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 200円を投入し、アームの準備が整うのを待つ。いちいち緊張しなくとも、その瞬間はすぐに訪れる。

 掴んだボールを放すために頂点を目指し、辿り着くと同時に速度を上げてアームが落下する。その途中でボールが投げられ、バッターボックスで構えている淳吾のところへ向かってくる。

 飛んでくるボールの軌道が、はっきり見える。あとはどこを通過するか予測して、バットを振ればいいだけだ。

「――ふっ」

 軟球が向かってくる直前に止めていた息を、小さく吐き出す。身体から余計な力を抜き、真っ直ぐにバットを振るためだ。

 今度こそジャストミートできる。そう確信していたが、淳吾の予測を裏切って、両手で持っている金属バットは空気以外の何とも衝突しなかった。

 ケージの外で小笠原茜も見ているにもかかわらず、再び見事な空振りを披露してしまった。泣きたいほど恥ずかしくなるも、ボールを投げるのが使命のアームは、空気を読んで一時的に動作を停止してくれたりはしない。

 次々に飛んでくるボールに対処するため、悲観してる暇もなく、再び構えなければならない。慌ててバットを顔の横へ戻す途中で、先ほど知り合ったばかりの女性がケージにいた際の体勢を思い出す。

 バットの振り幅を短くする代わりに、ボールへ到達するまでの時間も短縮するという狙いのフォームだ。ホームランを打つのは難しいかもしれないが、ミートするだけなら普通に構えるより容易になる。

 とにかく少しでも上達したい淳吾は、恥も外聞もなくバントをする直前みたいな構えをとる。寝かせたバットを少しでも前に出せば、ホームベースの上に到達するくらいの感じだ。

 ボールが放たれた直後から、じっくりと見てベース付近に来たところでバットを動かす。聞こえてきたのは空振りをする音ではなく、ベコっという何かがへこんだような不恰好な音だった。

 少しでも前に飛んでくれれば多少はありがたみもあったが、生憎と淳吾が打った軟球はわずかに真上へ舞い上がっただけだ。地面へ落下して足元へ転がってきたあと、静かに動きを止める。

 格好良さなど微塵もない打球ではあるものの、とにもかくにも淳吾がこのバッティングセンターで、初めて90キロのボールをバットに当てた瞬間だった。

 とても誇れはしないはずなのに、淳吾の中で嬉しさがこみあげてくる。下手をすれば、体育の授業でホームランを打った時より感動できた。

「よし、この調子で……」

 3球目にも、同じバッティングフォームで対応する。今度は空振りをするも、4球目は再びバットに当たった。ボテボテのゴロだったが、きちんと前にも飛んでいる。

 多少は進歩してるのを実感しながら、30球を消化する。最後の方は、バットに当たらない回数も極端に減っていた。

 ケージの外では小笠原茜が自分の順番を待ってるだろうし、変わろうと思ってベンチの方を見るも、そこにはすでに誰の姿もなかった。

 別に淳吾とは友人というわけでもないので、帰りたいのならわざわざ声をかけていく必要はない。なのに、なんとなく寂しさを覚えるのは何故だろう。

「今はそんなことを考えてる場合じゃないよな。営業が終了する時間まで、できる限り打っておくか」

 順番待ちをしてる人間がいないのであれば、遠慮をする必要もない。ポケットの中に入っている小銭を掴み、新たに200円を入れる。

 再稼動するアームを睨みつけながら、淳吾は不恰好なのも構わずに先ほどと同じバッティングフォームをとる。

 どんなにしっくりくる構えだったとしても、振ったバットにボールが当たらないのならこだわる必要はない。淳吾が今現在必要としているのは、格好良さよりも結果と経験だった。

 試行錯誤を繰り返しながら、合計で2000円くらい使ったところでバッティングセンターの営業時間が終了した。

 バットを振り込むのは大事かもしれないが、1回でこんなにお金を使っていたら、あっという間に破産する。

 外に出て夜の闇に包まれた淳吾は腕を組んで悩みながら、どうするべきか考えていた。

 すぐに解決策が出たりするはずもないので、とにかく今は帰宅しようという結論に達する。

「そういえば……ここまで走って来たんだったな……」

 中学生時代は陸上部で長距離をやっていたとはいえ、決して楽な行為ではない。だからといってタクシーなんかで帰宅すれば、それこそお金が足りなくなる。

 これも体力をつけるためだと自分自身を納得させ、淳吾は自宅を目指して足を動かす。帰れば一体何時になってるかは不明だが、相当に疲れてるだろうから、ぐっすり眠れるのだけは間違いない。

 全力で走るわけではないので時間は結構かかる。それでも足腰が鍛えられてる実感だけは得られる。

 なんとか家に到着した頃にはグッタリで、気力を振り絞ってシャワーを浴びて布団を敷いたあとは、そのままダイブして睡眠をとった。


 あまりに熟睡しすぎて、危うく寝過ごすところだった。

 いつの間にか目覚まし時計も止めており、土原玲菜が迎えに来てくれてなければ起きられてなかっただろう。

 外で恋人関係になった先輩女性を待たせながら、急いで身支度を整える。昨日の夜に土原玲菜が作ってくれた残りはあるけれど、肝心の食べている時間がなかった。

 途中のコンビニでおにぎりでも買おうと考え、洗顔と着替えだけ済ませた淳吾は大慌てで家を出る。

「……寝癖、ついてるよ」

 何気なく土原玲菜が淳吾の髪に触れる。跳ねていた部分を撫でられた。女性に対する免疫が極端に不足してるだけに、尋常ではないほどの動悸が発生する。

 格好つけの精神が旺盛な淳吾は、こんな場面を誰か他の人間に見られたら冷やかされると、乱暴にならない程度に土原玲菜の手を振り払った。

 その際に手と手がぶつかり、ますます気恥ずかしさが増大する。呪文のように落ち着けという言葉を心の中で繰り返すけれど、やたらと活動的になっている心臓はちっとも言うことを聞いてくれない。

 動揺しまくってるのを悟られるのはやはり格好悪いので、なんとか平静を保っている感じを装うものの、土原玲菜に見透かされていないかヒヤヒヤだった。

「今日は朝、遅かったのね」

 髪の毛の一件以来、しばらく無言で歩いていたが、唐突に隣を歩く先輩女性が声をかけてきた。あまり話は広がらなかったものの、土原玲菜なりに気を遣って会話の糸口を提供してくれたのかもしれない。

 そうした面も含めて、徐々に淳吾は土原玲菜に惹かれていた。最初は確かに顔を見て興味を持ったけれど、今では性格も含めて気になっている。

 昨夜に出会った野球部員たちの想いや、このような自分自身の気持ちもあって、淳吾は皆から期待されているとおりの人物になってやろうと決意した。

 しかし気持ちとは裏腹に、昨日の努力だけでは、悲しいくらいに何も上達できていなかった。

 今日こそはの思いを強くしていたのもあって、普段よりも会話が少ないままコンビニの近くを通りかかる。

「悪いんですけど、俺は用事があるんで、先に行っててくれます?」

「……わかったわ」

 悩んだ末に頷いてくれた土原玲菜を置いて、小走りで淳吾はコンビニへ向かう。

 中学時代の部活よりも走ってないはずなのに、昨夜のバッティングセンターへの往復だけで筋肉痛が結構なレベルになっていた。

 道中は土原玲菜が隣にいたのもあって耐えてきたが、いざひとりになると急速に痛みが増幅してるような感じさえ覚える。

「ぐっ……いってぇ……けど、今は、我慢……だな……」

 中学校で初めて部活動に参加した翌日も、今と同じような筋肉痛に悶えた。当時の記憶を蘇らせながら、ほんの少しだけ懐かしさに浸る。

 そんな場合じゃない。淳吾の空っぽの胃袋が、そう言いたげにぐうっと大きな音を鳴らした。


 購入したばかりの鮭と梅干のおにぎりを頬張りながら、学校へ向かう。かなり行儀が悪いけれど、どこかの公園でベンチに座って悠長に食べていたら確実に遅刻する。

 ゴミだけはきっちり持ち帰るように心がけ、米粒を地面にこぼしたりしないよう気をつけて食べる。空っぽだった胃袋に落ちていく塩味のきいた白米は、うっとりしそうなくらい美味しい。

 大きな口でかぶりついたあと、あまり噛まずに飲み込む。よく噛んだ方が体にいいと理解しているけれど、荒ぶる食欲にはさすがの理性も太刀打ちできなかった。

 肉体が求めるまま貪るようにおにぎりを食べ、鮭と梅干の風味にこれまた恍惚の表情を浮かべそうになる。コンビニのおにぎりを、こんなに美味しいと思ったのは生まれて初めてかもしれない。

 まるでハムスターのように頬を膨らませながら歩いていると、どことなく寂しそうに歩いている土原玲菜と偶然遭遇した。

「……朝ご飯?」

 淳吾の姿を見つけると、少しだけ驚いて目を軽く見開いた土原玲菜が、手に持っているおにぎりの包みを見て尋ねてきた。

 この状況で嘘をついてもバレるだけなので、下手な言い訳をせず素直に淳吾は頷いて理由を説明する。

「朝ご飯を食べてる暇がなくて……仕方ないからコンビニに頼りました」

「そうなの? もしかして、私が早く迎えに行きすぎたのかしら」

「い、いや、そうじゃないです。起こしてくれなかったら、遅刻してたわけだし。単純に俺の問題なんで……」

 土原玲菜は「そう……」と返事をしてくれたものの、納得してるような感じではなかった。このように気まずくなるだろうと想像できていたので、こっそりコンビニへひとりで向かったのだ。

 どうしようかなと考える淳吾が、おにぎりの包みをポケットに入れた直後、再び土原玲菜が口を開いてきた。

「それなら、明日から私がおにぎりを作ってくるわ」

「え? な、何で?」

「学校へ行きながら食べるしかないのなら、おにぎりは最適だから」

 確かにそのとおりではあるけれど、何故に土原玲菜が作るという結論に達したのか。少し悩んだけれど、相手に聞くまでもなく理由が判明した。

 ――淳吾の恋人だから。恐らく土原玲菜は質問した場合に、そのような回答を告げてくるはずだった。

 加えて意外に頑固な女性でもあるので、一度決めたらなかなか折れてくれない。登校中に押し問答して時間を浪費するよりは、相手の好意に甘えてしまおうと判断する。

「それじゃあ……お願いしてもいいですか」

「ええ」

 返事は短いながらも、しっかりと頷いた土原玲菜からは並々ならぬ決意がうかがえる。弟の土原玲二のためにも、とことん淳吾をバックアップしたいのだろう。

 愛情よりもそうした使命感の方が強いのは理解できているのに、なんとも言えない寂しさを感じてしまう。けれど、それでもいいと受け入れたのは他ならぬ淳吾だった。

 それにバッティングセンター通いを続けていれば、どうしても今朝みたいな展開になる可能性が高い。そうなると、おにぎりを用意してもらえるのは正直ありがたかった。

 お礼を言おうと横にいる土原玲菜を見る。爽やかな朝日を浴びながら、前を見て歩いている先輩女性はとても綺麗で、淳吾は告げるべき言葉を失うほどに見惚れてしまう。

 一緒に並んで歩いているだけで、通り過ぎる大半の人が振り返る。昨夜に出会った小笠原茜も美人の部類に入る女性だったが、土原玲菜はその上をいく。

 容姿だけで女性を判断するのは失礼だと理解していながらも、お調子者の淳吾はそうしたシチュエーションに遭遇するだけで得意気になってしまうのだった。

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