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イリエの情景~被災地さんぽめぐり~  作者: 今田ずんばあらず
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旅のお誘い~雑談のガルニチュール~【表紙絵アリ】

挿絵(By みてみん)



 改札をくぐる。


 地下ホームに続く長い階段を、人の波に任せるようして、降りていた。



「依利江さ、レポート、提出できた?」

「うん、なんとかね」


 もう七月も終わるのに梅雨明けしない今日この頃、

 地下への階段にはすすけた香りを帯びた風は湿気をたっぷりと含んでいた。


「三ツ葉、自信あるんじゃない?

 結構前から先生を見返してやるって言ってなかったっけ」


 大学二年の前期も、残すところあと数日。

 今日は〈民俗から見る文学の探究〉のレポート〆切だった。


 提出を果たしたわたしたちは、女子二人だけのお疲れさまでした会を開く。

 まだいくつかレポートと期末試験が残ってるけど

 〈民俗から見る文学の探究〉に全力を注いでいたわたしたちにとっては、

 今日が節目の日なのである。


 会場は池袋だ。

 まずは東急ハンズとアニメイトで買い物をして、そのあとご飯を食べる。

 アニメイトへ行きたいと言ったら三ツ葉が顔をしかめたけど、ここだけは幹事権限を行使する。

 まあ、いつものことだ。


 というわけで、今大学前駅の小田急線を待っているのである。

 二番線に降り立つと、風が収まってきた。

 列の短い乗車口を探して最後尾に並び、乱れた前髪を手櫛で整える。


「依利江はどんな内容にしたの?」

「三ツ葉みたいに先生を見返せるようなものじゃないけど……」


 レポート課題の内容は、こんなものだった。


 今までの講義で印象に残った内容を選出し、それに対する意見を四百字詰原稿用紙換算五枚以上で述べよ。


 なんとも抽象的な内容だけど、我が文芸学部創作学科ではよくあることだ。

 〈四百字詰原稿用紙換算〉というところも創作学科らしい。


「一応、遠野物語のこと書いてみた。デンデラ野の話」

「ああ、六十になった老人を棄てるんだったっけか」

「それそれ」


 老人を棄てる。姥捨山うばすてやまの伝説みたいだ。

 そんな慣習が明治まで残っていたというから驚きだ。


 でももっと驚くべき点がある。

 姥捨山といったら人里離れた場所ってイメージだけど、デンデラ野は人家のすぐそばにあるらしい。

 先生が現地へ訪れたとき、しばし野原で呆然としたという。


 そのあと興味が出て遠野物語を買っちゃった。

 序文の堅苦しさにめまいがして放置状態だけど。


「なんか、行ってみたいなーって。感想文みたいになっちゃったけど。

 デンデラ野って民家のすぐ裏にあるんでしょ?」

「先生はそう言ってたね」

「棄てられたおじいさんおばあさんのこと、働きざかりの人はどんなふうに思ってたのかなって。

 だって、棄てられちゃう人ってわたしたちの未来の姿なわけでしょ?」


「わたしたち?」

「うん」

「遠野の人たちの、ね」

「あ、うん……。

 なんか、その姿を見てもなお素直に暮らせるのかなって思ったら、

 あれこれ書きたくなっちゃって、つらつらと。

 まとまりのない文章になっちゃったけど」


 先生から渡された資料には、原っぱに建つ藁の小屋があった。

 そこに身を寄せ合って老人は過ごす。

 田を耕して僅かばかりの食糧を分けてもらって、小屋へと戻る。


 そんな場所、わたしだったら入りたくない。


「そもそも今と昔じゃ環境違うしね。

 今は家のそばにデンデラ野あるかもしれないけど、当時はなにもなかったのかもしれないし」

「あ、そっか」

「え、なに、気付かなかったの?」


 頷くと、三ツ葉は笑い出した。


「なんか、依利江らしいレポートだね」

「そう?」

「自分の世界に浸っちゃうとこ」

「そ、そこ?」

「妄想垂れ流しでレポート書けるんだから。すごいよ、その自信」

「それ、褒めてないよね?」

「褒めてる褒めてる。遠野の人たちのこと『わたしたち』って言っちゃうしさ。

 いやいや、依利江は遠野の人じゃないでしょ、なんて」

「でも」


「でも心はシンクロしたから、でしょ?

 それしれっと言えちゃうから依利江なわけ。

 私、疑問点を一個一個潰しながら書いてくタイプだから、そういう書き方できないよ」

「私からすればそっちのほうがレポートっぽくて羨ましいな」

「ま、あんたのレポートはうちの学科以外じゃ通用しないけど」

「うう、やっぱ褒めてないじゃん!」

「依利江さんの豊かな想像力を褒めているんです」


 バカにされてる気がする。

 まあ、いつものことだ。


「三ツ葉は民俗のレポート、なに書いたの?」

「諏訪の話」

「あ、なんだっけ、神社ふしぎ発見……拝殿の向きがおかしいってやつだっけ」

「そう。あれの言い分が気に食わなかったから、反論した」


 三ツ葉はため息まじりにつぶやいた。

 先生のこと、あれ呼ばわりしている。相当ストレスが溜まってたんだと思う。


「反論? ああ、そういえば」

 諏訪大社の講義のあと「それは間違ってる」みたいなこと、わたしに言ってたっけ。

 〈それ〉がなんなのか、もう忘れちゃったけど。なんだか小難しい話をしていた記憶はある。



 構内にアナウンスが流れる。そろそろ電車が来るみたいだ。


「自分の偏見押しつける人、嫌い」


 三ツ葉の目は燃えていた。


「あの人の一年神主の話、違うと思うんだよ。

 昔諏訪の神主の任期は一年で、任期が終わると人身御供のために殺されちゃうって説、先生は言ってたけどさ。

 そもそも〈一年神主〉って任期が一年だけの神主って意味で、他の意味はないんじゃないの?

 諏訪大社で人柱が捧げられたっていう話は、あくまでウワサ話の域を出ない。

 創作物に登場はするけど文献がない。根拠がない。

 それなのに一年神主のウワサを史実と前提して講義に持ち出すのはどういうことなのか……私は問いただしたい」


「それをレポートで?」

「この前抗議したら突っぱねられた。根拠がないという根拠を提示しろって。

 だから調べてやったさ」


「もしかして、この間ひとりで諏訪行ってたのって」

「それもある。主な目的はおいしい創作料理の調査だったけど、

 上社本宮(かみしゃほんみや)の近くだったから、神主のことも調べてみたんだ。

 解釈はいろいろある。それを尊重しながら、新しい可能性を模索する。

 個人的にさ、偏見はあって仕方ないよ。思い違いだって勘違いだってある。

 でも偏見を解かないまま研究をしてちゃあ、成長なんてしないよ。あれも、もちろん私も」


 知らないうちにそんなことしてたんだ……。

 三ツ葉は線路を挟んで向こう側のホームを眺めていた。その横顔は誇らしげに見えた。


「すごいよ三ツ葉、よく頑張ったね」


 口から自然と称賛の言葉が洩れた。

 自分の意見に対する芯の通った自信。

 先生に歯向かえるだけの知識量。

 やっぱ、すごいなあ。



 列車がやってきた。

 一緒にやって来た風に後ろで結わえた髪が乱れてしまう。

 じめじめのせいだ。これだからこの季節は苦手なのだ。

 三ツ葉の茶色い短髪は、風圧をものともせず、無論三ツ葉も平気な顔をしていた。


「いいなあ、三ツ葉の髪、短くてさ。

 長いとこの時期イヤだよ。これからどうせ暑くなるんだし、切っちゃおうかなあ」

「贅沢な悩みだね」


 車内にはたくさんの乗客がいる。わたしたちの背後にも長い列ができていた。


 急行新宿行のドアが開いた。

 挟まれないようにカバンをお腹に抱いて、ブラウスの裾をぴんと伸ばす。


 乗客のほとんどが若者だった。

 午後三時前の小田急線は沿線の学生たちが大勢利用している。

 わたしたちもその一員なんだけど。


 いろんな人たちが話していて、平常通り賑々しい車内だった。


 ドアが閉まり、空気が遮断された電車は東へ進みだす。


「さっきの髪の話だけどさ、やっぱ依利江は贅沢だよ。

 私が肩まで伸ばさない理由、あえて茶色く染めてる理由、知らないでしょ」

「うん。教えて教えて」

「すこしは想像してみたら。一年半一緒にいるんだから、すこしはわかるんじゃない?」

「うーん、どうだろ」


 天井からの涼風でしっとりと濡れたブラウスが冷えていく。


 一年半。

 それだけいれば性格くらいは察知できる。

 当たりが強いところとか、理屈っぽいところとか。


 三ツ葉はなんでもできる。


 おしゃれに興味なさそうなのに、今だってジーンズのショートパンツも、

 ウォームグレーの半そでパーカーもばっちり着こなしている。


 三ツ葉の姿は絵になる。

 長身で、ドアにもたれかかる姿。

 華奢ですらっと伸びる脚。メンズのランニングシューズ。

 首から下げる一眼レフが変に主張することなく調和している。

 服もカメラも、身体の一部って感じ。


 わたしも店でこっそり試着してみたけど、ボーイッシュな服を格好よく着るのってセンスがいると思った。わたしにはできない。

 膨張色を避けたブラウスに重ね着をしてごまかす。

 長スカートは太い腿を隠すため。これがわたしの日常着だ。


 三ツ葉が羨ましい。

 着飾ることなくなんでもこなしてしまうんだから。


 おしゃれに限らず、すべてにおいて。



「答え、出た?」


 三ツ葉はじっとりした目で睨んでいる。


「動きやすいから?」


 服装を見て、そんな憶測が出た。

 髪を短くしてる理由もそういうことなんだと思う。


 動きやすいからランニングシューズ、動きやすいからショートヘア。

 合理的だ。


「そ。結構歩いたりするからね。暑いし蒸れるし、どうしても気になっちゃうんだよね。

 毎朝セットするにしても手間かかるし」

「あー、三ツ葉いつも遅刻ギリギリだもんね」

「低血圧なんだよ。どうしてもセットしろって言うんならするよ。

 依利江みたいに面倒くさがりじゃないし、計画的に起きてやるさ」


「これでもシャンプーのあとコンディショナーしてるんですが。朝もね」

「それ、普通」

「しゅ、週一でトリートメントもしてる!

 やわらかタオルでやさしく水気をとって、三十センチ以上離してドライヤー!」


 そうやるように、小学生のとき母親に言われたのだ。

 それを継続してるってことは、つまりわたしは面倒くさがりではないということだ。


 とはいえ、それだけだと梅雨入り以降、昼過ぎには膨らみだしちゃうから困る。


 来年から就活(説明会?)が始まるというウワサもある。

 いい加減策を練らないといけないけど、わざわざ買いに出かけるのが面倒なのだ。


「面倒くさがりじゃないなら、毎日ポニーテールはないんじゃない? ハゲるんじゃなかったっけ」

「好きだからいいじゃん!」

「いいや、それは置いといて」


 適当にあしらわれた。


「私はクセっ毛だからさ、あえて茶色くして気にならなくさせてんの。

 だから依利江は贅沢なんだって。黒くて、まっすぐでさ。

 長くてもすごいきれいだし。私の分まで大切にしてほしいくらいだよ」

「そうかなあ」


 髪を大切にと言われても昔からこの髪と付き合ってきたから、大切にするような実感が持てない。


「この前ツイッターで、各種ヘアオイル比較記事見つけたから、今日の買い物で見つけたら教えるよ」

「本当?」

「教えるだけ。自分で買ってね」


 やさしいんだか冷たいんだかよくわからない。

 いや、おごってほしいってわけじゃなくて、

 わたしに関心があるのかないのか、なんかわかりにくいんだよね。


 三ツ葉はカバンに視線を落とし、スマホを取り出した。

「ちょっとごめんね。厚柿さんから返信来てて……」

「厚柿?」

「ああ、うん。七沢(ななさわ)温泉のね。そば処厚柿。

 フェイスブックで反応いいみたい。厚柿亭の店主からお礼が来てた」

「七沢温泉! そんなとこ行ってたの?」


 神奈川県央のまち、厚木市に七沢温泉はある。

 強いアルカリ性の温泉で、ぬるぬるした触感らしい。

 かつて小林多喜二が滞在した宿があるらしく、

 文芸学部生として前々から行ってみたいなと思っていた場所だった。


「一昨日ね。ツイッターでも紹介してたはずだけど」

「そんな毎日見ないよ」


 一昨日はなにしてたっけ。

 一日ヒマだったから、ツタヤで借りた〈ギャラクシー・クエスト〉を観てたような気がする。


 一昨日に限ったことじゃない。年中家でアニメとマンガを漁り、外出なんて滅多にしない。

 大学以外で出かけるのはツタヤと図書館と、あと天然温泉湯乃蔵ガーデンくらいか。


 三ツ葉は将来カメラマンとして活動したいらしい。

 漠然とした夢ではなくて、明確な目標を持って行動に移してるからすごい。


 フェイスブックとかツイッターとかインスタなんとかとか、

 あらゆるSNSを駆使して自身の写真を発表している。


 三ツ葉が写真を見せてくれた。

 ボリュームたっぷりの肉そばがおいしそうな角度から撮られていた。


「うわあ、おいしそう……」

牡丹ぼたんそば。イノシシのお肉だよ。ジューシーで、臭みはそれほどなかったかな。

 柚子のってたし、薬味が消してくれたのかもしれない。

 クマ肉鍋ってのもあったけど、さすがに高いし暑いしだったから、これは冬にってことで」

「クマ……」

「さっぱりしてるんだって」


 そんなこと言われても、イノシシすら食べたことのないわたしにとっては未知の領域である。

 写真には味の感想や値段、店の場所も紹介されていた。これはいい宣伝になる。


「あ、内山さんにも連絡しないと」

「内山さん? ああ、秋ので」


 たしか去年の冬辺りから話題に挙がるようになった。プロのカメラマンだ。

 内山さんと出会ったのもSNSだったらしく、結構影響を受けているみたいだ。


「うん、個展開くから、その件で」


 わたしにとっては現実味のない言葉だけど、三ツ葉にとっては現実的なものなんだと思う。

 夏休みが明けた頃に、下北沢のビルの一室を借りて開く。箱根の風景写真が主だと聞いた。


 返答の代わりにほほえみを浮かべて、三ツ葉を見る。

 スマホを操作するかたわら、カメラを慈しむように撫でていた。



 電車は揺れる。


 大学に入学して、三ツ葉とずっと一緒にいたような気がする。

 けど、こういう姿を見るたび、距離が遠のいていくように思えてしまう。


 夢、全力で応援したい。

 けど、三ツ葉が夢を追えば追うほど、

 こうして電車に乗る機会も減っていくんだと思うと、哀しいものが込み上げてくる。



 電車は経堂に着いた。


 お客と熱気が乗りこんできて、わたしたちは車両の中程まで押しこまれた。

 胸の前のカバンが見知らぬ男性の背中に当たり、その圧で胸が潰れる。


「あ、依利江、夏休みさあ」


 連絡を終えた三ツ葉はスマホをしまった。


「東北の被災地、まわろうと思うんだけど、ヒマ?」



 電車が、動き出す。


「え、夏休みの、なに?」


 聞き逃してしまった。

 なにしろ車内の雑談やら、線路を噛む音やらが飛び交ってるのだ。


 夏休みのお誘いってのは、伝わったけど。


「東北。旅したいんだ。津波があったところ。一緒にさ、行こうよ、旅」

「えっと……」


 旅。それも被災地。


「それって、その、やっぱ……震災、の写真を撮りに行くんだよね?」

「震災の写真? そんなもの撮って、意味があるかな?」


 思考の整理が追い付かない状態で疑問を投げかけられても困る。

 話しながら頭を回転させる。


「それは……あるんじゃない? わたしだって情報があったら気になるよ。昔のこと忘れないためにも。今の東北も気になるし」

「そんな下心を持って私の写真を見てくれても、もちろん構わない」


 引っ掛かる言い方だ。


「私はさ、被災地が今どうなってるのか、それを発信するための写真なんて撮っても意味ないかなって思ってる。

 そんなの記者になったらすればいいことだと思わない?」


 問いかけに無言の返答をする。

 話は続く。


「良くも悪くも、発信するための写真なんて誰だって撮れるよ。今はこれがある」


 スマホをカバンからちらりと見せた。


「でも被災地に訪れて感じた、自分自身の気持ち。

 この気持ちは私でしか表現できない。

 だから写真を撮りたいんだ。自分の気持ちと対話するためにね」


 普段三ツ葉が出かける旅と今回の旅は、根本的に違うものであるように思えた。

 いつもはふらっとひとりで旅に出ちゃうけど、今回はわたしを誘ってくれた。

 それとなにか意味があるのだろう。


 とはいえ。いや、だからこそ。


「それ、わたしも一緒に行っていいものなの?

 自分自身と向き合うのなら、それこそひとりで行ったほうがいい成果が得られそうな気がするし、

 連れが必要だとしても、わたしでなくたって……」


 誘いを断りたいわけではない。

 むしろ待ちに待った、という心地だ。


 三ツ葉は行きたい場所へはひとりで行く。

 箱根とか、七沢とか、諏訪とか。

 行けるかはわからないけど、誘ってくれてもよかったんじゃないかな、と思わなくもない。


 わたしが企画する催し物(今日のお疲れさま会みたいなの)には大体参加してくれるし、予定も調整してくれる。

 ただの同い年、同学科生、という関係ではないはずだ。

 たぶん。


 小難しいうんちくを聞いてチンプンカンプンになったこととか、

 唐突な毒舌に驚くこともあったけど、三ツ葉と過ごす時間は楽しかった。

 旅をしたらもっと楽しいに違いない。

 おいしいディナーを食べて至福を共有したいし、温泉に浸かって三ツ葉の裸を見てみたい。


 ただ……どうしてわたしなんかと。


 三ツ葉の隣を歩く適任者はもっと他にいるはずだ。

 特に今回の旅はなおさら。

 旅行というよりか修行と表したほうが適切なんじゃないか。


 わたしには強い哲学も求道心もないから、三ツ葉の山伏(やまぶし)修行の邪魔にしかならないと思う。


 すこしして三ツ葉の口が開いた。


依利江に(・・・・)、来てほしいんだ」


 解答になってるような、なってないような、うやむやな答えだ。

 三ツ葉っぽくない。

 論理的理由を添えて訴えてくるもんだと思った。


 その一方で、これが三ツ葉だとも感じた。

 なにを考えているのかわからない。今に始まったことじゃない。

 三ツ葉の考えはどこまでも深く、理解するにはあまりにも遠い存在だった。


 でも。

 もしかすると。

 この旅を終えたときには、三ツ葉の考えてることに気付けるのかもしれない。


 そんな予感がした。


「行こう、旅、被災地」


 自分を探求する旅があるのなら、相方を知るための旅があってもいいじゃない。

 その副産物として被災地のことを知れたり、自分の将来の志望なんかが見つかったりしたら、最高だと思う。


 承諾を聞いて、三ツ葉はふっとほほえんだ。


「よかった。それじゃあ、旅のタイトル考えようよ」

「タイトル?」

「せっかくの二人旅、楽しみたいからね。被災地行くけと、堅苦しくないようにさ」


 言葉を学ぶわたしたちは、言霊の呪縛をよく知っている。


 不謹慎とかツナグとかキズナとか。

 意味もなく連呼すれば力を失ってしまう。

 被災地という言葉を聞けば、瓦礫の山を思い出して落ち込んでしまう。

 津波はなんか禁忌な気がして、言動を控えようとしてしまう。


「依利江も呪縛を解き放とう。なにがいいかな。

 〈リアス式海岸巡行記〉みたいな。

 〈みちのくをゆく〉〈三陸周遊記〉〈北太平洋ドリフト紀行〉。

 うーん、なんかしっくりこないなあ。臭いモノにフタしちゃってる感じ。

 余計よそよそしい」


「あの、北太平洋ドリフトとは」

「親潮と黒潮がぶつかった海流のこと」

「三ツ葉、地理っ子だよね……」


「じゃあ〈イッツァ・ヒサイチ・ワールド〉〈トウホク・ドリーム・ザ・ライド〉とかどう?

 いや、ダメだ。そんな安価な名付けは逆に腹が立つ。

 依利江、考えてる?」


 三ツ葉は腕組みして唸り声を上げている。

 タイトルなんて難しく考えちゃダメだと思う。


「要は楽しむ感じってことでしょ? 散歩行ってくる感じ、に近いのかな? ちょこっと歩こ、みたいな」

「ちょこっと、歩こ……」


 三ツ葉が口のなかで言葉をころがす。


「そうだ、それだよ! 言い得て妙だね」

「言い得て妙って、初めて聞いた」

「〈被災地あるこ~東北ちょこっとふたり旅~〉……若干の不謹慎さが心をくすぐるよ。

 紳士服を脱ぎ捨てて、Tシャツとハーフパンツで瓦礫の山の脇を歩く感じ。

 すごくいい」


「なにそのイメージ」


 なんだか、想像以上の絶賛ぶりだ。ちょっと戸惑いを覚える。

 まあでも二人の間だけのことだし、こういうのはノリとテンションが決めるんだと思う。


「帰ったら有意義な旅になるよう計画立てるから、またLINEするよ」

「その前にハンズ、だね」

「ヘアオイル、種類並んでるかな」

「気に入ったの見つけたら旅のお供にするよ。今日のごはんどこにする?」

「それも考えとかないと。今から楽しみだ」


 うん、楽しみだ。


 複々線ののぼり電車は、東京の住宅街を走り続けた。

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