三ツ葉と会いたい
時刻を気にしたのは、三ツ葉からの通知が入ったからだった。
もう3時過ぎになっていた。
団体の見学者の姿はもうなく、学芸員の男性もいなくなっていた。
思えば足がじんじん痛む。
立ちっぱなしだった。
三ツ葉は今、旧南気仙沼駅付近を歩いているみたいだった。
行ったことはないけど、馴染みのある地名になっている。
「なんか目印ある?」
返信はすぐに来た。
「ないけど、適当に走ってくれたら見つかるよ」
不穏な文面だったけど、なんとなく想像がつく。
4、50分でそっち行けると思う、と送信する。
美術館を出る前にあの学芸員さんに一声お礼を言いたかった。
「あの、さっきまでいた学芸員さんなんですけど」
出入口の前に座る受付の人に尋ねた。
「ヤマモトでしたら、ただいま席を外しております」
「あ、そっか……そしたら、ありがとうございましたって、伝えてもらえますか?」
「なにかお話したんですか?」
「はい。それはもう、いろいろと」
この美術館で得た感動を抑えきれずにいる。
わたしはいてもたってもいられず、受付の女性に告げた。
「わたし、気仙沼好きになっちゃいました」
「それはそれは」
「第二の故郷みたいな気持ちです。神奈川なんですけど、気仙沼、素敵なところですね」
受付はわたしの予想に反して、顔を引きつらせた。
「いやいや。こんな田舎……誰が好きになるんですか」
まちにはいろんな人が住んでいる。
「田舎、いいじゃないですか! ご飯、神奈川よりずっとおいしいですし。
なんか、すごく応援したいです。10年、20年かかるかもしれませんが、ずっと」
「いやあ、10年20年で、どうだろうねえ。東京のほうに行っちゃったからねえ」
ほら、オリンピックあるじゃない?
こっちにまわってた人もお金も、みんなあっち行っちゃった。
受付は笑みを絶やさなかった。
「地元の工務店? だとさ、2年くらい予定が詰まっちゃってるみたいで」
わたしはこれでも、被災者の気持ちはとてもよくわかっているつもりだった。
だってリアスアーク美術館の隅々までめぐったんだから。
自慢じゃないけど、人一倍このまちのことを考えたろうし、展示の意図も理解したと思う。
「これから、南気仙沼行こうと思うんです。
友達が今そっち見てて。シャークミュージアムとか、漁港とか」
「ああ、そうですか。あっちのほうは滅多に」
最後まで言い切らなかった。
滅多に。
言い切らない代わりにこう続く。
「ま、大事な収入源だからね」
キュッと、心臓を掴まれたような心地がした。
それは皮肉であり、明確な拒絶だった。
なにもわかってないくせに。そう言っているように思えた。
死者1214名、行方不明者220名。
その上に今の生活、それも満足とは言えない生活がある。
外部のあなたが想像できるのそこまででしょうね。
その数値。
数値としてしか私たちを見られないでしょう。
理想に触れただけの人間が呑気に「気仙沼が好き」。
よく言ってくれますね。
もしここがリアスアーク美術館でなかったら。
わたしが見学者でなくて、相手が従業員でなかったら。
今頃ビンタされていた。
そのくらいの気迫があった。
いや、ビンタなんてフィクションだ。
これ以上痛い思いをしたくないはずだ。
ただ一言「帰ってくれ」と、それだけ言われていたと思う。
わたしの認識はあまりにも甘かったのだ。
被災地の現状は知り得たけど、被災者の傷はわたしの想像するものより、
ずっとずっとずっとずっと、どこまでも深いものだった。
被災者にとって、わたしはどう映ってるんだろう。
リアスアークを出ても、その問いは残った。
被災地のことをどんなに考えたところで、
被災者と気持ちを共有することは難しいんじゃないだろうか。
わたしはまだまだ知らないことが多すぎる。
あまりにも多すぎる。
無性に三ツ葉と会って話がしたかった。
自転車を跨ぎ、ペダルを踏みしめた。
わたしの気持ちをわかってくれるのは、このまちで三ツ葉しかいないような気がした。
ジイジイジイジイ。
夏の声を背に受け、汗をしたたらせながら、坂道をくだる。




