9-2
◆◇◆
「ったく仕事熱心なもんだぜ」
夜の帳は降り、数多の星によって彩られた紺色の空からゆっくりと視線を下ろしてマッカはため息の混じった声で呟いた。
窓の外には監視の任を受けた者たちがときおり交代しながらも常に絶えることなく草葉の陰に隠れ蠢いている。どこの国の者だか知らないが、さぞかし勤勉で実直な奴が多いんだろう。そんなことを明かりのない街道を前にマッカ考えてしまう。
「ぐぉ~……んが……」
誰に遠慮するでもなく狭い床に寝そべったヒュウがときおり奇妙な声をこぼす。
──向かうは明朝。
その言葉を聞いたらヒュウは早々に、断りもなくマントを広げ床に寝転がると、一分もしないうちに盛大な寝言を唱え始めた。
「ケールス博士」
「ん? まだ起きてたのか」
声をこぼしたのは少年とも少女とも区別のつかない幼くも染み一つない白髪が眩しい少女だ。
「あなたの本は全部読んだよ。
何度も何度も」
「そりゃありがたい話だ。作者冥利に尽きるってもんだ」
リンダラッドの言葉にマッカは微塵も思っていない言葉をこぼす。自分の研究成果や考察を本に纏めたものが国を通じて出版された。言ってしまえばそれは自分の過去に通ってきた道だ。それを誰が読もうとマッカには何の刺激も閃きも与えない。
そんなものを後生大事に持ち歩いている者に先を見続ける研究者であるケールス=マッカは興味など抱かない。
それは彼の本を誰よりも熟読したと自負できるリンダラッドにもわかっていた。
「別にいちファンとしてあなたと話しをしたくてわざわざ起きてたわけじゃないよ」
リンダラッドの碧眼の奥に宿った輝き。それはマッカが鏡越しに見る自分の瞳とよく似た光だ。
満足いくまでどんな犠牲も省みない。純粋な知識欲と好奇心に支配された瞳。人はその瞳の輝きに狂気めいたものを感じるだろう。
「じゃあなんのために起きて俺みたいな偏屈男に話しかける。
変人極まった挙句世界最高峰のレイ学術の権威になったこの俺に──」
マッカのその言葉は挑戦めいたものだった。
相手がどこまで自分に近い存在なのか。それを確認するためとも思える問いかけ。
「オリジンまで……オリジンまで辿り着いたからね」
「……へえ!」
睨みの強いマッカの視線が自分の半分も人生を送っていないであろう少女、リンダラッドの言葉を聞いたとたんに目を見開き驚きとも喜びとも区別のつかない声をこぼした。
「あんな点のようなヒントで理解したのがまさかこんな子供とはな」
「子供じゃない。リンダラッド=ロエスだ」
頭を撫でるマッカの太い指をリンダラッドは払いのける。
国の支援によって行われた研究。その成果を記したマッカの著作物は全て、その道の専門家による校閲や検閲が隅から隅まで入っている。
マッカの尽きることのない好奇心は多岐に渡る研究となり、そのなかには決して他国に漏らすことのできないものも少なくない。ゆえに検閲なくして世にその本を出版させることはできない。その一つにレイ、それもレイ・ドールの研究に関しては緘口令が敷かれていた。
しかし専門家の監視すら潜り抜けてマッカは幾つかの手段でもって研究結果を点のように外部へとこぼしている。
「オリジンのことはどこまで知ってるんだ?」
「オリジンって言う特別なレイ・ドールがあるところまで」
「褒めてやりたいけど、そこまでか」
明らかに落胆したマッカの表情にリンダラッドは僅かに口の両端を結ぶ。
「俺が出したヒントに気が付いたからもっと先に行ってるもんかと思って期待したんだけどな」
「……でも本物のオリジンの在処を僕は見つけたよ」
「……ほんとか?」
完全に勝ち誇っているリンダラッドにマッカは信じきれない懐疑の視線をぶつける。
穴倉のような研究室に籠ってマッカが辿り着いた答えは『オリジン』と呼ばれる特別なレイ・ドールの存在までだ。しかし実物の発見までに至ることはなかった。複数いることは曖昧に理解していたが、城からの支援を受けている時間のなかで発見にはついぞ至ることはなかった。
それを、まだ成長真っ最中の少女が先に見つけている。
自分よりも一歩先にいることが信じられない。年端も行かない少女だ。剥きになり無謀な見栄を張ることだって十二分に考えられる。むしろそっちの方が信じられる。
レイにおいては隣に立つ者などなく、他の者たちは全て頂きに立つマッカの後追いに過ぎない。その数多の研究者をマッカ含めて一足飛びで先に行ったのが目の前の少女だなどとやはり考えられない。
「まあそりゃ信じられないよね。だけどほんとだよ。とは言っても二体しか直接見たことないけどね」
「ではその見たことある二体と言うのは──」
「一人はそこで寝てるよ」
「……んご」
小汚い床の上にマントを広げ大の字になって大口を開けて寝ているのは男をリンダラッドは指さす。
マッカの周囲には常に高名な研究者や地位を象徴する肩書を持つ貴族が訪れたが、目の前にいる男は今までマッカが見てきた中で飛び切りのアホ面を晒している。
「このアホがか?」
「このアホがです」
「このアホがか……」
リンダラッドも首をこくんと縦に頷かす。どこか納得のいかない表情でマッカは寝込んでいる男を見た。
やはり言葉通りのアホ面だ。
「んー……信じることはできねえけど、レイ・カードを見せてもらえればわかることだな」
「わかるの?」
「オリジンのレイ・カードは普通のレイ・カードと違って枠縁が特殊な色をしてるからな。よっこいしょ」
「へえ。それは初めて知った」
大の字に寝ているヒュウの横に座り込んだマッカがそのちらりと見えたレイ・カードに手を伸ばす。
「ん~~……俺様のモノに触んじゃねえっ!!」
「とぉっ!」
頭を砕くことすら躊躇いのない蹴りが懐に腕を伸ばしたマッカの頬をかすめる。
「起きてんのか?」
「いや寝てるよ。僕も彼が寝てるところを狙ってレイ・カードに手を出そうとしたらあやうくこの体が蜂の巣にされるところだったからね」
寝ているヒュウは起きているヒュウよりも質が悪い。それはこの旅に同行してる三人なら嫌というほど知っている。
懐に触れるものは例え親であろうと見境なく銃口を向け、逡巡なく引き金を引く。
「まあ明日になったら確認できるんだし、それでいいんじゃないの? 慌てて確認するようなことでもないんだろうしさ」
「確かにな。全ては明日だ」
◆◇◆
「ほ、本気なのか?」
謁見の間に響いたのはヒース国の王であるダラエ=ロエスの呟くような声だ。
焦りと驚愕を孕んだその声には威厳などなく、ただ頼りないものだ。
国民を前に常に王としての仮面を保ってきたダラエの顔も今は不安に揺らいでいる。
「はい。私が向かい姫様を連れ戻してきます」
拝跪から顔をあげたのは最強の字を持った蒼き騎士、ジール=ストロイだ。
「お前が出ている間に何か問題があったら──」
「私が育てた王立騎士団がこのヒース国をお護りします」
膝をついたジールを中央としてそこから一歩下がったところで左右に四人ずつ割れるようにして、バルドを含めた八人の師団長が皆一様に膝をつき王へと頭をたれている。
蒼き最強のライダー自らが色眼鏡なく実力と資質によって選び抜いた王立騎士団を束ねる八人のライダー。それは忠義だけではなく、ライダーとしての操縦技術。人望。政。あらゆる面においてそれぞれが特化し、ジールの片腕となる存在だ。
「そして姫様を迎えに行くと同時に極東の国であるベルデガーレの動きを探ってきます」
大国であるヒース国を中心とした近隣諸国の西の地から最も離れた位置に存在する東の大国ベルデガーレ。
詳しいことは行商人の軽口からこぼれる噂話などでしか聞こえてこないが、ヒース国同様にレイ・ドールによる軍備拡張の噂が後を絶たない。
「この任、失敗できないからこそ、私自らが行かせていただきます」
ジールの黒の双眸に見つめられればダラエと言えども容易に首を横に振ることはできない。
「わ、わかった。こっちのことは騎士団達に任せてジール、お前にはリンダラッドの連れ戻しとベルデガーレの動向を探ってくることを任せる」
「その任、しかと承りました」
膝を着いたままジールは一つ頭を下げると立ち上がる。
蒼白の鎧に身を包んだジールはそのまま膝をついている師団長の間を通るようにして謁見の間を振り向かずに出ていく。
「ジール様!」
「……バルド」
鮮やかな赤の毛並みに枠縁が金色の刺繍で彩られた絨毯が敷かれた通路。そこでジールを呼び止めたのは金糸のように細い髪を揺らした青年と少年の境目のような眉目秀麗な男だ。
見た目こそ女性の黄色の声を浴びるにふさわしい線の細さと整った顔立ちを持つがその中身は誰よりもジールに憧れを抱き、その憧れ一つで師団長と言う座まで若くして駆け上がってきたバルド=ロー=キリシュだ。
「私が姫様を連れ戻すことを失敗したせいでジール様自らが行かれるなくても……」
「安心しろ。姫様の件だけではない。先にも王に伝えたように極東の国の動向を探ることも目的の一つだ。
私が留守の間はどうかこの国を護ってくれ。姫様の生まれ故郷をなくすわけにはいかないからな」
「どうかお気をつけて」
「もちろんだ」
懸念材料は尽きない。
お嬢様の安否。
極東の不審な軍備拡張。
そして……。
脳裏にはあの金色のレイ・ドールが浮かび上がる。それに跨った強欲だけを擬人化した男の顔も。
「待っていろ」
高潔の精神を持ち、いついかなるときですら乱すことのないジールの表情に薄い笑みが浮かぶ。
◆◇◆
「こいつらで八人目か。ったく、あと何人いるんだよ。よっと」
「ぐぁっ!」
背合わせに縛り付けられた男達を地面へと蹴り飛ばしたヒュウは疲れた声で愚痴をこぼす。草原に倒れた男達はどちらも街道を往来する行商の姿をしてるが、ヒュウに向ける視線は鋭いものがある。
「私たちをトスタリア国の監視者と知っての狼藉か!?」
虫の音も聞こえない早朝に歪な建物を飛び出し、マッカの案内されるままにヒュウ達は街道を外れ森のなかへと入っていく。
そこを尾行してきた一団を隠れた輪蔵が捕らえる。
その一連の流れでこの二人の男で既に八人目だ。ヒュウとしては辟易とした表情の一つも浮かべたくなる。
「どこの国だか知らねえけど、こっちはお宝に用があるんだ。てめえらには用はねえからせいぜいそこで大人しくしてやがれ」
「ま、待て! マッカ博士をどこに連れて行くつもりだ?」
「そら俺様が知るわけねえだろ。本人に聞けよ」
「こいつがオリジンか……」
「おい! おっさん!」
頭蓋を金貨で叩き割られ尚嘲笑う髑髏のマントをなびかせた全身が朱金に輝くレイ・ドールにマッカは夢中でまるで話を聞いていない。
これだけ傍でオリジンの存在を確認したのはマッカの長い研究生活において初めてのことであり、夢中にならないわけがない。
少年のように瞳を輝かせたマッカがゴールドキングの脚部に手を触れる。
「ぬぉぉぉ~……ついに触れたぞ!」
直に見ることも初めてならば触れることも初めてだ。興奮で喉奥が震えるような声を吐き出してマッカは満面の笑みを浮かべる。
「おい、おっさん!」
「ん? なんだ。俺は今、人生のなかで最も素晴らしい邂逅の時間を味わっているんだ」
「そんなこたぁどうでもいいんだよ。それよりも監視者ってどれくらいいるんだよ。いい加減疲れてきたぜ」
「捕まえてるのは拙者でござるがな」
腕を組んだ輪蔵がぼそりと呟く。
実際のところヒュウがしたことと言えば、輪蔵が捕まえてきた男達の体を縄で縛ることくらいのものだ。
「たぶんこんなもんじゃねえか。近場に気配がしないしな」
「確かに、近隣を探ってきたでござるが、特に怪しい人影はいないでござる」
レイ・ドールすら覆ってしまうほど背の高い木々に囲まれた森だ。街道から大きく外れたこの森にヒュウ達以外の人影があれば、それは間違いなくマッカを動向を探っている様々な国の密偵達だ。
「これだけ捕まえれば問題ねえだろ。よっしゃ目的地に行くぞ」
「待ってました。やっとお宝と御対面ってわけだ」
「レイ石か。僕も見るの楽しみだなあ」
「本当にこんな森のなかにあるのかよ? おい。聞いてんのか?」
「しかし触れることだけでなく、オリジンに乗ることまで出来るとはな」
「てめえがこっちに乗らせないと案内しないとか訳のわからねえ駄々こねるからだろ。ただでさえこいつが居て狭い席だっつうのに」
まるで定位置とでも言葉せずに語るかのようにヒュウの膝の上に座り慣れた顔で本を読んでるリンダラッド。ただでさえ狭いのにさらに、マッカまで乗り込んできている。
レイ・ドールの操作に支障が出てもなんらおかしくない。
「ふむふむ。基本構造は普通のレイと変わらないな……と言うよりはやはりオリジンを模造してレイ・ドールは造られていたと考えるべきか。そもそもオリジンは……」
「近くでぶつぶつ呟くじゃねえ。気持ち悪くてしょうがねえな」
ヒュウの言葉はオリジンの構造を見ることに夢中になっているマッカにはまるで届いていない。
褐色の肌に目立つ白い歯を見せつけてオリジンのそこらかしこを触れ、嗅ぎ、舐め……
「おい! てめえ俺様のゴールドキングに何しようとしてやがんだ!?」
「いや、せっかくだから味を見とこうと思ってだな」
舌を出したマッカの襟をむんずと掴んだヒュウは眉間に皺を寄せて怒声をあげる。
我関せずのリンダラッドはまた一ページ先へと本を進める。
「てめえ追い出すぞ!」
「けちけちすんなよ」
「汚ねえんだよっ!」
「あっちは騒がしいでござるな」
「一応、追いかけられてる立場ってことあの研究者は気にしてるのかしら?」
ゴールドキングの横を歩く示然丸の操縦席で輪蔵は呟く。
静謐に包まれている森林に賑やかな声が響き渡る。
「お前も本読んでねえでこいつの相手でもしてやれ。放っておくと何しでかすかわかんねえんだから」
「なんで僕が。今は読書中ってことでパス」
「おお。そりゃ俺の処女作だな! 懐かしいな」
「だから寄って来るな。暑苦しいんだよ!」
リンダラッドが読んでいた黄色の背表紙が目立つ本を持ち上げるとマッカが覗き込んでくる。
宝の在処を知っている存在でなければ今すぐに放り出し、その上で、ゴールドキングで原型が残らない形で踏み潰す。
「ずいぶんと懐かしい本だな」
「あっ! 雑に扱わないでよ」
リンダラッドの読んでいた本をすっと取り上げたマッカはその本を何の遠慮も感じられない力任せに開く。
「いいじゃねえか。元は俺のモノなんだし。しっかしこいつも今見るとこっぱずかしい推察が幾つも混じってるな」
「んな推察よりもいつまで歩けば良いんだよ。結構来たぜ」
「ん? もう着いてるぞ」
「はっ?」
「ほれ。その辺にちらほらと光ってる石があるだろ。それだ」
「……」
ヒュウは目を凝らすと確かに輝きが見えるが、それは大地から伸び露が這う雑草の陰に隠れてしまうほど僅かな輝きであり、ヒュウが思っていた一攫千金の光景とはまるで違うものだ。
「この程度の石粒みたいなのが宝になるのか?」
ヒュウは横で自作の本を眺めているマッカに怪訝な表情を向ける。仮にこの言葉に頷くようであれば、これまでの苛立ちから衝動的に懐に入れてあるレイ式銃で撃ちぬいてしまいかねない。
「まあ焦るなって。ちょこちょこレイ石が増えて来てるってことは研究通りならこの辺にあるはずだ。俺が探してお前が求めてるお宝。レイ石の結晶体が──見えたぁ!」
おもむろに前を見たマッカが声を張り上げる。
背の高い木々が生い茂った森林。
まるで別の大地をそのまま移植したように木だけではなく草の一片すら無い空間が森のなかに鎮座している。
敷き詰められ輝きを放つレイ石の絨毯の中央に鎮座しているのはまさしく、マッカが以前に見せたものと同様のレイ石だ。
「……」
墓標の如く大地に深々と突き刺さったレイ石は予想していたよりも遥かに大きいものであり、継ぐ言葉を失うには十分なものだ。




