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8-1



 ◆◇◆



「王立騎士団団長、ジール=ストロイ。失礼します」

 全身を鮮やかな蒼白の甲冑で身を包んだ青年は扉を開くなり一礼し入ってくる。。目も覚めるような青い髪に整った鼻梁の美男子だが、表情は硬く、きつく結ばれた口元からは本人の厳格さをそのまま表したかのような威圧感すら覚える。

 王座に謁見するための間へと続く扉を開いた男は、ヒース国最強の矛にして盾。いまだ無敗の伝説を持つライダー、王立騎士団団長ジール=ストロイだ。

「どういうことだ!?」

 第三師団の帰還を告げられたジールが雑事を片付けこの王座の間へと着くなり飛び込んできたのは。聞き慣れない胴間声とともに狼狽した王、ダラエ=ロエスの声だ。

 杖を突き王座から勢いよく立ち上がるダラエの前には、姫を連れ戻す任を受け、帰還を果たした第三師団の面々が拝跪(はいき)したまま石のように動かない。

「リンダラッドを見つけながらなぜみすみす見逃すような真似をした! 連れ帰るのがジールから君たちに与えられた任務のはずだ」

「……はい」

 王の言うことは至極真っ当なものだ。

 金髪童顔の目立つ第三師団長バルドの報告は姫の無事を確認したことだけであり、手ぶらで帰ってきている。

 自らに非があることも十二分に承知しているバルドはただ俯いたまま小さな声でうなずく。

「ったく何回怒鳴れば気が済むんだよ」

「ドレイク。磔刑(たっけい)にされたくなければ黙ってるんだよ」

 バルド同様に膝をついているリストンがドレイクの無駄口を注意する。

「ダラエ王。大声を出していかがなされましたか?」

「おお。ジールか。

 君の与えた任務を放棄して彼らが戻ってきたんだよ」

 そう言って第三師団を指さすダラエの表情は不機嫌そのものだ。

「彼らは娘、リンダラッドと会ったにもかかわらず連れ戻していないんだ。これを任務放棄と言わずに何と言うのか釈明があるならば是非聞きたいところだ」

 王の憤りを聞きながらジールは目の前で何一つ言葉を発さずにただ膝を着いているバルドを見た。

 これだけ若くして師団長まで上り詰めた存在はバルドが初めてだ。そこには実力と同時に並々らなぬ忠誠心もあった。

「極東の国、ベルデガーレの不穏な動きもあるなかで一刻もはやくリンダラッドには戻ってきてもらい、姫としての役割を果たしてもらわなければならないというのに」

「王様。彼らが職務を遂行しなかったことに関して仔細は私は聞き、そのうえで適切な判断、そして処理を下しますので、このことはどうか私に一任していただけないでしょうか?」

 ジールの蒼白の双眸に見つめられたダラエ王は、怒りが次第に収まっていくかのように持ち上がっていた眉尻がゆっくりと降りてくる。

「わかった。リンダラッドはいずれにせよ連れ戻さなければならないから、この件に関してはまだジール、お前に任した。だが次は私の期待を裏切るような真似はやめてくれ。

 お前を信頼してるのだから」

「寛容なお心感謝します」



「さて……」

 家臣が玉座へと続く扉を閉め、三人を連れ出したジールは呟いた。

 若くとも師団長まで駆け上がり、誰よりも責任感の強いバルドが任務放棄などしようはずがない。もしあるとすれば……

「もも、申し訳ございません!

 私の失態でジール様の顔に泥を塗!り」

 ダラエの怒りを耳にしようとも眉一つ動かないバルドの顔がジールの前では途端に幼い少年のごとく狼狽える。

「失敗は誰にでもあることだ。そして失敗の責を取るのが上に立つ者の役目だ」

「いいえ。これは私の失態です。

 姫様を連れ戻さずにこのヒース国へと戻った時点でどんな処罰でも受け入れる覚悟を出来ています。師団長の称号剥奪でも、騎士団追放でも如何様にもしてください!」

 バルドの金色の瞳がジールを蒼い双眸を見た。若く時折向こう見ずなところがあるバルドだが、そのなかに滾っている義をジールは高く評価している。

「私は君が任務放棄するような者だなど微塵も思ってない」

「うちの団長は真面目一徹だけが取り柄だからな」

「ドレイク! 茶化すな」

 ドレイクにリストンが思わず声を荒げる。

「リンダラッド様と会い、そのうえで君が連れて帰れなかったということは……負けたという解釈でいいのか?」

「……」

「そうか」

 何も応えないバルドのそれを黙認と受け取ったジールは杞憂が当たったとでもいうかのように僅かに眉根を寄せて腕を組む。

「真っ当な勝負で負けたがゆえに約束を違えることなく手を引きました。たとえそれでどれだけ私自身が非難されようとも決して後悔はしません。ただ……」

 非難を受けることなど先刻承知のバルドだが、自分の行動が原因となりジールが非難されることは身を割かれるような思いだ。ただでさえジールが奴隷から王立騎士団団長として出世したことを妬むものが少なくないこの城内において今回の出来事だ。

 口さの無い者たちは決して黙ってはいないだろう。

「お前はそのままで良い。相手が悪人であろうとも決闘のうえで交えた約束を反故にしないその高潔な精神こそお前のレイの源泉だ。そして私はその心を高く評価している。

 お前がもし、任務を優先し、誓った約束を反故にするような者ならば、恐らく軽蔑こそすれ高くは評価しないだろう。

 処罰は追って伝える。部屋へ戻れ」

「わ、わかりました……ジール様。一つよろしいですか?」

「ん?」

 ひと段落着いたかのようにふうとため息にも持たない息を漏らすジールを金色の瞳が見つめる。

「姫様と一緒にいたライダー、ヒュウ=ロイマン。奴は何者ですか?」

「何者……か。ただ意地汚いライダーさ」



  ◆◇◆



 曇天の空から滴る天の恵みは地を濡らし、地中奥底まで染みた熱を吸い取るように濡らしていく。

 激しい音を鳴らし降り続ける豪雨を前に窓に腰をかけた青年は、その欲望がぎらつく鳶色の瞳で死んだかのように雨音しか聞こえない街を眺めた。

 同じような家屋が軒を並べた街だが人っ子一人声が聞こえてこない。

「ふえっくしゅんっ!? 誰かが俺様に惚れて噂してやがるな」

 ヒュウは今にも垂れてきそうな鼻水をずっと吸い上げると全く根拠のない言葉がこぼれる。

「はあ。良いお風呂だったわ。ねっ。お嬢様。

 あんたもいつまでも濡れた格好してないで入ってきなさいよ。風邪なんてひかれたらこっちがたまんないわよ」

「まさか途中でこんな大雨に振られるなんてね」

「ほんと、誰かさんが近道しようなんて言わなければ、こんな豪雨に巻き込まれなかったかもしれないのに」

 湯上りで白い肌がほんのりと赤くなった二人が身を包んでいるのは、輪蔵の生まれ故郷である来蓮の里でも着た経験のある着物だ。

「うるせえな」

 赤い長髪を団子状に縛ったリビアの嫌味に聞こえる言葉に、ヒュウはおもむろに振り向いた。

「だいたいあんたが、山を迂回するなんて面倒だから山を直進しちまおう、なんて言って街道を外れたから今、こんな土砂降りを頭から被るはめになったんじゃないの?」

「実際こっちの方が近いんだし、お前だって文句言わなかったじゃねえかよ」

「そりゃ、こんな大雨に打たれることになるなんて思ってなかったからよ」

「俺様だってこうなるなんて予想できるわけねえだろ」

「予想しなさいよ!」

「無茶ぬかすな!」

「あれ? 輪蔵は?」

 不意にリンダラッドは部屋に見慣れた顔が一人いないことに気が付いた。

 旅籠屋(はたご)と呼ばれているこの木造ホテルの老店主いわく客間はここ一つしかないらしい。男女同室においてリビアの拒否反応はそれは凄まじいものがあったが、背に腹は代えられないとでもいうかのようにすぐに駄々をこねなくなった。

「あの野郎ならさっき街を見てくるって言って、どっか行ったぜ。この雨のうえに、こんな見どころのねえ街のどこに行くのやら」

 窓の向こうでは絶えることのない雨だけが永遠とも思えるほど降り続けている。



 店主から借りた傘をさした輪蔵は死んだように音のない街を歩いた。

 かつては人が住んでいたのだろうが、その住人達が消えどれだけの月日が経っているのか、飯屋の看板は傾き、苔の緑色が妙に目立つ。

 狭い町だ。

 ぬかるんだ地を踏みつけ少し歩けばもう街の端だ。

「じつに似てるでござるな」

 緑に囲まれ、街道から大きく外れたこの地でひっそりと構えられているこの街は輪蔵の生まれ故郷である来蓮の里と風景が重なる。

 店主が散歩する輪蔵へ貸し与えた傘も緋色が目立つ和傘であり、来蓮の里でこそ珍しくないが、外の世界ではあまり見かけないものだ。言葉も輪蔵達が使う『漢字』と呼ばれるものによる表記が多い。

 そして林の中に目立たず作られたこの街も、忍の集落として人目につかずひっそりと生活していた来蓮の里と重なっている。

 雨によって増水し濁りきった水が激しい流れを作る小さな川。そこを跨ぐようにしてかけられた橋の上で輪蔵は川をのぞき込む。

 普段ならば浅い水底がはっきりと見えるほど透明な水が流れた川も今だけはその姿を潜め、荒々しい音とともに下流へと続いている。

「あのー……」

「む?」

 川を眺めていた輪蔵の隣から薄く生気のない声が耳を舐めるように不気味に耳朶を打つ。

「なんでござるか?」

 声の主は恐ろしく長く黒い前髪を垂らした着物の女性だ。

 大輪の花が開く派手な着物を身に纏っているが顔にはまるで生気がない。どこか青さも感じ取れる陶磁器のごとく白い肌に今にも閉じてしまいそうな黒い瞳が和傘の下で不気味に光る。

 線が細く、死人がそのまま動き出したかのような印象を与える薄幸の美人だ。

「あなた様はライダーでございますか?」

 今にも消え入りそうな儚げな声で女性は呟いた。



「失礼します」

 そう言って部屋の扉を開いたのはこの旅籠屋の老主人だ。

「夕食までまだ少々時間がかかりますので、どうかごゆるりと」

「言われなくても。だいたいこの辺、なんか遊べるような場所はないのかよ?」

 畳に寝そべったヒュウの言葉に老人は困った表情で窓の外を見た。

「この街は今はもう私一人ですからね」

「お爺ちゃん一人なの?」

「はい」

「お年寄り一人で食べ物とかどうしてるの?」

「街道沿いに山を迂回せずに、近道でこの山を抜けていく行商から定期的に買い物をすることで細々と生活しております。ところでお客様のなかにライダーはいますか?」

「俺様がライダーだけど何かあんのかよ?」

 ヒュウの返事に老人は半開きの眼がわずかに開く。

「やはりそうでしたか」

「それがなんか関係あんのかよ?」

 豪雨に包まれ全景がまるで霞のなかに埋もれたような街を眺めて老人は縦に一つ首を頷かせる。

「いえね。この街を近道として通る方はそこそこ多いのですけど、こんな雨が降る日は決まってライダーの方がこの街に寄られたときなんですよ」

「へえ」

 窓の雨戸を半分ほど閉めた老人が振り向いて三人を見た。

 深い皺が幾重にも刻まれた埋もれそうな老人の瞳が怪しく光る。

「気を付けてください。

 この街にライダーの方が来られると不気味なことが起きると聞きますので」



「よくわかったでござるな」

 長い黒髪を枝垂桜のように腰まで流した女性を前に輪蔵は小さく頷く。

「お主はこの街に住んでいるでござるか?」

「はい」

 吐息はどこか甘く薄い女性はそっと輪蔵の横に立つと真似するように激しい川をその黒い瞳でじっと見つめる。

「激しい雨でござるな」

 互いに橋の下を流れる川を見つめながら輪蔵から口を開いた。

 沈黙が起きるたびに激しく流れる川や豪雨の音が二人の間に割って入る。

「雨は嫌いなんです」

「拙者は好きか嫌いかなど考えたこともござらんよ」

 改めて輪蔵は横に立つ女性を見た。

 病的なほどに白い肌にどこか尖りが見える輪郭。息を呑むほどに艶やかだが、リビアとは違い、その顔には常に陰鬱な影が付きまとっているように見える。

「……ライダー様がこの街を訪れるのを待っていました」

 和傘を握りしめた女性はか細い声で輪蔵へと向き直った。

 生きている力を感じない黒い瞳が輪蔵をじっと見る。

 不思議な女性だ。まるで目の前にいるのに触れることができないかのような不気味な浮遊感に包まれている。

「お願いがあります。私を連れて行ってほしい場所があるんです。もちろん謝礼は差し上げます」

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