ペッパーくんとソルトくん
夏の暑さは、もうすっかりなくなり、涼しくて爽やかな空気の中で、朱色の紅葉が人々の心を魅了していた。
とある少女も、紅葉に心を奪われた1人である。綺麗な紅葉で有名な観光名所はたくさんあるが、彼女のお気に入りは、自宅の裏庭の端にポツンと生えている1本の紅葉だった。視界のずっと奥に映っている大きな神社の立派な紅葉たちよりも、ずっと綺麗だと思いたくて、その木をじっと見つめていた。なぜならこの木は、彼女にとって思い出がたくさん詰まった大好きな木なので、立派な紅葉に妬いてしまったのだろう。
今回は、そんな少女の部屋の小さな棚の上の金魚鉢に住んでいる、2匹の魚について話そうと思う――
「ご主人様が、また紅葉見とる!」
太った方の魚――ペッパーが、世紀の大発見だと言わんばかりの顔で言う。ちなみに、彼は関西弁だ。
「いつものことじゃん」
痩せた方の魚――ソルトが、特に興味もなさそうに答えた。
「せやけど、エサぐらいほしいわ!」
「それは僕のセリフだよ。僕の分のエサまで食べたくせに、何言ってるの」
ペッパーが、深いため息をつく。
「ソルトくん、自分は一体何を言っとんねん。食欲の秋って言葉知らんの?」
「知ってるよ。秋になると、君は毎日のように言ってくるからね」
なんでやろ。
ソルトくんも食べるん好きなはずやのに、聞き飽きた、みたいな顔しとる。
「正直、なんか聞き飽きた」
言われた。
全く、なんで君は素直やないん。
「ソルトくんは、食べることが好きやないの!?」
ヒレで、ソルトの顔を挟んだ。
「好きだけど?」
特に抵抗もせずに、じっとペッパーを見る。
「なら、どうして秋になったらもっと食べよう! 的なことを思ったりしいひんわけ!?」
「君が僕のエサを食べちゃうからでしょ?」
「全く、ソルトくんはほんまに困ったお魚さんやな。素直に秋の食材を味わいなさいよっ!」
ペッパーが、呆れたような顔をして、ソルトの顔を離した。
「人のエサを食べておいて、何を偉そうに…。ていうか、『秋の食材』なんて食べたことあるの?」
すると、ペッパーは胸を張り、効果音をつけるならエッヘン!とでも言うかのような口調で言った。
「あるよー。栗に柿にサツマイモ」
(ホントかなぁ…)
ソルトは、信じていない様子だ。
「それにサンマも!」
「共食い!?」
共食いは、あまり一般的ではないかと。
「どれもむっちゃ美味しい、秋の旬な食材の形のエサやったで」
「秋の食材って形だけですか」
「形も大事やろ!?」
必死な顔でそう叫んだペッパーに、ソルトは苦笑した。
「ペッパーくん。君の場合は形しか見てないじゃん」
ペッパーが、口をへの字に曲げた。
「ひどいわ、ソルトくん。そんなん言うんやったら、これからは『ソルトゥ』って呼ぶ!」
ちなみにアクセントは『トゥ』に付く。
「絞めるよ」
一瞬にして返された。
何年も一緒に暮らしてきたのに、今日初めてソルトは毒舌だということを知ったペッパーであった。
数日後の早朝。
「ペッパーくん、何見てるの?」
ソルトが、ボーッと外を見ているペッパーに声をかけた。
「へ?」
「ボーッと空を見てるから。まぁ、そんなときの君は、どうしたら空を飛べるかを真剣に考えてるか、お腹空いたか、眠たいかぐらいしかないけど」
「あれ、僕ってそないに欲望に忠実な子やったっけ」
これでも我慢しとったのに!
ソルトが、微苦笑する。
「実はな、今日見た夢について考えてたんや」
「夢?」
ペッパーは、コクリとうなずいた。
「僕とご主人様が話してた」
☆
始め、僕はあたり一面真っ白な場所にいたんよ。水もないのに、息ができた。発狂しそうになったとき、遠くに人がおるのが見えた。誰やろって思って近づいてみたら、それはご主人様やった。
「ご主人様!」
どうせ聞こえんって思ってたけど、どうしても声をかけたかった。そうしたらね、ご主人様は僕の方を振り向いたんよ!
「ペッパー?」
少し高めの柔らかい声で、僕の名前を呼んだ。間違いなく、ご主人様の声やった。
「うわーい! ご主人様や!」
僕は嬉しくて、ご主人様の目の前まですごい速さで行った。
「ペッパー、喋れるの?」
ご主人様は、突然のことにまだ驚きを隠せん様子で、しかし嬉しそうに聞いてきた。
「うん! 僕、ご主人様と話したいことがたくさんあるんだ! でも、多すぎて何から話せばええか…」
迷っていると、ご主人様はフフッと笑った。
「一番言いたいことを言ってみて」
僕は笑顔でうなずいて言った。
「エサの量をもっと増やして!」
「話したいことって文句のことですか!」
ほんの少しの沈黙。
「ちゃうよー。ほかにもあるで。えーっと…あ、同じエサばっかで飽きたとか、1日2回エサほしいとか」
「やっぱり文句じゃん! しかも、全部エサのこと」
「だって食欲の秋やで!?」
「それって人間以外にも当てはまるのね」
ご主人様は苦笑した。
「もちろんや。人間だけやない。ま、人間は『煩悩』という欲に生きる生き物やから、僕たち魚よりも欲張りだよね」
「誰よりもエサを欲しがってるあなたに言われたくないんですけど」
僕は、棒読みで笑っておいた。
「ペッパーは、なんで『食欲の秋』って言うか知ってる?」
「秋に収穫を迎える食物が多かったからやろ? そこから由来するんよねー」
「すごい、知ってたのね」
自分で聞いてきたくせに、知ってたとか意外!という顔をしてきた。
「知ってたとか意外」
言われた。
じゃあ聞かんとってよ、というのはあえて言わんとこ。
「ソルトくんが教えてくれたんよ」
「ソルトが? 物知りなのね」
僕は目をキラキラさせて、まるで自分のことを自慢してるみたいに言った。
「そうやよ! いろいろ知ってるんや! 猫とか犬の足の裏には肉球がついとるって知っとった?」
「ペッパーは私のことをなめすぎだと思う。もちろん知ってるわよ」
ちょっと怒らせたみたいやな。
「大丈夫や、ご主人様!ご主人様は欲張りやなくて、ケチなだけやから」
マズイことを言うてしもたって気づいたのは、約3秒後。ご主人様のゲンコツが飛んで来たところで目が覚めちゃったんや。
☆
「うん、ちょっといいかな?」
最後まで聞いてから、ソルトは口を開いた。
「どうしたん?」
「まず、ご主人様は少し高めの柔らかい声なんかじゃないよ。ありえないぐらい低い」
「言われてみれば、そうやったかも…」
ペッパーとソルトの主人は、本当に女なのかと疑ってしまうほど、低い声をしている。
「それと、僕たちのことを『ペッパー』と『ソルト』って呼ばないでしょ?」
そこで、タイミングよく部屋のドアが開いた。
「ペッパーちゃあん! ソルトちゃあん! ご飯よぉ!」
入ってきたのは、2匹の主人だった。
「ご飯っ!」
『ご飯』という言葉に素早く反応したペッパー。
ソルトはため息をつき、続きを言う。
「ちゃん付けだ。まだ僕たちはオスだって気づいてないみたいだね。いい加減オスだって気づいてくれないかな…」
「性別なんてどうでもええわ!ご主人様、エサァァァァ!はよはよ!」
ペッパーが、ものすごい速さで水面まで泳ぎ、浮かんでいるエサを口を大きく開けて渦潮のごとく下から豪快に吸い込んだ。
「やっぱり、ペッパーちゃんの食べ方は掃除機ね!」
主人は笑って言った。
(笑い事じゃないよ…)
主人の言うとおり、掃除機のようにエサを飲み込んでいるペッパーを見て、ソルトは深いため息をついた。
こんな食べ方をするせいで、僕はエサをあまり食べられないんだから。
「どうしてペッパーくんは、秋になると食欲旺盛になるのかな」
「だって秋やもん!」
「理由になってないよ」
『分け合い』の大切さについてペッパーに教えよう、とソルトが決意した瞬間であった。