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7-3



  ◆◇◆



「さあさあ飲んだ、飲んだ!

 明日のことなんて考える必要ねえ! 今日は宴だ!」

 豪放磊落なランバルの声が店中に響き渡る。既に店のなかは狂乱となった宴の様相を(てい)している。

 半裸で机に上り踊り出すものもいれば、女に抱き着き快楽を得る者に、酒に呑まれ床と友達になっている輩も見受けられる。

「おうっ! 牧師様。飲んでるかよ?」

「ええ。ありがたく」

 肩にその太い腕を回してくるランバルに対して長身痩躯の牧師は優しい笑みとともに持っていたグラスを見せた。

「いやー実に美味しいお酒ですね。

 楽しく飲むお酒がやっぱり一番です」

 そう言うと牧師はグラスに並々とつがれたお酒を苦もなく一気に飲み、一つ息を吐く。

 ほんのりと朱に染まった牧師の優しい笑みにランバルは目を丸くする。

「あんた、牧師の癖に酒強いんだな」

「牧師もお酒を飲みますよ。特に私、お酒にはめっぽう目がなくて」

「無類の酒好きなんて牧師の肩書が聞いて呆れるぜ」

 大きく口を開いたヒュウが笑い声をあげる。ヒュウと牧師の二人でどれだけ酒を飲んだのか空になったグラスが列を作って並べられている。

「お前も飲んでるか?」

「もちろん! タダの酒を飲まねえわけねえだろ」

 真赤なドレスの女性の肩に腕を回して抱き寄せたヒュウは既にグラスなど持たず、瓶から直接飲んでいる。それを見たランバルが白い歯を見せて笑う。

 狂ったかのようにこの店には笑みが溢れている。

「その意気で楽しんでくれや!」

 ランバルも大口を開けて笑うと、別の席へと行ってしまう。

「……」

「その子大丈夫なの?」

 ヒュウに抱き寄せられた女性がおもむろにリンダラッドを見た。グラスを抱えたまま目がどこか虚ろだ。

 吸い込まれそうなほど大きな碧眼の瞳は既に半分しか開いていない。頬もほんのりと紅が差している。

「おい! 聞こえるか?」

「……ん?」

 明らかに反応が遅いリンダラッドは力のない目でヒュウを見上げた。

「もしかしてそれって……酒か。ガキの癖にそんな強い酒飲むから」

「ヒュー。なんかいい気分……」

 今にも崩れそうな力のない声を出すとリンダラッドはこてんとヒュウの体にその身を預ける。

 普段ならばどこか年齢不相応の笑みを浮かべてるリンダラッドも横になり不用心な寝顔を晒してしまえばただの子供だ。

「おい! 起きろ!」

「ん~……」

 寄り付くリンダラッドの頭を二度、三度と叩くが全く起きる気配などない。それどころか気持ちよさそうに寝息をたててる。



「おい牧師野郎」

 酒気に満たされた店内は次第に酩酊の色が強くなり、大声ではしゃぎまわる者いなくなる。

 酔いつぶれ床に転がる者が多数のなかでヒュウは目の前で酒を飲み続ける牧師を睨む。

 一体どれだけの量の酒を絶えず飲んでいるのか、牧師の周囲にはグラスではなく空き瓶が転がっている。

「さっきあいつに何しやがった?」

「はい?」

 瓶を片手に握りしめた牧師は傾げてみせたが、ヒュウの険のある目つきの奥に宿した欲望に満ちた輝きが睨んで離さない。

「とぼけるんじゃねえよ。この不良牧師が」

 酒を握ったまま柔和な笑みを浮かべた牧師にヒュウは、卓上に丁寧に並べられたグラスを蹴とばし机の上に踵を叩きつけるようにして足を乗せた。

 満たされることのない欲望だけが渦を作った鳶色の瞳が牧師を映す。

「あのデカブツが突然態度を変えたのはてめえが触れてからだろ。あの緑の光が原因だろ」

「いやー……目が良いですね。

 ほんの一瞬だったんですけどね」

 ヒュウの追求から逃れられないと悟った牧師は酒瓶を手放すと、人差し指だけをぴんと立てる。

 長身痩躯の牧師同様に細く白い指。ヒュウのごつごつとした傷だらけの手とはまるで違う。

 女の指とも見紛うその伸ばした指先に宿る蛍のごとき小さな新緑の光。それはヒュウがあのとき見たものと全く同質のものだ。

「これのことですよね」

「それだ! そいつがあの大男の額に触れた途端にあいつの態度が急に変わりやがった」

「これは私のレイですよ。これを他人に与えると包まれるんですよ。多幸感と言うものを」

「タコウカン?」

「まあ簡単に言ってしまうと、これを注ぐと怒りとかを取り除いてちょっとだけ幸せな気持ちになれるんですよ」

「……」

 まるでピンと来ないヒュウが今度は頭を傾げてみせる。

 人の中にある魂の力『レイ』。それを技術として使うなど現代においてレイ・ドール操作以外にほとんど存在しない。

 何かを媒介にせず『レイ』そのものを操る術。それは実用的でなく、非合理と判断され利便化だけを求められる歴史のなかに葬られた化石のような技術だ。

「へえ。幸せにね……それじゃあ俺様にもやってくれよ。幸せになれるんだろ? その怪しげな光でよ」

「駄目です」

 ニコリと微笑んだ牧師の返事は悩む素振りもなくきっぱりとしたものだった。

「別に金がかかるわけじゃねえし良いだろ。俺様だって幸せになりてえよ。そういう人間を救うのが牧師の役目なんじゃねえのかよ?」

「駄目です」

 ヒュウが幾らせがんでみたところで牧師の柔らかな拒否が変わることはなかった。

 ただ落ち着いた優しい言葉が頑強な壁のようにヒュウの言葉を弾く。

「さきほども言いましたけど幸せになるんじゃなくて、幸せになったような気にさせるだけです。言い方をもう少し変えると、一時の夢を見せているだけでなんですよ。

 さきほどは喧嘩になりそうだったから特別に使っただけですよ」

 牧師は答えると再びその手に酒瓶を握り、飲み始める。

「それじゃあここで喧嘩が始まるならお前の力が見れるってわけだ」

 ヒュウはおもむろに懐にあるレイ式銃に手を添える。

「そんなことしなくても喧嘩ならもうすぐ……」

「もうすぐ?」

 おもむろに牧師は呟くと目の前に置かれている開いてない酒瓶をかき集めるように自分の元へと寄せる。

 途中で切れた言葉に怪訝な表情を浮かべたヒュウの眼前を巨大な足が振り下ろされる。

 机を派手に踏みつけ、破壊し、空いたグラスや瓶が床に派手な音をたてて転がる。



 二つに割れる机と舞い上がる酒瓶の数々。

 机を踏みつけた張本人、ランバルの顔にはさっきまでの陽気な表情はなく怒りのみで満たされた剣幕が浮かんでいる。

 額には太い血管を浮かべ、体格に見合った太い手は思いっきりに拳を握っている。

「てめえ、よくも俺の前でぬけぬけと酒が飲めるな!」

「なんだなんだ!?」

「ランバルがまた喧嘩するぞ!」

 酩酊した者達の眼を覚ますには十分すぎるほどの怒号が店内に響き渡る。

 半開きの力のない瞳を野次馬が辺りを囲む。

「えらく怒ってるな」

「私のレイが解けたようですね。

 良い夢から起こされたがっかり感で怒りもパワーアップってやつです」

 まるで緊張感のない酷く軽い言葉で牧師は笑いながら言うが、大男、ランバルの怒りは目に見えて危険だ。

「なるほどな」

「ちなみに私の力って一度使うと耐性が出来てしばらくはかかってくれないんですよね。いやー困った困った」

「そいつは困った。まだこいつが金払ってないから、このまま店出たら無銭飲食で俺達は揃って犯罪者だ。牧師が犯罪とちゃあっちゃまずいだろ」

 今にも殴りかかってきそうなランバルをよそに牧師は軽薄な声で笑いながら答える。その腕にはいまだ未開封の大量の酒瓶が幾多も抱えられ、もう一本と余計に入る隙間がないほどだ。

「俺を無視するんじゃねえ!」

「うるせえ奴だな……」

 レイ・カードを取り出して立ち上がろうとしたヒュウの腰にしがみついたリンダラッドはそのまま穏やかな寝息をたててる。まるで起きているかのように腰に回された手はがっちりとしている。

「離せって!」

 頭を二度、三度叩いても起きやしない。

「そのガキもろともてめえを潰してやるよ! 表に出やがれ!」

「ちょ、ちょっと待った! 起きろって。おい!」

 ランバルが懐からレイ・カードを取り出し、店外へと出ていくなかでヒュウは腰にしがみついたリンダラッドを何度も叩くがまるで反応がない。

「ぜんっぜん起きねえな。この野郎」

 ──こいつに酒は飲ませないようにしよう。

 苛立ちのあまりにリンダラッドの頬をつねるなどするが全く起きる気配がない。

「ここは私に任せてください」

「……あのなあ、牧師さんよお。懺悔して怒りが収まるような相手には見えねえし、喧嘩売られてんのは俺様だ。牧師のあんたは関係ない顔して酒でも飲んでりゃいいんじゃねえか? わざわざあんたが首を突っ込むような話しじゃねえだろ」

「喧嘩とかって私、苦手なんですよね。ラブアンドピースと言うやつが信条でして」

「だからって他人の揉め事に首突っ込んでたら長生きできないぜ」

「大丈夫です」

 牧師は明るい声とともに薄い胸板を軽く叩く。

「これでも一人で長旅を……と言っても最近は二人でなんですけど。まあとにかく、荒事を穏やかに終わらせるのも多少慣れてますから」

 そう言うと牧師は酒瓶を脇に握りしめ、片時も離すことのなかった聖書を開くと、そこからさっと出てきたのは──枠が鮮やかな新緑に輝くレイ・カード。

「お前、ライダーだったのか!?」

「主が創る楽園でお会いしましょう。

 ヒュウ=ロイマンさん」

 ヒュウの声も遮るように牧師は囁いた。その声はヒュウの耳まで異様にはっきりと届いた。

 牧師は修道服を翻すとそのまま店を出ていく。

 ──俺様の名前、なんで知ってたんだ?



「……でもこれってチャンスだな。あの牧師が大男をひきつけてるうちに逃げちまうか」

 酩酊とした空気に包まれた店内を裏口からこっそりと出たヒュウはおもむろに入口のある方向を見た。それと同時に街の一角に翠の光が噴き出す。建物越しにも、天を突く吹き上がった万緑の輝きははっきりと見えた。

 似たような光景をヒュウは一度みたことがある。色こそ違うが、最強のライダーとして名高いジール=ストロイのオリジンが召喚されたときと良く似た光の柱だ。


 ──オリジン


 ヒュウとジールの持つ二体以外の存在がいまだ確認できていない、製造過程からその能力に至るまで全てがブラックボックスに包まれたレイ・ドール。

 わかっていることと言えば、人の手によって作られたレイ・ドールとは違い、選ばれたライダー以外はカードから出す事もできない。

 さらに言えば、オリジンは値段もつけることのできないほど希少な代物だ。

 ヒュウの旅の目的である『お宝』に値するほど。



 街の一角で吹き上がった翠の柱。

 その輝きに好奇心を刺激され集まってきた人々の目の前に広がっているのは……

「し、死んでるのか?」

 寄って来た人々を迎えた異常な光景。それは、仰向け、うつ伏せ。まるで全ての力を奪われたかのように地面に倒れている人々だ。そのなかにはあの大男、ランバルの姿もある。

 年かさの男が恐る恐る倒れている人々に寄ると──

「……笑ってる……全員笑ってるぞ!」

 通りの中央を独占するように倒れている人々は全て穏やかな笑みを浮かべ、まるで体の力を全て奪われたかのように地面に倒れている。

 あまりに異質な光景にあれやこれやと噂が飛び交うなかで、群衆に紛れてヒュウの鳶色の瞳が輝く。

「あの牧師野郎……」

 空を泳ぐ雲のように掴みどころのない笑みを浮かべた牧師の姿がヒュウの脳裏に浮かぶ。この異質な光景を創り出したのは間違いなくあの翠の柱であり、ここに姿のない牧師の仕業だ。



「さて。沢山お酒もいただきました。酒は人生の潤滑油と申しまして、これで楽しい旅がますます楽しくなりますね」

 四方に設けられた街の出入り口となる門。牧師は酒瓶を大量に抱え、歌うような声をこぼして東の門を抜ける。

「どこ行っとったんや! 待ちくたびれてもうたわ」

 門を抜けた牧師に叱咤とともに寄ってきたのは腰の曲がった老婆だ。

 深い皺が顔に刻まれ、老年としての貫禄が備わった老婆は自分の体を支えていた杖をぶんぶんと振り回す。

「ちょっとお酒を稼ぎに……」

 手に入れた酒瓶を見せて笑う牧師に対して腰の曲がった老婆は呆れを隠せない溜息を大口を開けて吐き出す。

「あんさんは賞金首のウチを護ってくれないと困るんやで。ほんまにわかっとるんか? シャーロ」

「わかってますよ。テアさん」

 長身痩躯の牧師、シャーロ=メアン=ロクシスは優しい笑みを浮かべて応えた。全てをけむに巻くかのような笑みだ。

「その変装はお見事ですし、誰もあなたが情報屋テア=フェイラスだなんて思いませんよ」

「うちの変装は超一流やからな当然や! ってそうやなくて、ウチが言った通り修道服以外の服買ってきたんか?」

「あっ……」

 間の抜けた声を牧師が漏らすと老婆姿のテアはそのまま深いため息を二度続けて吐いてみせた。

「ウチ、言うたやろ! 目立つような服はあかんって。タダでさえ牧師なんて目立ちよるのに」

「大丈夫ですって。私にはこの方もいますし。ねえレロン」

 片時も離すことなく持っていた聖書のなかから取り出した一枚のレイ・カード。枠縁を翠に輝かせたそれに向かって牧師は語り掛ける。

「はあ。まあええわ。経過はどうあれうちの目的にはきちんと手伝ってもらうで」

「それはもちろん。利害の一致と言う奴ですからね」

「牧師が利害なんて言葉を口にしてええんか」

 まるで牧師らしからぬ目の前の男にテアは三度溜息を吐く。

「そう言えば……」

「なんや?」

「以前、お話で聞いてた黄金のライダーとお会いしましたよ」

「……ああ。それならうちもや」

 その言葉でテアの頭のなかに思い浮かんだのは、金のためであればどんな極悪非道な行為ですらなんの躊躇いもなく行うぎらついた瞳の男が頭に思い浮かぶ。

「良い人でした。お酒たくさん貰いましたし」

「あいつが人に物をあげるなんて……その酒、毒でも入ってるんやないか?」



「ん……」

 世界が揺れるような心地いい感覚のなかでリンダラッドは目を覚ました。

 見慣れない天井と染み一つない布団。そして手狭な部屋。

「あっ、お嬢様! 御無事でしたか!」

 整ったリビアの顔が覗き込む。視界が揺れるなかでリンダラッドは血が沸騰するかのように体が火照る。

「お。お水……あれ?」

「大丈夫ですか?」

 喉の渇きを訴え立ち上がろうとしたリンダラッドだがまるで体に力が入らない。それどころか頭の奥が叩かれるかのような鈍い痛みが纏わりつく。

「僕、風邪かな? なんか体が変だ」

「そりゃ風邪じゃなくて二日酔いってやつだ」

「あんたがお嬢様に酒なんて飲ますから!」

「へいへい。小言は聞き飽きたつうの」

 酔いつぶれたリンダラッドを抱えて戻ってきたヒュウに対してリビアは時間があればあるだけ愚痴とも説教ともつかない言葉をぶつけたが、暖簾に腕押しと言ったようするでまるで反省の色がない。

「リビア。喉乾いちゃった」

「わ、わかりました! すぐに取ってきます。待っててください!」

 リビアが部屋を飛び出し輪蔵は椅子に座り腕を組んだまま船を漕いでいる。

 ぼーっとした意識のリンダラッドの傍におもむろにヒュウが寄ってくる。

「おい。三体目のオリジンと会ったぜ」

「……嘘っ!?」

「マジ。とは言っても直接この眼で見た訳じゃねえんだけどな」

「どこで! いつ!! どんなときに!!!」

 リンダラッドは頭の痛みがどこかに吹き飛ぶような勢いで言葉を吐くとヒュウに顔を近づける。

 飢えた知識欲がリンダラッドを突き動かす。その衝動の前には二日酔いなど塵芥に過ぎない。

「あの牧師野郎がオリジンのライダーだったんだよ。お前が酒飲んでくたばってる間だな」

「……こんなことならお酒なんて飲まなきゃよかった!」

 心底悔しそうにリンダラッドは俯いてみせた。

 ──特に飲むことに気をつけること。

 レイ占術を受けたときの老婆の言葉がふとリンダラッドの脳に浮かぶ。

 まだ見たことのないオリジンの存在。それを目の前にしておきながらみすみす寝て過ごしていた自分に僅かながらの嫌気を覚える。

「クッソー……」

 一刻の姫とは思えない言葉をこぼしながら悔しがる。普段はいかなるときですら緩い緊張感のない笑みを持つリンダラッドにしてみれば非常に珍しい表情だ。

「僕はもうお酒は飲まないや。頭も痛くなるしね」

「そうしとけ」

 ヒュウとしてもそっちの方がありがたい。


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