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イリエの情景~被災地さんぽめぐり~  作者: 今田ずんばあらず
気仙沼市篇
54/110

日焼け止め講義

3日目 24日(水)気仙沼市2日目



「信じらんない。依利江、信じらんない!」


 あの三ツ葉が、朝にめっぽう弱い三ツ葉が、叫ぶ。

 〈とと姉ちゃん〉を観終え、着替え中のことだった。


 こちらからすれば、うつらうつら朝ごはんの納豆を胸元に落としてた子が、

 下着姿のまま悲鳴をあげてることのほうが信じられなかった。



「日焼け止め……こんなの使ってんの?」

「こんなのとは失礼だなあ。大昔からこれ使ってるの!」

「大昔って、これベビー用だよ?」


「だからベビーのときから使ってたってこと」

「依利江、肌弱いわけじゃないよね?」


 わたしのすっ呆けはスルーされる。


「普通くらいだと思うけど?」

「そしたらSPF50+でPA++++じゃないと。

 赤ちゃん用は弱いんだから。紫外線に負けるよ」


「えす、えすぴー……?」

「無頓着だなあ」


 まるでお母さんみたいなため息を洩らし、三ツ葉はバッグから日焼け止めを取り出した。


「今日だけ貸すから、買って」


 日焼け止めをカチャカチャと小気味いい音を鳴らして振って、フタを開ける。

 腕を掴まれ、そこに乳白色の液体を塗りたくられる。


「どんなの買うか、わかる? わからないよね」

「まあ」

「SPFの数値が一番高くて、PAの+も多いの。

 ウォータープルーフって書いてあるやつのほうが、汗かいても流れにくいから、オススメ」


 そのSPFとかPAってのが謎記号なんだけど、ここで質問したら怒られそうな気がした。

 きっと物理防御力と魔法防御力だと、ここでは勝手に解釈しておく。


「ドラッグストアに行けばあるだろうから、必ず、いい? 必ず買うこと!」

「はいはい」

「はいは1回」

「はーい」

「洗濯はこっちでするから、出かける準備できたら先行っていいよ」


 三ツ葉はデニムのショートパンツを穿いた。わたしも仕度を進めた。



 9時過ぎ、桐の間を先に出た。

 今日はひとり旅だ。


 もしかすると人生で初の経験かもしれない。



 ただし問題はある。


 リアスアーク美術館までの行程は決まってない。

 駅から旅館までの道中バス停はあったけど、それが何時にどこへ行くのかは不明だ。


 あとドラッグストアが周辺にあるのかどうかという問題もある。

 少なくとも道中にチェーンストアと呼ばれる店はセブンイレブンただそれだけだった。


 日焼け止めがあればいいけど。



 帽子をかぶり、高校時代からの付き合いになるポーチを提げて階段を降りる。

 大バッグがない分、今日は身軽だ。

 美術館までの道のりを踏破できる自信はないけども。



「お出かけですか?」


 玄関の前に女将がいた。

 花柄のモンペを穿き、柄杓と桶を持っている。

 打ち水をしてたみたいだった。


「はい、リアスアーク美術館へ」

「へえ、そうですか。お気をつけて」


 女将さんだったら。ふと妙案を思いついた。

 気仙沼の地理に詳しいかもしれない。


「あの、行き方って知ってますか?」


 至極当然な問いだと思う。

 だって女将さんなんだ。

 この旅館に嫁いでずっとこのまちで暮らしているんだから。


「へ?」


 目の前の女将が、一瞬普通のお婆ちゃんみたいに映った。


「ごめんなさい。外のことは詳しくなくて……」


 女将なのに。


 刹那的に裏切りを感じて、そして裏切られたと感じてしまった自分に傷付く。

 わたしやさしすぎる、それは自覚してる。


「若旦那がいればよかったんですが、今朝はお勤めで商工会所へ行ってしまって。

 ごめんなさい。役立たずで」


「そんなことありませんよ」


 とっさに出た言葉だった。

 役立たず。

 女将の謙遜が強烈な自虐に聞こえてしまったからだった。



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