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13-4




  ◆◇◆



「お、お姉ちゃん。どこまで行くの!?」

 手を強く握られ引っ張られるアルカは息を荒くし、今にもつんのめり転びそうになりながら水たまりを踏みつける。

 泥濘(ぬかるみ)がときおり踏みつける彼女の足をまるで吸い込むかのように深くめりこむ。

 体のバランスを崩しそうになる度に姉のケルカが力強く引き、倒れることを許さないでいた。

「あ、あの人は放っておいて大丈夫なの!」

 降りしきる雨の向こうへと姿が見えなくなった薄汚い男の姿をアルカが思い浮かべ叫ぶが、ケルカの走る速度はまるで緩まない。

「……逃げるんだ」

 若干息を乱したケルカがぽつりと言葉をこぼした。

「アルカ。あなたはロイマンの名前を捨てて静かに暮らすの」

 微笑みを向けるケルカの言葉にアルカは言い知れない不安を覚えた。

「お、お姉ちゃんは……?」

 細く華奢なアルカは精一杯の力を込めてその不安を言葉にした。しかし悲しいかな。全力の言葉は鳥の囁きのように小さかった。

 アルカの言葉が聞こえたのかどうかもわからないなかでケルカは何も応えずに小さく微笑んでみせた。


 ──ヒュッ


「アルカ────────ッ!!」

「キャッ!?」

 雨の音を切り裂くように何かが飛来する。

 それに気が付いた姉のケルカは突然踵を返すと同時にアルカの小柄な体を抱きかかえ躊躇いなく軌道を変えて横に飛ぶ。

 抱きかかえられた小柄なアルカは何が起きてるのかもわからないまま泥の上に這いつくばる。

 黒い髪はコールタールとも粘土とも思える泥が纏わりつく。

「チッ」

 顔に張り付く泥をぬぐい取りながらケルカは忌まわしげに舌打ちをしてみせた。そこでアルカは初めて何があったのか理解できた。

 雨を切り裂き飛来した『それ』は二人の進行方向であった場所へと深々と突き刺さっている。

 雨に濡れつつも鈍い光を放つ刀身。そして長い柄。

 人が扱うにはあまりに巨大な豪槍。

 それが何を意味しているかなど想像に難くなかった。

「当たらなければ良しと言う気持ち程度に投げたが良いところに落ちたな」

 雨の向こうから現れ、その突き刺さった豪槍を抜きさり構えたのは法衣に身を包んだレイ・ドールにしてそれを操るライダーのヒュウ=コサージュだ。

「……あの名無し男は?」

「生きてるかどうかなど知らないが障害としてはもう機能はしないはずだ」

 雨のなかレイ・ドールのマドジェスタが槍を突き出す。

 矛先が銃を構えたケルカの前に突き出される。鈍い光を宿した十字の穂先に滴る雨水。そしてそれに流されていく僅かに刀身に残った赤く黒い血。

「……そうか」

 ケルカはため息のような声を漏らした。

 所詮戦闘用レイ・ドールに人一人。いくら武装したところで時間稼ぎ程度にしかならないことは十二分にわかっていた。

「……アルカ」

 アルカがどんなに転びそうなときでも痛いほど力強く握られ離れることのなかったケルカの手がまるで弛緩するかのように、するりと解かれ離れる。

「お姉ちゃん……」

 離れたその手はアルカの肩にそっと置かれた。

 目の前で笑みを浮かべた姉の顔はアルカがこれまで見たどの笑顔よりも穏やかなものだ。凛々しく、いかなるときも他人に決して弱みを見せない姉とはまるで別人のようにその顔には気迫がない。

「お姉ちゃんはちょっとやることがあるから先に行ってて待ってて」

「嫌っ!」

 長い髪を伝い流れる雨。アルカには、自分の頬を伝うそれが涙か雨かなど既に区別がつかない。

「我儘言わないで。きっと後から追いつくから……これ、少ないけど路銀くらいにはなるから」

 そう言ってアルカの手にそっと渡されたのは金貨の入った薄汚れた小包だ。拒否することを許さないようにその小さな手にぎゅっと握りこませる。

「そろそろ別れの挨拶は終わったか?」

 痺れを切らすかのようにヒュウ=コサージュが問う。その言葉にケルカは不敵な笑みを向ける。

「じゃあね。アルカ」

 背を向けて呟いたケルカの手に握られた一丁の銃。避けることの出来ない戦いに赴く生々しい証明が存在を主張する。

「お……ひっく……お、お姉ちゃん!」

 目じりに溢れ出る涙を止めることのできないアルカの嗚咽混じりの声にケルカは反応せずにただ、目の前で豪槍を一振りしてみせるレイ・ドールを見た。

 たった一振り。

 人が肉塊となるにはあまりに十分過ぎる速度。受けることも避けることもろくに出来ないことはケルカにもわかっている。

 それでも逃げるわけにはいかない。後ろで嗚咽を漏らすたった一人の家族のためにも。

「私とて殺しを楽しむイカれた愉快犯ではない。素直に道を開けてくれるなら無傷を約束しよう」

「それはあの名無し男にも言ったのか?」

「いや。彼には言ってない。まああなたからすれば敵の立場である私の話など毛ほども信用できないだろうけど、彼はそれに輪をかけて人の話を聞かないだろうな。

 あの欲望に塗れた瞳がそれを語っていたよ。両手足を千切られようとも首一つで喰いついてきそうな欲望」

「ハハハ……確かに」

 その言葉にケルカは乾いた笑い声をこぼす。

「さて話はここまでだ。どいてもらえないか? 対象を目的地まで護送することが私の仕事なんでな。

 さもなくばこのマドジェスタの武功の一つとして消えてもらおう」

「残念だけどどくことは出来ないね。

 たった一人の家族のために私はこの体、命を捧げた女だ。

 今更捨てた命に未練はない!」

 銃を構えるケルカの前にヒュウ=コサージュはため息を吐く。

「女を殺すのは些か(はばか)られる。だがこれも仕事。恨んでもらって結構。こちらも出来る限りは殺さないよう加減をしよう。マドジェスタ!」

 その余裕を孕んだヒュウの声と同時に豪槍が雨風を斬り閃く。

 それは瞬間の出来事だった。

 反射的に飛び退いたケルカの目の前を穂先が駆け抜け泥を巻き上げ大地を抉る。

 泥に混じり飛来した石粒がローブに覆われたケルカの体を隙間なく打ち付ける。

「ぐぁッ────────ッッ!!!」

「レイ・ドールと人の差と言うのは至極単純なものだ。

 純然な力の差だ」

 顔を苦悶に歪ませ泥に倒れるケルカを前に鷹揚のきいた声でヒュウ=コサージュは呟く。

「銃弾でも傷一つ着けることの出来ない体。そして一振りで人を幾十と屠ることの出来る武器。

 それを操るライダーとそれを持たない人の差は語るまでもない話しだと思うが」

 唇から零れた血をケルカは手の甲で拭い立ち上がる。骨一本。筋繊維の一本まで動かせば体に稲妻の如く激痛が走る。

「ご、御高説ありがたいが……ここで諦めるなら最初から……レイ・ドールの前に立ちはしないさ」

 息を整えるように深呼吸を二度ほどしてからケルカは持っていた銃を構えた。

 体を駆け巡る痛みの熱が雨に冷却されることで心地良かった。

 構えた銃口の先にはレイ・ドールであるマドジェスタが居る。

 マドジェスタへと向けられているのは何の変哲もない銃。人や動物を仕留めることこそ出来ようが、男の言葉どおり、レイ・ドールの体には目立った傷一つつけることができないだろう。

 ──それでも──

 引き金にかけた指にケルカはゆっくりと力を入れる。

 乾いた銃声が雨音を貫く。

「……ん?」

 まだケルカは引き金をひいていない。

 銃弾は二人のまるで予想しない方向から飛来し、マドジェスタの法衣を模した装甲ににいともたやすく弾かれる。

「……生きてたんだ」

「ゲホ……三途の川の渡り賃を渋ったら……追い返されたんだよ」

 銃弾の飛んできた方向にいたのは派手に穴の空いた漆黒のマントを背に羽織り、ざんばらに切られた橙色の髪を垂らした男だ。

 脇から零れる赤い筋が服に染みを作るが、険のある目つき。その奥の鳶色の瞳に宿る欲望だけが依然燦然と輝いている。



  ◆◇◆



 ──欲しいもの──

 幾度となく自問してきた言葉。

 どこか酩酊しているかのようにはっきりとしない意識のなかで男はその言葉を思い浮かべた。

 金を稼いで美酒、美女、美食のそれらを手に入れることだ。その手段として他人から無理やり奪ってきたが、苦労することには変わらない。

 (かつ)えた欲望を満たすことはできるがそれらを労せずして手に入れることこそ男が望む理想の姿だ。

 ──いてえな──

 まどろんだ意識のなかで男はそっと脇腹に触れる。

 熱くなった傷口に触れるとぬめりと指先に付着する生暖かい感触と意識を戻す痛み。

「まだ生きてたか……ヒヒヒ、つくづく閻魔に嫌われてるみてえだな」

 レイ・ドールが振るった巨大な槍の穂先が自身の体を貫いた……気がした。が、事実は脇腹をかすめ、背に羽織ったマントに派手に穴を穿ったのみだ。

 レイ・ドールに正面切って挑み死にきれない自分の体に思わず男は卑屈な笑みがこぼれた。

「持ってる武器じゃどうにもならねえし、このまま逃げるってのが妥当なところなんだろうな……よっと。いてて」

 勢いよく体を起こすと豪槍のかすめた脇腹から血が滲み細い筋を作り流れる。その筋も雨に紛れすぐに溶けていく。


 ──本当に欲しいもの──


 望んだものが労せずしてそれらが手に入る環境。

 誰もが(かしず)き献上する立場。

 世間に威光を示す王族ですら膝を着き、力に物を言わせる連中も畏怖し、椅子に座ってるだけで美女が寄ってくる。そんな存在。

「……決まったな」

 男は歪な笑みを浮かべた。

 次に欲しいものが頭のなかに浮かぶ。仮にその命を天秤に乗せても釣り合うほど価値のあるもの。

 戦闘用レイ・ドール一体では障害とすら思えないほどの欲望が溢れる。



「ったくよお、そんなに傷だらけになりやがって。商品価値が下がっちまうじゃねえかよ」

「てっきり死んだものだとばかり思っていたからな……もうお前には関係ない話だと思っていた。つつっ!」

 今になって体を駆け巡る激痛に全身の支配権を侵されるようにケルカは泥の上にゆっくりと腰を下ろすと。骨が数本。正確な位置まではわからないが折れていることだけはわかる。

「しかし君も逃げればよかったものを。再びここに来るなんて何を考えているんだ?」

「俺様はなあ──」 

 男は脇から抜き放った異形の銃を構える。

 それは現代における銃と呼ばれるものとは仕組みから根本的に違う過去に消えた技術の結晶体。

「ヒヒヒ、欲しいものは絶対に手に入れるんだよ。どんな手段を使ってもな」

「それって……レイ式銃か」

 男が手に握ったバレル型の筒を雑に継ぎ合わせたような異形の銃にヒュウ=コサージュは目を開く。

「面白いものが出てきたが、そんなものでレイ・ドールに勝とうなど頭の痛くなる話だ。なぜその銃が、レイ・ドール以外のレイ式兵器が過去に消えたか知らないだろ」

 ヒュウ=コサージュの勝ち誇った笑みに対して男は無言のまま掌サイズもある一発の弾を詰める。

「万人に扱うことが出来ないからだ。ろくな訓練も受けてない人間が自身のレイを自在に操るのは至難だからさ。その銃しかり。素人が握ってすぐ使えるものではない」

「言ったはずだぜ。俺様は目的のためなら何でも使うって。それが使えないモノだとしても!」

 鳶色の瞳の奥から溢れる金色の輝きがヒュウの体。そして強く握った銃へと流れ込んでいく。

 雑に継ぎ合わされた銃身のバレルが男から流れる金色の輝きを纏い回転を始める。

 過去の遺物として動かなくなって久しいレイ式銃は起動の産声をあげ、派手な駆動音をかき鳴らす。

「なんだこのレイはッ!?」

「綺麗……」

 憤怒を想起させる赤を僅かに孕んだ朱金たる輝きに遠くに離れたアルカは思わず見とれてしまう。

 人に例外なく内在するレイ。それがこれだけはっきりと視覚化することなど誰一人として噂ですら聞いたこともない。

 男から放たれる黄金の粒子がまるで渦を作り銃へと注がれていく。

「俺様が使うと決めたからには使えるんだよ!」

 男が歪な笑みで大口を開き叫ぶ

「穿て、マドジェスタッ!」

 突き出される豪槍の穂先。

 閃く槍先は銃を構えた男の体を捉えていた。

「教えてやる! 俺様は全てを手に入れる男だぁっっ!!!」

 黄金の輝きのなかで男は引き金にかけた指に力を込める。



「ハハハハハ……いたたっ!

 まさか本当に……レイ・ドールを壊してしまうなんてな」

「お姉ちゃん!」

「痛い! 痛いってアルカ!」

 目尻に涙をため込んだアルカに抱き着かれたままろくに身動きの取れないケルカは笑い声をあげるが、深く呼吸をする度に肺から連動するかのように全身に痛みが走り顔が苦痛に歪む。

 目の前には穂先から完全に破砕した豪槍。そして両足を破砕され倒れ身動きを取ることのできないレイ・ドールが倒れている。

 いまだ目の前に広がる光景をアルカは信じることができない。

 近代科学の粋である銃器の牙を幾らレイ・ドールの鋼鉄で構築された体に向けようとも目立つ傷など一つとして与えられない。それを男は欲望一つで覆してみせた。

 男の放った黄金の弾丸は轟音とともに閃光となって向き合うもの全てを砕き雨の(とばり)のなかを駆け抜けていった。

「調整なんて微塵もないあんな旧時代の兵器を使うなんて……まったく信じられない男だ」

 テンガロンハットを目深に被ったヒュウ=コサージュは動かなくなったマドジェスタを見てため息を吐く。

「まだやるか?」

 熱を伴った銃身に触れる雨粒が音をたてて蒸気へと気化する。そのレイ式銃を鳶色の瞳をした男はヒュウ=コサージュへと突きつける。

「俺の負けだな。マドジェスタを破壊されればこっちは打つ手なしのお手上げよ。

 信頼第一の仕事で失敗したとあっちゃ、この名前も捨てないとならないな」

 ヒュウ=コサージュの諦観めいた言葉に男は鳶色の瞳をにやつかせ犬歯を覗かせ歪な笑みを浮かべる。



「さてと……これで雇われ野郎は全員片付いたはずだ。大事な大事な、報酬の話に行こうか」

「……そうだったな」

 抱き着くアルカを無理やり引き剥がしたケルカは痛みを堪え立ち上がる。

 気が付けば雨はやみ曇天だけが広大な空に敷かれている。

「レイ・ドール相手ですら君は約束を守った。次は私が約束を守る番だな」

「そうだろ! 約束は守らないとな」

「裏切りで悪評高い名無し男が何を言ってるのやら」

 テンガロンハットの男は嘲笑じみた声を漏らす。

「約束通り私の全てを君に渡そう」

「そうだよな。それじゃあ遠慮なくもらうぜ」

 名無しの男は立ち上がり、ケルカからゆっくりと視線を巡らせテンガロンハットの男を見た。

「ん?」

 欲望に塗れた鳶色の瞳。その視線は二人を見比べる。

「ケルカ=ロイマン。ヒュウ=コサージュ……だったな?」

「はい?」

「名前だよ。名前っ!」

「その名前は今このときをもって私も、そしてアルカも捨てるけどね。さすがに勘当同然で家を飛び出してきたものがいつまでもその性を名乗る必要もないだろう。未練もないしな」

「俺もさすがに失敗した名前をいつまでも名乗ってたら仕事も取れねえしな」

「捨てられる名前が二つ……合わせて『ヒュウ=ロイマン』……なんてどうだ?」

『……』

 名無し男の言葉に三人がぽかんと口を開いたまま継ぐ言葉など出てくるはずもない。

 目の前で『これでもか』とばかりに満面に歪の笑みを浮かべた男。

「俺様が欲しかったものがわかったぜ」

「欲しかったもの?」

「ああ。食い物も美味い酒も抱きたい女も俺様がその度に苦労してるんじゃ納得がいかねえんだよ。要は寝ながらそれらが欲しいんだよ」

 名無し男の際限のない歪んだ欲望が言葉と言う形となって突いて出た。聞いてる側からすれば呆れるほどに素直に傲慢な男の言葉だ。

「そう! 俺様が欲しかったものは誰もが平伏す伝説だ! 今日から俺様がこの『ヒュウ=ロイマン』って言う名前で伝説を作って、貴族も跪かせ、富も名声も思うがままにしてやる!

 どうせ捨てる名前なら俺様の伝説の一歩にしてやるよ!」

「名前は別に構わないが、報酬はどうする気だ? 私から捨てる名前を貰っただけで君が満足するとは思えない」

「もちろんだ。お前には約束通り俺様の奴隷になってもらうぜ」

 ヒュウ=ロイマンの舐めるような視線がケルカの体を見つめる。

 派手に痛めつけられた体は、その白い肌に多くの痣が見受けられる。

「とは言っても、その汚い体を貰っても俺様は嬉しくねえしな……そうだ!」

 眉根を寄せ不満げな表情を作ったヒュウ=ロイマンはおもむろに何かを閃いたように手をぽんと叩く。

「俺様の伝説をこの世界の馬鹿な奴らに伝えろ!

 それがいいな。そうだ! それに決定だ!!」

 自らの言葉に納得するかのように何度も頷いたヒュウ=ロイマンを前にケルカは目を点にしてみせた。

 凛々しく、決して弱い部分を見せない彼女が始めてみせた間の抜けた表情だ。

 目の前で頷く男が何を言っているのかまるで理解できない。

「銃一つでレイ・ドールを蹴散らした稀代のハンサム戦士……なんて肩書はどうだ? カッコイイだろ!」

「それを私に語れと……」

「そうだ! そうすりゃ俺様はいち早く労せずして伝説の人間になれるってわけよ。このヒュウ=ロイマンの名を世界に轟かせる足掛かりとして都合の良い伝説だな。そうと決まれば俺様は次の伝説を作ってやる! しっかり俺様の今回の伝説を広げろよ! 奴隷一号!」

「あっ、おい!」

「次は大都市で俺様の伝説を作ってやるぜぇ!」

「……行っちゃった」

 話などまるで聞かずにヒュウ=ロイマンの背中が見えなくなってしまう。

「あいつ脇腹怪我してなかったか?」

 残されたヒュウ=コサージュ、否、名無し男と残された名無しのケルカは思わず顔を見合わせた。

「ぷっ……ハハハハッ! 骨が、折れた部分が痛い!」

 あまりの嵐のような出来事にケルカは軋む体を弾ませて快哉な笑い声をこぼさずにはいられなかった。

「名無し男……っとお、今はヒュウ=ロイマンとか言う名前だったな。伝説を作る……か」

 テンガロンハットの奥で白い歯を見せて男は笑ってみせた。

「お、お姉ちゃん、あの人って結局どんな人だったんですか?」

 アルカの質問におよそ数秒ほどケルカは黙って曇天を見上げた。

「そうだな~……私が語るなら、決して稀代の戦士なんかじゃないし、口がひん曲がってもハンサムなんて言えないな。目的のためならどんな汚いことでも躊躇しないし、とことん地獄から嫌われてて殺しても死ななさそうな男。酒と食べ物と女に目がない。それで……そうだなあ。一言で表すなら──」


『強欲男』



  ◆◇◆



「気のせいか? 俺様の悪評ばっか世に伝わってる気がしてならない」

 ぽつりと呟いたヒュウの言葉に膝の上に座ったリンダラッドが顔を上げる。碧眼のくりっとした瞳を細めてにやついてみせた。

 この旅で既にヒュウのことを知っている者は何人もいたが、どれも知っていることと言えば悪評ばかりだ。

「そりゃ悪いことしかしてないからじゃないの?」

「実物に会えばこれ以上ない正確な噂だと言うことがよくわかる悪評ばかりだな」

 皮肉めいた言葉をジールがこぼす。

「俺様の偉大さを伝える噂の一つも──」

「あんたが偉大ぃ!? ハハハ! 笑わさないでよ」

 リビアが雲一つない青空に向けて大口を開けて笑ってみせる。酷く怪訝な表情を浮かべて喋るヒュウに対して他の者も一様に苦笑を浮かべている。

「やってないことが噂になるわけないでござるよ」

 ──予定と違うな

 ヒュウの予定ではそろそろ世間が『ヒュウ=ロイマン』の凄さを把握し、各地の貴族ですら跪き、美女が黄色い声と共に駆け寄ってくる……予定のはずだが、どうにも世界はそうなってない。

「そんなことよりも次の町にそろそろ着くと思うよ。ほら、遠くに見えるけどあれが町だと思うし」

 霞んでいるが街道の続く先に確かに町からどうかも判別のつかない建物の影が見えたと同時にゴールドキングが大きく走り出す。

「わっ!?」

「おっしゃ! 飯だ! 酒だ!」

「間近で見るとよくわかるでござるが、実に噂通りの男でござるな」

「ほんとね」

「ここまで噂通りの男も珍しいな」

 全員が首を縦に頷かすなかでヒュウだけが快哉な声をあげゴールドキングを走らせる。


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