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イリエの情景~被災地さんぽめぐり~  作者: 今田ずんばあらず
遠野篇
87/110

垂れ流すデンデラ野

 デンデラ野まであと一・三キロ。

 国道三四〇号からわき道に逸れる。


 舗装したての真っ黒い道はあっという間に途切れた。

 ひび割れ、白くなったアスファルトはちょこちょこ陥没してたり剥がれてたりしていた。

 小さく区分けされた田んぼと、立派な民家が点々と続く。

 家に塀や生垣はないけど、入母屋造の瓦屋根が立派だった。


 分かれ道を直進していくと、一風変わった民家があった。

 たぶん大昔は藁葺き屋根だったんだと思う。

 全体の三分の二が瓦屋根の、ずんぐりとした家だった。


 その家の敷地には手入れのされた生垣が道沿いに続いている。

 正面から見ると、その民家はL型に折れ曲がった形をしてて、屋根に隠れるようにして車が駐車してあった。


 たしか、(まが)()っていう、遠野の伝統家屋だって教わった。

 そして、生垣の狭間から生えるように御影石製の案内柱が建っている。


  佐々木喜善の家


 その柱には、〈遠野物語〉の語り部の名が刻まれていた。


 道の先は山だ。

 遠野市街地で見るみたいな、風景の一部分としての山ではなくて、迫りくる近さの山だ。


 佐々木喜善は山にほど近い農村で暮らす青年だった。

 それもこんな立派な家に住んでいて、ここに柳田國男も訪れたんだと思う。


 道は未舗装だけど、今みたいにでこぼこしてて、

 先生を乗せた人力車は舌を噛んじゃいそうになるくらい左右に揺れたんだと思う。

 馬もたくさん飼われてて、もしかするとあの空き地で放牧してたかもしれない。


 そんな想像ができちゃうくらい、きっと、ここの風景はほとんど変わってない。


 目の前の玄関で柳田國男がハットを脱いでお辞儀する光景を浮かべながら、

 自転車のカゴに放ってある地図を広げた。



 佐々木喜善の家は、デンデラ野と分かれた道にある。

 ということはどこかで道を間違えてしまったらしい。


 200メートルくらい下ったところで左に折れる。

 地図を信じるなら、この細い道を行けばデンデラ野に着くみたいだ。


 小さな沢に架かる橋を渡ると山側に小高い丘があった。

 わたしの目にはほんの5、6メートル嵩上げした盛土に見えた。


 デンデラ野はこれだった。


 うばすて山の地と呼ばれるにはあまりにもこじんまりとしていて、

 おどろおどろしさのかけらもなくて、日常に近すぎるように思った。


 だって丘の三方は田んぼで、あとの一方は山に続く林なんだから。



 丘のてっぺんに続く坂道の脇に軽トラックが停まってる。

 ちちち、とバッタが小道を横切った。


 丘をのぼる。

 デンデラ野はススキの茂みになっていた。

 よくある観光名所みたいにフェンスで囲まれてたり、案内路があるわけでもなかった。

 申し訳程度に草を刈られた場所があって、教室程度の場所だけ散策できる。


 のどかな光景だった。

 手がバッグに伸びる。

 スマートホンを取り出し、レンズを原っぱに向けた。


 一瞬、三ツ葉だったらどんなふうにこの風景を撮るのだろうかと思った。


 三ツ葉の撮る写真はどれもきれいな構図で、そのうち数枚は写真のなかに引きこまれてく感じがする。

 けれど、撮るときはいつだって無言だった。

 こっちが話しかけても、しばらくは返事がない。


 三ツ葉はなにを思ってシャッターを切るんだろう。

 そんなふうに思って撮った写真は、平凡な一枚になった。

 本当に、平凡な一枚だった。



 画面の隅っこに藁を重ねて作った屋根があった。

 ネイティブアメリカンの小屋みたいな感じで、

 あちこちから草が生えてて、くさむらに溶け込んでいる。


 実物に近づいてみる。

 脇にステンレス製の解説板があった。

 小屋と解説板がなかったら、ここが史跡だと誰ひとり気付けないと思う。



  デンデラ野


   六十歳になった老人を捨てた野で、

   老人たちは日中は里に下りて農作業を手伝い、

   わずかな食料を得て野の小屋に帰り、

   寄り添うように暮らしながら生命の果てるのを

   静かに待ったと伝えられています。

   かつての山村の悲しい習いをうかがわせます。



 〈悲しい習い〉という最後の一行が妙に引っかかった。

 その悲しさは、いったい誰のものなのだろうか。


 この解説板はここからの景色を見た人々の感情を代弁したんだと思う。

 野良の丘に棄て去られた年寄りたちを思えば、悲しさが芽生えるのが自然だろう。


 それなのに、不思議なことにお腹のなかは悲しさよりも妙な安堵感で満たされていた。


 どうしてなんだろう。両手を広げ、深呼吸をした。

 ぷかぷかと群れた小雲が浮いている。

 空が近いと感じた。


 先生が言ってたっけ。ここは人家のすぐ裏側にあるって。

 沢を挟んで間もなく佐々木喜善の家がある。曲り家の立派なうちだ。

 ここは何百年も変わらない場所で、雲と空との近しさ同様、デンデラ野と集落の距離感も同じなんだと思う。



 蓮台(デンデラ)野という名こそ彼岸のものだけど、

 この土地は此岸(しがん)にあるように思えてならなかった。


 ふとそんな仮説が脳裏をかすめてって、その行先を辿っていきたくなった。

 久しぶりの感覚だ。

 〈民俗から見る文学の探究〉のレポートを書いてるときみたいな。


 あのレポートのこと話したら、三ツ葉は笑ってたっけ。


 ――なんか、依利江らしいレポートだね。自分の世界に浸っちゃうとこ。妄想垂れ流しでレポート書けるんだから。


 そうだ、妄想垂れ流しだ。

 そんなことしたって、学術的な説得力なんてなにもない。


 民俗学的方程式に当てはめたらデンデラ野はあの世のものだ。

 沢を越えた丘にある。沢はすなわち生と死の境界で、山は黄泉の国である。


 授業でさんざん説かれた図式だけど、公式でわたしの感性を封じたくなかった。

 妄想の行く末に新しい発見がありそうで、そこに手を伸ばしてみたかった。



 ……お年寄りがいる施設は今だってある。

 ここからの眺めは、そっちのほうが近い気がする。

 福祉施設、老人ホームだ。うちの家の近くにもある。

 商店街の外れたとこにあって、わたしが小さかったころは靴屋さんだった。


 まちのひとが働くのがお店だったら、農家が働くのは田んぼだ。

 田んぼに囲まれたデンデラ野は、商店街のなかにある老人ホームみたいな感じなんじゃないかな。


 老人ホームは人里から離れた場所にはないと思う。

 もちろん、市街地から離れた場所にならあるけども。


 どっかのチャンネルで、絶景の見える老人ホーム特集をやってた。

 そういうとこも大体はヘルパーや利用者の家族が行きやすいとこが普通だと思う。


 もしもデンデラ野が本当に老人を棄てる目的であるとしたら、

 〈不法投棄禁止〉の看板がたくさんあるような場所にあるほうが自然だと思う。

 でも実際は家のすぐ裏にある。



 そうだ。言葉に惑わされてたんだ、わたしは。


 老人を棄てる。

 棄老。

 この〈棄てる〉という言葉。棄てるなんて、よっぽどじゃないと使わない。

 〈すてる〉と聞いて思い浮かべる漢字は〈捨〉だ。


 個人的な〈棄〉のイメージは、厄介で大きな粗大ごみとか、あと抽象的な……

 罪悪感のようなものを負いながらすてなきゃいけないモノな感じがする。


 要するに〈捨てる〉と〈棄てる〉じゃ重みが違う。

 でも〈遠野物語〉ができたころはどうだったんだろう。


 授業で明治文学に触れると、たびたび拒絶感を抱くことがある。

 〈こういう〉が〈かういふ〉で〈学芸〉が〈學藝〉だったりするけど、

 わたしの抱く拒絶感はそこじゃない。


 漢字の変換が違うところでどうしても詰まってしまう。

〈言う〉を〈云う〉と書いたり〈ここ〉を〈此所〉と書いたり。

 意味合いが同じだからこそ、明治文学とわたしとの生きた時代のズレみたいなものを感じて、変な気持ちになっちゃうんだ。



 〈デンデラ野に棄てられた〉って記述も、今読むと罪深さを感じ取ってしまうけど、

 当時はもっと軽い感覚だったのかもしれない。

 それこそ親を老人ホームへ入れてあげるような感覚。

 表立って言ったら各方面から怒られそうだけど。


 でもでも、あのころは福祉なんて考え方、浸透してなかったんだから。

 老人ホームに預けるというニュアンスでデンデラ野へ棄てると言ってたとしても、なんら不思議じゃない。


 言葉は変わっていく。棄てるを日常的に使わなくなって、

 特別なときに〈棄てる〉を使うようになった。

 なら逆のことも言えるんじゃ、なんて思った。


 ほら、本来特別な場合にだけ使われてきた言葉が、

 ある日をきっかけにたくさん使われるようになって、

 もともとあった言葉のちからを失うことだって。


 この旅で、たくさん見てきたと思う。



 デンデラ野をひとめぐりするのに一分もかからない。


 きっと、昔はもっと広かったと思う。

 というのも、山側の一帯は獣よけの電気鉄線と鉄条網で仕切られた畑があるからだ。

 その面積はテニスコート三面分はあるんじゃないかな。

 そのなかで八〇代くらいの女性が刈り草を焚火のなかにくべていた。

 その姿は残暑の田舎のよくある風景だった。


 現代社会の主人公はわたしみたいな若輩者なんかじゃなくて、彼女のような年代の人々なのだ。

 今のご時世、デンデラ野に追い遣られるのはわたしたちなのかもしれない。

 そんなことをぼんやり考えながら、ぱちぱちと立ちのぼる一筋の煙を見つめていた。

 かつてここで亡くなった遠野の人々を弔っているような気がしないでもない。


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