ええ、なあんにもありませんがね
前谷地駅は、気仙沼線のターミナル駅だ。
気仙沼は明日の目的地でもある。
ターミナルと聞いて、大きめの都市を想像していたが、びっくりするほどなにもない。
2、3の商店が並んでいるだけで、周辺は閑静な住宅街だった。
1軒1軒の家が横に大きく、わたしの地元とは根本的に家の形が違った。
「田舎の駅なんてどこもこんなもんだよ」
駅員に切符を見せた三ツ葉が、時刻表を探しながら言った。
「三ツ葉の実家の最寄も?」
「まあね。波田駅もちょっと歩けばスイカ畑ばかりだよ」
「実家、長野だよね」
「松本だよ。お城のある方じゃなくて、反対側の麓だから、田舎田舎」
「長野県って山しかないイメージだな」
「これでも、松本盆地は信州で一番大きい盆地だよ。
秋口、天狗岩山からの見晴らしがさ。
一面農業地帯、その奥に松本市街地のビル群、富士山……。
ああ、久しぶりの登山衝動だ。
写真始めてから行ってなかったし。あの景色がまた違って見えると思うと楽しみだ。
今度一緒に登る?」
「何メートルあるの?」
「約2000」
「それ、素人には厳しくありませんかね」
「波田駅からなら1200メートルくらいだから、大丈夫大丈夫」
なにが大丈夫なのか、わたしには判断のしようがなかった。
駅舎を出ると、目の前にロータリーがあって、中央に乗り場がある。
駅舎から乗り場までカーポートみたいな屋根が連なっていて、それが雨よけになるようだった。
ロータリーの隅に真っ赤なバスが停まっている。
駅舎は白塗装の剥げた小屋みたいなのに、不相応に感じるほど立派なロータリーだった。
ここの一番の特徴は、バスの出入口と思しき部分に踏切があるところだ。
道路とはフェンスで明確に区切られている。
「これが、BRT?」
「そう。バス・ラピッド・トランジット。
簡単に言うとバスで大量輸送するシステムのことだね。
代行バスってのに似てるんだけど、BRTの場合専用レーンがあるんだよ。
気仙沼線は不通区間の一部を舗装して専用区間にしてる」
専門用語はよくわからなかったけど、線路が通ってた部分を走るってことなんだろう。
バスと電車の中間みたいなものなんだと思う。
踏切はその象徴に思えて、感心した。
乗車口に先客がいた。
五十代くらいで、中折れ帽子とベストとズボン(いずれもサンドベージュ色だ)の男性だった。
日焼けした両手にビニール袋を提げ、猫背気味で分厚いメガネを掛けている。
灰色のもみあげから覗く耳が真っ赤になっている。ほのかにお酒の香りが漂う。
見るからに怪しかった。乗客はわたしたち含め三人だけだった。
「55分発だから、あと5分ちょっとだね」
三ツ葉は時刻表を確認していた。
「どこで降りるんだっけ。気仙沼は明後日でしょ?」
「志津川駅で降りるよ。南三陸町の市街地」
「しづかわ? 南三陸駅じゃないんだ」
「南三陸町は2005年に志津川町と歌津町が合併したばかりだからね。
地元の人たちにとっては前の名称のほうが聞き馴染みがあっていいんじゃない?」
解説中、例の男性がじっと三ツ葉のことを見つめていた。
三ツ葉本人はわたしのほうを向いているから気付いていないけど、
男性は驚いたように目を見開き、ついでに鼻の穴も広げていた。
わたしは萎縮して会釈した。
その姿を見た三ツ葉が察し、男性のほうを向いた。
男性は帽子を取った。
「失礼ながら、どちらにお住まいですか?」
その挨拶に三ツ葉の背後に隠れ、硬直した。
脳裏には石巻で会ったかき氷おじさんの恐ろしい笑顔があった。
「神奈川に住んでます。連れと、旅を」
視線が合ったので小さく会釈をすると、どうもと帽子を軽く胸に当て頭を下げた。
その仕草がやけに洗練されてて、紳士っぽくて、拍子抜けした。
「へえ、親戚がこちらに?」
「いえ。実家は松本です。親戚も名古屋か東京か」
「いやあ、そうですか、そうですか。ああいや、すみません。
志津川のことお詳しいようで。BRTも。ついつい嬉しくなってしまいました」
男性は顔を綻ばせた。目尻にしわが寄る。とても可愛らしい笑顔だった。
小学生のときから変わらない笑顔なんだろう。
「志津川にお住まいなんですか?」
「ええ。なあんにもありませんがね」
男性は冗談のつもりでそう言ったらしかった。
わたしも三ツ葉もちっとも笑えなかったけど、男性は特に気にしてないみたいだった。




