あの日
「カレー一口ちょうだい。チキラースープ分けたげるから」
「え、いいよ。帰ったら食べられるし……」
「そんな」
「うそうそ。はい」
一口分のカレーとライスを盛ったスプーンを口に押しこめれた。
「あ、あちゅい!」
あつあつのカレーは、お子様にもやさしい甘口だった。
見た目が黄色くないのが、黄レンジャーっぽくなくて少々残念だったけど、
味はまろやかでおいしい。
具材は四角くて筋の多いお肉の他にはなにも入っていなかった。
もしかすると、野菜はとろとろ見えなくなるまで煮込まれているのかもしれない。
お子様にとてもやさしい。
「昔のカレーって、なんで黄色かったんだろ」
「さあねえ」
「よくよく考えると、あの色どうやって出すのか、不思議じゃない?」
「そうだね」
しばし食事を楽しみながらお喋りしていたら、すこしずつ三ツ葉の言葉数が少なくなってきた。
スープだけになったどんぶりの方を向きながら視線だけを向けると、
三ツ葉は上の空でカレーとライスの乗ったスプーンを見つめている。
咀嚼すると、ウエストポーチから手のひらサイズのメモ帳を取りだして、なにかを書きだした。
「なに書いてるの?」
「ごはんの感想」
「感想?」
「味とか値段とか、忘れないうちにね」
「どっかに発表するの?」
「発表? 発表ってほどでもないよ。どこにも出さないと思う。
ただ、写真だけじゃ味は記録できないからね。
文芸学部の一員として、ここは言葉の力を借りなきゃ」
メモを取る三ツ葉が、卓で筆を執る書道家みたいに見えた。
背筋を伸ばし、軽くあごを引き、さらさらとボールペンを走らせる。
「お済みですか?」
店員が食器を回収しに来た。
三ツ葉は頷くだけで無言だった。
触れてはいけない浜辺の城のように思えて、わたしは視線を逸らして空を眺めることにした。
曇天だった。
スマホを取り出してLINEやメール通知を確認し、三ツ葉の様子を盗み見ながらSNSを確認する。
連勤バイトで悲鳴を上げる同学科の知り合いや、最近推してるマンガ家がサイン会をする告知が流れていた。
そのなかにひときわ存在感をあらわす三ツ葉がいた。
仙台駅がローアングルで写されていた。
そこにわたしの形跡はなかった。
たぶん、あのメモにも、わたしは一切存在しない。
わかりきったことを真剣に考えて、それからスマホをテーブルに落とした。
ゴン、という音に一瞬三ツ葉のペンが止まった。
「ごめん」
「いや……」
ペンはさらさら動きだした。
「三ツ葉さ、あの日、なにしてた?」
そういうとペンはぴたりと止まった。
「あの日?」
聞き返してきた。
「その、えっと……震災の、日」
メモ帳がポーチに収納される。
言っちゃいけないことを言ってしまったような気がした。
今まで、その話題に触れないでいたような気がした。
「ごめん」
とっさに謝る。三ツ葉は口をとがらせた。
「なんで謝るの?」
「いやだって、唐突すぎたかなって。
それに三ツ葉、被災地に訪れて感じた自分自身の気持ちを大切にしたいって言ってたじゃん。
変に記憶呼び起こしちゃマズイかなって」
「なんの心配、それ。呼び起こすって、私悪魔でも召喚するの?」
わたしの弁解で余計に不満を募らせてしまったらしい。