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 最悪だ……。

 グラウンドから自宅までの道のりを、ただひたすらに淳吾は頭を抱えながら歩いていた。

「頭が痛いの?」

 隣を歩いている美人な先輩が、少しだけ首を傾げながら愉快な質問をしてくれる。

 一体誰のせいで頭痛がしてるのかと怒鳴りそうになるのを堪え、曖昧な笑みを浮かべて質問への回答にする。

「それは大変。早く帰って、休まないと」

「……そうですね。そうします」

 夕焼けに染まった金色の街を歩きながら、淳吾はいまだかつて経験のない足の重さを感じた。

 まるで鉛のような状態。原因はすでにわかっている。尋常じゃないまでの疲労だ。

「はあ……」

 綺麗な女性と恋人関係になれたのは嬉しいが、生憎と両想いというわけではない。

 相手の女性が淳吾との交際を望んだのは、弟も所属する野球部へ入部させるためだった。

 男の純情を返せなんて情けない発言ができるはずもなく、淳吾は恋人になった女性と一緒に下校していた。

 隣を歩く女性は誰の目から見ても美人なため、通り過ぎる男性がかなりの高確率でこちらを振り返る。

 得られる優越感と、吹いてくる優しい風に慰められながら、淳吾は随分と長い間帰ってないような気がする自宅へ到着した。

 もの凄く立派なアパートではないけれど、隣や上からの騒音もなくて、かなりお気に入りの物件だった。

 エレベーターはなく、三階建てのアパートを階段で上る。淳吾の部屋は二階にあった。

 ポケットに入れていた鍵を取り出し、ドアノブに差してから回す。カチャリと音が鳴って、ドアが開くようになる。

「やれやれ、疲れた。とりあえず、ゆっくり休もうかな」

「ええ、それがいいわ」

 賛同を得られたところで淳吾はドアを閉め、朝から敷きっぱなしにしてあった布団へバッグを放り投げた。

 ――直後に、大慌てで後ろを振り向いた。

「な、何で、俺の家にまでいるんですか」

「……唾を飛ばさないで」

「あ、それはすみません――じゃないです。俺はどうして、貴女がここにいるのか聞いてるんです!」

「一緒に来たから」

 さも当然のように答える土原玲菜のおかげで、淳吾は再び頭を抱えそうになった。

 どうやらこの女先輩には、淳吾がこれまでの人生で培ってきた経験がまったく通用しないらしい。

 普通に追い返そうとしても、暖簾に腕押し状態になる可能性もあるので、とりあえずは向こうの言い分を聞いてみる。

「わかりました。それなら質問を変えます。俺の家までついてきて、何をするつもりなんですか」

「疲れをとるには、美味しくて栄養のあるものを食べて、ゆっくり休むのが一番よ」

 そう言うと美貌の女先輩は、勝手に人の家の冷蔵庫を開ける。

 中にはジュースなどがメインに入っており、食材の買い置きは極端に少ない。だからこそ本来なら途中で止めるべきだったのだが、制止する暇すら与えてもらえなかった。

 あれこれと注意や指摘をされるかと思いきや、意外にも土原玲菜は口を閉じたままだった。

 てきぱきと冷蔵庫の中から数少ない野菜を取り出し、手際よく洗ったばかりのまな板に乗せる。

 引っ越した当初に買った包丁を使い、綺麗に野菜を切っていく。

 淳吾の中で美人は料理が下手というのが定番だったが、考えを改める必要がありそうだった。

 考えてみれば、あれだけ美味しいお弁当を作ってきてくれたくらいなのだ。この場で料理が下手だと露見するほうが問題だった。

「まだ少し肌寒いから、お鍋にしましょう」

 幸いにして鍋なども買ってあるため、なんとかなりそうだった。もちろん、食材があればの話だ。

「そ、それはありがたいですけど、食材の買い置きはほとんどないはずですよ」

「大丈夫よ。冷蔵庫に残っていたもので、何とかするから。冷凍庫に鳥肉もあるし、十分だわ」

「は、はあ……それなら、お願いします……」

 この時点で相手に主導権を握られているのだが、戸惑いっぱなしの淳吾はまったく気づいていなかった。


 やはり土原玲菜の料理の腕前は相当で、余りもので作ったはずの鳥鍋はもの凄く美味だった。

 鍋というのもあって体の奥底から温まり、思わずおかわりをしてしまったほどだ。

「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

 お腹も一杯になって、その場にひっくり返っていると、今度もてきぱきと土原玲菜は残りものの保存を始めた。

 手伝おうにも、行動でそんなのは不要だと言われてるみたいだった。

 結果的に淳吾がぼけーっとしてるうちに、洗い物まで終わらせてしまった。

 下手をすると、実家の母親よりも手際がいいかもしれない。ぼんやりとそんな感想を抱く。

「お風呂も沸かしておいたから、ゆっくり浸かって、早めに休んでね」

 いつの間にと驚愕するしかないほど、土原玲菜の行動には無駄がなかった。

 食事の準備でさえも、いつもだらだらとしてる淳吾とは大違いである。

 性格はともかくとして、いいお嫁さんにはなりそうだな。なんて思った直後、淳吾は大変な事実に気がついた。

 ひとり暮らしの若い男のアパートに、若い女性が滞在している。つまりは二人きりだ。

 こ、これは誘われてるのだろうか。好意がどうだのと言ってたくせに、男としての欲求は実に素直だ。

 とはいえ一直線に突撃して、玉砕したら実に格好悪い。だがこの状況になったということは、相手にもその気があると判断しても大丈夫なはずだ。

 頭の中で意見をまとめたあと、覚悟を決めて淳吾は顔を上げる。

「あ、あの……っ!」

「それじゃあ、私は帰るから、ゆっくり休んで」

「……ですよね」

 安堵と落胆が複雑に入り混じったため息をこぼしつつ、淳吾は玄関先まで美貌の女先輩を見送った。

 アパートから立ち去っていく背中は確実に一歩ずつ遠ざかり、ただの一度もこちらを振り返ったりはしなかった。

「まあ、現実はこんなものだよな。それにしても……疲れた……」

 突如、彼女になると言い出した土原玲菜のおかげで、なんだか日常生活が急に忙しくなったような気がする。

 私が貴方を、心の底から好きになれば問題ないのね。これは今日、グラウンドで土原玲菜に言われたばかりの台詞だ。

 破壊力抜群すぎて、思い出すたびに爆発しそうなくらい心臓がドキドキする。

「彼女は、本気で言ったんだろうか……」

 淳吾以外に誰もいなくなった部屋に座り、ぽつりと呟いてみる。

 この場に土原玲菜はいないし、淳吾は超能力者でもないので、相手女性の心情を知るのは不可能だった。

「せっかくだから、風呂に入ってゆっくりするか」

 色々ありすぎて、本当に疲れていた。何かを考えるのが、億劫で仕方ない。

 知らないうちに土原玲菜が沸かしてくれていたお風呂に入り、しっかりと温まる。

「あ、しまった。送っていくべきだったかな……」

 さほど暗くなっていなかったとはいえ、若くて綺麗な女性をひとりで帰らせたのは早計だったかもしれない。

「……今さら後悔しても遅いか」

 色々な問題事が発生しているけれど、こうしてお風呂に入っていれば心身ともに癒される。

 きっと、なんとかなるさ。無理やりにでも楽観的に考えながら、浴槽内で淳吾は大きく息を吐くのだった。


 土原玲菜の美味しい手料理のおかげなのか、翌日は目覚まし時計が鳴る前にすっきりと目覚められた。

 朝食として昨日の夕飯の残りを食べ、朝から胃袋が満たされる。

 最初はあれこれと作ったりしたものだが、ひとり暮らしの日数が増えてくると、どうしても手を抜きがちになる。

 コンビニのおにぎりを買い置きしておいたり、食パンをかじったりなどがいい例だ。

「やっぱり、誰かがご飯を作ってくれるというのはありがたいな」

 しみじみと独り言を口にしながら、淳吾は所属している私立群雲学園へ向かう準備を整える。

「さて、行くとするか」

 ひとり暮らしだと誰かの声が聞こえないのが寂しいので、無意識に自分で言葉を部屋に響かせてしまう。

 ふとした時にそんな自分に気づき、奇妙な寂しさを覚えるのも人生経験のひとつだ。

 なんて己を慰めていると、淳吾のアパートのインターホンが鳴った。さほど新しくない建物なので、モニターまではついておらず、誰が来たのか肉眼で確認はできない。

 か弱い乙女じゃあるまいし、インターホンで誰が来たのか声を確認するより、さっさとドアを開けた方が早い。

「はい、どちら様ですか」

 ドアを開けた直後に、淳吾は驚いてしばらくの間、呼吸をするのも忘れた。

「おはよう」

 当たり前のように挨拶をしてきたのは、淳吾が恋人付き合いをすることになった女性――土原玲菜だった。

 きちんと身なりは整えられており、朝日を浴びた類稀な美貌は輝くほどに際立っている。

 確かにこんな女性が恋人になってくれるなら、淳吾にとって嬉しい限りだった。

 問題は相手が好意を抱いてない点だけであり、そこも昨日の発言どおりに心の底から好きになってくれるのであれば解決される。

 知らず知らずの間に生唾を飲み込んでいた淳吾に、クールさを崩さない土原玲菜が「準備は終わってるの?」と尋ねてきた。

 学園へ行く準備だというのはわかったので、淳吾は緊張気味に「は、はい」と答えた。

「よかった。それなら、一緒に登校しましょう」

 どうやら土原玲菜は、淳吾と一緒に学園へ向かうために、わざわざ迎えに来てくれたみたいだった。

 恋人と並んで歩きながら登校する。ひとり暮らしを始める前に、淳吾が夢見ていたシチュエーションのひとつだ。

 大急ぎでアパートから出て鍵をかけると、まったく解消されない緊張と一緒に土原玲菜の隣へ移動する。

 昨日の下校時も思ったけれど、やはり淳吾の隣を歩く女生徒は別格の美人だ。

 通り過ぎる男性の振り返り率は半端じゃなく、同じ私立群雲学園に通う生徒たちからはおもいきり羨ましがられる。

 相手の好意がどうこうと落ち込んでいたのも過去の話。基本的に調子に乗りやすい淳吾は、早くも有頂天になっていた。

 とりたてて会話もないけれど、隣を歩いてくれているだけで、なんだか誇らしい気分になる。

 現金なのはわかっているが、淳吾も男である以上、美人と一緒に登校できるのは楽しくて仕方なかった。

 やがて学園に到着すると、持っていたバッグを開いて、中から小さな紙袋を土原玲菜が取り出した。

「これ……お弁当。お昼になったら、教室へ迎えに行くわ」

「あ、う、うん……」

 目の前でふわりと揺れるポニーテールから、相変わらず心地よい香りが鼻先へ届いてくる。

 颯爽と自分の教室へ向かう背中に見惚れてる淳吾の両手には、手作りのお弁当が入った紙袋がある。

 やりとりを見ていた他の学生たちに冷やかされ、ようやく淳吾は我に返る。

 中学時代から理想としてきたようなシチュエーションを味わい、心がどこか違う世界へ飛んでいたみたいだった。

 性格は多少不思議な面もあるけれど、容姿は抜群にいい。人間は外見じゃないとわかっているけれど、どうしてもそちらに目が向く場合もある。

「俺は……どうすればいいんだろ」

 誰にともなく呟いたあと、貰った紙袋を自分のバッグの中にしまいながら、淳吾はポリポリと後頭部を掻くのだった。

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