14-1
◆◇◆
要塞とも彷彿させる断崖絶壁の山脈に囲まれ、何人たりとも正門以外からの侵入者を許すことのない城壁の輪に囲まれたベルデガーレ城。
その城内。そして王が居座る間ともなれば、本来活気があり赤絨毯を挟み左右に立った忠臣達が平和に飽きてこぞって下世話な噂話に花を咲かせているはずだが、いまやそのときの面影を微塵も残していない。
鬱蒼とした空気に包まれた王の間で男は玉座に肘をつき座っていた。
猛禽類のような険のある鋭い目つきに不健康な隈を目元に作った男。羽織った黒いマントは男の小柄な体を覆っている。
ゆっくりとだが確実に男の描く『始まりの刻』が迫っている。それを待ちきれないかのようにため息をこぼすその顔には人の努力を嘲笑い決して幸福をもたらすことのない笑みが浮かぶ。
「ラゼロ。回収しに行ってくる」
鮮烈な赤に豪奢な刺繍が縫い付けられた赤絨毯を踏みつけ寂れた王宮の間へと入ってきたのは赤褐色の重鎧にその巨躯を覆った大柄な男だ。
見る者全ての視線を集中させる派手な傷が顔を横断している。獅子の鬣の如く逆立つ髪はまさに怒髪天を衝くを形にしたかのようだ。
「そうか……今日だったか」
「ああ。あと少しで『始まりの刻』が起こせる。そしてそこが俺とジールの決闘の場になる。そうだろう?」
「そうだ」
どこからか吹き込んできた一陣の風が玉座裏を隠すかのような幕をそっと揺らす。
暗澹とした空気のなかに末紫の輝きが浮かび上がる。
生き物同様に胎動する巨大な石。
傍目から見れば不気味に輝くそれは繭とも見える。
「あともう少しレイ・ストーンを喰わせれば『刻』が動く」
ラゼロの歪な笑みに対して大男は眉を潜めて睨みつける。
互いに信頼など毛頭にない。ただ、そこにあるのは己が欲求を満たすために利用し合うだけの純粋な利害関係のみ。それ以上でも以下でもない。たったそれだけの関係だ。
大男は踵を鳴らして玉座を出ていくのを見届けてラゼロは再び不気味に輝くレイ石を見た。
「ブラクス=アンデ=グランズ。
御し難い男だが俺の目的を果たすための大事な駒の一つだ。あとは他の四体のオリジンが手に入れば……ふふふ」
不気味に笑うラゼルの声だけが玉座に響かせながら立ち上がると、西の空を見た。
「回収の時期に高潔の騎士も同時に訪れることになるとは……これも『始まり』の因果か。この世はほんとに面白い。ククク」
薄気味悪い声で肩を震わせて笑うラゼルに対して、玉座の裏で拍動しているレイ石の結晶体が応えるように一度大きな脈動を鳴らしてみせた。
◆◇◆
東の果てまで続く街道を遮るかのように立っている巨大な石門。
交易の名の下に往来する商人を、王家の誘いによって訪れる貴族を、色眼鏡なく検閲する巨大な関所の門が、東へと続く街道の上にましましと鎮座している。
「なんで通してもらえないんや!?」
「通行証を持ってるのか?」
「そないなもの必要やなんて誰も言ってへんかった!」
関所の前で槍を構えた男を前に姦しく吠える小柄な女性は、身に纏った修道姿が恐ろしく似合っていない。
犬が吠えるかのようなその声に槍を構えた兵はおもわずたじろぐ。
情報屋、テア=フェイラスは二人の男にまるで怯むことなく金切り声をあげた。
「うちが情報を間違えることあるかい。ここに関所なんてなかったやろ!」
「この関所はベルデガーレ王が至急作るよう命じたものだ」
「ベルデガーレ王……」
テアだけでなく、後ろで草原に腰を落ち着かせて酒瓶を煽り飲んでいるシャーロ=メアン=フランキスもその単語に僅かに顔を顰める。
二人の目的地である、全てが始まる夜明けの方角に位置している極東の大国だ。
「ここを通ることは、通行証が無ければ例え王族であろうとも通すことはできない」
「……無茶苦茶やなあ」
向けられた槍を前にテアは両手をあげ、ため息まじりでくるりと振り向く。
いかに王族であろうとも通行証が無ければ通すことは出来ない。かといってこれほど融通のきかない関所も稀なものだ。
少なくとも情報屋のテアとしてはこれだけ厳重な関所を見ることは初めてだ。
石門の上には弓兵が構え、門前には幾人もの武装した男達が立っている。
これほど厳重に警戒している関所では、逆に、東へと続いてる街道。その先に何かが隠されていることは主張しているかのようだ。
「こら」
「いたっ!?」
疼く好奇心を抑えメアは酒を飲み続けているシャーロの頭を叩く。
長身痩躯を覆った黒の牧師姿に整った鼻梁は女性がいれば黄色い声がかかること間違いなしの顔立ちだ。
「あんたも関所を通れるように協力しいや! あんたかて、目的の場所はベルデガーレなんやから!」
「うーん……」
酒瓶を片手にシャーロは首を傾げて後ろに団子状に縛った新緑色の髪をかいてみせる。
寝るときも風呂に入るときも離すことのない酒瓶を抱えたままシャーロはちらりと関所を一瞥すると、兵たちの鋭い視線が睨みつけてくる。
「完全に警戒されてますね」
「力押しでいけるかと思ったんやけど、ああまで頑固やと逆効果みたい……やってもうた」
「そんな状況で私が手伝えることなんて……これですかね」
シャーロはおもむろに持っていた聖書を開くとそこから一枚のレイ・カードを取り出す。
枠縁が緑青色。
この世に六体しかいない、絶対の力を持つ始まりのレイ・ドール『オリジン』の一体、レロン。
「あかん! こんなところでオリジンの力使ったら目立つやろ」
「大丈夫ですよ。私の力なら見た人全員懐柔することくらい訳ない話ですよ」
若干目が据わっているシャーロはゆらゆらと不安定な足取りでレイ・カードを握りしめ、さきほど締め出された門へと向かう。
「ま、待ちやっ────」
「なんで通れねえんだよっ!!」
テアの制止の声に割り込むように喧嘩腰の騒がしい声が静謐に包まれた草原に響き渡る。その声はシャーロの酔いを吹き飛ばすかのように喧しい。
思わず二人の視線が門へと向けられると旅の一団が、テア同様に兵たちに阻まれている。
それも一人の男に限っては今にも暴れかねないと思われるほど額に血管を浮かべ構えた槍を突き付けられている有様だ。
「やめろ。関所が構えられ、私達に通行証が無いならば通ることはできない。その道理に私達が反するわけにいくまい」
まるで怪獣の鳴き声のように喧しい声を上げる男に対してもう一人の男が抑揚のきいた声で語り掛ける。が、男は聞く耳を持たず騒ぎ続ける。
ざんばらに切られた橙色の髪に所かまわず叫ぶ図々しさ。そして何よりも、男が纏ったマントに刻まれた金貨で頭蓋を割られ嘲笑うされこうべ。
「あんな邪魔くせえ関所なんてぶっ壊しちまえば良いんだよ!」
関所の兵達に聞こえようとお構いなしに鼻息を荒くして叫ぶヒュウ=ロイマンは、理性のフィルターなどなく思ったことがそのまま口から突いて出る。
「関所破りからの不法入国は重罪のうえにも重罪だ。そんな蛮行を私がみすみす見逃すと思うか?」
ヒュウの欲望に塗れた瞳を真っ向から受けとめたジールはその手にレイ・カードを握る。
その体から僅かに蒼白のレイが立ち上る。
「いいでござるか? 止めなくて?」
「あの二人の喧嘩なんて日常茶飯事だし、今更止める気なんて起きないわよ。言ったところで止まらないだろうし」
「僕としては二人が死ななければ幾らでも盛大にやってくれて良いかな。巻き込まれるのはごめんだけど」
完全に傍観者の位置を確立した三人の前でヒュウとジールは一触即発の睨み合いを続ける。
張り詰めた空気が衝撃となるかのように周囲に微弱な振動を生む。
オリジンを操るライダー二人の睨み合いに本人たちの意思に関係なく、鳥肌が浮かんでくる。
二人の手に握られたレイ・カードが己が信念に基づき輝き始める。
「お久しぶりやないか!」
「うぉっ!? どっから沸いて出てきやがった!」
いつ破裂するかわからない爆弾のような二人の間に突然割って入ってきたのは、開いているかもわからない細い目に聞き慣れない訛り混じりの言葉。そしてその打算的な笑みに全く似合ってない修道服。
ヒュウの記憶のなかでそれらの条件が当てはまる女など一人しかいない。
情報を仕入れ売りさばくことを生業とし、神出鬼没に様々なところで姿を現す女、テア=フェイラスだ。
「久しぶりに会うのに、開口一番がその挨拶っちゅうのもなんか悲しくなるわ」
言葉とは裏腹に喜色を孕んでいて微塵も悲しみなど感じられない。
「こちらの修道女は貴様の知り合いか?」
毒気が抜かれたかのようにぽかんとしているジールを前にテアの細く開いているかどうかもわからない目の奥で瞳が輝く。
「初めましてや。うちの名はテアっちゅうもんや。情報屋としてこいつとは結構付き合いが長いんや。よろくし。有名なジールはん。
ああ。ちなみにこの修道服はイミテーションや。この格好をしとくと何かと楽なもんやから。はい、仲良しの証の握手や」
「あ、ああ……私のことを知ってるのか」
「そら最強にして無敵のライダーの名前や姿を知らん人の方が少ないやろ。寝ても覚めてもあんさんの噂は聞こえてくるで」
止まることのない機関銃のように喋り続けるテアにジールは半ば圧倒される。およそ出会ったことのないタイプに押し切られるように求められた握手を握り返す。
「いやー、こないなところで無敵のライダー様と会えるとは運がええな」
「皆さま元気そうで」
ころころとまるで小動物のようにすばしっこく動くテアの後ろから長身痩躯にして金色のクルスを胸元から下げた牧師姿の男が寄ってくる。
新緑の長髪を後ろで団子に縛った男はにこやかな笑みを浮かべている。
その手には酒瓶と聖書が抱えられている。
「てめえ! あのときはよくもオリジンのこと隠してやがった──」
「ヒュウが言ってたもう一体のオリジンの人だよね!」
「きっと私のことですね。見ますか?」
「見たいなあ」
ヒュウの言葉を遮り飛び出したリンダラッドは牧師姿のシャーロの前へと歩み寄ると、まるで飴玉でも渡すかのように聖書から無造作にレイ・カードを取り出す。
それは正真正銘、オリジンである『レロン』のレイ・カードだ。
「緑色……」
リンダラッドは目を輝かせてそのカードを見た。
「てめえ! オリジンのこと隠してやがったな!」
「いえいえ。聞かれなかったから答えなかっただけですよ。
聞かれればこの通り」
ヒュウにも見せつけるように枠縁が新緑色のカードを突き出してみせた。
「まあ再会の挨拶をいつまでも喜んでるわけにはいかへんのや。実はあんさん達と同じでうちらもあの関所で足止めくらっとったんや。
そんでやな、あんさんらとうちらが協力してなんとかあの関所を突破する手段を考えへんか?」
「俺様とお前らが協力するだあ? 腹芸が得意なお前と組むなんて考えられねえな」
「そんなつれないこと言わんといてや」
「近寄るんじゃねえ」
「ふぎゅっ! いきなり蹴るなんて酷いやないか」
しなりを作って寄ってくるテアをヒュウは足蹴にして追い返す。
「これまた珍しいでござるな。寄ってくる女性をヒュウ殿から避けるなんて」
「確かに」
「あのー……」
「こいつと一緒だとろくなことがねえんだよ」
「でも実際問題、あの関所を越えないとこの先に行けないよ。どうやって越える気?」
全員が腕を組み唸る。
「正直また街道から外れるのは……」
「大反対! 宿場も無ければお風呂もない。連日野宿はお嬢様にさせられない!」
「もしもし……」
「っとなると、やっぱこいつしかないな」
レイ・カードを握ってヒュウが歪な笑みを浮かべる。
「なぜそうやって短絡的に力で押し切ろうと考える」
「他に良い考えでもあるんなら聞かせてもらいたいところだな」
「すいませんが──」
「さっきから鬱陶しいな!」
「ひゃんっ!」
肩に乗せられた手を振り払うかのようにヒュウが手を振るうと、情けない声と共に女性は草の上にころんと倒れる。
「……誰だ?」
草原のうえに仰向けで転がった女性は若干目を回し詰まっている。ヒュウには全く見覚えのない相手に他を見渡すが、一様に首を振ってみせる。
向こうの風景まで透けてしまいそうなほど白い肌に、青い瞳。どこか怯えるように潤んだ瞳はある種の背徳感混じりの嗜虐心を疼かせる。
「手を貸すでござるよ」
「あ、ありがとうございます!」
差し出した輪蔵の手を握り返すと女性は起き上がる。
物腰穏やかな女性はゆっくりと全員を見渡してから大きく深呼吸する。
「えっと……ジール様はいらっしゃいますでしょうか?」
「ん。私だ」
蒼白の鎧に包んだジールが一歩前に出る。
「えっと……領主様がご招待の意を込めて関所の通行証を」
「領主? ふむ。全く記憶にないのだが」
「そんなことを言わずにうう、受け取ってください!」
「とは言われても──」
「ああ! めんどくせえな」
まるで心当たりがないジールと、受け取らせるために握った通行証をぴんと体を伸ばし突き出した女性。その二人のやりとりに痺れを切らしたヒュウが横から通行証を奪い取る。
「あっ!?」
「こいつがあればあの関所も通れるわけだろ。そんなら何も迷う必要なんてねえじゃねえか。立ち往生くらってるてめえのお嬢様とやらだって大助かりなわけよ」
「お嬢様……」
「良いんじゃないかな。何があるかわからないなんて今に始まったことじゃないし」
「そうね。どうせこんなところで道草食ってるわけにもいかないんだし、素直に招待に乗った方が良いんじゃない」
「ではそのお誘い。ありがたく享受させていただきます」
ジールはどことなく怯えが見える女性に対して頭を下げる。
「しかし私を招待なんて……招待主はどちらなんでしょうか?」
「えっと私の領主でベルデガーレ王子、ラゼロ=フリクス=ダーレイから」




