その形
心地よい酔い方だ。
ほかほかする顔を手うちわであおぐ。
ほとんど変わりはないけれど、気持ちがいい。
部屋に戻る途中売店に立ち寄った。
三陸の菓子や海鮮干物などのなかに、書籍もいくつか並んでいる。
すべて震災に関わる本だった。
その多くがルポや体験記だった。
「フィクション、ないわけじゃないよ。
川上弘美とか、森絵都とか。大きすぎるテーマだ。
原発の問題も含めてね」
三ツ葉は『海よ、永遠に』というハードカバーの本を眺めながら言った。
有名無名問わず、東日本大震災というものは大きな主題として目の前に立ちふさがった。
そうしてフィクションノンフィクション様々な著作が生まれた。
今の自分ならわかる。
片足を失った自由の女神が奏でた、あの空虚な音と似てる。
あの音を聞いてしまったら、もはや選択肢はない。
わたしたちはただ諦めて、申し訳ない気持ちを形にするしかないんだ。
その形がどんな姿になるのかは、個々別々だ。
ルポを書く人、絵にする人、小説にする人、語る人、撮る人、売る人、喋る人、歌う人……。
売店で買ったのは淡い茶色の中折れメッシュハットだ。
本も興味があったけど、正直これ以上荷物が増えるのは苦痛だった。
旅から戻ったら本屋に立ち寄りたくなった。
部屋に戻ると畳の上に布団が敷かれていた。
三ツ葉はカメラとスマホを充電器に挿すと、隅に寄せられた机にメモ帳を置いた。
「今日のことを、書いとこうと思って」
背筋を伸ばしてペンを走らせる。
わたしは海辺の椅子に腰かけて海を眺めた。
ポットで湯を沸かし、三ツ葉にお茶を淹れてあげた。
お風呂に入りたくなったので二度目の大浴場へ行った。
7、8人の先客がいて、談笑している人もいる。
「星が良く見えますね」
「暗いからねえ。随分暗くなった」
露天風呂に浸かっていると、そんな話が聞こえた。
ひとりは若い女性で、もうひとりは髪に白色が混じっている。
嫁姑なのかもしれない。
「前はあっちの方、もっと明かりがあってねえ」
歳を取った女性は志津川地区を指さした。
海岸を添うように、赤い光がチカチカ光っている。
光るのは道路の路肩灯だけだった。
街灯みたいな立派な物じゃなくて、工事現場で使われるような、赤いトーチ。
日中見た風景を思い出した。
「あんなに盛られちゃあ、おうちの光もここまで届かないですよね」
「そうだねえ、山ん奥に、おうちたっとんもんね」
会話はそこで仕舞いになった。
波音に耳を傾けながら、星空をぼんやり眺めた。
部屋に戻ると歯磨きをする三ツ葉に出くわした。
「飽きないね」
湯気を放つわたしを見て、鼻で笑われた。
「いいでしょ。朝風呂一緒に行く?」
「まだ行くつもり?」
「何度行ってもいいでしょ。気持ちいいよ」
「起きられたらね」
そう言って三ツ葉は蛇口をひねった。わたしも歯磨いて、寝よう。
「明日、7時に朝食ね。おやすみ」
「ん、おやすみ」
照明が消える。
真っ暗の部屋。
三ツ葉は照明が消えるとすぐ眠りに落ちてしまう。
こちらとしちゃあ、電気が消えてからのお喋りってのが
お泊りの醍醐味な気もするけど、身体は眠りを欲していた。
マンガロードを歩き、志津川市街を歩いた疲労でふくらはぎがじんじん痛む。
なんだか、明日に響きそうな予感がするけど、
すこしでも可能性を低くするために目をつむることにした。
ずっしり、頭が枕に沈み込む。
まぶたの裏側が熱くなり、白い閃光がほとばしった。
これも、疲労のうちなのだろう。ありとあらゆる景色が現れては消えてゆく。
頭が激しく回転し、空耳が鼓膜から外へ抜け出てくる。
歌が聞こえる。
暗闇のなか火を起こし、境内のなかで身を寄せ合う小学生児童らが浮かぶ。
社の裏で憔悴しきった教師がしゃがみこんでいる。
西にあった陽はとうに沈んでいる。
枝の間から粉雪がチラつき、吐く息は白く濃い。
パキパキと瓦屋根が衝突する音。
波がまた来た。
脚はむくみ、突き刺すように痛む足裏。
宿泊地へ向かう坂道のような、絶望感だった。
今見ているのは、戸倉小学校の子供たちの姿だった。
あの男性が聞かせてくれた話が、亡霊のごとく蘇ってきた。
輪郭がぼやけているし、音も不鮮明だけど、泳いでいけば手が届くような気がした。
脳内の児童たちはずっと凍えている。
いつまでも明けない空を仰ぎ、誰かがぽつり、お母さんに会いたいと言った。
鳥居から地平を見ると、そこには自由の女神像が立っていた。
海に浮かぶ孤島で、から、から、か細いコードを垂らし、吹き荒ぶ風に寂しげに泣いていた。
あの日迎えた朝はどんなものだったんだろう。




