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イリエの情景~被災地さんぽめぐり~  作者: 今田ずんばあらず
女川町篇
101/110

裸の掛け合い

   φ



 駅前通りを一周して駅舎へ戻った。

 白い木造の駅舎は、〈ゆぽっぽ〉というらしい。

 駅の待合室の手前に足湯があった。


 足湯があれば足先だけでも浸からねばならない。

 おもむろに靴を脱ごうとしたところでお湯が抜けてることに気がついた。

 利用時間外なのだった。



「三ツ葉、いいニュースと悪いニュースがあるんだけど」

「どうしたの?」


 三ツ葉は改札前の時刻表をチェックしていた。


「あのね、ここ、足湯があるみたいなんだ。でももう終わっちゃったみたい」


 すると三ツ葉はやれやれと息をつき、首を横に振った。


「だめだめ、なってないよ、依利江。

 そういうネタを使うならどっちから話すか訊かないと」

「え、ああ、そうなの?」


 別にネタで言おうとしたわけじゃないんだけどなあ。



「というわけで依利江、いいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」

「え……じゃあ悪いニュースから」


 言うと再び彼女は首を振った。


「わかってないなあ。

 こういうときはいいニュースから聞くのがセオリーなんだよ」


 いいニュースを残しといたほうが精神的に楽だと思うんだけど、どうやらそんなものは求められていないようだった。


「じゃ、じゃあいいニュースを……」

「ゆぽっぽの館内に大浴場がある」

「え、それ、ホント?」

「こんな嘘つくわけないよ。そこの入口に書いてあったんだ」


「え、じゃあ今すぐにでも入りいこうよ! 観洋みたいに!

 ところで、その、悪いニュースってのは」


「終電が8時27分。食事もとるってなると、そんなのんびりできないんだ」

「そんな……!」


 時刻は6時を過ぎたところだった。

 2時間ゆったり、2セット入ろうと勝手に計画立ててたけど、そんなの不可能だった!



 ならば残された選択肢はひとつだった。


「行くよ、三ツ葉!」

「あぁ、ちょっ――」


 彼女の細い腕を取り、ゆぽっぽのガラス扉を開けた。




 真新しい白いタイルの床に壁!

 淡い翡翠色の湯!

 ジャパン・ブルー一色で描かれたモダン画!


 ゆぽっぽの大浴場の戸を開けたら、ゆけむりの空間が広がっていた。

 濡れたタイルに足の裏をつけ、最初に吸い込む蒸気は格別だ。



 三ツ葉は背中をまるめ、わたしの陰に隠れている。

 先客が三人いて、一人は身体を洗い、残りの二人は湯に浸かっていた。


 シャワーで軽く汗を流し、つま先をちょこんと湯面に触れ合わす。

 温泉が表面張力で親指に絡まった。

 その快感に背筋がぞくぞくする。



 それからなるべく波を立てないよう、

 かかと、ふくらはぎ、腿裏と沈めていくと熱いのが込み上げた。

 そこからひと息に心臓までどっぷり浸かった。


「んぅ……」


 三ツ葉は弾けるよろこびを抑えるように、


「んなはあぁ」


 そしてわたしはこころの垢を出しきるように吐息を洩らした。



「あああ、やっぱ温泉最高だわあ」


 肩を並べて壁画を見つめる、至福のひととき。

 セリフがおっさんくさくなったって構わない。

 ここで両足を伸ばしてるうちはゆるむだけゆるんでしまえばいいのだ。


「依利江、お風呂入ると人変わるよね」

「そう?」

「なんかこう……おおっぴらになるというか」


 かく言う三ツ葉は湯船のなかで正座をしている。

 風呂場だとおしとやかになる彼女も貴重だと思うけど。

 まあともかく、指摘を受けて足を開くのはやめようと思った。


「依利江、ちいさいころから風呂好きだったの?」


「そんなことないよ。むしろ苦手だったかな。

 うちの浴槽、狭いわ深いわで、子供のころは座れなかったもん。

 座ると鼻まで浸かっちゃうから膝立ちしないといけなかったし」


 あと父親が熱風呂にあらずんば風呂にあらずって人で、

 一緒に入るときはいつも泣いてたっけ。


 追い炊きの熱湯を掻きまわすのとか、本当やめてほしかった。



「温泉好きになったのは地元にスーパー銭湯ができたからかな。

 小学生のころ、総合公園の近くにできて、高校んときハマっちゃったの」


「そうだったんだ。高校で温泉通いって珍しいね」


「知り合いなんて誰も来なかったから、なんだと思う。

 誰の気遣いもしないでのんびり過ごせたもんね。

 マンガがいっぱいあって、休憩室で読みふけってたっけ。

 ほとんど読み尽くしちゃった。お小遣いのほとんどを捧げてたんじゃないかな」


 あのころは学校で知り合った人たちとどこかで遊びに行くこともなかった。

 みんな部活で忙しかったし、かといって帰宅部同士で仲がよかったかといえばそうでもない。



 顔が火照ってきたので浴槽のふちに上がる。

 ふくらはぎから下だけをお湯に浸け、冷えたタオルを首に下げた。


 ぺしゃぺしゃと隣を叩く。

 赤らめた三ツ葉は一度うつむき、ぎこちなく立ち上がった。

 おへそが濡れてて艶めかしかった。

 隣に座ると胸元をタオルで隠す。


 正面のタイルには二頭のシカが描かれていた。

 もやがかる湖畔を寄り添って歩いている。



「シカだ」


 わたしは言った。


「シカだね」


 三ツ葉も言った。


「そういえば三ツ葉さ、三陸鉄道乗ってるとき、いたよね、シカ」

「いたいた。大船渡のトンネル入口にね。シャッター逃したのが惜しかった」


「大丈夫だよ。ちゃんと撮れてる」

「撮れてる? あのとき依利江、窓に張りついてなかったっけ?

 いつの間に撮ってたの?」


「だからほら、あれだよ。心のシャッター切って、今現像したの!」

「依利江は腕利きのカメラマンになるよ」


 その笑みにはぬくもりがあった。


「三ツ葉の写真ね、何度だって言うけど、わたしすごくすきなんだ。

 行きたいって思うもん。広い空を広く撮ってて、おいしいものはおいしく撮ってる。

 三ツ葉さ、シカ食べたことあるんだっけ」


「あるよ。地元じゃ害獣だし、知り合いの猟師さんからおすそ分けしてもらったこともあったね」

「シカをおすそ分けって、すごいパワフルワードだ……」


「脂身が少なくてわりと好みの味だね。

 独特の臭みはあれど、ハラミが好きならきっと気に入るんじゃないかな」


「ああ、焼肉食べたい」

「行けばいいんじゃない? ひとり焼肉」


「そんなのできっこないよ!

 ……って、旅前の自分なら言ってたかも。

 仙台の厚切り牛タンも好きだけど、焼肉食べ放題の薄切り牛タンも最高なんだよなあ」


 なんてことをぼやきながら、今までの旅を振り返っていた。

 たくさん勇気を出して、たくさんの人と出会った。

 いろんな店にひとりで行ったし、店員さんともお話しできるようになった。



「なんかお腹減ってきちゃった」

「そうだね。今日、あまり食べてないからね」


 お互いそう言いつつ、なかなかお湯から足を抜くことができなかった。

 もうちょっと気のゆるんだおしゃべりを楽しんでたかった。



 途切れることはなかった。

 遠野で見た雲の形のこと、まどろんだ猫の撫で方について、

 山椒という香辛料の話、バラードを聴きながら眠る夜のこと……。


 どれもなんでもないような話だった。

 明日にでもなったら忘れてしまうだろう。

 そのくらいくだらなくて、身にならない話だった。



 こんな会話を求めていた。

 ずっとずっと前から。




 お風呂からあがった。

 半畳の畳が敷き詰められた休憩スペースでお水を飲みながら身体を休める。


 太陽は沈んでいて、女川の夜景が広がっていた。

 橙の光がレンガ道を点々と照らし、落ち着きのある静けさがあった。


 ゆぽっぽはなめらかに削られた木を壁に使っていて、とても居心地がよかった。

 壮年の夫婦が座布団を敷いてなごやかに談笑している。



 ここから見えるどこもかしこも新しいものばかりなのに、時も人ものんびりしている。

 都会に住むわたしたちですらいつの間にかのんびりに包まれていた。


 まちごとに違いがある。各地をあるいて感じたのはそんな印象だった。

 ここも今まで見てきたまちとは異なるものがあった。

 建物が新しくなった程度じゃ変わりようがない気がする。


「ねえ、三ツ葉」


 夜景を見ながら、ぼやく。


「どうしたの?」

「漠然とね、思うの」


 三ツ葉に言ってるようで、独り言だった。

 あるいは独り言ですらないのかもしれない。


「もしここで暮らしをはじめたらどうなるんだろうなって。

 あたらしいまちで、あたらしい暮らし。

 いつの間にか故郷って言葉がここを指すようになってさ。

 歳を取って、杖を突くかシルバーカーでも引いて、

 この窓からまちを見たとき、わたしはなにを思うんだろうね」


 問いかけに答えがあるはずもなかった。ただこんな疑問を抱けたことに心地よさを感じた。


 三ツ葉もわたしと同じ風景を見ていた。



 紙コップに入った水はひんやり冷たくて、一口飲むと食道を通るさまがよくわかる。


「……覚えてたらで、いいんだけどさ」


 彼女の口が開く。


「その日が来たら聞かせてほしい」


 答えのない問いかけの、彼女なりの答えだった。


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