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「頼む。大会に来てくれ」

 とある日の朝。いきなり教室にやってきた相沢武が、淳吾の席の前で両手を合わせて頭を下げた。土原玲菜から大会があると聞いていたので、何のことだろうと戸惑ったりはしなかった。

 来るべき時がきたか。戸惑うよりも困ってしまった。できるかぎりの努力はしてきたつもりだが、淳吾の野球レベルはそこまで劇的に上達してはいない。

 当初から見ればかなり上達はしているのだが、それでも同年代の野球部員と比べると見劣りする。特に守備は、私立群雲学園の部員たちより下かもしれない。

「……練習とかには、参加しなくてもいい約束だったはずだけど?」

 淳吾は嬉々として野球部に所属してるわけじゃなく、半ば強引に入れられた。その際に突きつけた条件が、練習などには参加しなくていいというものだった。

 野球部の主将を務めている土原玲二も納得してくれてたので、これまで淳吾は野球部の練習に参加しなくとも、文句を言われたりしたことは一度もなかった。

 練習にも参加してない淳吾が、試合に出る理由はない。そういう意味を含めて先ほどの台詞を発したのだが、周囲に与えた印象はよくなかった。

「ちょっと! それはあんまりなんじゃない!?」

 もの凄い勢いで横から口を挟んできたのは、同じクラスに所属している栗本加奈子という女生徒だった。過大評価されてしまった淳吾の野球の実力を、周辺へ広めまくったありがたくない実績を持っている。

 土原玲二を狙っているらしく、野球部の練習を頻繁に見学しているみたいだった。おかげで部員たちとも仲良くなり、今ではグラウンド内のベンチに居座ったりもしているらしい。

 それが気に入らない相沢武とよく口論をしているみたいだが、私立群雲学園野球部の風物詩になりつつあるというのを、以前に伊藤和明という野球部員から教えてもらっていた。

 その栗本加奈子が、口喧嘩をしてばかりの相沢武の助太刀に入った。空き嫌い云々よりも、淳吾の発言が気に障ったのだろう。

「真面目にお願いしてるんだから、真面目に答えるべきでしょ!」

「だから真面目に断ったんだよ。どうして練習にも参加してない俺が、野球部の大会に出ないと駄目なんだ」

「野球部員だからに決まってるじゃん! 仮谷っち、最近冷たすぎるんだけど!」

「そういう栗本さんは熱くなりすぎだね。野球部のマネージャーにでもなったの?」

「え? なってないけど?」

 ということは、極端な言い方をすれば、栗本加奈子は野球部の関係者ではないということになる。そういう人間にとやかく言われたくはない。オブラートに包んではいたが、そういう趣旨の発言をする。

 怒りで顔を真っ赤にした栗本加奈子が口を開こうとするのを制したのは、それまで淳吾に大会への参加を必死に頼みこんでいた相沢武だった。

「その点だけは仮谷の言うとおりだ。部外者は引っ込んでろよ」

「ぶ、部外者って……それもあんまりでしょ!?」

「実際、そのとおりだよ。これは俺たち野球部の問題だ。単なる見学好きの女は下がってろよ」

 淳吾だけでなく、相沢武にまで部外者呼ばわりをされてよほど悔しかったのか、血が出るんじゃないかと心配になるくらいに栗本加奈子が自分の下唇を噛む。

 直後に大きな声で「いいわよっ!」と叫ぶ。淳吾や相沢武に背を向け、教室を飛び出す。

 教室にいるクラスメートから、白い目で見られる。栗本加奈子へも、申し訳なく思う。それでも淳吾は、野球部の大会へ参加するわけにはいかなかった。

 グラウンドで何度も見てきたとおり、野球部員たちは初心者でも必死に練習をしていた。それこそ土まみれになり、淳吾の努力など、努力と呼べないくらいに頑張っていた。

 そんな部員たちから、過大評価されている淳吾がポジションを奪うなんてもってのほかだ。彼らに頑張ってもらうためにも、邪魔者が参加するべきではないのだ。


 大会への参加を求める相沢武と、断り続ける淳吾。朝の教室で繰り広げられる終わりの見えないやりとりに、途中から割って入ってきた女性がいた。つい先ほど、教室から出て行ったはずの栗本加奈子だ。

「これで私も関係者だから!」

 何をしに来たと冷たく言い放った相沢武に、栗本加奈子が1枚の入部届けを突きつけた。そこには彼女の名前が書かれており、所属を希望する部活の名称は野球部になっている。

 これにはさすがの相沢武も驚いたようで、目を丸くしながら栗本加奈子から奪い取った入部届けをまじまじと見つめた。偽物ではないと判断したらしく、口を開けたままで唖然とする。

「マネージャーとして今日から参加しますんでよろしくっ! 仮谷っちも、これで文句ないよね!」

「そ、そう……なる、かな……」

 栗本加奈子は怒って逃げ出したのではなく、関係者となるためにわざわざ野球部へ入部するための準備を整えてきたのだ。

「じゃあ、マネージャーとしてお願いするわ。大会には出てくれるよね!?」

 先ほどの仕返しとばかりに、声を大にした栗本加奈子が淳吾に大会への参加を求める。横目で相沢武を見てみるが、まだショックから立ち直れてないみたいだった。

 仕方なしに淳吾は、頭の中に浮かんでいた大会参加を拒否する理由を正直に伝えた。これまで練習を頑張ってきた部員が、自分にいきなりポジションを取られたら面白いはずがないと。

「うえ……仮谷っち、ちゃんと考えたんだ……。アタシ、単に嫌がらせで参加したくないと言ってるんだとばかり……」

「……そこまで下衆じゃない……とは思ってる」

 人格者だとはとても言えそうにないが、嫌がらせで大会参加を拒絶してるわけじゃないのは確かだ。

 淳吾の説明に納得せざるをえなくなった栗本加奈子に代わり、再び相沢武が戦列に復帰する。

 ショックからは立ち直ってるみたいだが、現実を直視したくないのか、栗本加奈子のマネージャー就任の件についてはスルーを決め込んでいる。

「確かに残酷かもしれないけど、ポジション争いも含めて野球なんだ。それに……お前が定位置を奪えると決まったわけじゃないだろ」

「そ、そうだよ。他の皆だって、凄く上手くなってるんだからさ!」

 渡りに船とばかりに、沈黙しがちになっていた栗本加奈子が相沢武の言葉に賛同する。

 誰の意見が正しいのかはわからないが、理に適っている。だからといって、淳吾が素直に従う理由にはならない。

「俺がポジションを奪えないくらいに、皆が上手くなってるのなら問題は解決したじゃないか」

「え? 解決?」

 きょとんとしている栗本加奈子に、解決したと言った真意を教える。

「俺が大会に参加しなくても、ベストメンバーで戦えるじゃないか。これで皆が幸せになれる」

 今度は相沢武が「うっ……!」と言葉を詰まらせる。栗本加奈子も効果的な反論を見つけられないらしく、ようやく教室内に静かな時間が訪れる。

 そうこうしてる間に、朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。

 他のクラスに所属している相沢武は、退室せざるをえなくなる。栗本加奈子もひとりではどうにもできず、仕方なしに自分の席へ戻った。

 これで今朝のやりとりは無事に終了だな。ふうと大きく息を吐き、淳吾は肩から力を抜いた。


 昼休みになり、中庭で土原玲菜と一緒に昼食をとっている淳吾のもとに、今度は伊藤和明と春日修平がやってきた。

「相沢君から話を聞いたんだけど、大会に参加してくれないの?」

 どちらかといえば乱暴気味な相沢武とは違って、伊藤和明は穏やかな口調で質問をしてくる。ここらへんは、それぞれの性格が影響してるのだろう。

 嘘をついても仕方ないので、淳吾は「まあね」と返した。相沢武から話を聞いてるとなれば、参加しない理由についても知っているはずだ。

「……俺なら、補欠になっても気にしない」

 ぼそりと呟くようにそう告げてきたのは、普段から伊藤和明とよく一緒にいる春日修平だった。かなりの強持てに無口なのも加わってるせいで、周囲から微妙に恐れられてるなんて話をたまに聞く。

 しかし、こうして気弱そうな伊藤和明と一緒にいるあたり、実は性格が良いとかいうパターンの男性なのかもしれない。だからこそ淳吾に、自分のポジションをどうぞ的な発言をしてきたのだ。

「それはありがたいけど、俺が気にするんでね。諦めてもらえると助かる」

 淳吾の言葉に「そっか」と残念そうな声を出したのは、伊藤和明の方だった。

「仮谷君と一緒に野球がやりたかったんだけど、無理強いはできないよね」

 そう言って一度だけ頭を下げると、伊藤和明は仲良しの春日修平と一緒に中庭から去っていく。

 そのあとで今度は俺と一緒にお昼を過ごしていた土原玲菜が「参加しないの?」と尋ねてきた。

「ああ。練習にも参加してない俺が、いきなり試合に出てポジションを奪うのは違うと思うからね」

 どんな部活でも、それまでの積み重ねが大事になる。土原玲菜もきちんと理解しているからこそ、今日から練習に出れば大丈夫なんて軽はずみな発言をしてきたりもしない。

「淳吾が決めたのなら、仕方ないとは思うけど……それでいいの?」

「……いいんだよ。あ、お昼、ご馳走様」

 食べ終えたばかりの手作り弁当のお礼を言うと、淳吾はすぐに立ち上がる。いつもはしばらく中庭でまったりとしているのだが、今日に限ってはそういう気分になれなかった。

 普段と同じ場所に滞在していたら、次から次に来訪者がやってきそうだ。せっかくの昼休みなのに、心身をリラックスさせられなくなる。

 そう考えた淳吾が向かった先は、野球部とは縁がなさそうな図書室だった。ここならゆっくりできると思ったのも束の間、何故か先客の中に見覚えのある顔がひとつ含まれていた。

「仮谷じゃないか。珍しいな」

 驚きすぎて黙って見ていたせいで、こちらの視線に気づかれてしまった。右手を上げて、挨拶をしてきたのは野球部の主将をしている土原玲二だった。

 こうなると無視もできないので、仕方なしに淳吾は土原玲二が座っている向かいに腰を下ろす。

「てっきり、野球部の部室でいつもお昼をとってると思ってたよ」

「まあな。でも結構、図書室は利用するんだ。知識はあっても、困らないからな」

 捕手をしてるだけあって、図書室で得た知識もリードに活かすつもりなのだろう。野球に対しては、どこまでも真面目な性格をしてるのが伝わってくる。

「大会には参加しないって、武に言ったらしいな」

「またその話か……」

「ははは。そんなにうんざりした顔をするなよ。他の奴らにも言われたとなると、伊藤あたりか」

「正解」

「だろうな。あいつ、妙に仮谷を慕ってるからな」

 俺にそんな趣味はないぞと冗談で口にすると、土原玲二は苦笑しながら「安心しろ、俺もだ」と言ってきた。

「皆、初めての公式戦を前に緊張してるんだろう。だから、お前みたいな実力のある人間がいてくれると、心強いのさ。自分がもし駄目でも、仮谷がいてくれるってな」

「……悪いけど、俺はそんなに大層な人間じゃないよ」

「ははは。相変わらず、謙遜が好きな奴だな。お前の判断がどうであっても、周囲が評価してくれるというのは、それだけの魅力があるってことだろ」

「だといいんだけどな」

「……別にさ、無理に試合に出てくれなくてもいい。ただ、可能なら、ベンチには座っていてほしい。これは、俺の勝手なお願いだ」

 最終的にどうするかは任せる。最後にそれだけ言うと、土原玲二は大会の日程が書かれているプリントを淳吾の前に置いた。

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