8-2
◆◇◆
「ただいまでござるよ」
「帰ってきやがったな。こんな時間まで見る場所のない街のどこをうろついてたのやら」
部屋の中央には巨大な地図が広げられ、それを囲むような形で三人は覗き込んでいる。
巨大な地図の上にこれまで歩いてきた道が赤線でなぞられている。
ヒース国から始まり、東に向かい、まだ三分の一程度しか進んでいない。
ヒース国のすぐそばにはリンダラッドの丸まった文字で輪蔵と出会った来蓮の里が記されている。
「結構来たと思ってたけどまだこんなもんなのか」
四人が歩いてきた道程の途中には幾つもの宝があると思われる印がつけられている。それを見たヒュウが途端に不機嫌になる。
「ここまでお宝らしい宝なんてなかったな」
「まあ、眉唾ものの文献をもとに着けた印だからね。僕はあればラッキー。無くてアンラッキーくらいに考えてるし」
「こっちは宝を期待して旅してるんだ。いつまでも空振りばっかじゃたまんねえな」
「まあでも、新しいオリジンが見つかったんでしょ」
足を畳の上に放るように伸ばしたヒュウがその言葉に反応し笑みを浮かべると指を一つ鳴らす。
「それよ!」
「まことでござるか? その話、拙者は聞いてないでござるよ」
「私も」
「そういえば話してなかったな。まあ、どうでもいっか」
まるで語る気のないヒュウは指を組んでそれを枕にするように畳の上にごろんと横になる。
「新しいオリジンでござるか……」
「興味あるよね。僕もまだ見てないんだ。早く見たいなあ」
「俺様はさっさとあのオリジンを手に入れて売りさばきてえな。
オリジンとあらば、使えなくともその希少性だけで馬鹿な金持ちがしこたま金を出して買い取るだろうしな」
「ところで、このまま東に行けばいつかそのオリジンと会えるでござるか?」
「……そういえばそうだな」
肝心なことが抜け落ちてたことにヒュウは輪蔵の言葉で思い出す。
オリジンを持っているライダーが自分たち同様に東へ向かうとは限らない。
ヒュウの間の抜けた言葉を前に三人がこれ見よがしのため息を吐く。
「まあ大丈夫だろう」
「なんで?」
「全部の宝を俺様が手に入れるんだから、いつかは手元にくる!」
まるで根拠はないが異常な自信だけが漲った発言だ。
◆◇◆
「ふぁぁ~……まだ雨やまねえのか」
「もう昼でござるよ」
布団からむくりと体を起こしたヒュウが寝ぼけな眼で窓の外を見た。
昨日となんら変わらない灰色の豪雨が降り続けて街に霧の幕を張っているかのように視界を遮る。
「こんなに土砂降りが続くとさすがに出発できないね。せめてもう少し弱くなってほしいけど」
「別に焦るような旅じゃねえ。雨が嫌ならもう一泊すりゃ良い。
俺様はもう一回寝る」
何事もないかのようにヒュウは再び布団を被り、しゃりしゃりとした感触の枕に顔を押し当てるとおよそ一分も経たないうちにイビキをあげ始める。
「まあ、確かに彼の言う通りだね。時間の決まってる旅じゃないし、雨の日はゆっくり休めば良いか」
「じゃあお嬢様、この間、バスノーチェスの街で買い込んだ服、せっかくですし今着てみてくださいよ。私がお嬢様のことを思ってしっかりと似合う服を選んできましたので」
「よっと」
「どこに行くの?」
不意に立ち上がり扉を横に開いた輪蔵は立てかけていてた和傘を手に取る。
「なに。散歩でござるよ。
雨が止むまではこの街にいるのでござろう」
「散歩ね……」
「こんな雨のなか散歩なんてあんたも物好きね」
「テキトーにふらついたら帰ってくるでござるよ」
返事も聞かずに輪蔵はそう告げると後ろ手に扉を閉める。
タンッ、と扉を閉める乾いた音はすぐに豪雨の音へと包まれる。
「さっ、お嬢様。この服なんて似合うと思いますよ」
いつの間にか畳の上にリビアの買い込んだ福が整然と並べられている。
「お待ちしてました」
和傘をさした線の細い女性が橋の上で生気の薄い顔で微笑む。
今にも入水自殺してしまいそうな儚げな女性の前に立った輪蔵はわずかに怪訝な表情を浮かべた。
「先日は返事してなかったはずでござるよ」
「きっと来て頂けると思いました」
太陽こそ見えないが時間は既に昼を回っている。いつから彼女はここで待っていたのだろうか。
「来て頂いたということは頼みを聞いていただけますか?」
「用件次第でござるな。悪に加担するような真似は拙者もこの示然丸も許さないでござるからな」
女性は僅かに口端を持ち上げた微笑みはあまりに妖しく、そして美しい。
「先日お話ししたとおり連れて行ってほしい場所があります」
「どこでござるか?」
「あそこです」
そういうと女性は細く長い指先であらぬ方向を指すが、豪雨のカーテンが邪魔でろくに見えない……はずだった。不意に豪雨が薄くなり、灰色の空へと伸びた山の影が女性の指示した方向に見える。
「あの山の頂上へ私を連れて行っていただけませんか」
尽きることのない豪雨のなかで見上げた山の頂上は霞がかり満足にその姿を見ることすらできない。
「あそこへ私を連れてっていただけませんか」
「あんな山になんの用でござるか?」
「大事なものがあるんです」
跳ねる雨水に濡れた腰まで伸びた黒髪が艶やかな輝きを放つ。その黒髪の下にあるのは揺らぐことのない意思を宿した瞳だ。
「このままお主を放っておいても一人で行きそうでござるな……仕方ないでござるな。その願いに手を貸すでござるよ」
「ありがとうございます」
女性は腰を綺麗に曲げ輪蔵へ頭を下げる。
「とは言ってみたものの……これはなかなか難儀なものでござるな」
豪雨によって泥濘となってしまっている斜面。道もどきのような道も鋭角に山頂まで続き、とてもじゃないが生身一つで登るには無理がある。
ましてや着物を着て草履を履いている彼女がこの山を登るのは調べるまでもなく難しい話だ。それは火を見るよりも明らかなところだ。
「一歩でも間違えたら……あまり考えたくない話でござるな」
一歩、一歩踏み込む度に示然丸の足が泥に深くまで沈み込む。
「しかし雨が酷いでござるな」
「この傘だけでは覆いきれませんね」
女性が握った和傘だが、それで防げるのごく一部だけで、レイ・ドールの操縦席に豪雨は絶え間なく入り込んでくる。
すぐ隣で肩を寄せ合うように座った女性に輪蔵は思わず鼻の下が伸びる。
雨で張り付いた着物は細くも艶めかしい肢体の線がはっきりと見えてしまう。
──いかんでござる。集中! 集中!
「っとぉ!」
「ひゃっ!?」
豪雨のなかでのレイ・ドールの操作に輪蔵は普段以上に神経を集中させるが一歩踏む場所を間違えれば足をぬかるみにとられ姿勢が崩れる。
「閃け、華楽刀っ!! 峰仙禾っ!!」
傾いた姿勢で輪蔵の声に反応した示然丸は素早く背中の刀を抜き地面に深くへと強引に突き刺す。
刀の真ん中まで沼に刺さることでやっと傾いた示然丸の体が支えられる。
「本来、このような使い方をするために旅のお供に連れたわけではござらんが、状況が状況ゆえ、やむなしでござる。それよりも大丈夫でござるか?」
「な、なんとかですけど」
濡れぼそった着物の下にある柔らかな感触が輪蔵の体に触れるが、その感触を楽しめるほど余裕はない。
傾いた示然丸は、刀が無ければあやうく登ってきた道を真っ逆さまだ。呼ぶにはあまりに急なその斜面はほぼ絶壁に等しく。一度落ちれば止まることはなくそのまま地面でミンチだ。
「こんな……山の頂上に……一体何があるでござるか?」
「私にとって二つとない大事なものです」
宝のことを考え欲望塗れの汚い笑みを浮かべるヒュウとは違い、大切なもののことを思い浮かべた女性の笑みは儚げで、そしてどこか悲しげだ。
「この調子ならもうすぐ頂上でござるよ」
「よかった」
安定した姿勢へと持ち直した示然丸。その操縦席の縁へ寄りかかった女性は安堵の息を横で着く。
「レイ・ドール……素晴らしいですよね。私にもこんな凄いのを動かすレイがあれば失わずに済んだのに」
「ん? なんか言ったでござるか?」
雨が女性の儚い声を遮り降りしきる。
「いえ。そろそろ頂上ですね」
「ここを……乗り切ればっ!」
山の頂。
幾つも連なった峰。雲で霞んだ頂きの一つに今、示然丸の峰仙禾が突き刺さる。
「雨が……」
示然丸が頂きに立つ。そこから広がる光景はあまりに不思議だ。
雨はぴたりと止み、示然丸の腰まで白い靄がかかる。
どこが頂きの始まりと終わりなのかも見えない。来た道すらも。ただ雲海とも見間違える光景。
「不思議な場所でござるな」
「何度目かしら……この先に……」
「ま、待つでござるよっ!?」
感心する輪蔵の横で女性は霧の向こうをただ見つめていたと思うと、着物姿のまま霧に塗れて走り出す。
「うわっぷ!」
一陣の風が霧を払いのける。
突風によって霧が頂きからのけられその姿が曇天の下で露になる。
「これは──」
霧がのけられ、その頂きに広がる光景に輪蔵は言葉を失う。
山頂は綺麗に平地となっていた。輪蔵が上ってきた場所から向こうまで平地が続く。その平地に広がっているのは……
「レイ・ドールの残骸……」
その平地の縁に腕が千切られ、足をもがれ、瓦礫と化したレイ・ドールが転がっている。それも一体や二体ではない。
およそ両手ではきかない数だ。
そしてその傍に寄り添うように無数の人骨が散乱している。
「それよりも彼女はどこでござるか……と呑気に探している場合ではござらんな」
墓石のごとく無残に転がったレイ・ドールの積み上げられた残骸の一つががらりと音をたてて崩れ落ちる。
剣を喉元に突き立てるかのような禍々しくも、相手を図るかのように冷たい視線が輪蔵をさす。
「く、熊でござるか?」
針金のような鋭く黒い剛毛で覆われた全身。黒い靄にもち近いどす黒い瘴気の混じった涎が開いた口角からだらりと垂れる。
見た目こそ輪蔵の既知とするところの『熊』のはずだが、その巨体は輪蔵の知るところの熊ではない。
レイ・ドールと並ぶ高さ。
その太く黒ずんだ爪と牙が、どれだけの血を吸い、肉を食んできたかなど、周囲に転がる人骨を見れば想像に難くない。
「本来ならばお主の領分に踏み込んだ拙者に非があるが、これを見てごめんなすったと看過するわけにはいかないでござるな」
──GGRRRRWWWWWWW
殺意と食欲。そして血を彷彿とさせる赤く輝く眼差しが光る。人肉を喰らい山の魔物として棲みついた獣が牙を剥き爪を突き出す。
山の頂に足を踏み入れた輪蔵を敵とみなした獣の瞳に黒い殺気が渦巻くと同時に四つ足でレイ・ドールの残骸を蹴散らしその巨体が疾駆する。
「華楽刀、峰仙禾!」
──GGGGGGRRRRRRRRRRRRWWWWWWWWWWWWWW!!!!!!
砕き、喰らうための鈍い光を宿し振り上げられた爪。そして示然丸の握る二刀が閃く。
曇天の空のもとで、どこまでも続く連峰に二つの強大な力の激突が衝撃波となり音となり響き渡る。
◆◇◆
ヒース城の長い通路。並べられた調度品の数々はどれも値段をつけ難いものばかりだ。
通路に敷かれた目も痛くなるような赤い絨毯を歩きながらジールは唸るような声をこぼす。
ついこの間、対峙した金色のレイ・ドール。動きは雑。ライダーとしての技術は未熟極まりない。
「どのような決闘かは知らないが、バルドのことだ。決して不平等な決闘ではあるまい。そのうえでまさか倒されるとはな」
正直なところ何度聞いても信じ難い話だ。
『第三師団長』
師団長と言う肩書は努力だけで与えられるものではない。比類なきライダーとしての才能。そして天賦の才とも言えるレイ。それら全てを兼ね備えた者が師団長の肩書を与えられる。
そして現時点でその称号を与えられたのはおよそ八人だ。
最年少にしてその称号を受け取った男こそ第三師団長バルドだ。
「リンダラッド様を連れ戻す任。失敗は許されない……ならば考えるまでもないな」
ジールは懐から枠縁を蒼白に染めたレイ・カードを取り出す。
カードのなかでは蒼白の騎士、ガリエンが佇んでいる。
既に答えは出ていた。悩む必要なんてない。
ガリエンもジールの胸中にある答えをわかっているようにただ輝いてみせる。
◆◇◆
──GGGGGGGGGEREEEEEEEEEEEE
幾人もの血によって黒ずんだ爪。当たればレイ・ドールとて無事ではすまない。それは周囲に転がっている残骸が口にできずとも語っている。
その爪と二本の刀が丁々発止していくうちに示然丸が次第に端へと思いこまれていく。
近くで見ると、その獣はますます大きい。
針金のような剛毛は刀の斬撃を満足に刃が肉まで喰い込むことなく、爪は容赦なく示然丸の装甲を削り取っていく。
「冗談では──────────っござらんよ!」
獣の素早い動きについていくだけで精一杯の輪蔵は休んでいる暇すらない。
今、刹那でも繰り出される爪から意識を外せば、その瞬間に示然丸は砕かれる。
「しかし、このまま防御にまわっていても──」
獣の眼に宿る殺意の輝きはいまだ衰えることなく、動きにはまるで疲れを感じない。それに反して示然丸は確実に傷つき、削れている。致命傷こそ避けてはいるものの状況が好転する兆しはない。
──ならば
「とぉっ!」
大きく後ろへと跳んだ示然丸が着地したのは断崖絶壁の手前だ。
下がる場所はどこにもない。
「我が友の術を見るでござるよ」
迫る獣を前に示然丸は刀を再び背負うと指を組み、印を結ぶと同時に示然丸から白い靄のようなレイが放たれ包まれていく。
来蓮の里で竹馬の友である冬玄が得意とした術。
──多重分身っ!
白い靄の示然丸を形作る。
「レイ・ドールで分身となると冬玄のようにうまくいかないもんでござるな」
隣に出来上がった不出来な分身に輪蔵は首を傾げる。白いレイから生み出された分身は不安定に揺れ、実体を持たない幽鬼が一つ生み出されている。
──GGGGGGGGRRRRRRRRRRRRWWWWW
「多少の目くらましくらいにはなっているでござるな。結果オーライでござる」
ぴたりと足を止めた獣を前に輪蔵は感心する。
「しかし、これを維持するのは大変でござるな」
少しでも気を抜くと時間が経つにつれ次第に形が不安定になっていく。
レイの供給が途絶えれば分身は形を保てず、すぐさま白い靄のようなレイとして宙へと霧散してしまう。そうならないよう倫央は常にレイを放出していなければならない。
「ゆくでござる!」
不安定に揺らぐ分身。そして示然丸が背負った二本の刀を構え、大きく跳び、曇天のもとに刀を振り上げる。
──GGGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRWWWWWWWWWWWWWWWWW────────!!!!!
「ぐうっ!」
突き出した爪が示然丸の脇腹をえぐるように貫くが、示然丸は振り上げた二本の刀は止まらない。
「閃け華楽刀! 峰仙禾!」
赤く毒々しい獣の双眸に二本の刀が深く突き刺さり頭部を貫く。
「……死ぬかと思ったでござるよ」
傷だらけの示然丸を再びレイ・カードへと戻した輪蔵は、いまや動くことのなくなった獣の横でおもむろに周囲を見渡す。
「……ありがとうございます」
「ぬぉっ!?」
不意にかかった声に輪蔵は驚き、跳びあがる。
まるで気配がなかった。その艶やかな黒髪が触れそうなほど至近距離に女性の儚げな顔があった。
「ど、どこに行ってたでござるか!?」
「……」
女性は輪蔵の言葉に応えることなく、ただ雪駄でしずしずと頂きの端へと歩いていくと、おもむろに膝を着く。
「どうしたでござる! だ、大丈夫でござるか!?」
「やっと……やっと会えた……」
地に膝をついた女性の背中は大きく震えていた。その小さな掌のなかに眠るもの。
「骨……」
よく見れば周囲は人骨だけではない。様々な動物の骨が敷かれている。
その一つ。
「長かった。やっと会えた」
「お主。その体……」
不意に女性の体が大きく揺らぐ。
それはまるで輪蔵が作り出した不出来な分身のように、女性の体が淡い緋色の輝きに包まれ薄らいでいく。
「……ありがとうございます」
目尻に涙を浮かべた女性はその骨を手にすっと立ち上がると人の姿は空気に溶け、残されたのは汚れや傷の目立つ狐だ。
「私を息子と合わせていただき」
「お主のその姿っ!?」
──キャン
かわいらしい声で狐は鳴いてみせた。
「死した子と出会いたい一心の意思が与えた奇跡でござるな」
にこやかな笑顔をともに輪蔵は目の前で可愛らしくなく狐の頭を軽く撫でた。
◆◇◆
──起きなよ!
「俺様を……美女たちが……よりどりみどり……」
「起きろって!」
「んごっ!?」
寝言が絶えないヒュウの顔面に容赦ない蹴りが見舞われる。
「……よお」
「良い夢を見てたみたいだね」
「全くだ。ったく、美女の裸が右にも左にも……って、ここはどこだ?」
「気が付くの遅いよ」
ヒュウが寝そべっているのは煎餅のように薄い布団の上ではない。ましてや屋根付きの旅籠屋ではない。
巨木の日陰だ。
時折吹く風が葉を揺らし、そこから出来る隙間から振り下ろされる太陽の白い光がヒュウの顔に当たる。
「小汚ねえ旅館に泊ってたはずだが……」
「なんか起きたら僕も含めてみんなここにいたんだよね」
一夜の幻のごとく、林道にあった小さな街はその姿を忽然と消す。
四人の前にはただ尽きることのない森林が広がっている。
「あの大雨の痕跡も一切ありませんし」
「まるで狐につままれた気分だな」
「……そうでござるな」
ゆっくりと体を起こしたヒュウは森のなかを眺める。
「まあでも晴れてるなら別に困らないし、さっさとこの森を抜けようよ。またいつ雨降りだすかわからないし。山の天気は変わりやすいしね」
「確かにそうだな。よっと」
マントを大きくなびかせてヒュウは立ち上がる。
「そんじゃ行くか。なにをボケっとしてんだよ」
「ん……ああ……」
「なんかあんのか?」
輪蔵は森の更に向こう。目的の東とは見当違いの連峰を眺めたままぴくりとも動かない。
「なんかあんのかよ?」
「山……でござるな」
「山ぁ? んなもん見ればわかるよ……ん? なんか雨降ってないか?」
「ほんとだ。でもそんなに降ってないし」
「こんだけ晴れてるのにぃ!?」
日の光が眩しく輝く空にはあまりに似合わない水の粒が天からこぼれてくる。
「ったくおかしな雨が降りやがる」
「このくらいだったら良いんじゃないの? ほら! 綺麗な虹が出てるよ」
リンダラッドが指さしたのはさっきまで輪蔵が見ていた方向だ。
連峰にかける大きな虹と晴れの下で降る雨。
幻想的な光景にリンダラッドもリビアも思わず見とれる。
「そんな金にならねえもん見てもしょうがねえだろ! 行くんならさっさと行くぜ! ほれお前も行くぞ」
「そうでござるな」
一度だけ輪蔵は連峰にかかる虹を見た。
──晴れの日に振る奇怪な雨……
それは輪蔵の里でも呼び名があった。
『狐雨』
輪蔵には山の頂から可愛らしい狐の鳴き声が聞こえた気がした。




