13-2
◆◇◆
「君に盗みを手伝ってほしい」
女は町の外れに立つ赤い屋根が目印のような小屋に入るなり踵を返すと、扉をくぐる青年の鳶色の瞳をじっと見て呟いた。
青年は条件反射のように家へと足を踏み入れるなりぐるりと大きく首を動かして周りを見渡すが、金になりそうなものなど何もない。
最低限の日用品が整然と置かれている部屋で青年は再び女を見た。
青年同様、どこか険のある目つきをした女性だ。表街道には少ない。むしろ青年と同じ穴の貉だ。決して優しさなどで声をかけてきたのではないことは一目でわかる。ならば賞金首である青年を捕らえるための罠かと問われれば、女の黒目勝ちな瞳の奥底の真意がまるで読み取れない。
「俺様のことを知ってるのかよ?」
「もちろん。こんな片田舎な町ですらお前の悪評は聞こえてきてるさ。橙色の髪が目印の賞金首『名無し』って君のことだろ。一目見たときからわかったよ」
男に名前は無い。
今日、この一瞬を生きるために名前など必要になったことなど一度としてない。
「報酬を貰えばどんなことだってする。目的のためならその手段は汚く、泥に塗れ、矜持もない。このタイミングでこの辺鄙な町に流れてきたのも何かの縁だ。私の盗みに協力してもらえないか?」
「ヒヒヒ、そんな初めて会う奴を気軽に信じて良いのかよ? それもお尋ね者の俺様を。もしかしたらお前を裏切って俺様だけ助かろうとするかもしれないぜ。それとも報酬だけ受け取ってドロンしちまうかもよ」
背を丸め椅子に座った青年は卑屈な笑みを浮かべてまるで女を試すように喋る。
「ふふ、私は人を見る目だけはある。特に悪人を見る目はな。それに報酬を奪って逃げることは出来ない」
そう言って女は自らの黒目勝ちの瞳を指さす。浮かべた笑みには自信が溢れている。青年の言葉にまるで揺らぐことなく。
「もう一度言う。君に私の盗みを協力してほしい」
女の言葉の端々からこぼれる自信は決して傲岸不遜ではない。揺らがない支柱となる何かを男は感じ取る。
「面白えじゃねえか……聞かせろよ。俺様の報酬は?」
「もちろんタダなんてケチくさいことは言わねえ。報酬は私だ。このケルカ=ロイマンの全てを貴様にくれてやろう」
「……あんたが報酬?」
「そうだ」
女はおもむろに肌を隠していた薄手のローブを脱ぐ。露になったのは局所のみを隠す布面積の少ない服と顔すら映りこみそうなほどの滑らかな肌だ。
「どうだ。傷一つない体だ。
売るも自由。慰みものにするも自由。どんな恥辱を与えるも自由なら生き死にも貴様の自由だ。自分で言うのも口幅ったいが、盗み一つの報酬としては悪くない話しだろ」
「自分を報酬に……ますます面白え!」
青年は歪な笑みを見せて笑いながら、その鳶色の瞳に滾ったどす黒い欲望が宿る。
「教えろよ。そうまでして奪いたいものを」
「家族だ。私にとって唯一のな」
◆◇◆
「あれを二人で襲うってのか?」
男は町へと続く街道を挟むように聳え立つ崖から見下ろした光景を前にポツリと呟く。
雨に全身が濡れることもいとわず、ただ息を殺し、木陰のなかから己の獲物となる相手だけを見つめ続けた。
町へと続く一本の街道を雨のなか確実に前へと進む集団が一つある。
「家族……?」
「そうさ。もちろん何の障害も無ければ君には頼まないさ。護衛がいるんだ。レイ・ドールのな」
「レイ・ドール……」
ケルカの言葉に男は怪訝な表情を浮かべた。
魂に宿る力『レイ』を利用し動く大型兵器だ。何度と見たことはある。凡夫では幾百と集まろうとも一体のレイ・ドールの前には非力な赤子同然とまで呼ばれるほどの力を秘めた兵器。
「私の目的はそのレイ・ドールに護衛されている『家族』を攫うのにお前の協力を求めたまでだ」
「なるほどね。そいつらはどこにいるんだよ。偵察くらいする時間があるんだろ」
「もちろんだ。そこらへんは自分の眼で確認するが良いさ。今日にでも私の目的を乗せた車が街道を通ってこの町に来るはずだよ」
ケルカの言い放った言葉に青年は相も変わらない歪な笑みを浮かべる。
「二体か……それにおまけで騎兵が一人」
決して農耕用のレイ・ドールなどではない。人の力で剣を突き立てようともおよそ目立つ傷すら与えられないであろう分厚い銀色の鎧に全身が覆われ、一振りで幾人を命無き肉塊へと化す巨大な剣を腰に携えたレイ・ドールはまさしく戦闘用であり護衛用のものだ。
中央を行く馬車を先導するように前を歩く騎兵もこの豪雨のなか全身を包む鎧を決して脱ぐことはない。
「数はそれなり。装備もそれなりときたもんだ」
雨に覆われながらも青年は眼下を過ぎてゆく集団から意識を一瞬としてそらすことなく見つめ続けた。集団の背中が雨の中へと姿が消えるその瞬間まで。
「どうだ。なにか得られたか?」
「見えてるだけでも護衛でレイ・ドールが二体もいやがる。こっちは男と女が一人だけ。どうやって奪ってやろうか。持ってる武器は俺様はちっぽけなナイフだけだ」
闇にも溶ける黒髪と同色の黒の傘をさして横に現れた女に振り向くこともせずに青年は呟く。雨でぬれぼそり張り付く橙色の前髪の奥で欲望に塗れた鳶色の瞳だけが燦然と輝いている。
「手段か? なあに簡単なことさ」
「ん?」
「お前が全員引き付ける。その間に私が盗む。どうだ。簡単だろ」
「ヒヒヒッ! そりゃまたずいぶんとずさんな作戦だっ!」
雨の音すらも吹き飛ばす快哉な笑い声を吹き出す青年はそのまま腹を抱えて一〇秒ほど笑い続ける。
「っで、そりゃ冗談か?」
「いや。本気さ」
笑い終わった青年のぎらついた瞳がケルカを睨みつける。現実においてそれがどれだけ非現実かなど考えるまでもない。
それを問いかけられた彼女の瞳もまた揺らぐことのない意志が宿っている。本気だ。
「あたしの全てが報酬なんだからそれくらいは受けてくれても高くはないだろ? とは言え、そんなナイフ一本で囮になってもらおうなんて酷なことは考えてないさ」
ケルカは傘の下で口の両端を持ち上げて僅かに笑みをつくってみせた。
「その中から好きなものを使いな」
「ずいぶんと蓄えが周到だな」
「どうせお金なんてあっても目的を達成できなければ何の価値もないんだ」
小屋まで戻ってきたケルカはそう言い捨てると床板を一枚外して持ち上げると、そこからは大量の武器が現れる。
古今東西、様々な武器がまるで見本市のようにすし詰めにされて保管されている。
「銃に剣……それに火薬に劇薬……」
およそ殺傷に使えそうなものが金に物を言わせて何も考えずに集められたような光景だ。それらを前に男は一つ一つ持ち上げて吟味してみせた。
「方法は問わない。お前は私が目的の人物を攫うまでの時間稼ぎをしてくれれば良い」
「そんなに攫いたい奴って両親とかか?」
「違う。私の妹さ」
「………………」
男の武器を握る手がその言葉でほんの一瞬だけ止まる。そして何事もないように再び取り出した銃を構えてみせる。
「なあに・どこにでも転がってる話しの一つで、両親の借金でちょっとばかし趣味の悪い富豪に身売りされた妹が居たというだけの話さ。その金で裕福に暮らしてる両親に嫌気がさして勘当してきたから、今の私には妹だけが唯一の家族なのさ」
「確かにどこにでも転がってる話しだし特別珍しいものじゃないな。ここにある武器は全部使って良いんだよな」
「もちろん」
語るケルカは悲しむでもなければ笑うでもなくただ記憶のなかにある事実を何の感情も込めずにただ読み上げるかのように淡々としたものだ。そしてそれを聞いた男もまた何の感慨も抱くことはない。
この世のなかには貧乏ゆえに望まない結末を迎えた者は多くいる。決して表に出ることなく闇で生きてきた男からすれば、そうして望まない結果のまま終焉を迎えた者は片手ではきかない。
「そんで助けてどうするんだ?」
「さあね。助けた後のことなんて何も考えてないさ。私はお前のモノになるんだから」
「それもそうだな」
男は弾倉がカラのリボルバーを手で軽く弾いて回す。カラカラカラと小気味良い音が部屋に響く。
「君は家族とかはいないのか?」
「家族か……木の股から生まれて来たわけじゃねえし俺様にも居たんだろうが、んなもん記憶にねえよ。
まあお前を見てると家族なんて言うしがらみは無くて良かったとつくづく思うぜ。ヒヒヒ」
卑屈な笑みを浮かべて男は笑う。
物心ついたときには既に両親などなく、ただその日を生きるために無辜の民家への盗み、路地裏の恐喝、要人の殺害。およそ罪となることは全てしてきた。
「お前はそうやって天涯孤独でほしいものを全て手に入れて来たのか?」
「ああ、そうさ。俺様は独りだ。そして欲しいものは全て手に入れてきた。全部俺様のものだ……これは……」
止まったリボルバーを見て男はそれを懐にしまい込むと突然黙る。目に映ったのは歪な形の銃だ。
細長いバレルを繋ぎ合わせたような銃身。男はそれを手に取り構える。
「また珍しいものに手をつけたな。それはレイ式銃だな」
ケルカがその銃を見た。
レイを用いて扱う兵器の類だが、いまやはそれらの技術は旧時代のものであり今日まで使われているのはレイ・ドールだけだ。
他は全て合理化と利便性の向上が著しい科学技術の粋を活かした銃火器に兵器としての席を奪われ全ては過去のものとなってしまっている。
レイ式銃もかつては兵器だったものの一つであり、いまや骨董品としての趣向が強いものとなっている。
「弾は?」
「すぐそばに置いてあるだろ」
「でかいな」
男はおもむろに手を伸ばし、武器と武器の隙間に転がっている弾を取り出す。それは普通の弾丸とは比にならないほど大きく、バレル型の銃身を開いても一発しか装填することができない。
「よっと」
「それを持っていくのか?」
「ここにある武器を自由に使って良いんだろ?」
「あ、いや、そういう意味ではなくてそれは武器として役に立つのか?」
「さあな。武器は金と一緒だ。無けりゃ困るけど、あり過ぎて困ることはねえからな。さてと、こっちは準備オッケーだ」
いつの間にか男の背中には武器庫のようにありとあらゆる武器が器用にくくりつけられている。
背負った剣や銃があまりに不格好で思わずケルカは閉口する。
「さすがにその恰好で外に出るわけにもいかないな。これでも使え」
放り投げられたのは部屋の隅で埃を被っていた黒い布だ。男は怪訝な表情でそれを首に巻くと背中の武器も覆えるほどのマントになる。
「ダサくねえか」
「そんなことはどうでもいいだろ。お前がそんな恰好で出れば何かする前に御用だからな。さてそれじゃあ妹を奪いに行くとするか」
ケルカは白い歯を見せてほほ笑む。




