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必勝法を授けると言われて期待していたが、内容は淳吾が想像してたようなものではなかった。要するに、感覚を大事にして、来た球を打てということらしい。
どこかワクワクしたような感じで淳吾と一緒に耳を傾けていた小笠原茜が、父親の必勝法を聞き終えた途端、あからさまなため息をついた。
「そんなので打てるなら、今頃はプロでも通用する小学生が現れて話題になってるわよ」
辛辣な感想を実の娘から浴びせられ、小笠原大吾が絶望に打ちひしがれる。こうしてる間にも勝負の時間は着実に迫っていて、淳吾は焦りばかりを募らせる。
「もっと現実的な打ち方はないの? 練習試合とかじゃ、淳吾君の打撃成績はさっぱりだったんでしょ」
あまりにはっきり言われたので心がズキっと痛んだが、今はそんなことを問題にしてる場合じゃなかった。小笠原茜が尋ねたことは、そのまま淳吾が小笠原大吾に質問したい内容と一致していたからだ。
「現実的な打ち方と言われてもな」
「何かあるでしょ。淳吾君だって、最近はバッティングセンターで打てるようになってたみたいなのにさ」
「ハハハ。バッティングセンターと、人間の投手を一緒にしちゃ駄目だ。大きく違うからな」
「だったら! その違いを教えてあげたら!?」
許可もなく自分が景品にされてしまった怒りなのか、淳吾が見たことのない剣幕で小笠原茜は自分の父親を怒鳴りつける。
チームに参加してる立場の淳吾が、強い態度で質問したりはできないので、今日ばかりは小笠原茜がいてくれてよかったと安堵する。
勝敗は不明にしても、チームのエースとも言える安田学の投球を体験できるし、守備練習ができなくとも収穫は多分にありそうだった。
「そうか。淳吾君も練習試合に出たからわかると思うが、1番の違いは球のキレだな」
「球のキレ……ですか……」
「ああ。わかりやすく言えば、球の回転数だな。良いピッチャーであるほど、スピンの効いたボールを放ってくるぞ」
よくプロ野球のテレビ中継で、解説の人が口にしてるのを聞いた覚えがある。
「それに比べると、バッティングセンターのボールは回転が少ないから、当てると飛びやすい。いわゆる棒球というやつだな」
棒球という表現も、耳にした記憶があった。さすがに硬式の草野球チームを率いてるだけあって、小笠原大吾の知識と経験は淳吾よりずっと上だった。
「変化球もキレがあると、より打者の近くで変化をする。そうなると見極めの時間が少なくなるから、空振りをしたり打ち損じをしたりするようになるわけだ」
同じ球種でも、打たれやすいかどうかはキレによって差がつくと教えてられた。それだけでもかなりの勉強になったが、さらに小笠原大吾は淳吾にとってプラスのアドバイスをプレゼントしてくれる。
「軟式のバッティングセンターで練習をしていたのなら、なおさら最初は上手く打てないはずだ。飛ばすポイントが違うからな」
「飛ばすポイント?」
「そうだ。軟球はボールの芯をミートして飛ばせばいいが、硬球はその方法だとライナーは打てても、ホームラン性の当たりはなかなか飛びにくい」
プロ野球選手とかなら話も変わってくるのだろうが、淳吾は高校一年生で野球の経験は皆無に等しい。まずは硬式球の経験者である小笠原大吾のアドバイスをしっかり聞いて、それを実践するべきだ。
「じゃあ、硬式球を遠くへ飛ばすには、どうすればいいんですか」
「ボールの芯より少し下を打てばいい。それと、軟球を打ってた時よりもタイミングを早くしてみろ」
「わかりました」
必勝法と呼べるかどうかはわからないが、とりあえずの指導はしてもらえた。もっとも実践したわけではなく、言葉を使っての説明のみなので、即効性を求めるのは危険な感じもする。
しかし安田学との対戦は目前に迫っており、淳吾は源さんから貰ったバットを片手に打席へ入らなければならなかった。
「覚悟はできたか? 俺の茜ちゃんの前で、無様な恥を晒す覚悟がな」
どこぞの悪役みたいな発言を、真顔でしているところが安田学の魅力になる……のかどうかは不明だが、とにかく最初から淳吾に負けるとは思ってないみたいだった。
練習試合での有様を見てれば当然の話だ。まだまだ初心者も同然の淳吾に比べて、安田学は過去の野球経験に加えて、草野球チームでのキャリアもある。
単純に考えれば負ける可能性は皆無に等しく、勝手に景品扱いされた小笠原茜は安田学の手に渡ったも同然だった。責任重大な感じがして、淳吾は打席へ入る直前に身震いをする。
周囲にも異様な緊張感が発生する中、見事に状況とマッチしてない音声がグラウンドに木霊す。声の主は小笠原大吾の娘で、同意してないのに、安田学によって今回の勝負の景品にされてしまった小笠原茜だった。
「あ、淳吾君。打てなくても気にしなくていいからね。私、景品にされるつもりなんてないし」
漂っていた男と男の勝負みたいな感じが、小笠原茜の言葉で無残に吹き飛ばされた。考えてみれば当たり前で、勝手に景品扱いされた挙句、好きでもない男のものにならなければ駄目な理由はなかった。
小笠原茜が拒絶しても誰にも文句を言う資格はない。もっとも彼女を狙ってる安田学だけは必死になって、考えを変えさせるための説得を行い始める。
「そ、それはないよ、茜ちゃん。元から好きあってる者同士でも、そういうのは勝負を盛り上げるために必要なんだし」
「好きあってるというのは安田さんの妄想にすぎないし、そもそも勝負に景品をつけるなんて賭け事みたいな真似は許されないでしょ」
「い、いや、これは賭け事なんかじゃなくて、立派なおまけというかなんというか……」
妄想とズバリ切られた部分をスルーしながら懸命に反論するも、安田学より小笠原茜の発言の方が正しいのは明らかだった。周囲の人たちもそのとおりだとばかりに頷いているし、当事者である淳吾にも異論はなかった。
「そ、それなら、勝負は中止だ。残念だったな」
「はあ……じゃあ、俺は守備練習をしてきます」
確かに安田学との勝負の場がなくなるのは残念だが、顔見知りの女性を犠牲にしてまでそうした機会を得ようとは思わない。それに小笠原茜当人も、淳吾のためならと決意するようなドラマ的展開を演出するつもりはないみたいだった。
てっきり誰かが「それは駄目だ」と言うと思ってたのだろう。安田学の焦りっぷりは、見ている淳吾が動揺するほど凄かった。
「ま、待てっ。お前はそれでいいのか。野球の腕を上達させたくて、俺に弟子入りをしにきたんじゃないのか!」
「いや……弟子入りは頼んでないです」
実戦経験を積みたかったので小笠原茜にお願いして、彼女の父親が率いている現在の草野球チームの練習に参加させてもらうようになった。
運よく初日に練習試合を経験できたおかげで、両手で抱えきれないほどの課題が見つかった。それをひとつずつクリアしていこうとしている最中なので、投手までは頑張ろうと思っていない。
「そんな甘えた態度でどうする! 俺がお前の根性を叩き直してやる!」
何がどうなってるかよく理解はできないが、とにかく安田学は小笠原茜が景品にならなくとも、淳吾と勝負をしてくれるみたいだった。それはそれでありがたいので、素直に打席へ入る。
「こうなったら、俺との実力差を見せてやる。そして、茜ちゃんをたぶらかした罪を償ってもらおう!」
たぶらかした記憶はまったくないのだが、安田学に何を言っても通じそうにないので、そのまま放置しておく。そうすれば、すぐにでも勝負が開始されるはずだ。
事前に安田学が説明していたとおり、勝負は5打席。そのうち一度でも、淳吾がヒットを打てば勝利で、逆なら敗北になる。
直前まで小笠原茜が景品になるかどうかでもめていたが、当人の「景品にされるのは嫌」という発言でなしになった。
とはいえご褒美は必要だろうということで、小笠原大吾が勝者にあとで晩御飯をおごるという形で決着した。
ようやく勝負となり、源さんを始めとしたチームの人たちが守備位置についてくれる。もちろん安田学が投手だ。
「俺のピッチングを見れば、すぐに茜ちゃんも惚れ直す。残念だったな」
何が残念なのかはまったくわからないが、安田学のせっかくの決意も、当の小笠原茜によって儚くも散ることになる。
「最初から惚れてないんだから、惚れ直すのは無理です」
「照れなくてもいいって。俺には全部、わかってるからさ」
「くだらない妄言はいいから、さっさと勝負を始めるぞ」
イラついた様子で安田学に口を閉じさせたのは、先輩でもある小笠原大吾だった。溺愛する娘を取られてたまるかなんて感じが漂ってるが、その点にはあえてツッコみを入れないでおく。
勤務先の係長といい、安田学といい、小笠原茜は独特の性格をした男性に好かれるタイプなのかもしれない。そして家に帰れば、父親の小笠原大吾が待っている。さすがの淳吾も、心から同情したくなる境遇だった。
しかし今もっとも重要なのは、どうやって安田学の球を打つかという点だった。その投げっぷりは、以前の練習試合でレフトのポジションから見せてもらった。
距離が離れてるので球速はよくわからなかったが、コントロールが結構よかったのを覚えている。淳吾が余計なエラーをしてなければ、練習試合での失点もかなり少なかったはずだ。
一応は小笠原大吾に、安田学の持っている球種について教えてもらった。ストレート、スライダー、カーブを投げるらしい。基本的にカーブがカウント――ストライクを稼ぐためのボールで、スライダーが決め球になる。
打者を仕留めるためのボールとなれば、初心者も同然の淳吾に安田学のスライダーを打つのは難しい。それでなくても、練習試合では変化球をまともに打てなかったのだ。
あの時は変化球を打つのを諦めてストレートに狙いを絞ったけれど、今回は5打席ものチャンスが与えられる。どうせなら最初は変化球を狙ってみようと考える。
小笠原茜が景品にされたままだったら、そうも言ってられなかったが、幸いにしてそういう事情はなくなった。負けても失うものはないのだから、淳吾の実力をアップする機会にすべきだ。
「お願いします」
勝負前に借り物のヘルメットを取って安田学に挨拶をしたあと、だいぶ慣れてきたオープンスタンスで構えて相手の投球を待つ。普通に構えてたら、内角の真っ直ぐに振り遅れてしまいそうなので、フォームを変更するつもりはなかった。
「殊勝な態度は結構だが、手加減はしてやらねえからな」
投球練習を終えて、準備を整えた安田学がマウンド上で振りかぶる。鋭くなる眼光に気圧されないよう、淳吾も気合を入れる。
投球動作に入った安田学の足の動きに合わせて、淳吾もまた自分の左足でバッティングのタイミングを取る。ここが上手くいくかどうかで、打撃成績がかなり左右される。
安田学の足がグラウンドを踏みつけるた直後に、淳吾も打席内に上げていた左足を下ろして打撃動作に入る。だが、ここで想定してなかった問題が発生する。
「あれ? 腕が……」
本来なら見えていておかしくないはずの安田学のボールを持つ手が、まだ淳吾の視界に映っていなかった。




