空を見上げた。
時間にしてみればたった一〇秒にも満たない程度のものだが、ヒュウの脳裏にはこれまでの苦労が一気に駆け巡る。
願いを、世界を手に入れるために文字通り身を粉にして戦ったにもかかわらず、勝者の権利を横取りされた。
それも非力で何ら力を持たない小娘が。
「ふふ、ふざけんなっ!!!」
「キャッ!?」
リビアを押しのけてヒュウが剣幕でリビアに寄る。
ヒュウの怒りに任せた手がリビアの双肩に伸びるが、触れる直前で大きく弾かれた。
鎧としては宝石の如く傷一つ無く、それでいて使い込まれている蒼白の輝き。
ヒュウは割り込んできたその男を見ると一層に不機嫌の色を濃くする。
「リンダラッド様にそれ以上近づくな」
「……生きてたのかよ」
「一度は失われたと思っていたこの命もリンダラッド様の慈悲のもとでな」
「戦いに敗れて死ぬなんて情けねえ奴だ。俺様は倒したぜ。あの黒のオリジンをな」
「だが、自分の体は失ったらしいな」
勝ち誇るようなヒュウの愉悦に水を差す一言だ。
それを戦いで倒れ死んでるか生きてるかもわからない状態だったジール自身が知るはずがない。ということは……
「リンダラッド様から事の顛末は全て聞いた。
私が無傷で生きている理由も。そして敵であり倒したはずのブラクスが無傷で甦った理由も」
後ろを見ればあの巨躯が目立つブラクスが立っている。
「そしてなにより貴様が助かった理由もな」
「助かっただぁ!
勘違いするなよ。俺様は死んじゃいなかった! ただ、俺様の隙をついてそこのガキが勝手に願いを叶えやがった。
てめえみたいに俺様は死んじゃいねえ。それどころか勝者だったんだ! その俺様が願いを叶えられねえってのはどういう理屈だ!!!」
「そりゃあんたが消えてた間にお嬢様が願い事を叶えたってわけ──」
「んなこと言われなくてもわかってら。
おい!」
「ん?」
叱咤するかのような声をあげるヒュウはジールの後ろで笑みを浮かべたリンダラッドを呼びつける。
欲望に塗れた鳶色の双眸がその色の薄い肌、そして宝石をはめ込んだような見事な碧眼を睨む。
「俺様はともかくこいつまで生き返るなんてお前はどんな願いを言ったんだよ?」
「ジール、ちょっと失礼」
「あ、リンダラッド様──」
「大丈夫、大丈夫。ほっ、と」
リンダラッドはジールの陰から出てくると一歩跳ぶようにしてヒュウの前に立つ。
今にも噛みつきかねない獣のような獰猛性を孕んだ剣幕を前に少女は力みのない自然な笑みを浮かべている。
「僕は、僕を無限にワクワクさせてくれる世界を望んだだけだよ。
ジールの嫌になるほど真面目な姿も好きだし、僕を愛してくれるリビアも好きだよ。色んな人がいる元の世界が好きだからね。そして、ヒュウ=ロイマン」
リンダラッドは礼節も品位も欠けることを承知のうえで目の前の男をその細い人差し指をぴんと伸ばし指差す。
「僕はこの世界で君が暴れまわる姿をまだ見たいんだ」
「つまり……お前が望んだ世界ってのは元の世界ってことか?」
「うん」
リンダラッドの何の含みもない単純にして明快な頷きにヒュウは空まで届きそうな声でため息をこぼしてみせた。
肺のなかに溜まった酸素が全てため息として吐き出されると同時に空を見上げた。
「……ものは考えようってところか。奪う世界が無くなったわけじゃねえんだ」
この世界を手に入れる機会を完全に失ったわけではない。この二本の足で立っている世界こそヒュウが手に入れたかった世界そのものだ。
「だがな」
「ん?」
空を見上げていたヒュウが突然顔を下ろしてリンダラッドを睨む。見慣れない子供ならばその険のある目つきだけで泣いてしまいかねない。そんな視線を真向から受け止めてリンダラッドは僅かに首を傾げた。
「お前の願いは叶わねえぜ」
その言葉と同時にヒュウは踵を返し、高原だけが広がる空間へと向き直る。
地平線の向こうから流れてくる涼やかな風が草葉をうねらせてヒュウの顔を撫でる。
「この極東のベルデガーンまで来た。もうお前と旅するメリットがねえからな。子守もここまでだ」
「僕が助けたのに?」
「俺様は助けてくれなんて頼んじゃいねえ。それにガキを連れて旅なんて本来やってらんねえんだよ。
世界を手に入れる旅に余計な荷物はいらねえ」
「リンダラッド様を荷物だとっ!」
「ああ。邪魔な荷物だったぜ。それがやっと下ろせる。清々するぜ。
ここから先は俺様一人の自由旅だ」
迷いのないヒュウの本心が憚られることなく口を突いて出る。
ここまでの旅でリンダラッドの存在はヒュウにとってお荷物以外なにものでなかった。地図を持っている。そして目的地である極東のベルデガーンまでの案内役と言う利益があったからこそ一緒にいたまでであり、それ以上の理由などどこにもない。
「胸もねえちんちくりんのガキなんぞ一緒に連れてて楽しいことなんて一つもねえからな」
「ヒュウ殿、これまで一緒に旅してきた仲間に対してよくそんな言葉が出るでござるな」
「仲間だぁ?」
苛立ちを込めた声と共に輪蔵へと向き直る。
「言っておくがな、俺様はお前らを仲間だなんて思ったことは一度もねえ! 勝手にお前らがついてきてただけだろ。多少便利だから一緒にいてやっただけだ。便利な道具となんら変わらねえ。
目的地に着いた今、仲間なんて気色悪い発想するようなてめえらと一秒だって一緒に居たくないんだよ」
「じゃあ一人で行けば」
ヒュウのこぼれ出る苛立ちの言葉をリビアの言葉が遮る。
「私はお嬢様を連れて自分の国に帰るわ。ここには都合よくボディーガードしてくれる頼れるライダーがいるからね」
見せつけるようにジールの腕を甲冑の上から包み込むように艶めかしい肢体に寄せる。
「ああ。遠慮なくそうさせてもらうぜ。俺様は独りで全てを手に入れてやる。俺様の力でな」
ヒュウは懐からレイ・カードを取り出す。
黄金に輝くレイ・ドールを天に翳す。
「ゴォルドキングゥ!」
呼び声に応じるかのように朱金の輝きと共に眼前に現れたのは鋭い牙をそろえた口を胸に持つ強欲のオリジンだ。
「さてとどこに向かうかね」
ただ広いだけの地平線を眺めてヒュウは呟くと応えるように一陣の風が吹く。
「風の向くまま気の向くまま、となれば、あっちから風が吹いてきたしあっちに向かうか」
深い考えなど何もない。
ただ思い付きのままにゴールドキングが進んでいく。
「さあお嬢様、一度国へ帰りましょ」
「私もそれには賛成です。ダナエ王がリンダラッド様の帰りを待ち侘びています」
「どうしても帰らなくちゃダメ? 今からヒュウのことを追いかけたりしたら──」
『ダメです』
二人の声がリンダラッドンの言葉を遮る。
わかってはいたがこの二人がヒュウの背中を追いかけることに納得するはずがない。
既に見えなくなったゴールドキングの背中に向けるようにリンダラッドは大きなため息を吐く。
「僕としてはまだまだ足りないけど、ここまで自由にさせてくれたジールやリビアに感謝の意を込めて今は戻ろっか」
「お嬢様!」
「く、苦しいよ……」
大輪の花が開くかのようにリビアは満面の笑みでその小さな少女の体を抱き寄せる。
「自分らはどないする?」
手持無沙汰になっていたテアが輪蔵とシャーロを見た。
「拙者も一度自分の里へと帰るでござるよ。幸いなことにジール殿と一緒に戻ればこれ以上ないほど安全な旅になるでござるからな」
「私は美味しいお酒が飲めればなんでも良いですからね」
「それならシャーロ。あんさんはうちと一緒に行商せえへんか? 各国を渡り歩く身としては気心の知れた用心棒ってのが必要や。その条件にあんさんならばっちりや」
「行商ですか……色んな国のお酒が飲めるなら悪くないですね」
「ん~~……それじゃあヒース国に戻ろっか」
リンダラッドは雲一つない青空に向けて大きく伸びをしてみせた。
同じ空の下に居るならばいつかまた会うこともあるだろう。
際限ない強欲を持ち、世界を賭けた戦いで勝者の座に一度は座った、傲慢な男と。そう考えるとリンダラッドにとってこの世界はまだまだ興奮を与えてくれる気がした。
◆◇◆
◆◇◆
「リンダラッドォォォ!!! どこだぁぁぁ~~~!!!」
豪奢な装飾物に囲まれ赤絨毯の敷かれた廊下にヒース国現国王のダナエ=ロエスの悲壮とも怒りとも判別のつかない声が響き渡る。
衛兵、給仕、家臣。この城で各々の役職に務めてる者達からすればそれは聞き慣れた声であり、日常の一つだ。
六年前、ダナエの一人娘であり、この国の姫として城で暮らしていたリンダラッド=ロエスがその姿を消した。
王自ら発した厳しい緘口令が功を奏し城下へとその事実は漏れることはなかったが、城内は天と地をひっくり返したような大騒ぎに包まれていた。
姿が消えた前日、卑しき賊が城を騒がしたこともあり一説には誘拐を唱えるものもいた。
しかし、王の空回りする捜索とは裏腹に、姿を消した半年後にリンダラッドは、最強の戦士であるジールと共にこの城の門を叩いて戻ってきた。
目に入れても痛くない愛娘が帰ってきたダナエはまさに狂喜狂乱の沙汰となった。六年経とうとその過保護なまでの愛情は変わらない。
結果、ダナエの過剰なまでの愛情に辟易としたリンダラッドが城内でしょっちゅうその姿をくらませ、その度にダナエ王の悲痛な声が城内に響くことが日課となってしまっている。
姿を眩ませようとも、いつも夕方頃になるとひょこっと姿を現すリンダラッドに、最初こそ誰もが心配したが、いまや心の底から心配しているのはダナエ王のみだ。
「リンダッドォォーー……どこにいるんだぁぁ!」
国務を仕切る王としての凛とした威厳など、情けない声をこぼす今のダナエ王には欠片もない。あるのは愛する娘をひたすら求める父親の姿だ。
亡霊のようにその声だけが城内に響き渡る。
「リンダラッド様……」
城内でも限られた者しか知り得ない地下へと続く螺旋階段があり、その先に佇むは今にも崩れそうなほどに朽ちた木製の扉だ。
蒼白の鎧に身を包み、高潔を旨とし、いまや王以上にこの国の象徴となりつつある最強の戦士、ジール=ストロイは壊れそうな木製の扉をゆっくりと開く。
その先に広がる無限と思えるほどの書籍であり、それを収蔵した本棚に囲まれた空間だ。
その中央となる位置に朽ちた円卓とロッキンチェアが置かれている。
そこに少女はいた。
「あれ、ジール。どうしたの?」
本に包まれた空間で、少女は読んでいた本から顔をあげた。整った鼻梁に糸を紡いだように美しい白髪が腰まで伸びている。それに合わせるかのような純白のドレスは色褪せた本達に囲まれるにはあまりに眩く、まるで妖精のようだ。
僅かに残った中性的な面影も成長のなかで次第に薄まり、体つきも艶やかな曲線を描き女性としての魅力だけがただただ増したリンダラッドはいまや誰が見ても男と勘違いすることなどないだろう。
「ダナエ王があたなことを探してましたよ」
「そりゃ探すよね」
喋り方だけは成長のなかで変わることがなかったリンダラッドは緩い笑みを薄桜色の唇に浮かべて本を置く。
「だって今日もお見合いだって。昨日も見合い。その前も見合い。その前も前も前も前も・……はあ。見てよこれ」
ため息が切れることのないリンダラッドはその細長い指を絡め掴んだ本を一冊、円卓に寄ってきたジールの前へと置く。
革製の装丁から決して安価なものではないことがわかるその一冊をジールは手に取り開く。
本のなかには様々な男の顔写真が綴じられている。
「これは……見合いの相手ですか?」
「そう。こんなの全員と見合いしてたら僕がお祖母ちゃんになっても終わらないよ」
リンダラッドの呆れるような声を耳にジールは頁を一枚一枚捲っていく。
本の中に綴じられた男達は錚々たる者ばかりだ。
世界有数の大富豪から周辺諸国の王子方。どれも結婚をすれば玉の輿としての生活を安泰させるに十分な者達だ。
「凄い方々ばかりですね」
「凄いには凄いんだけどねえ……」
本を読むことをやめたリンダラッドは円卓に頬杖を突いてむすっと頬を膨らます。本のなかに綴じられた男達にご不満なことは一目瞭然だ。
「何か不満なんですか?」
「ジール……僕がこれまでに何回お見合いしたかしってる?」
「一〇〇人を超えたあたりから数えてませんでしたらが……」
「四三一人。どれも凄い人たちばっかりだったけど、僕のレイに色を与えるほどの人は居なかったなあ」
世界で唯一人、誰の目にも映らない無色透明のレイ『白妙のレイ』を持つリンダラッドにはこれまで会ってきた四三一人の男は皆一緒のものにしか映らない。
「なんかもう見合いとか面倒だしジールはどう?」
「はい?」
「僕と結婚」
「けっ──」
「ダメです!!!!」
無気力から不意こぼれたリンダラッドの言葉に、どこからともなく現れたリビアがワインレッドの髪を激しく揺らして机を叩く。
髪と同色の鮮やかな赤のドレス。過度にも思えるほどの露出と今にもそこからこぼれそうなほど豊かな胸。見る男の欲情をそそり惹きつけるがそれ以上に手を出させないほどの棘がちらついている。
「絶対ダメェ──────っっです!」
「リビア、相変わらず綺麗だね」
「お嬢様ぁ……じゃなくて結婚の相手がこんな唐変木なんて私は絶対認めませんよ」
「そうかな? 結婚相手としてジールを選んだらお父様もぐうの音も出ないと思うよ」
「確かにこのヒース国での人気はいまやダナエ王以上にありますし、その名前一つで周辺諸国へ牽制を成し得るほどの戦士として名を馳せてますけど……けど! それ以外はからっきしですよ! こんな家事もまともに出来なさそうな男と結婚したらお嬢様が苦労するのは目に見えます」
「それは誤解だ。家事くらいはでき──」
「あんたは黙ってなさい!」
あらぬ誤解を訂正しようとするジールの言葉をリビアはあらん限りの胴間声で遮る。かつてこれだけ必死なリビアを二人は見たことがない。
「とにかく! お嬢様の相手は白馬に乗った素敵な王子様がお似合いです。
美しい髪も顔も体も全部、いまやこの国の財産なんですよ! ご自分の資産価値を自覚してください」
「白馬の王子様って……現実にそんな人いないよ」
あまりの夢物語にリンダラッドは思わず苦笑を漏らすが、当のリビアはまるで本気のように表情は真摯そのものだ。
「はぁぁ~……王族の責務なんて僕には重いなあ」
自身の双肩にかけられている期待を誰よりもリンダラッドは理解している。国益を損じることを許されず、いついかなるときもこのヒース国のことを思い動かされているようで窮屈さだけがその女性らしくなったら体を縛る。
「なにより、刺激的な事なんて何にも起きないし」
「それはこの国が平和な証です。なによりなことじゃないですか」
ジールがにこりと笑うがリンダラッドの鬱屈がその言葉で紛れるはずもない。
「確かに国が平和なことは良いことなんだけど、それなら尚更自由にさせてほしいよね」
「まあそれは……」
王族と言えば、その日常を知らぬ者からすればその身分を傘に着て自由奔放に振舞い生きているものだと勘違いされがちだ。しかし、娘のこと以外まるで頭にないような現国王のダナエですら一度王としての仮面を被れば決して歯向かうことを許さぬ威厳を纏い、国のためにいかなる苦渋の決断も逡巡も許さずに選択してきた。とは言え、それは非常時の折であり、平和な今は娘を溺愛するただの父親だ。そしてその娘であるリンダラッドも余暇を持て余していた。
「おかげでここの本も全部読んじゃったよ」
「全てですか……」
頻繁にこの場へと訪れ読書に耽っていたことはジールも知っている。しかし、この巨大な空間を埋め尽くすほどの本棚の数だ。そこに収蔵された本を全て読破されたと言われれば感嘆の声を抑えることが出来ない。
「六年だからね」
リンダラッドのその言葉にジールとリビアは眉が僅かに動く。
──六年──
果てしないように思えた旅が終わりを迎えリンダラッドが戻ってきたあの日から既に六年間が経過している。
「同じことばっかりしてるうちに六年も過ぎてるんだよ。毎日お父様からの縁談を断り続け、隠れて本を読んで、たまに招待されるパーティに出向く。そんな日々だけで六年か。この勢いだと一〇年も一〇〇年もあっと言う間かもね」
この六年間と言う時間はリンダラッドからしてみればあまりに語ることのなく味気ない日々だ。
「新世界の時が再び動き出した時から、僕の時は止まっちゃったみたいに何もないからね」
諦めたようにリンダラッドはにこりと笑う。
自分の望んだ世界が外にあるにも関わらず自由に飛び出すことすら出来ず、檻の中で本を読み続けるだけのリンダラッドは苦笑を漏らす。
『………………』
「……ちょっとだけお花摘み」
まるで喪に服すかのように黙りこくった二人を前にリンダラッドは椅子から立ち上がると錆びついた扉を開き倉庫を出ていく。
「お嬢様がこの六年間あんまり笑ってないのあんた気が付いた」
「それはわかっている。だが、どうしようにもない問題だな」
ジールもリビアも、愛すべきリンダラッドが望んでいることをわかっている。しかし、それに加担することは許されない。
ジールは護国の戦士であり、自らの命を天秤にかけてもリンダラッドを護ると誓った。それゆえに彼女がこの危険の尽きない外の世界へと徒手空拳で旅に出るなど決して容認することができない。
かたやリビアは、リンダラッドの美しさから目を離せない。女性としていまだ成長を残すその未成熟な体も、どこまでも自身に正直であり、それでいて自分勝手には決して振舞わないその性格も。
その美貌を汚す恐れは全て容赦なく取り除いていく。
「お嬢様が笑った姿を私は見たいわ」
「それは私も同じ気持ちだ」
白妙のレイ、つまりは好事を象徴するレイを持ったライダーであるリンダラッドだが、それを叶えることが出来ないことからの歯痒さにお互いの顔が苦虫を噛み潰したかのようになる。
普段から緩い笑みを浮かべているリンダラッドはその辺で政務を行っている家臣などよりもよほど腹のうちを読むことができない。
今、彼女が日常的に浮かべている笑みは、姫と言う立場が彼女に与えたものに二人は見える。
そんな彼女がかつて一度だけ、たった一度だけ大口を開けて笑った瞬間をリビアは見たことがある。
その笑顔をもう一度見たい。出来ることならば何度でも、自らの手をもってして笑顔にさせたい。
「やっぱりお嬢様と旅にでも出ようかな~」
「それを聞いた私が止めないとでも思うか?」
「あんただってお嬢様の笑みを見たいんでしょ」
「だからと言って──」
この六年間のうち何度もあったやり取りであり、いつも革新的な打開策を生み出せず終わってきた。今回もそんなところで落ち着くだろうと思っていた二人はおもむろに天井を見上げた。
「お嬢様遅くない?」
「……確かにな」
リンダラッドがダナエ王や家来達から隠れるために普段から使っているこの隠し倉庫だ。逆を言えばここ以外に城内においてリンダラッドが隠れ切れる場所などない。
「リンダラッドォォ、どこだあぁぁぁ!」
耳を澄ませば相変わらず城内にはダナエ王の悲痛な声が響き渡っている。つまりリンダラッドはいまだ見つかっていない。にもかかわらずこの隠し倉庫にもその姿はない。
「……まさか!?」
「今、私も同じことを考えたわ」
期せずして二人は顔を見合わせる。
◆◇◆
「出ちゃった……」
隠し通路を通ったとは言え、こうも簡単に城内から飛び出すことが出来てしまうことにリンダラッドは飽きれてしまう。
身を隠すためのローブで全身から顔まで覆ったリンダラッドはまじまじと城下町を見つめた。
六年間、城内で過ごし溜まった鬱屈が僅かだが吐き出されていく感じがする。
市井の人々の持つ活気は、城内に滞留しているものとはまるで別物だ。
「まあ六年も大人しくしてたんだし、少しくらい街を見物する褒美があってもいいよね。うん。そうだ。これは自分へのご褒美ってことで」
自らの行動を正当化するようにリンダラッドは何度も頷いてみせてから再び街を眺める。
頼めばジールなりが護衛にはついてくれるだろうが、そうなれば大名行列であり、市井の日常など覗くことは叶わない。
「バレるまでまだ時間はあるよね」
隠し通路を抜けて街へと出てきた。仮に脱走がわかるとしてもリビアとジールくらいのものだ。
彼らが脱走に気が付いて街を警備する憲兵達に人知れず勅令を告げるとすれば、時間にすれば一時間程度だろう。
リンダラッドとしても事を大きくするつもりなど毛頭にない。一時間もしないうちに城へと戻るつもりだ。
「これだとまるで逆シンデレラだなぁ」
自身が望んだ世界の全てを見ることが出来なくてもせめて、城の外に構えられた城下町を一時間くらい見ることは許してほしいところだ。
所詮非力な小娘一人。この世にたった一人の白妙のレイを持っているライダーだが、輪転機構無き今はそれは何の力にもなりはしない。
「はあぁ~……僕もレイ・ドールが使えたらなあ」
結局のところリンダラッドのレイで動くレイ・ドールは輪転機構のみであり、既製品のレイ道具はぴくりともしない始末だ。
「残酷だよなあ。六年前から色んな場所に行って見てみたい欲求は増すのに、僕にはその力が無いんだもん」
この世界の全てを見ることなんてとうに諦めた。城で豪奢なものに囲まれ姫として再び帰ってきたあの日から。普段は決してこぼれない愚痴が今日に限っては口を突いて出る。
「っうわぁ!」
「どこ見て歩いてやがんだ!!」
愚痴こぼして歩いていたリンダラッドは気が付くと男の背中にぶつかっていた。筋骨隆々の体を隠すことのないタンクトップの禿頭だ。派手に傷の入った太い腕を覆うように刺青が入っている。腰に携えた大斧はリンダラッドを軽く両断できる代物だ。
「ご、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてて……」
「女か?」
「うわわっ!!」
男の野卑で太い腕がリンダラッドの手を強引に掴み持ち上げる。めくれ上がるローブの下からその白糸を紡ぎあげたような美しい長髪がこぼれる。
「へえ。こりゃご機嫌になるくらいの上物だ。どこかで見た顔な気がするが……って、この国のお姫様じゃねえか!」
その碧眼白髪を見つめ眉根を寄せた男が、目の前の女性を思い出すのに一〇秒も要さなかった。
周囲に助けを求めたかったが、自分の不注意からそこは既にお天道様の当たらない裏路地だ。
巨大なヒース国も表こそは人々が平穏を享受できる場所だが、裏路地には人の目に映ることのない悪が潜んでいる。助けを求めたところで素直に助ける者などたぶんいないだろう。
それ以上にリンダラッドのことを知られれば状況が更にややこしい方向に進むことは容易に想像できる。
「俺にも運が向いてきやがったな。まさかお姫様が転がり込んでくるなんてよお」
「あの~……僕をどうするんですか?」
まるで危機感のない呑気なリンダラッドの言葉に男は再び眉根を寄せた。
「そうだなあ……お前さんを盾に身代金でも貰うか。とは言ってもこの国には最強のライダーもいるから、真正面からぶつかり合うのも良くないな。
そうだ。簡単に応じられる金額を提示して小金を稼いでこの国から逃げる。これだな」
「小金を稼ぐだけなの? もっと国を乗っ取るとか、私を利用してジールを倒して最強を奪うとか、みたいなことは?」
「そりゃ、お金は欲しいし最強の名だって魅力的だが、まずは自分の命が一番大事だからな。危険を冒さず金だけ手に入れるナイスな考えだ。ましてや最強のライダーと相まみえるなんて命が一〇〇個あっても足りやしないからな」
喜ぶ大男に吊るされたリンダラッドはため息を一つ吐く。
大男の言葉はまるで謙虚にすら思えてしまう。欲望のよの字すらもないような小さな願い。命すらも賭けて手に入れたいもののためにありとあらゆる手段を尽くすことこそリンダラッドの知る欲望だ。
「とにかくお前は俺からは逃げられねえんだから交渉まで大人しくしてな。下手に逃げようとしたらその綺麗なお顔が民衆に見せられないものになっちまうぜ」
壁にリンダラッドを押し付けるようにして腰の大斧を手に取った大男は鬼気迫る顔で睨みをきかせる。リンダラッドはこくんと首を縦に頷かせた。
何ら魅力を感じない大男だが、自分はその大男にすら歯向かう力を持たない。その非力さを声に出して嘆くような真似はしない。ただ、もしも嘆くならば、なぜぶつかった男がこうまでも野心を持たない男だったのか。その一点だだけだ。
自分の無色透明のレイに色を与える強い意志。
たった一度だけだったがそれは確かにあった。朱金の強欲を持つ者。
「さあ俺と来るんだ」
「い、痛っ!」
大男がリンダラッドの細腕を握り潰さんばかりに握る。
苦痛の声を一つ上げたところで、損得勘定せずにこの状況を救う奇特な御仁など現れるはずなどない。それこそリビアの言っていた白馬の王子に負けず劣らずの夢物語──のはずだ。
「おい、あんた」
「ああ?」
予想もしないところからその声は聞こえた。
声の主は裏路地を挟み込むように立った建物の屋根の上からだ。
「良い女連れてるじゃねえか。そいつは俺様がもらうぜ」
「ああ! 何言ってやがんだ! 俺が誰だか知って言ってるのか?」
「俺様が欲しいって言ってんだから奪わせてもらうぜ。相手が誰だろうと関係ねえな。よっと」
逆光で姿の見えない男はあまりに理不尽な物言いを吐き躊躇なく屋根から降りる。
雑に背中まで伸びた明るい橙色の髪に生傷の絶えない体を隠すどころかより目立たせるような黒のマント。そしてその背中に入った頭蓋を金貨で叩き割られながらも尚微笑む髑髏。
六年前とは違い漆黒のマントはツギが増えているがその欲望にギラついた男の双眸も、人を見下し嘲笑うかのような髑髏も何一つとしてリンダラッドの記憶した姿そのものだ。
「リンダラッド様の居場所に心当たりは?」
「城を出たなら私にあるわけないでしょ!」
螺旋階段を駆け上がり赤絨毯を大股で歩く二人にすれ違う給仕が何事かと目を丸くする。
「おや、お二人さん。奇遇やな」
「……なんでいるのよ?」
通路の角を足早に曲がった二人の先に突然現れたのは見えているかどうか怪しいほどに細い目をし、大の大人が一人は悠に入りそうな葛籠を背負った女性、テア=フェイラスだ。
「相変わらず仲良さそうですね」
テアのすぐ後ろから角を曲がって修道服に身を包んだシャーロも現れる。その手には相変わらずの聖書と酒が握られている。
「そら行商やからな。王族も立派な商売相手や。まあ本当の目的は二人にも教えたい噂があってやな。ところでお姫様は。一番に伝えたいことがあるんやけど……」
「今は忙しいから話ならあとで聞いてやる」
取り付く島もないジールが早足に赤絨毯の上を歩いていく横をテアは小走りで追いかける。
「いや~どうしてもあんさんに話しておきたいことがあるんでな」
「私が聞く意味のある話なのか?」
「まあ、聞いてから判断しいや。この情報には金は取らんからな」
「でっ、その噂ってなんなのよ」
「あの男がこの西に戻ってきてるっちゅう話や」
「……」
テアの言葉にジールはぴたりと足を止め向き直る。
あの男。具体的な言葉何一つなく『あの男』とだけ曖昧に形容されただけでジールとリビアは咄嗟に一人の男を思い浮かべた。
思い浮かべたくない。出来ることならば関わった記憶を抹消したい存在だ。それにもかかわらず決して消すことが出来ないほどの存在感を放つ男。
「その話は本当か?」
「まあ信じるも信じないも自由やけど、悪戯に嘘を巻くような真似はしないのがわいの信条や。なにせ情報屋自身に信頼が無いと売れる情報も売れへんからな」
「ジール……嫌な予感しかしないんだけど」
「……これは不味いかもな」
いかなる戦場ですらその冷静の仮面を崩すことのないジールの僅かばかりだが隠し切れない動揺が上ずる声に表れている。
「ひぃぃ──!」
「まあこんなもんだろ。そ~れ~よ~り~も~」
敗れ裏路地の更に奥へと走っていく大男の背中などヒュウからしてみれば見続けていたい光景などではない。それよりもだ。
奪った女のご尊顔を一刻も早く拝見したいが一心に振り向いたヒュウの鳶色の瞳に女の顔が映る。
女は、怯える様子もなくただ、大きくくりっとした碧眼の瞳にヒュウを映す。緩い笑みを浮かべた薄桜色の唇に整った鼻梁。
「久しぶり」
「どこかで会ったことあるか?」
目の前で佇む女をヒュウは全く思い出せない。
自慢にはまるでならないが良い女の顔だけは決して忘れないことがヒュウの特技だ。しかし目の前の女性に皆目見当がつかない。この街で記憶に残っている美女と言えば性格破綻者のリビアだけだ。
そのリビアと目の前の女性は似ても似つかない。
本気で思い出せないヒュウの態度に女は頬を膨らませる。
「こら。僕を忘れるな」
「いでっ! なにしやが……ボク?」
助けて褒められこそすれまさか小突かれるなど思いもしなかったヒュウは女性を前に目を細める。
女の言葉、そして決して絶えることのない緩い笑み。ヒュウの小さな脳に収まった記憶のなかにひっかかりを覚える。
「うん。リンダラッド=ロエス。白妙のレイの! 忘れたなんて言わせないよ」
「……!!!!?????!!!」
ヒュウはその鳶色の眼を見開いて目の前の女を上から下まで眺めた。
ローブ越しに僅かに見える体の曲線は歴とした女性のものであり、薄桜色の唇と鮮やかな碧眼はヒュウの記憶のなかに残るリンダラッドとあまりに違い過ぎる。
「お前って……男じゃなかったのか? いや女だっけか? 全然覚えてねえや」
「……………………僕は元々女だよ」
「そうだっけか?」
そもそも男とも女とも認識してなかった。ヒュウからしてみれば性別以前に『クソガキ』に存在がカテゴライズされていたため、リンダラッドを女として扱った記憶が何も残っていない。
「前までちんちくりんだったのによくぞまあ……」
成長の余地を十分に残したあどけない顔つきだが、少女から女性へと片足を突っ込んだその姿は男とも女とも区別のつかない六年前の姿とはまるで違う。
なめまわすようにヒュウが再び顔からゆっくりと足元まで視線を這わす。
「それよりも君がなんでこの国にいるの?」
「ちょいと物資の補給ってやつだ。ヤベッ!」
何かから隠れるようにヒュウは裏路地の更に奥へと潜り込む。建物に挟まれ陽光の入り込まない裏路地から覗き込むようにして表通りを見た。
「──あの男はどこだ!」
「うちから物を盗んで!」
「こっちは盛大にタダ食いされたんだ!」
「見つけたらタダじゃおかねえ!」
騒がしい一団が表通りは駆け抜けていく。その血走った瞳は間違いなく誰かを探している様相だった。
隠れているヒュウを見る限り、想像に難くないリンダラッドはヒュウの肩を叩く。
「あれって君でしょ」
「そうだよ。なんか文句あんのか?」
「僕はないよ。それよりも君がこの街に居る理由の方が気になってるんだ」
「特別にお前にだけ見せてやるよ」
ヒュウはおもむろにズボンのなかに手を突っ込み股座を弄ると一枚の紙を取り出すがリンダラッドはおもむろに顔を顰める。
「隠す場所を少しは考えなよ。なんか匂いそう」
「うるせえな! 俺様の股間はいつだって清潔だ。いいからこいつを見ろよ」
顔に押し付けるように迫った一枚の紙は地図だ。見たこともない大陸まで描かれ、その規模はリンダラッドの知る地図を遥かに超えている。
鼓動が高鳴る。
疼くことを諦めていた白妙のレイが全身を覆っていくのがわかる。
「北の果てで手に入れたこいつによると、南の果ての、このちっぽけな離島に隠された財宝があるって示されてるんだよ」
ヒュウは地図の隅っこにぽつりと浮かぶ離島を指さし笑う。
その鳶色の瞳に黄金のレイが宿る。
全てを手に入れなければ済まない強欲。命を賭けることに何ら逡巡も見せない強欲のライダー、ヒュウ=ロイマンそのものだ。
「北からこの西まで来て、物資補給もしたし次は目的地の南に向かって財宝を手に入れてやる。
これ以上長居する意味もないし、この国ともおさらばよ」
「僕もその旅に連れてってよ!」
リンダラッドは地図を握ったヒュウの手の上から被せるように細い指で手を被せる。
熱に浮かされたように朱に染まる頬を隠す素振りもみせずにヒュウの鳶色の瞳を見た。
「いやだよ。こっちに何のメリットもないのになんの罰でまたお前の小守をしなきゃならないんだよ」
「メリットか……」
リンダラッドとしてはこの答えは予想していた。そして一字一句当たっていた。ヒュウはリンダラッドが知っている六年前から何一つ変わらない。
予想通りの返事が来たことにリンダラッドは僅かに首を傾げて自身を指さす。
「僕を、あげるよ」
「はぁ?」
ヒュウの険のある目つきがその言葉に見開かる。
「これでもリビア以外にも綺麗って褒められるくらいにはなったし、王族としての価値もあると思うんだよね」
「じゃあ何か? 俺様の命令に何でも従う奴隷になるって言うのか?」
「もちろん構わないよ。ただし旅が終わってからね。今この場で君のお願いをなんでも聞いちゃうと『ついてくるな!』とか言われちゃいそうだし」
リンダラッドの言葉にヒュウは腕を組んで唸る。
目の前の女の価値を値踏みする。決して悪い条件ではない。一国の姫、それも美人を奴隷として敷けるなら悪くない。だがその条件はあくまで旅の終わりまでリンダラッドを守り続けなければならない。ヒュウとしてはそれは面倒だ。
出来ることならば美味しいところだけ欲しい。しかし模索したところで妙案が浮かんでくるはずもない。
「ああ~……しかたねえな。ただな、なんか金目のものとかねえのかよ。成功報酬だけで俺様についてくるのは虫が良すぎるだろ?」
ヒュウは親指と人差し指で輪を作りやらしく笑う。
「お金か~……今は手持ちなんてないなあ。お金は無いからこれで……」
不意にリンダラッドのあまりに大きな碧眼の瞳がヒュウを映す。
「んぐっ!!!」
あまりにも予想していなかったリンダラッドの行動にヒュウは思わず目を見開く。彼女の薄桜色の唇が、への字を描いたヒュウの唇に触れる。
突然のことに何が起きたか理解できなかったヒュウの鼻孔を甘い匂いがくすぐる。
ほんの数秒程度の接触だったが互いの息がかかるほどの距離でお互いにレイを宿した瞳が互いの瞳に映り込む。
「こんなちっぽけなキスくらいで路銀代わりになると思ってんのか。どうせなら最後までヤらせやがれっ!」
互いの体を離さないよう抱きしめようとするヒュウの腕をひらりとかわしたリンダラッドは緩い笑みを浮かべる。
「最後までやったら成功報酬じゃないじゃん。続きは旅の終わりにね──」
「こっちに盗人がいたぞぉぉ!!!」
「そっちか!」
「逃がすかあ!!!」
耳鳴りするほどの警笛がヒース国の城下町に響き渡る。まるで誘蛾灯のようなその音に血走った目で町人達が集まってくる。
「ヤベッ! 見つかった! 行くぞ!」
「うわっ!」
駆けだすヒュウはリンダラッドの細い腕を掴んで思いっきり引っ張ると懐から一枚のカードを取り出す。
ヒュウの全身から溢れんばかりの黄金がリンダラッドすらも覆ってしまう。全てを求め、全てを支配しなければ納得しない黄金のレイが注がれるレイ・カードを雲一つない空に向かい翳す。
「宝を手に入れに行くぜ! ゴォォルドキングウゥ!!!」
天空を穿つ眩い黄金の柱が城下町の一角に吹き上がり天を貫く。
どこまでも欲望の尽きることのない声と共に。
ヒュウ=ロイマン。最低男。卑怯、裏切り、何でもあり。他人に厳しく自分に甘い。
その名を知るありとあらゆる者達から忌避される存在であり、名前を発することすら禁じられる地方もある。
一介の賞金首に過ぎないたった一人の男にも関わらず彼に関わる噂はあまりに多い。
男だ。女だ。
最高だ。最低だ。
英雄だ。愚者だ。
謙虚だ。強欲だ。
天才だ。阿呆だ。
正直者だ。嘘つきだ。
幾多もある噂のなかで真実だけを知る者はいない。




