15-3
◆◇◆
不思議な光景だった。
息を呑むほどに美しく中性的な少女、紛れもない自分が足元にいた。
重力の鎖から解き放たれたかのように自身の体が不安定な浮遊感に包まれている。
「おーーい」
少女が呼びかけるように声をあげてみせる。
しかし、誰一人として宙に浮いた少女の姿を見てはいない。
それどころか怪訝ともとれる表情とともに眼下にいる少女を見つめたまま動かない。
「お……嬢様……?」
好奇心の輝きに満たされた宝石のように美しい碧眼には昂然とした白く光を携え、ただ消えた表情でリビアの呼びかけに応じるように白き輝きを放つ瞳を動かす。
「僕がもう一人……しかも僕は皆に見えない……と」
腕を組んでリンダラッドは口をへの字にして唸ってみせた。
自分がオリジンのライダーであるならば今の状況に説明をつけることができないわけではない。
過去に一度、悪逆非道のヒュウ=ロイマンが、本来ならば操る立場にあるオリジンに自身の体を奪われていたことがあった。
それと照らし合わせれば考えるまでもなく答えが出た。
「体を奪われたわけだ」
体を奪われたことに酷く嫌悪感を示したヒュウとは違いリンダラッドは小さく何度か頷いてから笑みを浮かべた。
これはこれで非常に貴重な体験であり、リンダラッドの知識欲を否応なく刺激する。
「私を呼び覚ましたのは誰だ?」
リンダラッドの宝石のような碧眼とどこか真意の読めない笑顔は影も形もない。
少女はその白桃色の血色の良い唇を震わせ声をこぼす。白き輝きに冒され輝きを失いつつある碧眼の瞳で周りを一瞥する。
「お、お嬢様?」
リビアの不安を隠せない震えた声の呼びかけに対してリンダラッドは何一つ反応を見せないまま辺りを見渡す。
何の凹凸すら見当たらない『虚空』という言葉をそのまま空間として構築したかのような世界に少女は僅かに口端を持ち上げてシニカルな笑みを浮かべてみせた。
「そうか。輪転機構の中か。と言うことは……」
面影のない表情でリンダラッドの形をしたものは今度はその場に居合わせた者たちの顔を見た。冷たく、感情のない笑み。
心を突き刺すようなその怜悧な視線にリビアは僅かに背筋が寒くなる。
目の前にいる少女はリンダラッドの姿こそしているが、自分が愛してやまない、それこそ比喩などでなく目に入れても痛くない存在のリンダラッドとは別人であることを嫌でも教えられる。
「どうやらオリジンは全員ここに揃ってるな」
「久しぶりだなベナグラ。とは言っても俺自身が会うのは初めてだがな」
「ガーベラのライダーか……それに他のオリジン達とこうして顔を合わせるのもおよそ何千年ぶりだだろうか」
「お嬢様はどこだ?」
二人の会話に割ってはいるようにジールは少女の前に立つ。
見下ろした視線、そして体から蒼白の輝きが漏れ出ている。
護るべき存在。それを聞き出すためならばいかなる手段も辞さない覚悟だけが瞳のなかにあった。
「蒼白のライダー。彼女なら今はここにいるよ」
少女の浮かべた笑みは蒼白のレイを前にしても揺らぐことなくただその小さな指で己の心臓に位置するところを服越しに指差す。
「安心しろ。死んだわけではない。ただ私が白妙の賢人として役目を果たすために表に出てきただけだ」
白妙のオリジンであるベナグラに乗っ取られたリンダラッドの言葉にジールは即座に、以前オリジンに体を奪われたヒュウのことを思い出した。
「ならばお嬢様を返せ。今すぐにだ」
落ち着き抑揚のきいた声。
動揺など微塵もない言葉の端々から殺意とも憤怒ともつかない感情だけが溢れている。
「残念だけどお前に彼女は渡すことは出来ない。ブラクス」
「貴様の相手はこの私だ」
少女とジールの間に立ち塞がったのは錆びにも近い赤銅色の鎧でその巨躯を覆ったライダー、ブラクス=アンデ=グランズだ。
その顔を派手に横断した横一文字の傷を見上げながら二人は視線を交錯させる。
ブラクスの瞳には殺意と憤怒だけが渦となって歪な赤き銅の輝きとなって放たれている。
「ベナグラ。お前の役目はしっかりと果たしてもらう」
「もちろんだ。そのためにわざわざ出てきたのだから」
ラゼロの言葉に頷いたベナグラはその少女の体でゆっくりと膝をつき、凹凸のない平面の世界に手を当てる。
突起の一つすら感触のない地に手をつき指先から白の光が世界へと流れていく。
「億の世界を創造し、終了を迎えさせてきた輪転機構。主の権限により起動を許可する」
少女が触れていた床に刻まれた幾何学の紋様。それらが素体となり組み合わさることで生み出される歯車がゆっくりと地から這い出る。
生み出された無限の歯車は少女を囲むようにして巨大な塔を組み上げていく。
「り、リンダラッド殿!?」
「お嬢様!?」
永遠に地の底から湧いて出る歯車によって狂い一つなく緻密に組上げられていく塔は、少女を部品の一つとして取り込み、その姿を瞬く間にジールの声の届かない高さへと押し運ぶ。
「さあ世界を壊し作る準備は整ったな。
あとは誰の世界を作るかを決めるだけだ」
ラゼロの深く暗い瞳の奥に更なる漆黒の光が宿る。
病的なまでに歪んだ笑みを浮かべ諸手をあげたラゼロの前に、今なお、部品を取り込みその肥大化が止まることのない塔が聳え立つ。
「お嬢様を返せ!」
「そいつを俺に言うのは筋違いだな。
最後まで生き残って世界を作り出せる立場になったときにベナグラにそれを望むんだな。
そうすればお前の望む世界が出来るぜ」
ブラクスの影でラゼロは歪な笑みと共に頂の見えない巨大な歯車の塔を指差す。
「……貴様達二人を倒せばお嬢様が救い出せるのか?」
「それは私を斃すということか?」
「それがお嬢様を救う方法になるならば、無論」
いかなる手段を用いてで自らが仕える主君を守る。それこそが高潔そのものである蒼白の騎士ガリエンであり、それを操るジールだ。
この場でブラクスと戦闘が始まることに何の躊躇いもないジールは、自身から放たれる蒼白のレイが、レイ・カードであるガリエンへと流れ込んでいく。
「……私も待っていた」
目の前で蒼白のレイを放つ最強にして無敗のライダーを前にブラクスは僅かに口の両端を持ち上げその目を見開く。
「ジール=ストロイ」
目の前にいる男の名を誰に聞かせるでもなくブラクスは囁く。
蒼白のオリジンを操り、手にした『最強』の称号にいまだ誰一人として傷をつけることすら許されずに男は戦場を駆け抜け伝説を立て続けてきた。
この日をどれだけ待ち望んだか。
一日千秋などと表現するにはあまりに生温く適切でない。一秒、刹那ともとれる一瞬ですらこの身が怒りで壊れてしまいそうななかで、悠久にすら感じられる時間を数えついにこの日が来た。
「貴様を殺し、最強の称号は返してもらおう」
ブラクスがゆっくりと踵を返したことにジールは思わず目を丸くする。
先ほどまでの一触即発の空気からは考えられない行動だ。
「なぜ背を向ける?」
「貴様のことだ。口でなんと言おうとここで戦えば周囲を意識せざるをえまい。そんななかで戦うことは私とて望むところではない。
私たちの戦いに相応しい場を用意してある」
ブラクスの言葉にジールは自分の後ろで構えているリビアを始めとした面々に一瞥くれてみせた。
オリジン同士の戦いともなれば周囲への被害は否応なく激しいものとなるだろう。そしてその戦いのなかで他の者を守ることに力を割くことができる保証はどこにもない。
「さあ。こっちだ」
ブラクスがジールをを呼びつける、何一つなかったはずの空間に扉が現れる。獅子の頭をレリーフにした豪奢の扉をブラクスは開く。
「そう言って罠に嵌めるつもりなんじゃないの?」
扉を潜ろうとするリビアの言葉にブラクスの足が止まり、銅のレイがその鎧を超えて巨躯から放たれる。
禍々しく強大な怒り。
「この戦いを愚弄するか、女……」
「なな、なによ!?」
僅かに顔を振り向かせ睨み付けたブラクスの瞳に宿る光は怒り、殺意、憎悪。人が生み出す負の感情の全てが渦となり赤銅と化した輝き。
己の最強への思い。それが例え神であろうとも愚弄することは許されない。
感情の迸りがレイを銅の雷へと変えブラクスを包む。
あまりに満ち満ちた殺意の視線にリビアは思わず輪蔵の後ろに隠れる。
「貴様が戦いたいのはこの私だろ。相手を間違えるな」
殺意の視線を浮かべたブラクスの横をジールは通り過ぎると何事もなく扉を通過する。
それを追いかけるようにブラクスもゆっくりと扉の中へと姿を消す。
「ふぅ……」
「リビア殿、拙者を盾にしないでほしいでござるよ」
「いやだって、あんな目で睨み付けたら、か弱い乙女の私なんて即お陀仏じゃない」
か弱い乙女がオリジンを操るライダーにあんな言葉を放つとは思えないが輪蔵はその言葉を飲み込み、塔を恍惚とした表情で見つめるラゼロを見た。
漆黒のマントが風もない空間でただ静かに揺れている。
ブラクスとジールが消えた今、この場に残るオリジン、そしてそれを操るライダーが三人。
「できたぁぁぁ!!」
「わっ!?」
「なんや!」
突然の無思慮で喧しい声は時を刻む音すら壊しかねないほどの音量で空間に響き渡る。
「見ろ! 俺様が作り出した美女だ!」
「これは……なかなかでござるなあ」
ヒュウが鼻を一つを鳴らして見せ付けたそれはさきほどの粘土ともスライムとも取れるものとはもはや別物であり雲泥の差だ。
抑揚のきいた体つきに艶かしい曲線。淫靡とすら思えるほどに扇情的なドレス越しの胸の張り。
ヒュウの妄想の産物と言うことをわかっていても輪蔵は鼻の下が伸びる。
「確かに素晴らしい出来ですね」
酒瓶を片手に緊張感のまるでないシャーロもヒュウの作り出した美女をまじまじと見た。
「いや、触れないことが実に惜しい」
「触れないっ!? なんでだよ!」
シャーロの一言にヒュウはその鳶色の瞳を見開くと、微笑みを浮かべた美女の腰に手を伸ばす……が、残念ながら熱も肌の柔らかさも、心臓の音も、何一つとして存在している気配に触れることができない。
ただ虚しくすり抜けていく。
「俺様の理想の女が……せっかくここまで凄い創りだって言うのに」
「別に触れる方法がないわけじゃないですよ」
「……マジか?」
がくんと膝をついたヒュウはシャーロの言葉に煌々と輝かせた瞳を向ける。
「この輪転機構で作り出した幻を現実にする方法は、他のオリジンを全員倒して次なる世界の創造権を手に入れちゃえば良いんですよ」
あっけらかんと何の緊張感もないシャーロの言葉にヒュウは怪訝な表情を浮かべる。
「つまりまずはお前から倒せば良いってことか?」
おもむろにヒュウの瞳に敵意と高揚感を孕んだ危険な黄金の色が宿る。
望むものを全て奪うその『強欲』の輝き。その歪にして強大な輝きを前にシャーロは大きく頭を振ってみせた。
「私のことはお気になさらずに。そもそも世界の創造主を決めるこんな戦いに参加する気は一切ないので」
「なんや!? あんさんは参加せえへんのか?」
喉を鳴らして派手に酒を煽って飲んだシャーロは、糸目を僅かに開いたテアを見ると普段どおりの屈託のない笑みを浮かべる。
人の心すら奪いかねないほどの整った笑み。もし、その手に抱えているものが酒瓶でなく聖書だけならば人々を救い導く者の代名詞である牧師としてこれ以上ない姿だったろうだ。
「はい。私は全てを見届けたいだけですからね。テアさんと一緒ですよ。
自分が仕えてきた存在が何なのか。そしてこれから信望するものの正体を見に来ただけですよ」
「んじゃ俺様はどうすりゃいいんだ?」
「まあジールさんはあのでっかい人とどっか行っちゃったので、きっとあそこの黒のライダーが敵に……なるんじゃないですかね?」
シャーロは持っていた酒瓶の先で、いまだ肥大化を続ける歯車の塔を恍惚とした表情で見上げるラゼロを指差し、疑問符を浮かべながら答えてみせる。
「黒のライダー……こいつは都合がいいぜっ!」
たった一度。しかしヒュウにとっては忘れることなどできるはずがない。
命をかけても欲しいものがあった。手に入れれば一国すらも容易に創り出すことができるほどの価値を持った巨大なレイ石の結晶体。それを横から奪い取っていった黒いオリジンであり、それを操っていた張本人が目の前にいる。
「そんじゃまずはあいつからぶっ殺してくるかぁ! そんで全部俺様が手に入れてやる!」
懐から銃を取り出したヒュウは黄金の輝きを宿したまま一切の躊躇い、逡巡、気後れを見せずに走り出す。
世界が手に入る。決して比喩などではない。そのお宝を目の前に『強欲』の疼痛が体を支配する。
「なんていうか、大丈夫でござるかな」
「どうなんでしょうね」
輪蔵の呟くような言葉に対してシャーロは酒を飲んでまるで無責任な言葉とともに首を傾げた。




